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「なに揉めてんの?」
寝起きの、くぐもった声がした。
誠君の眠そうな顔が半分だけ布団からのぞいていた。
「やっと起きた。あれだけ真理ちゃんが起こしても起きなかった奴が」
「んー、真理?来てたの」
「誠君ひどい」「ひどいよなあ」良史亜と私の声が重なる。
「あきれて、もうとっくに帰ったよ」と良史亜。
誠君は、ごろっと腹ばいに体勢を変えて腕を伸ばした。
日焼けした半裸の胸にシルバーのネックレスが滑り落ちる。
布団のそばの黒いローテーブルから、タバコの箱を取ろうと這い出しかけた彼はパンツ一枚の姿だった。
「なんか着ろ。一応、女子高生の前」
良史亜が眉をひそめて注意する。
無言の誠君は枕元のTシャツとスウェットを布団に引っ張り込んだ。
起き上がって肩まで伸びた黒髪を一つに束ね、タバコを一本抜き出すと、火を付けた。
開いた窓枠に向かって煙を吐き出す。
「まったく、桐絵が来ると熱い男がうるさくて寝てられないよなあ」
微笑を含んだ低い声で私に向かって言った。
誠君は昼間は寝ていて、夜に仕事に出かけていることが多い。
仕事の時は髪は束ねたりピシッと流して撫でつけたりして、大抵黒っぽいスーツとシャツにノーネクタイ。
革靴はいつもすごくピカピカに手入れしている。
スーツで決めた誠君は背が高くてスタイルが良くて、顔も直線的な眉に深く黒い瞳。鼻筋が通ってかっこいい。
何度かモデルにスカウトされてるって、真理さんに聞いたことがある。
「桐絵、真理ちゃんがくれたプリン食べる?なんか、いいやつらしい」
態度が悪い誠君をスルーして良史亜が言った。
「わあ、いいの?」
真理さんが買ってきてくれたプリンは、有名なケーキ屋さんのだった。
「プリン俺にも」誠君が要求する。
「まあ、お前が貰ったもんだしね。真理ちゃんに、お礼言ってくれよな」
良史亜は誠君にもプリンを手渡した。
「もらうね、いただきます誠君」
「どうぞー。桐絵は受験勉強どう?」
「うん、良史亜がいつも助けてくれるし頑張ってるよ」
良史亜は忙しい仕事の合間にも、わからない所や解いた問題を写真で送るとLINEやメールを使って勉強を見てくれる。
問題集を選ぶときもアドバイスしてくれる。
私に携帯を持たせるようにしたのも彼だ。
三人でプリンを食べていたら、誠君の携帯からいろんな着信音が次々響く。
「うわ、真理…あー、やらかした」
プラスティックのスプーンを咥えた誠君が唸った。
「激怒してるのか?」と良史亜。
「ああ俺、今日真理と飯食う約束してたらしい。まずい、秒で行かないと」
「早く行って、謝って」と私。
結局また慌ててパンツ一枚に戻り、仕事用のスーツに着替え、鍵やら携帯やら財布をジャラジャラかき集めて出かける準備をしながら「なあ、桐絵」と誠君が言った。
「なに?」
もうビシッと決めた彼を見上げた。
「大学行け。良史亜を信じろよ」
誠君は一瞬、真面目な顔つきになり、束の間私と目を合わせると部屋を出て行った。
数日後。
高校の保護者面談の日。
私の後見者として来た良史亜は、落ち着いた様子で教室の席に着くと、私の担任と話し始めた。
スーツ姿で短髪を整え、すっと上がった眉は綺麗なカーブを描いて鼻梁が高い良史亜。
少し茶色味のある瞳はいつも優しいけど、それが内側の強さと激しさを隠してる。
マスコミが「清潔感と聡明さにあふれた好青年」と、取り上げる彼の姿。
先生も学生起業家として最近注目されている良史亜を知っていて、懇談は良史亜のペースだった。
先生の前で、彼は私を「桐絵」とは呼ばずに「長嶺さん」と苗字で呼んだ。
「私のような若輩者が長嶺さんの後見かと懸念されることとは思いますが、私自身、長嶺さんと同じ児童養護施設で育ちました。私たちのような子供のスタートラインは、一般家庭で育った子たちと比べれば後方でしょう。でも能力が低いわけじゃない。彼女の自助努力があり、私はそれを支援できます。能力を活かして社会と向きあってほしいんです」
良史亜は来春には大学を卒業し、起業した終活関連の会社の社長に専念することも話した。奨学金すら必要ないことも。
「室井さん、よくわかりました」
先生も良史亜のこの熱量に圧倒されている。
「長嶺さんの進学にあたって学費の心配は生じませんし、あとは本人の努力で結果を出してもらえると信じています。親が無いから、お金がないからと自分の将来を安く見積もる必要はない。先生、何卒よろしくご指導ください」
そう言って懇談を終えた良史亜は深々と礼をして立ち上がると、私を促して教室から廊下に出た。
「室井さん、ありがとうございます」
私もすっかり圧倒されて、思わず廊下で神妙に挨拶して彼を見上げたら、良史亜は明らかに笑いを噛み殺していた。
いつも誰より良史亜は頭が良くて行動力があるし、厳しいことを言うけど、それは相手のことを考えてのことだってわかってる。
けど、経験豊富な大人を鮮やかに説き伏せて、物事を自分の思い通りに進める時、彼は何とも嬉しそうなのだ。
付け入る隙なんか絶対に与えない。
そんな感じ。
言葉で実績で武装して、まるで戦っているみたい。
誰にも何も言わせない、誰の力も必要ない。
タジタジとなる大人を見て、彼は冷たく笑う時がある。
良史亜のそういうところだけは怖い、と思う。
「大人なんて当てにならない。僕は早く自分で生きていけるようになるんだ」
まだ小学生の頃から、良史亜はそう言ってた。
味方にすれば最強だけど、敵にまわしたらきっとすごく怖いに違いない良史亜。
学校を出ると背が高い欅の向こうに見える空はすっかり夕方で、風が少し冷たく感じた。
「桐絵、お腹空かない?何かあったかい物でも食べていこうよ」良史亜は機嫌よく私に言った。