Ты не одна 7
冬の記憶がまた蘇る、あの暖かな指先の。
あ、冷たい。
体がピクッとして、彼の指先が離れた。
頬に触れた良史亜の指先は、アイスコーヒーのグラスのせいかひんやりしていた。
「あ、ごめん」
そう言うと良史亜は椅子から立ち上がり、携帯を取ってきた。
「この後、ちょっと着物の店に行って見ないか。いくつか探したんだ」
結局、その後間もなく私たちは外出して呉服店を探し成人式用の着物を見て回った。
その後は本屋さんで雑誌やガイドブックを選ぶと、日帰りでドライブに行く計画を立て、外で夕食を食べて良史亜の家には戻らずに別れた。
また別の日に良史亜ともう一度着物を見に出かけて、ある呉服店で見た深い赤色の古典柄の振り袖を成人式で着ることに決めた。
「お嬢様は、色白でいらっしゃるからとてもお似合いですよ」
お店の年配の女性が褒めてくれる。
良史亜も「僕もこれが一番似合うと思う」と言ってくれた。
それはとても気に入って、小物も全て一から揃えた。
式の前に写真を前撮りすると言うことを良史亜は聞いて、髪型や流行のヘアアクセサリーやメイクのことまでいつの間にかお店の人からも教わっていた。
知りたいことは躊躇なく、あっという間に情報を集めてしまうところはやっぱりすごくて、最近の和装についての彼の知識はもう私なんか足元にも及ばないくらいだった。
「髪はそのまま伸ばすんだろう?」
「うん、そうするよ」
「僕が取材でお世話になったヘアメイクのスタジオがあるから、そこに頼もう。当日の担当もツテで当たってもらうのはどう?」
「すごい、いいの」
「それはちょっと休み明けになるけど、任せてくれるか」
そう言うと良史亜は携帯のスケジューラーを開いた。
「室井様はお若いのに、社長さんでいらっしゃるのですね。私の母が先日、そちら様の終活についての講演を聴きに伺ったもので存じ上げておりました。さすが、とても行動的な方でいらっしゃいますね」
お店の女性が感心して言った。
家で話した日以来、良史亜はいつも通りのペースで物事の大事な部分をすぐに捉えて調整し、前進させて行く。
「和装って楽しいものだね。僕は型や決まりごとが面白く感じるよ」
「良史亜楽しそう。私も着方とか素材や柄の意味とか面白いと思ったよ」
「うん、織りや染の工程も見てみたいなあ。僕も来年は羽織袴で年頭挨拶をしようと思う」
「きっと似合うよ。ねえ、和装で写真を撮って会社のホームページにアップしたら」
「それも面白そう」
良史亜は本気で和装にはまったみたいで、挨拶に出てきた店主と名刺交換をしていた。
夏休みが終わってからは、また忙しい日常に流されていく。
十月に入ると私は試験や実習に追われ、良史亜もいよいよ会社の株式上場に臨んで連日帰宅も遅いみたい。
それでも電話をくれた。
「来月の誕生日はどこでお祝いしようか。桐絵は何が食べたい?」
「やっぱりお肉がいいです」
「鉄板焼きはどう?」
「それ、すごく嬉しいです」
「悪いが誕生日当日は仕事で無理そうなんだ。その週末でもいいか」
「もちろんいいよ」
「予約しておく。カジュアルすぎない程度に、きめておいで」
「え、ドレスコードあり?難しいよ」
「一応大人になるんだから、少しだけ。ジーンズやトレーナーはダメだよ」
「それは大丈夫。わかった、考えます」
「よし、詳細はまたLINEする」
仕事中だからかな?良史亜の口調にハリと緊張感がある。
「なんだか私、社員さんになったみたい」
「すまない。これから外勤なんだ、またね」
「気をつけて。無理しないでね」
「ありがとう、桐絵もね」
誕生日当日の午後、携帯に良史亜からの着信があった。
きっとお祝いを言ってくれるつもりだったんだろう。
そう思って、講義の合間に折り返したけど出ない。
遠山さんが電話に出ないってことは長い会議とかじゃないってことだよね。
LINEも来ないのは仕事でタイミングが悪いんだな、くらいに思っていた。
でも午後五時すぎに学校を出たところで、良史亜の会社の番号から電話が来た。
会社から、どうしたんだろう?
「はい、長嶺です」
「突然申し訳ありません、秘書の遠山です。社長の事でご連絡いたしました」
「あの、何かあったんですか?一度着信があったんですけど、それから連絡がつかなくて」
「それは……、そうですか。社長はお昼頃に体調不良のため病院に行くと言って社を出て、詳細がわかったら連絡するということでした。それから五時間あまりになりますが、まだ連絡がないものですからご存知かと」
「体調が、そうだったんですか」
「ええ。一昨日が上場記念のパーティーでしたが、その日から咳が出て息苦しいと言われて、発熱もされている様子でした。病院で検査や点滴の途中かも知れないと思いまして連絡を待っていたのですが」
知らなかった。
一昨日から体調が悪かったのに、ずっと無理してたの?
良史亜は細身だけど意外に体は丈夫で、風邪を引いたりとか滅多にしない人なのに。
一緒にいた施設でインフルエンザが流行ったりしても一人でけろっとしてたっけ。
だから、かかりつけの病院があるかどうかなんて私もわからなかった。
まさか受診して携帯をサイレントにしたまま何かあったのかな。
「病院はどこに行くって言ってましたか?」
「申し訳ありません、あいにく伺っておりませんでした」
「いいえ、私も知らなくて。でも、じゃあ自宅の方に行ってみます。居なかったら病院かも知れないし、まず家に行ってみてからお電話します」
「恐れ入ります。では社の方か、もしくはこちらの番号へお願いいたします」
遠山さんの携帯番号を聞いて登録した。
「桐絵、どうしたの?」
そばにいる友達二人が心配そうに言う。
今日は放課後にお誕生祝いってことで、これからケーキを食べに行くはずだった。
「良史亜の秘書さんからで、良史亜の具合が悪くて病院行くって会社を出たきり連絡が取れないって」
「えー、良史亜君どうしたんだろう。まさかの入院しちゃって検査中とか処置中かなあ」
「咳出て息苦しいって言ってたみたいなの」
「喘息とか、肺炎だったりして。桐絵これから様子見に行くんでしょう?ケーキはまた今度にしよう。早く行きなよ」
良史亜を知っている二人はそう言って私を促してくれた。
「ごめんね、ありがとう。行ってくるね」
二人と別れそのまま駅に急ぐと、私はすぐに中心街へ向かう電車に乗った。
良史亜のマンションの下からもう一度彼の携帯に電話してみたけど繋がらない。
嫌な予感がしてエントランスから暗証番号で中に入った。
エレベーターを降りると、もうインターホンも押さず部屋の暗証番号を入力して部屋に入った。
中は明かりがついていなくて薄暗く、照明のスイッチを探して明かりをつけた。
靴がある。
玄関を入ったところに書類カバンが置かれていた。
家には戻ったんだ。
「良史亜、いるの?」
そう呼んだけど返事はなく、私は扉が少し開いていた寝室をノックしてドアを押し開けた。