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Ты не одна 4

 病院を出るまでは必死で我慢したけど、一人になると歩きながら涙が出て来る。

 初夏の緑が瑞々しい街路樹の陰で立ち止まってはハンカチで涙を押さえた。


 良史亜にワンコールしたところで、彼はまだ仕事中なんだと思い直してLINEにした。

 秘書の遠山さんが電話をとるかも知れないし、今話せばどうしたって涙声になってしまう。

「伊理也に、もう来るなって言われた」と打ち込んだ。


 目に映る全てがどこかよそよそしい街並みをあてもなく歩き、一人の家に帰るのが無性に嫌で電車の駅近くのカフェに入った。

 店の冷房が肌寒く感じてホットのカフェオレを注文し、外向きのガラス張りのカウンター席に腰掛ける。

 霞がかかったような頭で外の景色を眺めるでもなくカフェオレを飲み終える頃、サイレントモードにしていた携帯が震えた。


 良史亜だった。

「今、どこにいるの?」

「病院がある駅の近くのカフェだよ」

「じゃあ十九時に家に迎えに行くから、ご飯を食べにいこう。車で行くからね」柔らかく彼は言った。

「良史亜、でも仕事は?」

「僕は行くと決めてるよ。この前はお前のそばにいられなかったし。今日では嫌か?」


 鼻にかかった涙声に気づかれてしまっただろうか。

 私の気持ちを知って下手な遠慮は却下する良史亜の口調は、大学受験を控えた高校生の頃を思い出して懐かしく安心する。


「ううん、待ってる」



 十九時。

 約束どおりマンション前にあの水色のコンパクトカーが現れ運転席から良史亜が降りた。

「隣に乗って。店はあのエビフライの美味しいとこでいいか?」

 そう言いながら助手席のドアを開けてくれた。

 以前に良史亜と行った、私の好物のエビフライがとても美味しいお店。

 黙って私はうなづいた。


「桐絵、泣いたのか?」

 良史亜は小さく穏やかにそう尋ねて私の頭に手をおくと、軽くポンポンとたたいて撫でてくれた。


 一度顔を洗ってメイクもし直したけど、目が赤くなってたし腫れぼったかったんだろうな。


 運転しながら良史亜が言った。

「伊理也の気持ちはわかってるね?」

「わかるよ。良史亜は約束を守ってるって言われたから。でももう、しばらくは会えないんだよね」

「そうだな。今日は桐絵に僕が知ってる伊理也のことを話すよ」


 そして少しずつ、良史亜は伊理也のことを話してくれた。

 ご両親が負った負債を返すのに伊理也が最後に選んだ仕事はホストだった。

 そこまでは真理さんから聞いたけど、そもそもホストになることを彼に勧めたのは取り立て業者だった。


「あの容姿で身長も高くて、両親とも亡くして辛い生活だったはずなのに、伊理也には人に好かれる澄んだ明るさがある。小さい頃からそうだったよ。業者は伊理也に『誠君ホストやれ、お前なら売れるぞ。自分を売れよ』って言ったそうだ」


 皮肉なことに伊理也は元の名前を源氏名にしてたちまち抜群の人気をつかんだ。

 けど手にした物もお金も殆ど右から左で手放して借金を返済し続けた。

「相続放棄すればいい。あいつがそこまでする義務もないのに、何をそこまで頑張ってきたのか。でも、大野さん夫婦は養子に迎えた伊理也をすごく可愛がってくれたそうだから、それに報いたかったのかな。あいつは人に好かれる、愛される気質なんだ」


 良史亜に再会した頃の伊理也は不動産関係の仕事をしてると言ってたけど、実際その頃はもう関わっている組織のみかじめ料の請求とか、貸付金の回収とかをしていたようだ。


「けど、あいつが悪い仕事に向かって行ったのは理由がある」

 ジャズのピアノ曲が流れるレストランの店内で良史亜は声を落として言った。


「どういうこと?」

「うん。伊理也が借金を返す中で、養父の大野さんは会社の乗っ取りを企てた人間に陥れられたことがわかった。その相手にあいつは復讐しようとしていたんだ」

「そんなこと、考えてたの」

「そうだ。これは伊理也が本当に、僕だけに話すと言ったことなんだ」


 あの優しい誠君に、伊理也には全くそぐわない信じられない言葉だった。

「大切な人達が悪どい奴に理不尽に踏みつけられて、剥ぎ取られたことに伊理也は我慢できなかった。そして僕もその気持ちがわかる。あいつのことを止められなかったのはそれが理由だ」


 クリスマスツリーの下に立つ幼い良史亜と伊理也の写真を再び思い出す。

 そして、幼い私をいじめた相手に激しく怒りを見せた良史亜を。


 彼自身も幼い頃に理不尽な目に遭ってる。

 どこにも逃げ場もなく。


「復讐を企てたせいで伊理也は組織に借りを作ってしまい、足抜けは一層難しくなった。それでも僕と再会した伊理也がすぐに尋ねてきたのは、桐絵のことだったよ」


 いろどりも美しいサラダを添えた大きなエビフライが運ばれて来た。

「一休みして食べよう」と良史亜はすすめてくれた。


 こんなに辛いときでも、サクサクとした衣で甘みのあるこのお店のエビフライは美味しい。

 それは目の前に良史亜がいてくれることと一つになって私を力づけてくれる。


「今日はお客さんとの予定はなかったの?」

「ああ。今日は秘書の遠山さんも、小学生の子供さんの授業参観日だから午前中で帰ってもらったんだ」

「遠山さんて、お母さんなんだ」

「そう。シングルマザーで(れん)君って小学三年生の息子さんがいるんだ」

 良史亜は少し柔らかい表情を浮かべた。


 漣君はドローンに興味を持っていて、お母さんと一緒に会社のドローンサークルに遊びに来たそうだ。

 良史亜もドローンが好きで幾つか持っていて、会社のサークルに入っている。


「ドローンでクレーンゲームができるんだよ」

「そうなの?面白そうだね」


 良史亜と顔を合わせて話すと、ゆっくり気持ちが温められていく。

 私が辛いとき、良史亜は必ず手を差し伸べてくれる。

 それはとても嬉しくて私は心から安心して元気を取り戻せる。

 けど良史亜はどうなのかな?


 食後にコーヒーを飲みながら、また良史亜は伊理也のことを話した。

「伊理也と再会した頃は正直、桐絵を守ってきたのは僕だって、あいつに優越感を持ってた。けど、僕はあいつの苦しみをよく理解していなかった。伊理也は桐絵と離れて自分だけが幸せな時間を味わってきたと思って、後ろめたさを持ち続けてたんじゃないかな」


 私は黙って聴きながら、また滲んできた涙を拭うことしかできずにいた。


「伊理也が生きててくれたならそれでいい。でも、できたら幸せでいてほしい。たとえこの先会うことができなくても。僕は今そう思ってる」

 良史亜は言った。


 兄さんが自分が幸せに暮らすことに罪悪感を持って生きて来たのなら、それは間違ってるよ。

 幸せな人生を歩くことを罪のように思わないでほしい。

 人に好かれ愛される兄さんは必ず誰かの幸せになれるし、誰かを幸せにできるよ。

 もうこの先は迷わないで、うんと幸せになってほしい。

 私も良史亜も伊理也を愛してるんだから、今度こそ。


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