Ты не одна 3
今夜はこのまま病院に泊まる、と言ってくれた真理さんと別れてタクシーに乗った。
そして良史亜に電話する。
「ああ桐絵、どこから?伊理也の様子はどうだった」
夜中なのに良史亜はすぐに電話に出ると、そう尋ねて来た。
「うん、緊急手術が済んでなんとか安定してるみたい」
それ以上うまく伝えられない。
すると電話の向こうから良史亜が言った。
「桐絵、ショックだったろ?無理に話さなくていい。家に着いて、休む支度をしてからLINEして」
呆然としている私は言われた通り、部屋に戻って顔を洗い、パジャマに着替えるとベッドの上からLINEした。
すぐに良史亜から電話が来た。
「ちゃんと眠る支度した?」
「うん、待たせてごめんなさい」
「いいんだ。今夜、伊理也のそばに行けなくて、桐絵のそばに居られなくて済まない。実は伊理也との約束があって、行けなかった。そして、そのことをお前に黙っていて、本当に済まなかった」
「謝らないで!それは真理さんから聞いたよ。自分に何かあっても関わるなって、兄さんが言ったんでしょう」
何も言わない良史亜の、それが答えだった。
病院のICUで見た伊理也の状態を話す。
「伊理也が生きててくれてよかった!意識が戻って本当によかった」
「良史亜は兄さんが悪い仕事してるって知ってたのに、これまで一緒にいてくれたんでしょう?私と兄さんが会えるように」
「それは僕自身がそうしたかっただけだ。三人でいると家族みたいな気持ちになれたから、その時間を手放したくなかった。伊理也には足を洗って欲しかったけど、結局僕には止められなかった」
「もっと早く、兄さんが良史亜に会えてたら違ったかも知れない。兄さんが自分は一人じゃないって気づいてたら……」
「僕たちの道は分かれてしまった。僕は会社の代表として、守らなくてはならない人達がいる。もう今のあいつのそばには行けない。だから桐絵、伊理也の様子がわかったら、また知らせて欲しい」
苦しそうに良史亜は言った。
伊理也のことが心配なのに、会いたいのに。
彼の思いを汲んで良史亜が気持ちをこらえているのが伝わる。
彼が信頼する人間に寄せる脈打つように熱い気持ちを私は知ってる。
こうして話してるだけで、その熱が伝わって良史亜の心に踏み出したくなる。
苦しんでいる良史亜のそばに行きたい。
私にできることを何かしたいの。
「うん、そうするね。あの、良史亜……」
「どうした?」
「よかったら、明日は仕事済んだらうちでご飯食べない?私、何か作るよ。良史亜の好きなもの」
そう言うと良史亜は、電話の向こうで小さく笑って言った。
「桐絵、急にどうしたの?僕を心配してくれてるのか」
「私だって良史亜を心配する時があってもいいでしょ」
少しムキになってしまう。
再び少しの沈黙が流れて良史亜が言った。
「ありがとう。でも、またきっと明日も遅くなる。時間も読めないからね」
「遅くたっていいよ!来てくれるなら」
そう、待ってるから。
それだけじゃない、私が良史亜に会いたいんだ。
でも彼は諭すように私に言った。
「駄目だよ桐絵、今だってもう休まないとね。遅くに悪かった。僕の事は心配ない。だから桐絵も気持ちを立て直して、明日もちゃんと学校に行くんだよ」
優しいけど、それ以上逆らえない口調で良史亜が言った。
どうして?
以前はもっと気軽だったのに。
顔を合わせて気持ちをぶつけ合えたのに。
良史亜はもう学生じゃないし、社長としてとても忙しいのもわかる。
でも、それだけ?
良史亜はひとりでいいの?
諭されて彼の言葉を受け入れるしかない気持ちの底が、なんだか寒い。
でも、そう言えない。
これ以上彼を困らせちゃいけない。
そう思った私は素直に答えた。
「はい、良史亜。おやすみなさい」
ICUでの対面から二日後、私は再び伊理也が入院している病院に来た。
ナースステーションで尋ねると彼は一般病棟の個室に移っていた。
「あ、桐絵ちゃん」
真理さんが来ていた。
「今日部屋を移ったんだ。いろんな管も抜けたし酸素も要らなくなった」
ベッドから伊理也が言う。
声もちゃんと出てる。
「兄さん、ちょっと痩せたね」
「点滴ばっかで飯があたらなかったからね。今日からはガンガン食うから」
そう笑ったけど、伊理也は急に真顔になると真理さんに言った。
「真理、ちょっと桐絵と話したいから外してくれる?」
真理さんはなぜかちょっとためらったけど「わかった。コーヒー飲んで来る」と病室を出た。
「どうしたの?」
二人になってそう尋ねると、ひどく素っ気なく伊理也が言った。
「お前さあ、もう俺に会いに来るなよ」
「え?」
「真理から良史亜のこと聞いたろ。あいつは約束を守ってる。だからお前も今約束しろ。もう二度と来るな」
「でも、伊理也……」
私の言葉は遮られた。
「俺は誠、大野誠。伊理也じゃない、お前とは他人。この通り、もう復活したからさ。約束して早く帰って」
低く冷徹に彼が言って、私は俄かに冷たくなった手を握りしめた。
悲しくて途中から俯いていたけど、一言だけでも反論したくて顔を上げた。
優しかったのに、守ってくれたのに。一時憧れてしまったのに。
正面から見た伊理也は険しい顔をしていた。
でも視線が出会ったその目は違って、悲しい目だった。
だから結局私は何も言えなかった。
どうしようもないんだ、伊理也が私を遠ざける事は。
親友の良史亜にもしたように、ただ私達を思って。
「約束、する」
「よし。じゃあな」
顔を背けた彼は厄介払いよろしくヒラヒラと手を振る。
それ以上の言葉も涙も寄せ付けない空気に追いたてられて私は病室を出た。
廊下の突き当たりにひっそりと立つ真理さんの姿が見えて、すぐにそばに来てくれた。
声を殺して真理さんは言った。
「ごめんね、ごめんね桐絵ちゃん!もう来るなって、そう言ったんでしょう?誠を許してやって。本当は私から電話しろって言われたけど私、言う通りにしなかったから」
「え?」
「理由はね、やっぱり……」
「いいの真理さん。その事ならもうわかってる。私も、良史亜もわかったって誠君に言って。真理さんこそ、嫌な思いさせてごめんなさい。巻き込んじゃって」
せっかく兄妹とわかったのに、やっと兄として受け止められるようになったのに、また兄さんとは呼べなくなってしまった。
伊理也兄さん、て初めてICUで呼べたのに。
あれが最後になってしまった。
真理さんと二人、コーヒーを買って外の中庭に出た。
「誠ね、あと少し怪我が良くなったら、今回の抗争事件の事で警察に行かなきゃならないの。桐絵ちゃんに迷惑かけたくなくて、だから言うの。それに仲間が亡くなったことも知って、今すごく落ち込んで悩んでる」
「そうなの。あの感じだと真理さんにも、きっときつく当たったんでしょう」
でも真理さんは首を振った。
「誠から桐絵ちゃんに、ちゃんと話してほしかったからね。私、誠が本当に好きなの。この先どんなことになっても誠を待ってて、そばにいるよ。誠に普通の人生を歩いてほしい。誠は寂しがりだし、私は二人で幸せになりたいの。だから絶対に、離れない。誠に何回も言ってるんだ」
「兄さん、人にも怪我させちゃったし、償うのに時間かかるよね。真理さんはそれでも待っていてくれるの?……ごめんなさい」
「謝らないでよ桐絵ちゃん。私がそうしたいの。落ち着いたら今度こそ福岡に来てほしいって、誠に言ってるの。まだ、返事はもらえてないけど」
「きっと福岡に行くと思うよ、兄さん。その時が来たら良史亜と私に知らせてね。私達も待ってるから」
「もちろんだよ、桐絵ちゃん」
今は事実を受け止めることが苦しくて悩んで、自分に向けられる愛情も労りも要らないと思っていたとしても、いつかきっと。
またいつか、あの屈託のない魅力的な魔法みたいな笑顔で伊理也が暮らせる日が来る。
真理さんの、この人の隣でならきっと。