Вы можете пойти сегодня (今日、行っていい)1
校舎の廊下に面した窓から見える秋の空にはウロコ雲がかかって、遠くヘリコプターのプロペラ音が聞こえる。
「今日行っていい?」
高校の休み時間に良史亜にLINEする。
仕事で忙しい彼とのやりとりは、すごく早い。
「何時ころ」
「4時くらい、どう」
「4時オッケー」
「誠君寝てたら悪いけど」
「かまわない。おいで」
放課後。
制服のまま、いつもとは別の路線の電車で良史亜の暮らすアパートに向かう。
電車を降りて見慣れた住宅街を歩くと、近所の家の庭に白やピンク色のコスモスが、乾いたかすかな風を受け揺らいでいた。
アパートの外階段のところで、二階の良史亜の部屋から真理さんが出て来るのが見えた。
良史亜の同居人で二十二歳の社会人、大野誠君の彼女だ。
栗色の長い髪をなびかせた彼女は、ブルーのロングニットに黒革のショートパンツからまっすぐ伸びた脚がとても綺麗。
黒のニーハイにヒールの高い黒のショートブーツが似合ってて、黒いショルダーバッグはシャネルのだ。
真理さんは顔も小さくて、エクステをつけたまつげに縁取られたアーモンド型の瞳と目が合った。
「桐絵ちゃん、学校お疲れ。誠のやつ、何回起こしても起きないし、私もう帰る。美味しいプリンあるから食べてって」
そう言って苦笑いした真理さんは、私の横をすり抜け階段を下りて行った。
こうして声を掛けてくれたけど、毎度「超がつく」誠君の寝起きの悪さに怒ってるんだ。まったく、誠君ときたら。
玄関ドア横のインターホンはだいぶ前から壊れているので、扉をノックした。
「どーぞー」
中から声がして、ドアを開けると良史亜が迎えてくれた。
ここは大学四年生の室井良史亜の部屋だけど、彼は一昨年から、街中で偶然再会した高校時代の友達の誠君と一緒に暮らすようになった。
というより、誠君がなし崩しに良史亜の部屋に住み着いちゃったのだ。
真理さんという美人でしっかり者の彼女までいるのに。
「そこで真理さんに会ったよ」
「あー、怒ってたでしょ」良史亜が苦笑いする。
「かなり怒ってた。誠君が起きないから」
部屋の片隅の布団の山に向かって、わざと少し大きな声で言った。
ピクリとも動かないその山の中に誠君が埋もれている。
「あいつはほっときな桐絵、話し聴くよ」
「うん。忙しいのにごめんね。進路のこと」
「それは、この前も言ったけど大学一択で行けよ。お金なら心配いらない」
「でも、やっぱり専門学校にしようと思ってる。良史亜の気持ちは嬉しいけど、私がそうしたいの」
「まだそんなこと。そういう風に気遣われるのが一番嫌なんだ。逆に半人前扱いされてるみたいでさ、桐絵が僕にそんなことするなよ」
強気に言う良史亜は、国内随一と言われるT大学に通いながら会社を興した学生起業家で、最近マスコミにも取り上げられた。
三年前にこの部屋で始めた会社は、今では街中のビルの一室にちゃんとオフィスもあり、同じ学生の起業仲間も、部下もいる。
私は都内の公立高校に通う三年生で、秋を迎えて、いよいよ今後の進路を決めなきゃならない時期だった。
良史亜は私の進路のことを気にかけてくれて、初めから一貫して大学進学を進めてくれている。
決定の時期が迫り、彼との話し合いは白熱していくばかり。
でも、良史亜と私は兄妹でもなく、付き合っているわけでもない。
私たちは二人とも同じ児童養護施設で育った仲だ。
五歳年上の良史亜は赤ちゃんの頃から私を知っていて、遊んでくれたり勉強も教えてくれて、血のつながりはないけど実の兄みたいな存在だった。
「お前は学力あるんだから大学行けよ。将来もっと勉強したくなるかもしれないんだし。桐絵の力を信じてるから言ってるのに、僕を信じられないの?」
キッチンの少しガタつく小さなテーブルに片肘をついた良史亜。
眉を寄せた端正な顔に、褐色がかった瞳に憂いが覗く。
少し寂しそうな彼の表情に、私の心が試されてる気がする。
彼を信じる気持ちを。
幼い頃から抜群に頭が良くて何でもできて、アルバイトと奨学金で自立して来た良史亜は大人びて、親のように思える時もある。
私は今も施設にいるけど、もう十八になるから、これからの自立を真剣に考えていた。
良史亜は、そこそこ食べられる仕事に就いて早く施設を出たいと思っていた私を押し留めて、進学するよう強く勧めた。
将来の夢を描いていいんだと思わせてくれた。
「桐絵はやりたいことないの?勉強したいことないの?」って、しつこいくらいに聞き出してきたっけ。
私は看護師になりたいと思っていた。
病気って嫌だから。
病気や死から人は逃げられないから。
私を産んで間もなく母は病死してしまい、その後父が行方不明になって私の家族は壊れた。
私は一人ぼっちになった。
病気が治るよう手助けすることで、私は誰かの役に立ちたい。そして自立できたらいいと思った。
良史亜は私が隠している思いに、なぜか気づいて突き止めてしまう。
私は私で、良史亜に寂しい顔をさせるのが辛い。
彼のそういう顔を見ると、なんだかすごくすごく悪いことをしたような気になってしまう。
いつも真剣に私のことを考えてくれてるのがわかるから。
彼は私が臆病だったり、卑屈になったりすると容赦なく叱るし厳しくする。
けれど努力はちゃんと認めてくれるし、とても優しいから。
「余計なこと考えないで今はとにかく勉強。あとは僕に任せて桐絵は絶対諦めるなよ。最初から諦めてかかるなんて僕は認めないよ」
良史亜はそう言うと通帳を一冊持ち出して来た。
「僕には投資で作った資産もあるし、これは桐絵の学費と生活費専用なんだ。見てごらん」
開いて目の前に差し出されたそのページには、大学生の預金額とは到底思えない額の数字が並んでいた。
起業して会社を軌道に乗せた良史亜は、受けていた奨学金も途中で辞退し、もう完済しているのは知っていた。
けど、もっといい所に住もうとか、旅行したり遊ぼうとか全く考えない彼が不思議だった。
でも、それは私のためだったんだね。
良史亜は自分のことよりも、私の夢と将来を思ってくれていたのだ。
もう逆らえない。
こんなにされたら、意地を張らずに私も応えていきたい。
「良史亜わかったよ。ありがとう。私がんばるね」
「本当だな?大学じゃないと僕は納得しないよ。高校の保護者面談はいつ?一緒に行くよ」
彼は携帯のスケジューラーを開いた。
「いやそれは、ちょっと。いい」
良史亜、本気だ。
「だめ。今の桐絵はどうも信用ならない。僕からも先生に話す。教えないなら学校に問い合わせるけど、いいのか?」
「良史亜、わかった。教える、わかったから」
つい大きな声が出る。
その時、部屋の奥に敷かれた布団の山が動いた。