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最終話

 久し振りの外の空気に、肺が洗浄されるようだ。それほど、中の空気は荒んでいたというのだろうか。


 ドラマや漫画で、刑務所から出て来て一言「シャバの空気はうまい」と言うが、その気持ちが、今なら少し分かる。


 敷地からでて、前を歩いていた男が言う。

「ほらよ、帰ってくるんじゃねぇぞ」

 よくある台詞だ。本当にそんなことを言うんだと、ゆいは思わず顔を緩める。

「なに笑ってんだよ」

「……いえ、笑っていませんよ。ただ、現実(ノンフィクション)でもそんなことをいう人がいるとは思わなかったので」

「お前だって俺の立場だったら思うだろうよ。せっかくそこに出れたんだから、またへまをして帰って来られちゃ、気分が悪い」

 それもそうか、と頷く。


 罪を犯す人は、きっと一生犯し続ける。ようやく出ることができても、彼らはそれを止めることはできないのだ。

 自分は、そのような人間ではないと信じたい。


「おい。お前が出るのを待っていた奴がいるんだ。早く行けよ」

 待っていた奴?

 すぐに浮かんだのは金髪を持つ男だった。

 ――五年でも十年でも、待っとるから。

 あの時、そう言ってくれた彼。


 だが、振り返った先にいたのは、金髪ではなく黒髪の男だった。スーツに身を包み、ゆいと目が合うと軽く頭を下げた。

 違う、彼はそんなことはしない。


 少し肩を落とし、ここまで送ってきてくれた男に礼を言ってから、歩を進める。

「お待たせしました。私を待っていたとあの方から聞いたので」

「いえ、私もさっき来たばかりです」

 男は黒縁眼鏡をかけ、ネクタイを上まで上げている。仕事をできる人間に見える。


「私は、貴方の弁護を行った者と同じ事務所で働いているものです。私が代役で来ました」

「何故ですか?」

「最低限の生活をできるようになるまで、手を貸すためです。大抵犯罪者は、刑務所から出て来ても帰るところがなく、そのせいでまた犯罪に手を染めることが多いですから」

 そんなことしないと言いたいところだが、そう思われているのなら仕方がない。実際、ゆいは以前人を殺した。それは、もう消すことのできない事実だ。


「ゆいさんのこれまでの人生から、合いそうな部屋を見つけてきたので、そこにこれから、案内いたしたします。これから用事など、入っておられますか?」

 帰る家もないのに、用事があるわけない。思い付いたことも、こちらから一方的に行きたいと思っていた場所だから、行っても行かなくてもどちらでもいい。

「いえ、入っていないです。よろしくお願いします」


 彼は歩きながら、その家の特徴や様子を教えてくれた。

「その部屋は、とあるアパートの一室です。平均的なアパートの部屋の広さだと思ってくれて構いません。アパート自体は少し古いですが、そこは勘弁を」

 彼の話を聞いて、ゆいは落ち着きを感じた。ずっと昔に、ゆいの隣にいてくれていたような、懐かしさがある。

「その部屋、特徴がありまして。シェアハウスなんです。既に男性一人女性一人が住んでいます。さすがに一般的な広さに三人で暮らすのは……と、思うでしょう? 大丈夫です。実は女性が、もうすぐ入籍するので、部屋を出ていくのです。そうなるとほら、二人になるでしょう?」


「……一人の部屋は、無いんですか?」

 彼の話してくれる話は、良くも悪くもない。どちらかと言えば、悪いが。

 一体どこの誰が、犯罪者と一緒に暮らしたいと思うのだろうか。もう一人も犯罪者ならば、話は別だが。

「そうですね。ゆいさんは、しっかりと人と本音を話せるようになるために、一人ではなく誰かと暮らすのが良いのではと考えました。犯罪者はどうしても、寡黙になりがちですから」


 確かにそうかもしれないが、ゆいは一人暮らしをしたい。仕事が見つかるまではきっと彼の事務所に世話になるのだろう、ということを考えると、シェアハウスという話にのったほうがいい気もするが。

「……すみません。一人暮らしがいいです。折角話を持ってきてくださったのに、ごめんなさい。……えーと、名前、何でしたっけ?」

 そういえば、まだ名前を聞いていなかった。普通、先に名乗るものだと思うのだが。

「名前ですね。まだ名刺を渡していませんでしたね」

 名刺ケースから一枚とりだし、ゆいに渡す。そこには、ゆいの知っている名前が書かれていた。

 ――世木周平。


 ゆいは顔をあげ、彼――周平の顔を見た。確かに良く見れば、そう見えることもないが、だとしたらその黒髪はどうしたのか。

「…………周平、さん?」

「ゆい、おかえり」

 方言で話せば、その声は周平そのものだった。堅苦しく敬語で話していたので、違和感を感じてもそれに気づけなかったのだ。


「……その、髪。服も、どうしたんですか」

「いやぁ、なあ」周平は首に手を当てて言う。「就職するんに、金髪はやばいなぁと思てな。染め直したんや」

「就職? ……ヤクザ、とか?」

「馬鹿にすんなやぁ。弁護士や、弁護士」

「……弁護士?」

「おん。ずっと、夢やったんや」


 周平はゆいに手を伸ばす。ゆいの小さな手に優しく触れた。

「ずっと、待っとったんやで。俺らの家に、帰ろ?」

 優しい笑みは、あの時の周平と同じだった。ゆいが何処かへ行ってしまう前も、帰ってきた後も、周平は同じ笑顔でいてくれた。


 ああ、私は何て幸福者(しあわせもの)なのだろうか。

 ゆいは微笑む。

「じゃあこれからは、周平さんと二人暮らしですか?」

「おう。ちゃんと養ったるで」ガッツポーズをする。「じゃあ、帰るか」


 周平は軽く握ったゆいの手を引っ張る。ゆいも優しく握り返すと、「はい」と答えた。



 青く澄み渡る、空の下の出来事であった。

二人の物語は、まだまだ続く……?

_end_

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