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第十八話 自分でも可笑しいくらいやわ

 熊本に連れられて、近くの喫茶店に入った。扉には『close』の看板が掛かっていたが、遠慮なく入る。


「おはようございます」


 そう言うと、奥で皿を拭いている女性がこちらを向き、

「おはよう」

と、明るい声で返事をした。熊本はふくよかな頬をぐっと上げて手を振る。それを見て周平は肩を叩き、


「クマさん、closeってなってたけどええん?」

「いいんだよ。ランニングの後はいつもここに寄っているから」


そう言われ、ジャージと首に巻かれたタオルを見返す。話を聞くと、どうやら一昨日から朝のランニングを始めたそうだ。理由を聞いてみると、

「可愛い女の子の隣には、イケメンに限るよね。その役が、僕にできたらいいと思ったんだ」

と、グヘヘと加えて笑った。


 店内は昭和を思わせる雰囲気で、蓄音機にはレコードが置かれ、聞いたことのない音楽が流れている。主に茶色で統一され、ほんのりと木の匂いがする。


 店員と思われる女性に促され、カウンターに座る。

「くまもっちゃん、いつもご苦労さん」


 そう言って、氷をたくさん入れたコーラを出した。炭酸が音を立てて小さく破裂している。

「お兄さんは? 今の時間は、コーラとお茶しかないけど」

 じゃあコーラで、と言うと、了解です、と親指を立てた。


 熊本はコーラを一気に流し、喉が刺激されるのを楽しんでいる。可愛い女の子の隣にいたいのならコーラを飲むのは止した方がよいと思うのだが、あまりにも美味しそうに飲むので、ランニング後の楽しみとしてなら、まあよいか、と思ってしまう。


(てゆうか、それに今気付いたんか……)


 もう少し早くに実行していれば、ゆいを連れ去ろうとしてもあれほど外見が酷い誘拐にはならなかったはず……と思ったが、誘拐は犯罪、外見がどうであれ、許せないことだ。


「お兄さん、くまもっちゃんをそんな顔で見ないであげてよ」

 笑いながら店員が声をかけてきた。コースターにコーラを置くと、氷がその到着を知らせる。


「え、どんな顔しとった?」

「ダイエットなんて無駄っていう顔」


 店員の声が聞こえ、熊本は勢いよく振り向き、細い目を吊り上げた。周平は慌てて弁解する。


「クマさん、俺はそんなこと思ってへんで!? ……いやでも、クマさんがダイエットっていうんは違和感やわ」

「でしょ、お兄さんもそう思うよね。あたしもそう思う。くまもっちゃんがダイエットって聞いたときは、明日地球が滅ぶんじゃないかってくらい……」

「二人とも酷いなぁ」


 熊本の突っ込みに、店員は笑った。

「ははは、冗談だよ、冗談」

「ったく。織江(おりえ)さんは、いつも僕をそうやって苛めるんだから」


 織江と呼ばれた店員は、「ごめんごめん、これで許してよ」と、小さなチョコケーキを出した。立方体のケーキの上には、『くまもっちゃん、お疲れ』と書かれたチョコ板が刺さっていた。元々熊本に渡すために用意していたのだろう。


 チョコケーキをみた熊本は目を輝かせ、フォークを持つと大きな一口を口に放り込んだ。

「美味しいなぁ、織江さんのケーキは」

「来週からメニューに入れようと思うんだけど、どう? デザートとして食べてもらえたらなぁって思うんだ」

「いいよ、絶対いい。このケーキがあったら、僕はいつまで経っても痩せないね」


 コーラを飲みながら、二人の会話を聞く周平。ほっぺは落ちても脂肪は落ちひん、なんて思ったことは口にしない。


 少し話したのち、織江の視線は周平に向かった。

「ところでお兄さん、名前何て言うの?」


 この時に、織江の顔をまっすぐに見ることができた。黒色の長髪を一つに纏め、生まれつきなのか目が少し青い。ハーフなのか、もしくはクォーターだろう。


「世木周平。ねぇちゃんは、織江でいいんやんな?」

「そうそう、(まゆずみ)織江。うちに来るのは、初めてだよね?」

「おん。俺、喫茶店はマリッジブルーにしか行かへんから」

「ああ、マリッジブルーか。あそこ良いよね。パンケーキが旨い」

「おっ、ねぇちゃん分かってくれる?」


 会話が弾み、あそこのシロップに秘密があるやら、生地にも何か入っているやら、よく分からない話に熊本は耳を傾けることしかできない。


 しばらく話したのち、二人は随分と仲良くなっていた。

「まさかこんな近くに話が合う人がおるとは思わんかったわぁ」

「あたしも。くまもっちゃんに話しても、よく分からないっていう顔をするから……」


 そう言って、二人はこの場に熊本もいたことを思い出したように、勢いよく振り向いた。熊本は既にケーキを食べ終え、コーラをちびちびと飲んでいる。

「くまもっちゃんごめん! つい興奮しちゃって……」


 手を合わせる織江に、

「大丈夫だよ織江さん。いつも話に上手く付き合ってあげられなくてごめんね」

と、笑顔を見せた。


 まるで、子供の言葉のようであった。会えば少し会話をするほどの仲だが、こんな熊本は今まで見たことがなかった。


 織江はまだ汗が滲んでいる熊本の頭を微かに音が聞こえるほど、強く撫でた。ただ擦っているようにも見える。

「良い子だなぁ、お前は。本当に良い子だ」

「止めてよ織江さん。子供じゃないんだから」


 そう言う割りに、顔は嬉しそうだ。

 しばらく三人で駄弁りながら、織江が特別に出してくれたパンケーキを頬張る。世間話や熊本の恋愛事情など、普段は話さない会話をし、単純に楽しい。


 ふと、周平は先日の熊本の素行を思いだし、それを織江に話すことにした。

「なぁねぇちゃん聞いてぇや。クマさんな、この間女の子を誘拐しようとしたんやで」

「はあ!?」


 想像以上に驚き、店内に声が響く。オープン前で良かったと思う。

 熊本は、「うわわわわ」と、ただ慌てるだけで弁解をしようとはしない。そんな彼の肩に織江は手を置き、カウンターから身を乗り出して体を揺すった。


「何だ何だ! 遂に幼女に目覚めてしまったのか!? ロリコン、ロリコンというやつなのか!?」

「うわわわ、違うよぉ。幼女も可愛いけれど、僕としては、発育途中か発育完了してさらにツンデレの方が萌える……」

「十分変態じゃないかぁ! 発育途中って、もうくまもっちゃんが言うだけでエロい!」

「そんなぁ、それは偏見だよぉ」


 二人がいつから知り合いなのかは分からない。だが、随分と前から熊本がここに通っているのではないかという推測を立てることはできる。周平と知り合う、もっと前から――?

 周平は、まあまあ、と高ぶっている織江を静める。

「実際未遂やったし、それに女の子ってゆうても十七歳やから幼女ではないで」


 周平の言葉を聞いて、

「なあんだ、華のセブンティーンか。それじゃあ幼女ではないなあ」

と、安心するどころか何故か残念そうにため息をついた。


 壁にかかっている時計に目をやると、既に時間は八時半。もうそろそろ、ゆいが目を覚めて周平からの大量の不在着信に気付いてもよい頃なのだが、電話が来ることはなかった。

 時間が経つというのは早く、優に一時間も経っている。朝からこんなに話していては、まだこんな時間なのか、と時差を感じてしまう。


「それに、言っておくけど、世木くんの方が犯罪だと思うなあ」

 熊本の言葉に、耳を傾ける。嫌な予感がした。

「だって、その女の子を家に泊めたんだよ? 何もないってことは、展開的にないと思うんだ」


 直後、鋭い視線が刺さる。

「……どういうことだ? 周平くん」

「やましい事はないって! 誘拐未遂されたあとやから心配やったし不安になるやろうと思って、優しさで、な? それに、うちには警察官のねぇちゃんがおるから、そんなことできひん!」


 織江は、疑念の目でこちらを見る。まだ今日初めて会った人のことを信頼することはできず、むしろ疑うことが多いことは分かっている。だから、こうなってしまうことは分かっているのだが、実際にそうなると少しきついものがある。


「男はいつでも狼だ。してないって言う奴ほど、内側に隠していることが多い! あたしの経験からすれば、百パーセント当たる」

「知らんでそんなんはぁ」


 あたしの経験からすれば、という言葉を聞いて、周平は、質問したいことが出てきた。きっと、夏実に相談したのでは、まともな返答は返ってこないだろう。だからといって、織江が絶対に良い答えを持ってきてくれるとは限らない。織江の言葉は、少しの信頼を与えた。夏実よりも、織江の方がよく知っていて分かるのではないだろうか。この出会いも何かの縁、相談してみるのも悪くないかもしれない。


「なあねぇちゃん。ちょっと、相談乗ってくれる?」


 そして周平は、語った。あの時のゆいの表情と、あの時の痛みを。

 不思議な感覚がした。話していくうちに、案外どうでもよいことかもしれないと感じてくる。こんなことで自分は悩んでいたのかと、自分は意外にも弱かったのかと思う。


「珍しいね、世木くんが悩みごとなんて。今までそんなこと聞いたことなかったからね」

 熊本の言うとおりだ。自分でもわかるほど、悩みごとはなかった。むしろ、楽観的に考えすぎるのが短所だと言われたこともある。


「自分でも可笑しいくらいやわ。何でこんな悩んどるんやろうなぁ」

「もしかして、今日悲しそうな顔をしていたのはその事で悩んでいたから?」

「おん。あん時のゆいの顔を思い出したら、会いたくなくなってなぁ……」


 その頃織江は、顎に手を当てて何かを考えているようであった。経験があると言っても、やはり難しいだろうか。周平がこれまで痛みが分からなかったが、経験してようやく分かったということがある。もし、織江が経験したことがなければ、織江は分からないということになる。


 返答を求めるには、不十分な内容だっただろうか。

 ゆっくりと口が開き、言葉が出る。


「周平くんの話だけを聞いていると、そのゆいちゃんの表情を見たから心が痛くなったとしか考えられないなぁ。その表情が自分に向けられたからとか、この子でもこんな表情ができるんだとか、詳しい理由は分からないけれど」


 視線が合ったが、周平は首を振った。それを見た織江は、首をかしげる。



 もうそろそろ九時になろうとする頃、熊本と周平は店を出た。熊本と織江の別れ際の話によると、今日はいつも以上に長居したようだ。


 周平の相談に、明確な答えは出てこなかったが、話すだけで痛みが淡いものに変わった。何でも話してみるというのは良い。


「あ、クマさん。俺、ゆいんところ行くわ」

「うん。色々頑張ってね」


 周平は親指を立てると、背を向けて歩き出した。

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