第十話 どことなく
朝食を先に終えたゆいは立ち上がると、「玄関はどこですか」と問うた。
「……そこ行ったところにあるけど」そう言って薄茶色の扉を指した。「何でそんなこと聞くん?」
「出ていくんです」
単調な台詞に、周平は危うくそうなん、と頷いて会話を終わらせてしまうところだった。
「は? 出ていくん?」頷くゆいを見て、周平は箸を置いて立ち上がった。「何言ってんのや? ゆいお前、今しがた、『しゃあないから、手伝わしたるか』って思ったやろ?」
「思っていません。それらしい言葉を言った記憶もありません」
「雰囲気! そんな感じやったやろ?」
「知りません。雰囲気で決めつけないでください」
周平はゆいの肩を掴んで揺らし、「何でなんやぁ」と嘆いた。抵抗するのが面倒になったゆいは、ただ揺られている。「なあ、ええやろ? 別に。迷惑かけへんからさぁ」
「どうしてそこまでして、手伝いたいんですか?」
「そんなもんないわ。人助けはして当たり前や」そう言って胸を叩く。「間違ってへんやろ?」
そこで何故どや顔をしたのかは疑問だが、そこまで人助けをしたいと言うのなら、もう仕方ないだろう。一日経ってもこの調子なら、いくら振り払っても効果はない。
ゆいはため息を付く。「分かりました。もう、良いですよ」
「おお、ほんまか!? ありがとう、ゆい。やっと折れてくれたなぁ」
「私が折れないといつまでも終わらないと思ったので」
上機嫌になった周平は、再び朝食を食べ始めた。箸が無駄に踊っているのは、ゆいに手伝って良いという許可を貰ったからだろう。
取り合えず帽子を取りに、ゆいはさっき周平が指した扉に入った。
だがそこは、玄関には通じていなかった。ゆいが入ったのは、洗面所だ。トイレと風呂は別になっているようだ。
――嘘を言ったのか。
玄関の位置を問うたゆいを見て、瞬時に外へ出ていこうとするのではと考えたのだろう。もし出ていった時のために嘘の場所を言ったのだ。あの時にゆいが折れていなくとも、また言い合いになることは避けられなかったという訳である。
来たついでに顔を洗おうと、蛇口を捻った。飛沫をあげて出てくる。
目の前の鏡に、自らの顔が写った。寝癖がついている。この薄暗さでも、頭頂部が黒いことは分かる。染め直した方が良かったかと後悔したが、このような結果になるのならば別に良いか、とも思った。
結局、人の手を借りることになってしまった。警察署に行ったことが間違いだったのだろうか。あんな風にならず、もっと静かにしていれば目をつけられることもなかったのかもしれない。
でも、それでは駄目だった。
洗面所を出たゆいは、早速周平に言った。「嘘ついたんですね」
「んあ?」随分と間抜けな声だ。「だって、ゆいがほんまに出ていったらかなんからな」
味噌汁を飲み干すと、ご馳走さまでした、と手を合わせた。
「あ、そうやゆい。外出るときは、俺も一緒に出ていくでな」
「大丈夫ですよ、置いて行きませんから」
「や、それもあるんやけどな」周平は手際よく食器を洗い始める。「昨日襲ってきた変態な、あれここに住んでんねん」
ゆいの動きが、電池がなくなったかのように止まった。何も言わないゆいに疑問を持った周平が振り返ると、こちらをむいて固まっていた。
「ゆい? 大丈夫か?」石鹸のついた手を目の前で振る。
「……大丈夫です。続けてください」
再び食器を洗い始める。「別に、悪い人じゃないねん。ただ、引きこもりやねん」
「悪くない人は、私を襲ったりしません」
まあそうなんやけどな、と軽く笑う。「またなんかあったらかなんから、家を出るときは一緒にしよな」
「はい。その方が助かります」
皿を洗い終えた周平は、近くにある椅子にかけてあった上着を手を取って羽織った。
「ゆいの荷物も玄関に置いてある」今度は壁にかけられていたキャップを取り、頭をのせた。「ほな、早速行こか」
玄関で靴を履いているとき、ふと疑問に思ったことを聞いてみた。「どうして私に、声をかけようと思ったんですか?」
鏡を見ながらキャップを何度も被り直しながら、うーん、と唸る。
「ただ助けたいって思っただけなんやけどな……」口角をあげた表情で、ゆいを見る。「どことなく、知り合いに似とるからかもしれんな」