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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

星空の狙撃手

作者: ふゆづき

 ガルトフリート王国の歴史は古く、長い。

 ルート大陸東方に位置するその巨大な島国はかつて、冬の神エルジアの巣で、空に浮いていたともいうほどで、人間が住み始めたのはほんの一万年前だと伝えられている。

 そんなおとぎ話と共に語り伝えられる物語というより、史実があった。

 神々の戦争、アトラシア戦役だ。

 冬の神エルジア、夏の神アダマスの参戦理由は諸説あるが、とにかくこの二人の神は人間や、地上に生きる者たちを守ったのだ。

 その冬の神の軍勢、神造騎士団と呼ばれる者たちが今のガルトフリート王国軍の礎を築いたという。

 当時を生きた飛竜の手により、彼らの遺産は管理されていた……はずだった。


   * * *


 メティオ村の外れにて、藍色の飛竜はゲホリと咳をした。

 頭には濡れたバスタオルが乗り、枕がそのまま氷……どこからどう見ても風邪であった。

『すまないが、遺跡の様子を見てきてくれ。どうにも嫌な予感がする』

 すっかり枯れてしまった声で老いた飛竜は看病してくれている若い娘に言った。

「神造騎士団の遺跡? あそこは盗む物もないし、子供たちが遊び場にしているくらいだから大丈夫よ」

 普段から子供たちが遺跡で遊んでおり、汚したり壊したりしなければ良い、と容認してきたというのに、今更何を言うのか。

 飛竜はそれでも、と願った。

 娘は唸った。

 自分はこれから家事と姉の婚礼の準備を手伝わなくてはならない。

「明日じゃダメ?」

 しかたがないか、と飛竜は氷の枕を抱き込んで目を閉じた。

 もう少し体が動くようになって、頭の回転もマシになったら遺跡を見に行こう。

 あそこはとっくの昔に放棄されて眠っているとはいえ、とても大切な場所なのだから。

 それから一週間後、動けるようになり新聞を読んだ彼は文字通り頭を抱えたのだった。

「頭を抱えてどうしたの?」

『ああ、ユズ、良い所に……この新聞を見てくれ』

 彼女は新聞を受け取り読んで首を傾げ、次いで微笑した。

「飛竜のオシャレさん大会、歴代優勝者写真集今月中旬発売……おじいちゃんもまだまだ現役?」

 そっちじゃない! と彼は鳴き、ここだ、ここ、と鋭い爪も忘れて指先で新聞を突いた。

 大きな穴が開いてしまった新聞を読み、彼女はまたも首を傾げる。

「犯罪者ばかりを狙う謎の狙撃手?」

『うむ。この狙撃手に心当たりがあるから、少し出る』

「少しって、どれくらい?」

 う、と彼は言葉に詰まった。

 こういう時、種の壁は厄介だと思う。

『一月以内には、帰る』

 ユズの目がきりきりと吊り上がった。

「この間はそう言って三か月も帰って来なかったでしょ。どれだけ心配したと思っているの?」

『す、すまなかった』

 あの時は久々に旧友を訪ね、ついつい時を忘れてしまったのだ。

「もう……一週間ごとに帰って来てね。それが無理なら、ちゃんと連絡を入れて」

 ご飯を用意して待っているから。

 へにゃ、と彼の耳が横倒しになった。

『ありがとう、ちゃんと連絡する。行ってくる』

 藍色の老いた飛竜はのそのそと小屋から出て少し伸びをすると、音も風も無く浮き、村の上空で翼を広げて滑空した。

 凍るような風の中、彼は一度だけ羽ばたいた。

 今日はとても良く晴れており、これで己の胸中に何の憂いも無ければ気持ち良く飛べるのに。

 彼はため息を吐かずにはいられなかったが、慌てて深呼吸にする。

 せっかくの幸せが逃げてしまうところだった。

 早く、クランツ様に連絡しなければ。


   * * *


 藍色の飛竜が空に舞う一週間前のこと。

 ガルトフリート王国の剣の館に所属するグリフォン騎士、イェーガーは突撃小銃の手入れをしていた。

 これの扱いも弓と同じくらいにわかってきた。あともう少しで百発百中だ。

 しかし、指導教官を務めてくれたユミヒトは言う。

「そいつは突撃小銃で、狙撃用じゃない。当たるに越したことはないが……」

 ううむ、どうしたものかと考える彼にイェーガーは言う。

「弾数が限られ、現地での補給が望めないのであれば命中精度を上げるしかないのでは?」

「だからって、流鏑馬でも百発百中やるか?」

 補給が望めない時の絶望感や危機感はこれでもかという程理解できるし骨の髄まで染み込んでいるが、そこまでするものでもない。

「ですが、私は飛び道具意外に取柄がありません。これからも指導をお願いします」

 ユミヒトは困ったような顔をしたが、やがてガリガリと短い黒髪をかき混ぜた。

 向上心のある奴は嫌いじゃないし、上達する弟子がかわいくないわけがない。きちんとついてきてまじめで素直な奴で、教え甲斐がある。

「わかった、おまえの気がすむまでやるぞ」

「はい! ありがとうございます!」

 同時刻、メティオ村の遺跡では子供たちがいつものように遊んでいた。

「今日は一番奥まで行ってみよう!」

「おう!」

 子供たちはわいわいと奥まで進み、初めて入った最深部のあちこちを興味津々という様子で弄り回す。

「青いデベソ押したら何か出てきたよ!」

「赤いデベソだね……押してみよう!」

 カチッと赤いスイッチが押され、一部のモニターが点灯して何かの文字列が表示され子供たちは慌てた。

「に、逃げろ!」

 バタバタと逃げ、息を乱しながら子供たちは言う。

「どうする? おじいちゃんに言うか?」

「じいちゃん風邪ひいているよ?」

 もう年だし、どうしようか。

「今日の事は、黙っていよう」

「うん」

 その頃、ガルトフリート王国の上空、宇宙では眠りから覚めた者が困惑顔で地上と連絡を取ろうとしていた。

『着弾点の座標、あるいは目標を入力してください』

 遺跡のモニターにはそう表示され、五分以上が過ぎていた。

 本来なら半永久的に眠ったまま惑星の外を回り続けるはずだったそれは思う。

 アトラシア戦役は終わったし、エルジア様は死んでしまわれたし、ガルトフリートは多少の犯罪こそあるが平和そのもの。

 では、いったいなぜ私は攻撃命令で再起動されたのか。

 もしや、何らかの工作によりガルトフリートが危機に曝されているのか、基地が何者かに攻撃を受けて応答できる者がいなくなってしまったのか。

 考えるものの、基地の乗っ取りや破壊が目的なら、己の待機命令が出されないのもおかしい。

 その時、それは地上のひったくりの現場を目撃した。

 被害者の老人は転んでしまって、追っている警官は老人の助けに人数を裂かれてしまった。あの分では犯人は逃げきってしまう。

『悪い子にはおしおきだ』

『犯罪者には鉄槌を』

 夏の神アダマスと、ライゾウおじさんの顔が思い浮かぶ。

 あの二人なら、きっと捕まえてお巡りさんに突き出すだろうし、お巡りさんのお手伝いをしなさいと言うだろう。

 もう褒めてくれる人はいないけど、それはどうしようもないことだ。

 でもいつか、胸を張って二人や、みんなに会いたいし、褒めてもらいたい。

 地上のモニターには新たな文字が表示される。

『五分待っても命令の取り消しや目標の指定がなかったため、当機は自己判断に基づき治安維持への協力を開始します。なお、コンソールの破損が確認されたため、当機へのアクセスは円卓を介してください』

 そうして、アトラシア戦役にて星空の狙撃手と恐れられた反射衛星砲が火を噴いた。

 地上ではひったくりの犯人が、ちょろいものだと笑んだ時、足に走った激しい痛みにもんどりうって地面に倒れ込み痛みに泣き叫んだ。

「足が、足がああっ」

 犯人の右足には急所こそ外してあるが大きな穴が開いており、地面には血が広がっていく。

 通行人は悲鳴を上げて建物の中や物陰に隠れて避難し、追っていた警官も第二射を警戒し、しばらくして一番足の速い者が犯人を確保して建物内に引きずり込んだ。

 警察署では捜査本部が設置され、犯人はどこから狙撃されたのかという事を調べていた。

「矢でも銃弾でもない……魔法か?」

「それも空からだぞ」

 現在ギルトリウムで開発中の魔法式狙撃銃を用いて、ホバリングが可能な機械、あるいは生物に乗り、または自分で宙に浮いて上空の激しい風の中走っている人間の足を正確に射抜く。

 しかも、魔力の残滓がほとんど無いのだ。確認されたのは何らかの道具に現状維持の魔法を施した程度で、神造騎士団の遺品と同じ波長が確認できたのだが誰が使用しているのかわからない。

 果たして現代の者にそのような事が可能だろうか。

 バケモノ揃いと言われるガルトフリートでも限度というものがある。

「できそうなのは……剣の館にいる奴らかな」

 できるともやるとも思えないが。

「射撃部門の名手はイェーガーとベルトラート、教導官のユミヒトか」

 しかし……。

 どこから狙撃しているのかまるでわからない謎の狙撃手は屋外での現行犯に限られるものの、犯罪者しか狙わないというのもあり、市民は義賊のように思い始めてしまった。

 一方、警察の方は何の手がかりも得られず、無能なのではと囁かれ始めていた。

 自分たちは救急隊でも無能でもないと本部は日に日に殺気立つ。

「まるで神造騎士団が復活したみたいですね」

 若い男性巡査の言う事に部長は青筋を浮かべたが、故郷にいた藍色の老飛竜の昔語りを思い出す。

『このメティオ村は、昔は神造騎士団の基地の一つで、その中でも大事な所だった。あの星の中に神造騎士のデルベリウス・エル・エルジアス様がおられ、今は眠っておられるが常に我々を見守ってくださっている』

 神造騎士の中でも特別な『エル』を持つ者は三人。

 移動要塞ガルベリア。

 深海覇王ゼフィリウス。

 星海射手デルベリウス。

 ガルベリアは戦役とその後の混乱で大破して休眠中、ゼフィリウスは海戦で中破を確認されているが詳細は海中に消えた。

 三人の中でも最多の異名を持っているデルベリウスは役目を終えた際、眠りに就いたという。

 今回の事件を達成できる者はと問われたなら、デルベリウス以外に思い当たらないが、神話の世界だ。

 我々は今、現実を見なければ。

「まずは、剣の館に行くぞ」

 アリバイがあっても、調べなければ。

 そうして彼らは剣の館に行き、三人の話しを聴くことにした。

 しかし、成果はほとんど無い。

「町中で、乱気流の中の狙撃ってだけでも難しいし、更に空中?」

 ベルトラートは思い切り渋い顔をして己の相棒、カムクァットを見上げる。

 いくらクランツの血統であるカムクァットの力を借りても、どうしても痕跡が残ってしまう。

 新聞を読んだが、あの短時間、あの状況下ではどんなにがんばっても目撃者を作らず証拠隠滅は不可能だ。なにより、自分の武器は弓だ。

『ベル、残念だけど今の私たちじゃできないよ』

 きゅるるるぅ、と物悲しい鳴き声と共に彼女の耳と尾が力なく伏せる。

「だよな……クソ、悔しいな」

 美しいオレンジ色の毛皮を撫で、彼は警官に向き直る。

「残念ですが、今の我々では件の狙撃手には勝てません。実力が違いすぎます」

 同じことを問われたユミヒトとイェーガーも首を横に振った。

「神話のレーザーライフルでも使わない限り無理ですし、私なら胴体を狙います」

 そのライフルの製造技術は神造騎士団の中でも機密扱いされ、今は作り方も何もかもが失われてしまい、現物すら残っていないのだ。

「空中で静止し、動く的を狙う……難しいですね……ですが、やってみます。ビルケ!」

 きゅあ! 力強く相棒のグリフォンは鳴き、イェーガーを乗せユミヒトに『的を用意して』と鳴いてねだる。

 ユミヒトは苦笑して自走式の的を用意し、操作してやる。

 二人は空中に浮いて狙撃を試みるも……当たらない。

 それどころか、空中で静止することすらできず風によって不規則に煽られ狙いがまるで定まらず、二人の矜持は酷く傷つくこととなった。

「クリックは問題なく地面に接地しての射撃は完璧。ただし、今現在における空中狙撃は不可能」

 地面に打ちひしがれるイェーガーの手が雑草をつかみ、ブチブチと音を立て、全身から怒気が立ち昇る。

「ビルケ、私たちは実力の不足から容疑者から外れたわけだが……私の言いたいことはわかるな?」

 ギャアッ。

 相棒の怒りは自分の怒り、相棒の悔しさは自分の悔しさである。

 今回は明らかに自分が彼の足を引っ張ってしまった。とても悔しい。

『クランツおじいちゃんと、ユミヒトさんに手伝ってもらって特訓しよう!』

「ああ、目にものを見せてやろう!」

 気炎を上げる二人の横ではユミヒトが頭を抱え、なんてことをしてくれたんだと天を仰いでいた。

 数日後、クランツと共に農場と化した旧演習場から大量の野菜を持って帰って来たベルンを待ち受けていたのは数人の警察官だった。

 ベルンは枯れ草色の目を瞬き、何か心当たりはあるかと相棒を見上げ、次いでその尻尾を見た……毛が少し逆立っている。

「クランツ?」

 クランツ……古より生きる世界最古の老飛竜の耳がピクリと動く。

 マズイ、この間自分とベルンの酒を盗んだたわけ共にハチの巣を頭に投げつけたことがばれたのだろうか。あれはミツバチの巣だったから人死にはないはず。

 それとも、自分の牧場に入りこんだ密猟者共を見殺しにした事だろうか。ユール牛に防御力を与えて密猟者共を逆に狩らせたことがばれていたらさすがにマズイ。

 証拠は残らないようにしていたのだが、どこかに目撃者でもいたのだろうか。

 なんて正直な老飛竜なんだ、全部顔に出ている、と警官は苦笑する。

「ミツバチの件は被害届が出されていませんし、密猟者に関しては自業自得……だと私共は思っております」

 だから協力してくれるよね?

 無言の圧力に老飛竜はあっさりと屈した。

「わかりました、できる限り協力いたします」

 クランツの口から人の言葉が流れ、警官たちはニヤリと笑い狙撃手に関して問う。

 クランツはやや思案し言う。

「やろうと思えば可能ですが、私よりもデルベリウスの方がもっとうまくできるでしょう」

 あのような事が可能なのは、冬の神エルジア、神造騎士の面々、自分くらいで、一番疑わしいのがデルベリウスだ。

 言って、クランツは空を見た。

「私なら胴体ごと吹き飛ばしますが、デルベリウスなら精密射撃ができます。おそらく彼女でしょう」


 デルベリウスは己の仕事に満足していた。

 ガルトフリート王国内、ひいては自分の創造主の巣の治安はかなり良くなっている。

 だいぶ年を取ってしまったが、自分が創られた時子供の飛竜だった藍色の子、エヒメと呼ばれていたあの子は風邪をひいていた。

 早く治して元気になって欲しいが、自分の手はあまりに短く砲撃と通信と投石くらいしかできない。

 とりあえず、地上にいるあの子たちを信じて、自分は治安の維持向上に努めよう。


 現行犯は次から次へと撃たれ警察が頭を抱える中、とうとう模倣犯が現れたが、これも撃たれた。

 そのような中、エヒメはクランツに会っていた。

 ぐるぐると飛竜の会話がする。

「明らかにあれはデルベリウス様の攻撃です。クランツ様、円卓にコンタクトを取れませんか?」

 クランツは無理だと首を振った。

「デルベリウスはおそらく円卓の存在を忘れているか、誰も起きていないと思って接続していないのだろう。でなければとっくの昔に他の騎士が止めに入るだろう。こうなったら基地から呼びかけるしかないが……」

 果たして、子供が遊び場にしていた場所がまともに動くだろうか。

 それに、基地から呼びかける場合、射撃命令以外の命令でもパスワードが必要だったはず。

 神造騎士団、特にライゾウとシロクマがその辺りの機密保持にはこれでもかと目を光らせていたため中身は知らないし、誰が持っていたのかもわからない。

 もうこうなったら地上絵でも描いてやるしかないと思うが、どこに描こうかという問題が出る。

「エヒメは基地を見てくれ。私はこれから神造騎士団の生き残りがいないか調べてくる」

 神造騎士ならば冬の神エルジアに造られたため、その臭いがする。だが、ライゾウやシロクマのように特別なゴーレムとなるとその限りではない。

 彼らはどういうわけなのか、力も体力も我々に負けるのに、周囲に溶け込むのが上手いのだ。彼らは自身の事を技術屋と称し、エルジア様もそれを認めていた。

 人から造られた、限りなく人に近いゴーレムの特殊個体作戦群で、個としては弱いが集まると恐ろしい。

 さて、どうやって彼らを見つけようか。

 とりあえず、戦闘能力は弱いのに専門性が高い能力の保有者でも当たってみようか。

 その頃、イェーガーとビルケは空中からの射撃の精度向上に努めていた。

 指導するユミヒトは人外中の人外と張り合ってどうすると思うが、教えるからには手を抜かない。

 イェーガーはひたすらに射撃や狩猟の訓練をし、ビルケは飛竜に教えを乞うていた。

 しかし、クランツがいない。

「クランツならまだ戻ってないよ。古い知り合いを探しに行くから、当分帰って来られないって」

 クランツ以外の誰に教わればよいのか、と彼女は地面に深々と爪跡を残す。

 そのクランツは内心頭を抱えていた。手慰みに作った彼の心を代弁する泥人形は頭を抱えてのたうち回るという不気味なダンスを踊っていて、老飛竜への幻想があったら粉々に砕かれただろう。

 心当たりを片端から調べたが神造騎士はいなかったのだ。

 臭いは残り香程度だが、確かにするのだ。

 思わず親の名を呼びそうになるが、自分はとっくの昔に巣立った大人である。また今夏の神アダマスがいても何の役に立つとも思えない。

 今必要なのは、円卓かデルベリウスに接続できる神造騎士だ。できれば直接接続できる冬の神エルジアが望ましいが、彼はもういない。

 神造騎士の面々は自分の弟や妹のようなものだし、特殊なゴーレムは兄や姉のようだった。

 世の事に長けた兄や姉たちが見つからないと少し困る。

 このままでは本当に地上絵を描くしかなくなってしまう。

 どうしよう、と吐いたため息は深く、重かった。

 一方、エヒメは大きな体を限界まで小さくして遺跡の中を進み、かつて司令室と呼ばれていたそこに頭を入れた。

 その時に扉が壊れてしまったが直しようがない。

 子供の時は楽に入って遊べたのに。

 やはり、モニターや一部の計器が息を吹き返しており自分の手には負えない。

 ずるずると慎重に後退し、体のあちこちに綿埃などをくっつけた彼は遺跡から出てくしゃみをした。

「おじいちゃん、まだ風邪が治ってないんじゃないの?」

 大丈夫? と問うユズに彼はそれどころではないのだと返す。

「なにがあったの?」

『私の、兄や姉のような人が見つからんのだ。……む、ボケたわけではないぞ、彼らは不老長寿者だ』

 彼女は本当にそんなのがいるのだろうかという顔をする。

『信じられないだろうが、本当だ。一万年程前の、アトラシア戦役以前には多くの神々が地上にて共に暮らし、気に入った者たちに契約を持ちかけ己の眷属としていた。私とクランツ様が探しているお方もそうした者の一人だ』

「人相を黒服さんに教えて、探してもらったら?」

『彼らは二百人以上いるし、戦役で生死不明の者も多く、誰が生き残っているのかもわからん。何より、目立つ事を嫌う。身を隠すことに関しては我々の嗅覚を欺く程だ』

 彼女の目が丸くなった。

「竜族の鼻を欺くって、冗談でしょ?」

『本当だ。我々が探しているのは神造騎士で、その中でも特殊な、今の黒服の祖にあたる者だ』

 黒服の捜査能力は群を抜いており、名実共にルート大陸一の能力だ。

『今回の狙撃手を止めるには、神造騎士の力が不可欠なのだ』

「ねえおじいちゃん」

『む?』

 彼女は幼子のように問う。

「悪い人を撃っているのに、なんで止めなきゃいけないの?」

 エヒメは、世の中ってそんなものだよな、と思いつつも口を開く。

『悪人だから傷つけたり殺したりしても良いという法律は、ガルトフリート王国の歴史上どこにも無い。何をやっても良いという事は例え神々でも許されなかった。まして、今は神々の時代ではなく地上を生きる我々の時代で、我々の罪は我々の法の下に裁かれねばならぬ。それを投げ出したり忘れたりして他者の手に丸投げし、自他の罪と向き合うという勇気と責務をも放棄した時、我々は己の意思を持った人ではなく、単なる家畜に成り下がる。忘れただけならば思い出したり新たな法を作ったりすれば良いが、他人に委ねてしまった時、我々は半永久的にその他人の顔色を窺わねばならぬ』

 自由を手にしているには、責務を背負わなければならない。それは大人も子供も同じだ。

『良いか? 我々が私刑ではなく法による裁きを下すのは、愛する者を殺されたから相手を殺し返すというような不毛な怨嗟を断ち切るためでもあり、弱肉強食を防ぎ、新たな犠牲者や犯罪者を増やすことを防ぐための知恵なのだ。法による裁判は落としどころがわからぬ者を説得するための場という意味もあるが……それはまた別の話しだ』

 とにかく、と彼は続ける。

『今回の事件はあのお方が善意でなさっているということはわかるが、あのお方には情状酌量というグレーゾーンが無いのだ』

「例えば?」

『ユズが狙撃手だったとして、泳げない二人の人間が一枚の小さな板にしがみついた。板は一人の体重を支えるのがやっとで、一人は板を独占し、もう一人は流された。見方によっては殺人だが、これを撃つか?』

「そんなの……あ……」

 そういうことだ、と彼は言った。

『今のデルベリウス様にはそのような躊躇が無いのだ。あのお方なら迷うことなく確実に撃つ。ユズよ、もっと世の中の仕組みを知っておくれ。大衆に流されるままに愚かにならんでおくれ。世の中に絶対の悪も正義も無い。義賊などというものも存在しない。そこにあるのは、他人の財産を奪ってばら撒くような薄汚れた犯罪者だ』

 大衆の一時の感情に左右されるような法廷ほど信用ならぬ物は無いと彼は言う。

「みんなが良いと言うから人の財産を奪って良いのかという話しになるのね?」

『そういう事だ。ただ、今回の件で模倣犯が出たが、それも撃たれている事だけが幸いだ。あれ以来模倣犯は出ていないからな。ユズよ、屋外での悪さは絶対にするなよ。勝手に持って行って良いことになっている物でも、念のため持ち主に出てきてもらい確認を取ってから持って行きなさい。デルベリウス様は、村での取り決めなどご存知ないのだから』

 そう言って、クランツの所へと飛び立った彼を見送った彼女はふと不安になった。

 グレーゾーンが無い、村での取り決めなど知らない……村の者が目こぼししていた事も裁かれるという事じゃないか。

 彼女は走り出した。

 血相を変えて走る彼女を村人は何事かと見るが、程なくその理由を知った。

 村一番の悪童を見つけた彼女は小さく舌打ちした。

 本当は、あんな奴は一度どころか十回くらい痛い目を見ればいいと思う。でもそれだと、エヒメが、赤ん坊の頃から遊んでくれた大切なおじいちゃんが悲しむ。

 その悪童は、先日お母さんが帽子を作ってくれたと笑っていた女の子から、その宝物の帽子をひったくって逃げた。

 女の子は転んで怪我をして、気に入っていた服も大好きな母親に結ってもらっただろう髪も帽子を取られた際に引っ張られたのか、ぐしゃぐしゃになってしまい泣き出してしまった。

 悪童とその取り巻きはそれを見て笑って帽子を乱暴に扱う。

「なにやってんだクソガキ共!!」

 帽子を返して謝るように言おうとしたが、その帽子が目の前で破かれ出たのは怒声だった。

 女の子は激しく泣き、悪童はげらげらと笑っていたがその細い腕の肉の一部がごっそりと無くなった。肉の焦げた臭いが風に乗る。

 思わず女の子の頭を抱き、見えないようにするが遅く、彼女の目は空が光るのを見ていた。

 青空の彼方から一瞬の光が矢のように飛んできて、悪童たちの手足を瞬く間に正確に射抜く。

 中には逃げようとした子もいたが、足を撃たれて千切れてしまった。

 狙撃手は、今回の件は余程腹が立ったのかいつも以上に容赦が無く、苛烈で執拗だった。

「た、助けて!」

「ひっ」

 必至の形相で血塗れの手が伸ばされ、彼女はあまりの惨劇に真っ青な顔で短く悲鳴を上げて顔ごと目を逸らし、震えながら身を小さくする。

 女の子も、震えながら耳を塞ぎ、涙を流していた。


 嫌な予感がしたエヒメは予定を変え、メティオ村に戻るべく顔をそちらに向けた時、空が光った。

『まさか……ユズ!?』

 翼を必死に動かして加速するも、若い頃のようにはいかずもどかしい。それでも全速で戻り、惨劇のすぐ傍で震えながら女の子、ネーブルを庇っているユズを見て血の気が引き、あちこちに氷を張りつかせた体で急降下して卵を抱くように腹の下に庇い、村をすっぽりと覆うように分厚い障壁を展開した。

 直後、障壁に蜘蛛の巣のようなひびが入った。

 薄青い、光の壁と己がどれだけの間盾になれるのかわからないが、無いよりマシだと信じたい。

 彼は障壁を修復、強化すると人にわかるように口を開いた。

「ここは私が守る。早く手当てを」

 派出所の者たちが子供たちに応急処置を施し、病院に運ぶ。

『ユズ、ネーブル、大事ないか?』

 腹の下に問いかければ、二人は余程怖かったのか動きたくても動けないようだった。

 翼の爪が耳の後ろを軽くかいた。

「バレンシア、ネーブルは無事だ。それと、すまないがユズとネーブルの着替えと傷の軟膏を私の巣まで持って来てくれないか? 急降下した時に汚した上に破ってしまったようだ」

 私ももう年だという彼にバレンシアはほっとしたように微笑み、そんなことは無いと言う。

「エヒメ様は立派に私の娘を守ってくれました。すぐに着替えをお持ちしますので、それまでの間娘をお願いします」

「感謝する。水を少し流すから、そこにいては危ないぞ」

 彼女が安全な所まで下がったのを見た彼は魔法で水を出し、実に大雑把に血で汚れた道路を洗い流す。

『二人とも、私の巣へ行くぞ』

 そっと前足で器用に二人を包み、彼は己の巣へと飛び、降ろすと人間用の風呂に水を汲んで湯を沸かした。

「着替えはバレンシアが持って来てくれる。二人とも血の臭いが酷いから風呂に入りなさい」

 涙に濡れた顔で二人はうなずき、大人しく風呂に向かうのを見た彼はゴーレムで二人の服を軽く濯ぐと寝床で丸くなり、バレンシアを待つ。

 彼女が到着すると二人の服は水に浸けてあり、何度か水が換えられた後のようだった。飛竜なのに意外と器用な彼である事を知った彼女は微笑み、二人の服を洗濯して気づく。

 どこも破れてはいないし、泥の汚れもほとんど無い。

 今度、彼の大好きなオレンジジュースを娘とユズと一緒に、たくさん作ろうと彼女は胸に決めた。

 しっかりと洗い、絞ると彼は室内に干すように言う。

 言う通りにすると、彼は魔法で干してある服の水分を奪い、水を外に捨てた。

「ありがとうございます」

 彼女は随分と年を取った彼をそっと撫でた。

 彼は病弱な己をよく気にかけてくれ、妊娠した時など心配そうに見てくれ、姑に重たい物を持たされそうになった時はその物に重力魔法をかけて重さを倍以上にして姑の腰を破壊するような荒業に出ていた。

 あの時の姑を叱り飛ばす声と眼差し、オスなら番と卵ぐらい守れという夫への一喝は今も耳に残っている。

 むしろ、子供の頃やったおままごとのように、彼が夫だったら良かったのにと何度思ったかわからない。

 女の扱いをある程度心得ているのか、それとも単なる慣れなのか、おままごとになると彼は必ず取り合いになった。

 妻の座を勝ち取ると、その日一日は彼にべったりと甘える権利が貰えたのだからみんな必死だった。

「ふふ……」

 思わず零れた笑みにエヒメはどうしたのかと問う。

「昔を思い出しまして……小さい頃はおままごとで、みんなあなたの妻になりたがったと」

 その事か、と彼は橙の目を柔らかく細める。

「連日の独占状態を防ぐにはどうしたらよいのかとコウチに聞いたら、モテモテじゃないかと笑われてしまった」

 中には、お祖母ちゃんがママをいじめるから助けてあげたいという願いを受け、調べて事実を確認した上で警告をしても聞かなかったため広場のど真ん中でゴーレムをいくつも起動して嫁姑劇場を上演してやった。声は変えてあるが発言の内容から誰が言ったのかは一目瞭然だった。

 昔話に花を咲かせていると、二人が風呂から出てきた。

「エヒメ、バレンシアおばさん、ありがとう」

 バレンシアは二人の傷を確認して軟膏を塗ってやり、何度もお礼を言って帰った。

 その帰り、彼女は二人に提案する。

「ユズちゃん、明日オレンジやミカンを集めてたくさんジュースを作りましょう」

「はい!」

「私もやる!」

 翌日の昼過ぎ、三人が作ったジュースを飲んだ彼は満足そうに喉を鳴らす。

「三人とも、ありがとう。これだけの量は大変だっただろう」

 三人は首を振る。

「三人でやったし、途中から黒服や青服のお兄さんたちも手伝ってくれたの。おじいちゃんのおかげで救助できた、ありがとうって」

 そうだったのか、と彼は幸せをかみしめる。

「私は、世界一の幸せ者だ」

 三人は顔を見合わせ、にっこりと満面の笑みを浮かべた。


   * * *


 メティオ村を障壁魔法が覆っているという話を聞いたクランツは気が気ではなかった。

 神造騎士団の重要拠点だったあそこに障壁魔法を展開する事態が起きたという事は、デルベリウスの標的になり得ることをやった者がいたという事だ。何と愚かな。

 エヒメは無事だろうか。

 うなだれたその時、懐かしい臭いが鼻を掠めた。

 視線の先には、カミヤ要塞を抜けて入国したばかりと思われる小柄な旅人がいた。

 急いで駆け寄り、彼は問う。

「神造騎士団が一人、ライゾウ様にございますか?」

 旅人の目が驚きと懐古に染まる。

「いかにも、私がライゾウだ。久しぶりだな、クランツ。そんなに急いで何かあったのか?」

 思いがけず、特殊個体作戦群のサブリーダーに会えた幸運に彼は歓喜した。

『実は、ここ最近デルベリウスが起動しまして、現行犯に限られますが犯罪者狙撃事件が続いております。どうかお力を』

「わかった、円卓に繋いでみよう」

 彼は円卓へと意識を向けるが、そこは誰もいなかった。

「……ダメだ、メティオ基地から呼びかけてみよう。運んでくれるか?」

『もちろんです』

 ライゾウを乗せたクランツはメティオ村に急ぎ、分厚い、エヒメの全力の障壁を見て目を細める。

「クランツ、入れるか?」

『呼びかけて開けてもらいます』

 彼が一声鳴くと、招き入れるように障壁の一部が開き、二人が入るとその穴は閉じた。

『エヒメ、喜べ、ライゾウ様が見つかった!』

 橙の目が輝いた。

『ライゾウ兄さん、お久しぶりです。私です、エヒメです!』

 見覚えのある顔と体色にライゾウの顔がほころぶ。

「大きくなったな。傍にいてやれなくてすまなかった。デルベリウスの砲撃は今のところどうだ?」

『ございません』

「そうか、わかった。基地を見てくる」

 ライゾウは基地へと走り、司令室に到着して顔をしかめた。

 小さな子供の足跡や手形が至る所に残されており、モニターが生きていたのは奇跡としか言いようがない。

 とにかく中止命令を出さなければとコンソールに近づくが、すぐに壊れていて使い物にならないとわかった。

 後で大掃除と改修工事をやらなければ、と彼は思考を明後日の方へと投げ飛ばし、再び円卓へ意識を向けるがやはりいない。

 彼は嘆息した。

 何のための伝言板とデータリンクシステムだ。

 足音も高くクランツとエヒメの所へ戻る。

「ダメだった。こうなればおびき出す他ない」

『どうやって……まさか、ライゾウ様が囮に?』

「ああ。いくら奴でも私を撃ったなら円卓に接続するだろう」

 クランツはうなずいた。

『わかりました、派出所に協力を仰ぎましょう』

 しかしエヒメは心配顔だ。

『本当に大丈夫ですか? 障壁を張ってお手伝いをしましょうか?』

「ありがとう。大丈夫だ、心配するな。仲間の居場所もわかるし、部下は最低一人いれば事足りる」

 彼はクランツに再び乗った。

「エヒメ、この魔石から魔力を出しなさい。そのままだと負担が大きいだろう」

『ありがとうございます』

「体を大事にしろ。おまえはそこにいるだけで多くの人々を笑顔にし、幸せにしている」

 クランツに乗った彼が向かうように指示したのは剣の館から一番遠い演習場だった。

 そこではイェーガーとビルケが特訓し、ユミヒトが指導を行っていた。

 息を切らしたビルケがクランツに気づき短く鳴くと、二人は手を止めてそちらを見て目を丸くした。

 イェーガーはクランツがベルン以外を乗せていることに、ユミヒトは騎乗者の顔と正体に。

 ユミヒトは思わず直立不動の姿勢になり敬礼する。

「部長、お久しぶりです!」

「久しぶりだな、元気そうで良かった。デルベリウスを止めるぞ」

「はい!」

 ユミヒトはわけがわからないという顔をしている二人の教え子に向き直り言う。

「悪いな、狙撃犯を止めてくる。特訓は一時中断だ」

「ユミヒト班長、あなたは、一体……」

 ユミヒトの体が一瞬光ったかと思うと、迷彩服を着た風采の上がらない中年男はどこにもおらず、黒服の制服とよく似た服を着た精悍な顔立ちの青年がそこにいた。

 彼はニヤリと笑って答える。

「戦える公務員だ」


 戦える公務員とは、主に黒服の者たちが己の事を言う時の言葉だ。

 己は軍人ではなく警官で、その戦闘能力は低いことを自嘲して言う時もある。

 アトラシア戦役以前から存在していた警察の特務部隊の隊員が言ったと現在に伝わっており、その血を色濃く残し伝える黒服の標語にもなっている。

 その言葉が生まれた当時を思い出し、二人はそっと苦笑する。

「ユミヒト、あれはアキノの言葉だったな」

 ライゾウにちょっとした伝手があり、その伝手でサバゲーという名目で誰もが全力を出して泥まみれになりながら訓練をやった時の事だ。

 ライゾウの幼馴染にして悪友のシロクマによる、苛烈で容赦のない攻撃をアキノが必死に捌きながらの事だ。

『アキノ、オレに一撃も入れられないのはどういう事だ!!』

 それでもライゾウの弟子か!?

 ビリビリと鼓膜どころか全身を揺さぶるような怒声が熊のような大柄な男から放たれた。

 アキノも大柄な部類に入るが、全身から放たれる威圧感や闘気など、何もかも格が違っていて完全に気圧されている。

 それでも立つ腹があったのか、逆上したように彼も叫ぶ。

『戦う公務員と一緒にするな!』

 戦う公務員、シロクマと書いてバケモノや人外と読むとは誰が言ったのだろうか。

 彼の心からの叫びはしかと届き、シロクマの橙色の目が炯々と燃える。

『戦える程度の公務員なら、オレの前に立つな!』

 その後、アキノは善戦したが吹っ飛ばされて地面を転がった。

「ムラクモが再教育で地獄だったって言っていましたよ。ポリ公ごとき蹴散らせないでどうするって」

 軍人が警官を蹴散らすような事態とはどんなことを考えているのやら。

「さてな……ふふ、ファーストテラ時代では考えられなかっただろうな」

「大昔は、自衛隊も警察も訓練以外では銃がほとんど使われなくて、警官が一発撃っただけでも大騒ぎできたらしいですよ」

 ライゾウは低く笑う。

 それだけ平和だったのだ。

「我々黒狼隊が組織された時も大騒ぎだったな。江戸時代に退化したとか、火付盗賊改方復活かとか……マスコミがうるさかった」

 退化したのは人だろうに。

「金玉握られた馬鹿が情報流して、最初はやりにくかったですね」

「おかげで私とアキノは重傷を負ったな。奴は何度殺してやりたいと思ったかわからん……む、そろそろだ」

 メティオ村に到着し、障壁を抜けるとよれよれの制服のままに飛んできた黒服の者たちが最敬礼で迎えた。

「力及ばず、申し訳ありません!」

 頭を下げる男にライゾウは顔を上げさせて言う。

「気に病むな。今回は相手が悪すぎた。我々とて、星の中に手は届かん」

「星の……中?」

「デルベリウス・エル・エルジアス。神造騎士団の中の三つのエルの内の一つだ。奴を止めることはできても、捕獲はできん」

 いくらガルトフリートが最も星に近い国だと言っても、無理がある。

 相手は四隻の宇宙船の内の一隻、宇宙戦艦ミカガミを基に創造されたゴーレムだ。

 ミカガミが持っていた最大の能力、反射衛星砲をそのまま運用できるように留意しつつ各種能力を最早別物と言わしめるまでに強化したのがデルベリウスだ。

 圧倒的火力と精密さに加え、地理的な要因もあり神であっても彼女には傷一つ付けられなかったのだ。例え手が届く位置まで辿り着けても、宇宙のゴミや敵戦艦の主砲にもびくともしなかった上、エルジアの手により魔改造された装甲があるため撃破は困難を極めるだろう。

 捕獲など論外だ。

「では、どうやって?」

「私が囮になる。そのためには、多くの人々の協力が不可欠だ」

 続々と黒服たちが集まり、会議室はあっという間にぎゅうぎゅう詰めになった。

「諸君、集まってくれたことに感謝する。本来なら我らが撃墜せねばならぬところ、手を煩わせ申し訳ない」

 そして作戦の説明が始まった。

「諸君にやってもらいたいのはメティオ村の封鎖と外出禁止令を出し、これを徹底することだ。作戦行動中に一般人が迷い込んでも、その命と身体の安全は保障できん。村の外に用事がある者や食料の確保ができていない者は早めに済ませるか、作戦当日は村にいないように指示を出せ。ここまでが第一段階だ。何か質問は?」

 ちらほらと挙手され、彼は丁寧にそれに答え第二段階の説明に入る。

「第一段階が完了次第、私がこのユミヒトに暴力を振るう。具体的にはいきなり投げ飛ばして刀を抜く。この時、私は外套で正体を隠し、ユミヒトは諸君と同じ格好をしている。奴に一発でも撃たせることができれば我々の目的はほぼ達成される」

「ライゾウさん」

「なんだ?」

「どうして目的達成なんですか?」

「我々神造騎士団には円卓と呼ばれる、遠隔地にいる仲間と情報交換を行うための会議室のような物がある。味方に誤射したとあれば奴の事だ、慌てて飛んでくる。そこを円卓に待機させていたユミヒトが捕獲する」

 それからは説教だ。

「もし、それが失敗したら?」

 ライゾウの黒い目が微かに眇められた。

「奴の強制自爆コードを入力し、自爆させる」

 爆殺すると言う彼に会議室の空気はざわめく。

「無論、私とて戦友を爆殺するのは辛い。これは最後の手段だ。説教が済み次第、奴には諸君の手伝いと気象予報や空からの偵察をやってもらうつもりだ。他に何かやらせたいことがあったら言ってくれ。ただし、隕石を始めとする宇宙空間の物質が欲しいなどとは言ってくれるな。ヒルド王国にあるステラ海岸の繰り抜いたようなすり鉢状の地形は隕石を投げつけてできた物だからな」

 冬の神エルジアが被害を最小限にしようと働きかけなかったら氷河期が訪れ、人類史どころかこの惑星の歴史が変わっていただろう。

「今日と明日は体を休め、明後日は告知を行い、明々後日に作戦開始だ。以上、解散!」

 翌日、のんびりした様子の黒服や派出所の者たちに村人は何事かという目を向け、わけを聞いて多少の反発もありながら準備を始めた。

 ユズもその準備に追われ、ようやく終えてエヒメの様子を見に行った。

 すると、そこには見慣れない先客が居た。

 黒い服を着た小柄な、若いと見て四十、年を取っていると見て五十くらいの男だ。腰にはヒノモトで使われている刀と同じような物が差してある。

 男はどこまでも優しい眼差しでエヒメを撫で、エヒメも子供や赤ん坊のようにその手を甘受して嬉しそうに微笑んでいる。

『……コウチが数年前に私の卵を産みまして、そろそろ孵る頃なのですがもうすぐ飛べなくなってしまうからここに持って来ると』

「そうか……コウチも……」

 飛べなくなるという事は、寿命を迎えるという事だ。

 同い年のコウチがそろそろ死ぬという事は、エヒメももう危ない。

『先に逝くこと、お許しください。どうか、最後の子をお願いします』

「わかった。おまえの子は、我々神造騎士団全員で面倒を看る。名前はどうするんだ?」

『ワカヤマにしようかと』

 男はミカンの産地じゃないかと苦笑した。

「おまえは本当にミカンが好きだな」

『あなたがくださったあれのおかげで、私は餓死せずに済んだのです。どうして嫌いになれましょうか』

 アキノたちが脱出の混乱に乗じて食堂から調達した料理人や食料の中に大量のミカンがあったのだ。

 アキノが大事にしていたその最後の一個を、ライゾウは躊躇なく没収してこの子にあげたのだ。アキノは泣きそうになっていたが、理由を知って子供の命には代えられないと折れた。

 その後、当時名前が無かった藍色の子飛竜はミカンの産地からエヒメと呼ばれたのだった。

 また、その話を知った冬の神エルジアがアキノたちの証言やミカンの皮などから様々な果樹を創造し、おもしろがってあちこちに植えたため一時期ガルトフリートは果樹園のようでもあった。

 その当時の数本は今でもエヒメの宝物で、こればかりはイタズラしたら尻を炭にされるとどんな悪童でも手を出さなかった。

『ライゾウ様、私が死んだ後は、この木の近くに埋めてください』

「重機を持って来るか、クランツを呼ぶかして、ちゃんと地中深くに埋めてやる……む、小さな主人がやって来たぞ」

『はい……ユズ』

 呼ばれた彼女はおずおずと近くに行った。

『こちらは神造騎士団のライゾウ様だ。私が幼い頃、餓死しかけていた時に助けてくださったのだ』

「は、はじめまして、ユズです」

「はじめまして、ライゾウです」

 ヒノモトの民よりも洗練された所作に目を奪われ、思っていたよりも穏やかな声に彼女は肩の力を抜いた。

 そして、エヒメの飛竜言語を解さぬ者への声が彼の声にそっくりなことに気づき驚いた。

「明後日は少し騒がしくなりますので、シェルターにいてください。もしシェルターに入り損ねたら遺跡の中の物陰か、エヒメの傍にいてください」

 彼女はしっかりとうなずいた。


 作戦当日、民間人は一番頑丈な災害用シェルターに入り村は不気味な程に静まり返り、デルベリウスも何事かと注視していた。

 黒服の者がちらほらと見まわる中、物陰から外套に身を包んだ者が黒服の一人に襲い掛かりガラクタの中へと投げ飛ばして刀を抜いた。

 投げられた者は気を失ってしまったのか、ピクリとも動かない。

 そんなことよりも、あの刀には見覚えがある。ライゾウおじさんの刀にエルジア様が手を加えた物だ。

 大事な人の刀を悪事に使うとは。

 頭に血が上った彼女は瞬時に照準を定め、腕を狙い撃った。

 しかし、弾かれた。

『え?』

 二発、三発と撃つも、そのすべてが弾かれて防がれる。人間とは思えない動きに思わず手を止めた時、そいつは外套を脱ぎ捨てた。

『ら、ライゾウおじさん!?』

 円卓にも届く悲鳴を上げて彼女は慌てて円卓へと駆けこむと、そこに待機していたユミヒトは苦笑して彼女の背後につき肩を叩いて言う。

『よお、久しぶり』

『お、オバケ!』

 重度の混乱に陥ったデルベリウスを締め上げるべく、ライゾウは刀を納め円卓に意識を向けた。

『さて、そのオバケに、何か用事があったんじゃないか?』

 言ってごらん。

 言うライゾウの声と顔はどこまでも優しいが目が抜身の刀のようで、それが二番目に危険だとユミヒトは知っている。

 彼はヤバイという顔をしてそそくさと円卓から逃げ出した。

 跳弾から守るべくガラクタの中に投げ出された体を起こし、服や体に付いたゴミや埃を払い落とす。

「ユミヒトさん、大丈夫ですか?」

 アキノそっくりな黒服に彼は面食らうが、すぐに気を取り直す。

「大丈夫だ。もう狙撃は無い。今頃はお説教だ」

 ちらりと円卓を覗くと、静かに滔々とやって良いことと悪いことや、今回の事件が社会にどんな影響を与えたのかなどを説くライゾウと、すっかり小さくなって涙目で聴くデルベリウスの姿が見えた。

 ユミヒトの他にも、ちらほらと特殊個体作戦群の同朋が何事かと様子を窺っており、一同は円卓とは別の会議室へと移動した。

 どうやら今回の件は全員気になってはいたが、手を出しあぐねいていたようだ。中には、コアが物理的に埋まってしまったため身動きができないなどという報告もあった。

『そういや、アキノはどうしたんだ?』

 部長が動くならいつも飛んでくるのに、という声が出ると、アキノが接続して来て言った。

『誰か助けてくれ、コアがどこかの博物館に飾られて脱出できないんだ』

 シロクマはすぐに座標と地図を照らし合わせて言う。

『ルドベキア王国の西海岸沿い、レクト村の博物館だな。ちょうど近くにいるし必ず拾うから心配するな』

『すみません、お願いします』

 そうしている間にも、円卓からはごめんなさい、すいません、もうしませんと涙声が聞こえてくる。

『そろそろ自分は戻ります。あ、私は今、冴えないおっさんの姿をして剣の館で射撃の教導官をやっているので、暇なら遊びに来てください』

 会議室からユミヒトが消えたと同時に、シロクマが悪人面を歪めて物騒な笑みを浮かべる。

『よし、ユミヒトの奢りで飲もうか』

 会議室は笑いに包まれ、ユミヒトは黒服に説明しながらも嫌な予感に冷や汗が出たのだった。


   * * *


 以来、現行犯への狙撃事件はぱったりと止み警察への支援が入るようになった。

 デルベリウスの射撃事件で手足を失った者に対しては神造騎士団から資金を受けたギルトリウムが再生手術を施して欠損部位を再生させた。

 しかし、手足を取り戻してもメティオ村の悪童たちの心の傷は深く、すっかり大人しくなっていた。

 そのことを教えられたエヒメはコウチの忘れ形見となってしまった卵を抱きつつ言う。

『デルベリウス様にとってこの村は、自分の生まれた家に等しいのだ。その家の中で、自分が最も嫌う行為をやられてお怒りになられたのだ』

「えっと、他人の物を壊すのが嫌いなの?」

『少し違う。デルベリウス様は、他人が最も大切にしている物を壊すことを嫌うのだ。ネーブルには父親がおらず、病弱な母親しかいないだろう? 彼女はいつも母親の散歩について行っていた。デルベリウス様は母子の様子をずっと見てらしたのだ』

 そして、バレンシアは事件の時ネーブルを守ろうとして、周囲に押さえられていた。

「あの子たちは、大切なものに入らなかったの?」

『ああ。本当に大切に思うのなら、我が子の行いを正し、命を懸けてでも守ろうとしただろうが、現実は朝から酒を飲み己の命惜しさに真っ先に逃げ出した』

 ごろり、と卵を転がす。

『子は親の気を引こうと悪さを繰り返したというのに、哀れなものだ』

「そうなの?」

『ああ。何でもいいから己を見てほしい、忘れないでほしい、愛してほしいと訴えていた』

 ユズは難しい顔をして唸っている。

『今はわからなくてもいいが、子を産み、育てるのであれば頭の片隅にでも置いておいてくれ』

 エヒメは眠たそうにあくびをすると、彼女に言う。

『ほとんどの場合、子供は親を愛し、子供なりに守ろうとする。自分の事で親に心配をかけたくない、などな。だが、大人になりきれていない親や、子供に甘えてしまった親などは子供の愛情にあぐらをかいて子供のように好き放題やってしまいがちだ。親になったら、腹を痛めて産んだ子供であろうと一人の人間として尊重し、愛して、導いてあげなさい。辛くて苦しくて、投げ出したくなる時もあるだろうが、それは必ずユズの形無き財産になる』

 今にも眠りそうな深い呼吸と、急ぐような長い話に彼女は不安そうに藍色の体毛に触れる。

「エヒメ?」

『……すまないが、ライゾウ兄さんを呼んできてくれ』

 わかった、と彼女は全力で走って派出所に駆け込んだ。

「ユズちゃん、どうしたんだ?」

「ら、ライゾウさんは? エヒメが、エヒメが!」

 ライゾウはすぐに奥から出てきて、彼女を担ぎ上げてエヒメの巣へと走った。

 腹に肩が食いこんで痛くて苦しく、降ろされた時は思わず咳き込んだ。

「エヒメ、来たぞ!」

『兄さん……この子が、ワカヤマです。後をお願いします……泣いても良いが、私とコウチの分も、外の世界を見て、楽しんで、生きておくれ……そうだ。おまえが幸せに生きることが、私とコウチの願いだ。さあ、おいきなさい』

 彼が卵を腹の下から出すと、卵は急ぐように慌ただしく揺れてひびが入り、割れて、幼い頃のエヒメそっくりな子が生まれた。

 ぴいぴいと鳴く子を舐めてやり、彼は満足そうに微笑んでゆっくりと顎を床に着けて目を閉じた。

「エヒメ? エヒメ!」

 駆け寄り泣いて縋るユズの隣では、無表情のライゾウが敬礼し、生まれた子の体を産湯で洗ってやり体を拭いたりしてやっていた。

 世界第二位の長寿だった飛竜の死は瞬く間にガルトフリートを駆け巡り、親類縁者だった者たちが哀悼の意を示した。

 隠れ潜んでいた、神造騎士団の生き残りも集まり葬儀に参列する。

 参列者のほとんどは飛竜やグリフォンだったが、軍隊のように統率がとれた彼らは異彩を放っていた。

 クランツが果樹の根を傷つけないように大きくて深い穴を掘り、布に包んだ遺体をそっと入れて埋めてやる。

 大きな藍色の石には橙色の石がはめ込まれていた。

『我らが盟友エヒメ、ここに眠る』

 短く飾り気の無い文章だが、墓石の裏には神造騎士団の紋章が刻まれており彼の縁を示している。

 葬儀を終えた神造騎士団の生き残りはメティオ村の遺跡を徹底して清掃、修理、改修工事を行い使えるようにし、そこに駐屯することになった。

 余所者がなにをと怒る村人もいたが、彼らの正体を知ると黙った。

『いつかここに、本来の持ち主、神造騎士の人が帰ってきたら遺跡をちゃんと返すこと』

 ずっと言われ続けてきた今は亡き老飛竜の言葉だ。

 改修工事は休みなく行われ、遺跡ではなく基地として機能し始めるようになった。

 藍色の子飛竜が神造騎士の一人にじゃれつき、転がされてはきゅいきゅいと喜んで懲りずにまた飛びかかる。

「おーいムラクモ、ちょっと手伝ってくれ!」

「すぐ行く! 中は危ないから入っちゃダメだぞ」

 ムラクモが骨を渡して中へ消えると、しばらくは骨で遊んでいたワカヤマだったがすぐに飽きてしまいふて腐れたような表情をしていたが、何かを思いついたような顔をしてぽてぽてと中へ足を向けるがその足は宙を蹴った。

「ワカヤマ、ダメだよ」

 ユズが抱き上げて遊んでやると、すぐにその興味対象が彼女に移ったらしく元気に遊ぶ。

 そうしていると、ライゾウがミカンを手にやって来た。

「ユズさん、ありがとうございます」

「いえ……あっ」

 ワカヤマはぱっとしゃがんだライゾウの膝に乗り、甘え始める。

 視線はおいしそうなミカンを追っている。

「食いしん坊ね」

「まったくです……ほれ、おあがり」


 黒い服を着た男が膝の上に藍色の子飛竜を乗せ、手ずからミカンを剥いて食べさせ、子飛竜は口の周りを果汁でべたべたにしながらもおいしそうに食べている。

 いつか見た、懐かしい光景にデルベリウスは微笑む。


 小さくて短い命は循環し、歴史もまた万華鏡のように回り続ける。


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