第一章
第一章:旅の楽団
歌声が、街の大聖堂前の広場に染み渡っていく。水の膜を作り出す噴水を透かして、歌い手
の艶やかな黒髪が日の光りに映える。
魔を退ける聖歌。それを歌い、奏でるのは昨日街にやってきた楽団の一行だ。
広場の真ん中で歌う女性は、旅の一座だというのが嘘のように、とても堂々と声を張って
いた。まるで街の広場がオペラハウスか円形劇場にでもなったかのような歌声に、周囲の人
々は皆、酔いしれていた。
歌い手の聖歌を彩るのは楽器の弾き手達だ。滑らかな弦の音を奏でるのは、緩やかに波打
つ髪をした女性。吐息の様な笛を響かせるのは、優しい旋律とは裏腹にシルバーのアクセサ
リーを沢山付けた長髪の少年。どちらも、自然の物音を音色にしたかのような優しい響き。
そして、兄弟の踊り子が祈りの聖歌を日常の中に具現化する。姉は日の光りに映える金髪
と青い目を優しげに伏せ、その柔軟な肢体をゆったりと動かし、祈りの動きを形作る。もう
1人、姉によく似た子どもは、子どもならではの柔軟性で姉の所作に寸分の狂いも無く付き
従っていた。
そしていつの間にやら、楽団を取り囲む見物衆は広場の3分の1を占拠するまでに広がっ
ていた。
この世界は天使や悪魔などが存在する、あの世と呼ばれている世界にとても近いらしい。
普通の人間も魔法を使う素養があり、生き物も危険な魔獣や大人しい幻獣等が時たま人里の
近くに現れる。
要は、あの世とこの世の距離が近しい世界なのだ。そこら辺に幽霊が浮いていても、何の
不思議も無い程度には。
怒り、憎しみ、悲しみ。
そういった負の感情に囚われた死者の魂が、この世に残り、彷徨うことが時折ある。幽霊
の中でも「怨霊」と呼ばれる化け物に成り果てた死者の魂が、ここ数週間で激増しているの
がこの街だ。
本来は神と天使を敬う「教団」に属する「対魔士」が悪魔や怨霊を祓い清める。が、
対魔士は特別な訓練を受けた教団員しかなれないため、その数は少ない。
逆に日常的に魔法を使い、時には悪魔と繋がりを持つ「魔術師」もいる。彼らも必要以上
に怨霊が居るのは好ましく思わないため、魔法で怨霊に対処するらしい。それでも、人助け
をすることはほとんどないのだ。
そこで、民間人で怨霊に対処するための集団が生まれた。それが「楽団」だ。
教団が天使から教わったという「聖歌」や、古くから伝わる「鎮魂歌」や「葬送曲」が広
く民衆に知られている。これに魔力を乗せて奏でることで、怨霊の怨みを鎮め、あの世へと
導くのだ。
聖歌を奏でるのは、魔力が高い人間が大勢でするのが最も効率がいい。娯楽としての演奏
が悪しき者を遠ざけると理解されてから、神聖な祭りの際に集団で聖歌を演奏するようになっ
たのが楽団の始まりだと伝えられている。
しかし、近年の楽団は傭兵紛いのことをして稼ぐところが多くなった。旅路の護衛として、
怨霊を祓う退治屋として。その本質である歌や楽器を披露することで収入を得る楽団が少な
いということは、娯楽が減るということだ。
唯でさえ、人々が対魔士まがいのことをして、演奏や大道芸といった娯楽が減り行く中で、
それを、この楽団は本来の演奏と踊りで、街の一角を賑わせる、今時珍しい楽団だった。
演奏が終わった時、広場は心から大きなの拍手に包まれた。僕達の投げる小銭がたくさん
の放物線を描き、ファンファーレよろしく指笛を高鳴らせる人もいる。
僕達からの歓声を受けて、歌い手、弦楽器、笛、踊り手2人が手を繋ぎ、こちらに向かっ
て深々と一礼した。
「いやぁ、教団の聖歌より凄かったな!」
「本当に楽団か?」
「天使の様な歌声だった!」
拍手喝采。周囲で口々に囁かれる楽団への評価は、褒め称えるものばかりだ。演奏の主役
である歌い手は、すっかり虜となった人だかりに、あっという間に呑まれてしまった。
演奏を聞きつけて、遠目から聴き入っていた僕は、なぜかあの人達と話したいと思ってい
た。なかなか引かない人だかり。その中で、歌い手は始終笑顔を絶やさなかった。
真っ白で清楚なワンピースを着た歌い手に話しかけることができたのは、10分待って、
ようやくだった。
「あ、あの…とっても素敵な演奏でした!」
「うふふ、ありがとうございますわ」
鈴を転がす様な、耳に優しい声だった。本当に、旅の楽団とは思えない。
「あの、あなた達は楽団なんですよね?旅人の受け入れとかはしてないんですか?」
「ええ、基本的にはわたくし達だけで旅をしていますわ。みんな、昔馴染みなのですよ」
柔らかな雰囲気の似合う女性だ。どうやら自分は彼女に一目惚れしてしまったらしい。
「そんな、もったいない。旅人の護衛で稼いでる楽団もたくさんあるのに」
「ええんや、そんなん。ジブンらは目的あって旅しとるんとちゃうねん」
突如声を掛けて来たのは、笛を担当していた少年だ。なんだか、水を差された気分だ。
「ツバメ、もうお片付けは終わったのですか?」
「バッチリやで、ウグイス。今日は実入りも良かったさかい、奮発せぇへん?」
そう言って、少年は手首を返すジェスチャーをする。真っ昼間からするサインではない。
「ウグイスさんと言うのですか?」
「ええ、紹介がまだでしたわね。私はウグイス。見ての通り、この楽団の歌い手ですわ。
笛の彼はツバメ、弦の彼女はメジロ。踊り子の姉がコマ、下の子がカケスですわ」
楽団の面々がこちらに笑顔を向けている。愛想はいいようだ。まあ、そうでなければ演奏
主体の楽団はやっていくのが大変だろう。
心なしか、名前に違和感を覚えるけど…。
「あ、あの…なにか、僕にお手伝いできることはありませんか?」
楽団員達の目が丸くなる。どうやら、僕の申し出は彼らには予想外だったみたいだ。
「あの、僕あなた達の演奏に惚れちゃって…本当は旅に同行したいくらいなんですけど…」
突拍子だとは確かに思う。でも、こんな素敵な歌い手は今まで見たことが無い。それで、
この先絶対に巡り合えない気もする。
「…そうですわね、それなら1つ、お尋ねしたいことがございますわ」
「は、はい!なんでしょうか?」
楽団の面々が目を見開いて、固唾を飲んで見守っている。
ああ、なにを聞かれるんだろう?
今日の宿を聞かれたら、お部屋が1つしか空いてない所を紹介しよう。それとも僕の収入
かな?今は稼ぎが少ないけど、今に1人くらい養えるようには稼げるようになってみせるよ。
「よろしければ、この街に現れるという化け物について、教えて下さいな」
…さらば、僕の恋。
そうだった。歌い手さんは、「楽団」は、演奏の為に旅をしているんじゃないんだった。
時刻は午後を過ぎた頃。街にはお菓子の匂いが漂い始めた。