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千刺万紅  作者: 青波零也、砂紅果香
25/31

土曜日の郵送 - Anemone Carteiro (4)

**中央隔壁、通称・裾の町にて**

 

「しーたん、今日泊まってもいい?」

「どうしたんだいきなり。お袋さんが待ってるんだろ」

「待ってないよ、あの人は。あたしが帰ってきてもわかんないしあたしが出ていってもわかんない。そういう人なの」

 ――シスルには、かけるべき言葉が一つも見当たらなかった。

「あの人にとって、周りのことはぜーんぶ、ただ通り過ぎるだけで、何の意味もない。綺麗な茶器と紅茶と茶菓子に囲まれて、あの人はずっと死んでるだけ」

「それ……誰か、いたな。確か『ただ、いっさいは過ぎて行きます』……だったか」

「え?」

「昔、読んだ本でね。その一文がとてつもなく印象深かったのを覚えている」

「しーたんって物知りだねえ」

 アネモネは、ベッドに腰掛けて本をめくるシスルの背後からゆるやかに抱きついた。

「ねー、だめ? 明日早い?」

「いや、明日は今のところ暇だけれど……別にいいけど、食事に困るよ?」

「それくらい買い出しにいけばいいよ。じゃなかったら、外に食べに行こう。ちょっとお高いところがいいな。しーたんも一緒に食べようよ」

「私が高いものを食べたらバチが当たるさ」

「いいじゃない、当たっても。半分は、雰囲気を食べるんだよ」

「雰囲気を、ね……わからないでもないかな」

「じゃ、決まり。デートしよ、デート。ね、だからお食事のために服も買うの。しーたんもだよ、その服じゃ内周のトラットリアにだって入れないからね」

「私はいいよ、買っても着ない」

「いいの。あたしが買ってあげるから着て。ね、いいでしょ?」

「買ってあげる、は明らかに私の方が適任だろう」

 シスルは苦笑した。

「いーのいーの。宿代、宿代」

 アネモネの腕がぎゅーっと力をかけて、シスルの肩でコトリと頭を寝かせる。シスルは、彼女の柔らかな髪を撫でてやった。

「わかったよ。それなら、早く行こう」

 

 

「似合うじゃないか」

「えへへ、ありがとう。長いことスカートなんて穿かなかったからなんか新鮮~。でもちょっと髪の色とぶつかるかなあ」

 アネモネは淡いライラック色のドレスを纏ったままその場でくるりと回ってみせた。裾のドレープがひらりと揺れて、アネモネより少し遅れて静止する。

「年頃の娘なんだから、普段も少しはお洒落したらいい」

「それ、しーたんにだけは言われたくないなあ」

「何を言う。この頭の模様が目に入らないのか」

「最初、そこだけ生えてるのかと思った」

「いつだったか辰織にも言われたな、それ」

「でも、綺麗だよねえ。それ、何でついてるの?」

「元は認識記号さ。同じような素体が並んでいても、頭を見ればひと目で分かるように。残念ながら私に『兄弟』はいないから、もはやただの装飾なんだけどね」

「そういうの、バーコードってイメージがあるけど――」

「いちいち読取機が必要なのは面倒だし、それに」

「それに?」

「かわいくない――って」

 アネモネは、明らかに怪訝な表情をした。

「……だったら髪の毛生やす方が先だと思う」

「よく言われる。そういえばアネモネ、ずいぶん伸びたんだな。髪」

「そう? じゃ、もっと伸ばしたらしーたんのカツラにしてあげようかなあ。でもあたしの髪、ヘンな色だからなー」

「そんなことない。綺麗じゃないか」

「え、そう? うれしいなあ」

「ああ。サツマイモみたいで」

「そこ、せめて葡萄でお願い」

 そんな軽口を叩き合いながら、二人は服を……結局アネモネの出費によって、調達した。シスルは脇から端額だけ出したが、総計額の桁については敢えて気にしないことにした。

 アネモネは爽やかなペール・ブルーのロングドレスと白いスカーフに真珠色のハイヒールとハンドバッグ、防寒のための白いコート。そしてシスルはグレーのストライプが細く引かれたシャツに紺碧色のセーター、それからハシバミ色のカーゴパンツを合わせた。コートは黒を、と頼んだが、結局はアネモネに却下されてアンバーに落ち着く。それからアネモネは迷った挙句、靴と鞄に合わせた、淡い白の櫛を髪に加えた。

 そんな普段と切り離された出で立ちで、二人は内周の大路を歩む。アネモネがふとシスルを見て嬉しそうに笑うので首を傾げてみせると、

「悪くないじゃん、しーたんもスタイルはいいんだから、もうちょっとお洒落すればいいのにー。カノジョ作りなよ。危険なオトコはモテるよ?」

「残念ながらオトコでもないからなあ」

「別にいいじゃん、無性だって。子供が必要じゃなければ性別が違う必要なんて全然ないでしょ? もし欲しければ、今はそれこそしーたんみたいに、産まれなくたって存在できるんだし」

「まあ……私には《元》があるんだけどな」

「技術的に、ってことだよ。あたしだって相手がいれば男じゃなくてもいいよ、あたしを安心させてくれるならさ。そういうものでしょ? パートナーって」

 シスルは、何でもないようにスラスラと話すアネモネに、思わず軽く腕組みをしながら言った。

「……お前、案外シビアというか……いろいろ割り切ってるんだな」

「まあねー」

 行き当たりばったりに歩きながら、そこここのブティックや雑貨店を覗いてみたり、トラットリアやオステリアのメニュー、はたまたレストランのコースを、冷やかし気味に眺めてみたり。そのうちに、アネモネが一軒のショーウィンドウに目を留めた。

「あっ、このティーセット、いいなー! 猫さんだ!」

「うん、いいね。珍しいな、目のところだけ、ちゃんとホタル焼きになってるんだ」

「ホタル焼き?」

「陶器の作り方のひとつでね、あんな風に、向こう側がちょっと透けるような感じになるんだよ」

「え、あー! ほんとだ! きれー!」

「……入ってみようか?」

「うん!」

 中を覗いてみると、そこは陶磁器と銀食器を扱っている店のようだった。セミ・クラシックが小さな音でかかっている。いらっしゃいませ、という店員の女性からかかった声も控えめで好感が持てた。顔をのぞかせた店員はシスルを二度見たが、恰好もあってか特にそれ以上の反応はなかった。

「こんなお店、あったんだね」

「普段は内周の店なんか来ないからな」

「私も」

 嬉しそうに笑って、まるでドールハウスを何十倍にも引き伸ばしたような店内を、ゆったりと見て回る。花柄模様とレースとリボン。

「……年に一回とか二回」

 十分もした頃……アネモネが、唐突に口を開いた。

「こんなお店に来てさ、食器を一組ずつ、買っていくの。それで、食卓が作れるだけの数が揃ったら――」

「一緒に、暮らす?」

「――悠長な、話だよね」

「……ご両親の話?」

「パパーがねえ、嬉しそうに話してくれたの。恥ずかしそうだったけど、すっごく、すっごく嬉しそうだった」

「……」

「もういつなくなっちゃうかわかんないような世界なんだよ? なのにさ、そんな――」

「多分ね」

 シスルは、アネモネの肩をそっと抱いた。

「アンタまで世界を繋ぎたかったんだよ」

「……初めて『アンタ』って言われた」

「え?」

「……そっちのほうがいいなあ」

 アネモネは、ごまかすように笑った。

「それなら、そうしようか」

「うん」

 その瞳がいつもよりも少し濡れて見えたことは、機械の心臓の奥に秘密にしておくことにした。

「しーたん、やっぱりおうちでごはんにしよう。あたしがしーたんに作ってあげる」

「外で食べるために服まで買ったのに?」

「女の子は、気まぐれなの」

「なら、――仕方ないな」

 シスルは彼女の頭を撫でると、何気ない動作でレジに向かい、ショーウィンドウを指さした。

 

 

 

**いつかわからない時、どこかわからない場所で**

 

 ……手紙が裏返され、そこに別の筆跡が見出される。

 

「 親愛なるシスル様

 

 んー、「様」ってガラじゃないよねー、しーたん。

 この手紙がしーたんに届く予定はないけど、でも、もしかしたらって思って……ほら、しーたんって不死身のイメージがあるからさ。殺しても死ななそうって感じ?

 あたし、しーたんの手紙、届けられなくなるかもしれないから博士に代行してもらおうと思ってたんだよ。なのにあんな中身だったんだもん、びっくりしちゃった。

 

 ごめんね、しーたん。確かに、遅すぎたよ。

 ううん、貰ってても変わらなかったかもしれない。

 

 あたし……あたし、

 お母さんを、殺しちゃった。

 

 ヘンな感じ、あたし、けっこう冷静なんだ。自分勝手だけどね、お母さんを実験に使われたりそれで傷ついたりするなら、あたしが終わらせてあげた方がいいんじゃないかなって考えたんだ。

 わかってるよ、エゴだって。あの人にもまだ人間らしい意識が残ってるかもしれない、自分で状況を打開する力が残ってるかもしれないって……あたしはお医者さんじゃないし、本当のところはわからないよ。

 

 あれで最後になったらいいな、あたしが殺す人。

 怖かったよ。自分が震えてなくて、心臓の音も普通で、なにもかも的確に処置して出てきちゃったのが、本当に怖かった。あたし、心のどこかではずーっと、考えてたのかな。あの人を死んで楽にさせるって。

 あたし、お父さんの愛した人だったから、あたしもあの人を大切にしなきゃって思ってずっと生きてきた。鞄とバイクがなかったら、危なかったと思うけど……それがあたしの武器だった。それでずっと、ギリギリ生きてきたけど。

 

 これから、あたしはしーたんを探しに行くんだよ。今は裾の町を出て、今は第三十二番隔壁にいる。

 会えるかどうかはわからないけど、でも、探しに行く。お手紙、頼まれちゃったからさ。

 自分に何かあったら届けてくれ、って頼まれたの。

 あー、もう、こういう時間指定配達やめようかな。やなことばっかりだよ。

 

 あたし、届けるばっかりで、お手紙もらったのも、お手紙書くのも実は初めてなんだ。

 手紙って、いいね。あたし、もっと誰かに書けば良かったな。書く相手なんて、もう誰もいなくなっちゃったけど。

 

 こういうもの、ずっと届けてたんだね、あたし。

 

 ねえ、あたしは人殺しだけど。

 お母さんを、殺しちゃったけど。

 それでも、自分の仕事にだけは――

 誇りを持って、いいのかなあ……

 ――なんて。ごめんね、そんな重いこと書くつもりじゃなかったのにさ! よくない、よくない。

 じゃ、またね。しーたん。

 次に会えたら、あの子のとこに、食べ行こうね。

 

 アネモネ・トーラッド 」

 

 そして手紙は、強い力で握られる。

 青年は――職業の頚木を解かれた彼女が生まれたときから背負ってきた姓名を、もう一度、指でなぞった。

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