箱の音色
ふと目が覚めると部屋の中は暗くまだ夜なのだと分かった。
もう一度眠ろうと瞼を閉じるが意識は覚醒したまま動こうとしない。
眠ろうとすればする程頭は冴え、気が付けば閉じたはずの瞼が開き天井を見つめていた。
こうなっては暫くは眠れそうにない。
今までの経験上から眠ることを早々に諦めて、皇太子は寝床から起き上がり枕元にあるランプを灯すとを橙色の明かりが暗い部屋をぼんやりと照らした。
時計の時刻は夜中を指しており眠ってからそれほど時間は経っていなかった。
ベッドから降りて立ち上がり、ランプの横に置かれたガウンを羽織ると寝室の中にあるバルコニーへと向かった。その際に、机に置いてあったガラスの箱を手に取りそのまま外へと出た。
大分暖かくなったとはいえ、夜の、しかも深夜の風はまだまだ冷たかった。
(ミルトニアと初めて出会ったのも今ぐらいの季節だったか。)
ミルトニアと初めて会った時は、ミルトニアの体調が優れず介抱している間に少し会話をしただけだった。
介抱している者が私、皇太子だと分かった途端ミルトニアは恐縮し謝るばかりだったが、私が気にしなくて良いと説き伏せると素直に礼を述べ屈託のない笑顔を見せた。
今思えば、その偽りの無い無邪気な笑顔を見た時から私はミルトニアに惹かれていたのかもしれない。手に持ったガラスの箱を開けると、中に組み込まれた小さな歯車が回り金属が音楽を奏で始めた。
ゆっくりと可愛らしく流れる音は静かな夜空に吸い込まれるよう響く。
蘭の花の彫刻が施されたガラスのオルゴールをミルトニアが私に贈ってくれたのだ。
(私の心が少しでも休まるようにと。)
確かにこの時期は税の予算や国の整備で政務が立て込み、自惚れでなく忙しく1日中政務室に引きこもっている日の方が多い。
肉体的も精神的にも疲れが出ている自覚はある。
それで睡眠が浅くなってしまうこともしばしば起こってはいる。
(・・・・・・・・だが。)
今日、眠れない理由はそんなことではないのは分かっていた。
『――――見間違いということはありませんか、カリカ。』
『それも十分ありえる。ちらっと見ただけだからさ。』
午後の政務までの息休みに散歩をしているとカリカとロードの声が聞こえてきた。
姿は見えないがどうやらこの先の曲がり角の方で話しているらしい。
『でも、あれはカーライル嬢だったと思う。』
声をかけようと歩みを進めたが、次に聞こえた名前に足が止まった。
「カーライル嬢」そう呼ばれる女性はこの国に1人しかいない。
『そうですか・・・、しかし彼女が王都にいる可能性がある以上油断はできません。』
『確かに、ミルトニアにまた何か仕掛けてくるかもしれないしな。』
2人分の足音が遠ざかる音がして声も次第に聞こえなくなった。
(彼女は・・・・、王都にいるのか・・・。)
カーライルの屋敷が売却されて以降、彼女の姿を見た者はいなかった。
当時は他国へ亡命や死亡など様々な噂が飛び交っていたが彼女の行方を知る者はおらず、カーライル家で働いていた使用人ですら誰一人として彼女のその後を知らなかった。
皇太子も居場所を特定する事は適わず、噂通り国外に逃亡を図ったと考えていた。
だが、実際は王都に居た。
それならば何かしらの情報が手に入りそうなものだが、城下町だけあって王都は広く、人も多い。
手がかりも無いまま一人を探すのは難しいだろう。
また、人の少ない土地に行けば逆に目立ってしまう場合も考えられる。
それよりも、人の多い場所の方が紛れ込みやすいのかもしれない。
(木を隠すなら森の中、か…。)
森の中にある1本の木。
その木が、どの様な木なのか知っていた。
解っていたつもりだった。
それが、今揺らいでいる。
いくら調べ直しても彼女が犯人だという事実は変わらない。
変わらないのだ、彼女が居た時と居なくなった後も。
彼女という存在が最初から無かったと錯覚するくらいに。
(終わった事だと放って置けばいい)
すでにカーライル家は消え、今更調べ直した所でどうなるわけでもない。だが、気が付けばいつもその事ばかり考えていた。
最近では再調査が進む度、事件自体よりも彼女の事を考えている方が多くなっていた。
(私は、知りたいのか?彼女を…)
表面上の、情報だけの彼女以外の彼女を。
何を考え、想っていたのか。
それが、事件の調書に書かれた内容と同じ答えしか得られないとしても、もう一度聞きたい。
箱から聞こえる音に感情がざわつく様に思えて皇太子は箱の蓋を閉じていた。
音が消えると夜の静けさが戻って来た。
明日の公務の為に眠らなければいけないのは解っているが、纏まらない思考と揺れる感情では眠れそうになかった。
それでも横になることで身体は幾分か休める。
そう、思い皇太子は部屋へと戻った。
夜中に目が覚めて、眠れなくなる。よくあるパターンですよね。