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 休み時間、教室でぼんやりしている私のところに、同じクラスの彼女がいつもの調子でやってきたのだ。

「のんちゃん、お願いがあるんだけど」

「何、どうしたの。楓がお願いなんて珍しいね」

「えへへ、実は――」

 楓は、困ったように笑いながら言った。

 彼女、楓は漫研に所属している私の友人だ。小さいころから何だかんだと騒いでは、互いに迷惑を掛けたり掛けられたりを延々と繰り返している。一時は疎遠になりかかったこともあったが、今年はこうして同じクラスになったことで、再び以前のような交流を取り戻している。私にとっては。数少ない親しい人物である。

「いやー、助かったよ! ウチの部室って、うるさくてさぁ。ろくに漫画も描かないのに、話ばっかり盛り上がってる人ばっかり。あ、岩崎くん、お邪魔してまーす!」

 ――唯一無二の『親友』の口車に乗せられて、私は唯一無二のこの彼女に、まんまと秘密基地への入場許可を与えてしまったのだった。

 そんな私に、岩崎は呆れたような軽蔑したような視線を投げかけた。

「お前、柄澤には甘いのな」

「うるさい」

 それ以来、楓は規定の部活動日以外のほとんど毎日を私たちの部室で過ごすようになった。彼女は原稿やら大量の道具類やらを持ち込んで、日々私たちの横で黙々と漫画を描くのだ。楓の漫画の上手い下手はいまひとつ判らなかったが、それでも懸命に好きなことに打ち込む彼女の姿は、素直に見習うべきものだと思った。岩崎も、時折楓の原稿を覗き込んでは彼女を褒めていた。そのたび楓は顔を真っ赤にして、

「まあ、楓の唯一の趣味だし……」

 と言って照れるのだ。

 そういえば岩崎が、消しゴムをかけ終えて一息ついていた楓に、こんなふうに尋ねたことがあった。

「柄澤は、将来漫画家になりたいの?」

 私は、彼女がいつものような軽くて明るい調子でうなずくのだと思っていた。しかし楓は予想に反し、普段のにこにことした表情を不意に曇らせて、うつむいて、小さくなって、小さな声でぼそぼそと言ったのだ。

「ううん、それはいい――楓には、たぶん、向いてない」

 彼女は顔も上げずに、膝の上で拳をきゅっと握りしめて続ける。

「それに、ああいう仕事って食えないし。やっぱり夢ばっかりじゃ生きていけないっていうか。あはは……」

 私たちは、顔を上げた楓に何も言えなかった。ちぐはぐな笑顔を貼り付けた目元口元が、彼女の本音が決してここにはないことを物語っていた。私たちは、何も言えなかった。首を左に回して岩崎を見やると、彼もまた顔をこわばらせていた。おおかた、激しい後悔に見舞われているのだろう。岩崎の心境は察するのすらためらわれる。

 と、ふたたび部室が重苦しい静寂に包まれたところで楓がいそいそと机の上を片づけ始めた。ペンのたぐいをごちゃごちゃと筆入れに突っ込んで、さらにそれをスクールバッグに乱雑に押し込み始める。相変わらず、片づけは苦手らしい。

「あ、そろそろ帰らなきゃーーのんちゃん、岩崎くん、また明日ね!」

 あからさまな逃げだった。同時に、彼女からのあからさまな拒否だった。

「そうだ! 岩崎くんも……チョコレート、好きかな?」

「あ――はい」

 おかしなイントネーションのおかしな敬語で首肯した岩崎に笑いかけ、いつもどおりの楓は部室を出ていった。楓の考えていることは何となく判った。おおかた、私と岩崎のふたりにバレンタインのチョコレートを渡そうとでも考えているのだろう。

 バレンタインデーまで、あと二日。今年のそれは休日に当たるから、学生たちにとっては実質明日がお祭りということになる。

「バレンタイン、か」

 また学校の中が騒がしくなるのだろうなと、私は少し憂鬱に思う。それと同時に、楓の曇った顔を振り払うことができず、一層憂鬱に思う。私は、知っていたはずだ。彼女が本当は、彼女の漫画をどう思っているのか。彼女が彼女の漫画と、どう付き合っていきたいのか。さっきの彼女がどうして、あんな『心にもないこと』を言わなければいけなかったのか。――ちょっと考えれば、私には判ったはずだ。

 岩崎もまた、私のそばで顔を曇らせている。お互いしばらく沈黙を破れずに、私たちはただただ呆然とする時間を共有する。世の中の若者の間では何でもかんでもシェアするのが流行っているが、いくらなんでもこんなのごめんだ。もっとも、私には食ったものや行った場所を、非常に狭くて苦しい我が『全世界』に対して見せびらかす趣味はない。

 この時間に終わりを与えたのは、勇気のない私ではなく、やはり勇気のない岩崎だった。

「地雷を踏んだかなぁ……俺がチョコレートぶら下げてお詫びに行きたいくらいだよ、部長殿」

 しみじみと、無理矢理笑顔を取り繕ってこぼす岩崎に対して、私はまた、何も言うことができなかった。

「と、ところで岩崎くん、明日は雪らしいよ」

 しかし黙っているにはあまりにもつらいから、私はこの状況とは何のつながりもない話題に逃げた。だが、さすがにそれは拙い逃れ方だったらしく、

「お前は本当に勉強しかできないやつだな。ほら、これやるから元気出せよ」

 岩崎からガムのほどこしを受け、さらにはそこからファミレスに連れて行かれて小一時間叱咤激励されるなどして、しっかりと慰められてしまったのだった。一応捕捉しておくが、ファミレスのドリンクバー等の飲食代は自腹だった。はたして私は、そんなにひどい顔をしていたのだろうか?

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