6話 「世界眼と超越格」【前編】
――可愛い。
可愛いものは可愛いと、正直に言うべきだ。
しかし、
――これはあえてツッコまない方がいいのかもしれない。
イゾルデが顔を真っ赤にして照れたように顔をそむけながら、猫耳を手で撫でている。
その猫耳が道具によるものであることに、俺は気付いていた。――そりゃ気付くだろ! どうやったら純人族に猫耳生えるんだよ!
仮に、仮にだ。本当に特異体質やら、もしくは変態術式によって猫耳だけ生やせる似非獣人がいたとしよう。夢とロマンは大事だからな、そういうことにしておく。
それにしたって、俺にはそれが道具であることに気付いてしまう理由があった。
その猫耳に刻まれたやたらに念の入った『術式群』が、俺の目に映ってしまっていたのだ。
――今だけは、この眼を恨もう。
気付きたくはなかった。
しかし、『見えてしまった』。
――〈世界眼〉さえなければ……!
〈世界眼〉。
異界から転生してきた俺には、無駄に莫大な魔力の他にも、地味な魔法的特質が宿っていた。
一文で説明すると、ずばり――〈世界眼〉は『見えないものを見る』。
抽象的な表現だ。
なので具体例を挙げようと思う。
たとえば術式の話。
基本的に術式は、発動時に構成式が描写されることが大半だが、事象として成ったあとは式自体が不可視になる場合が多い。事象の中に内包されるからだ。
しかし、俺の〈世界眼〉はそれを外部からでも見抜く。
事象に成ったあとでさえも、意識さえ向ければ構成式を見抜くことができるのだ。
隠蔽術式だとかが被さっていても、『疑ってさえいれば』見抜くことができる。
これはなかなか便利だ。
しかし、何も無条件にすべての隠れたモノが勝手に目に入ってくるわけではない。
前述した『疑ってさえいれば』というのが肝要なのだ。
〈世界眼〉は、俺の意識なしで勝手にすべてを暴くわけではない。
そこには有意識がいる。
「もしかして」だとか、「これ、まさか」だとか、そういう些細な有意識さえあれば、世界眼の認識が作動するが、まったく疑いさえないとスルーされる。
まあ、その点は普通の視覚と同じだ。
ちなみに、今は術式に例えたが、別に術式以外だって見えないものを見ることができる。
そこに確かに『在る』ものならば、この世界の住人には見えないものでも俺は見ることができる。
それが、〈異界転生者〉である俺に宿った少し特別な力。
根本で俺がこの世界から独立しているのが要因ではないかと爺さんは言っていた。
異界の魂ゆえの客観視。どことなく、世界レベルで仲間はずれな感じである。
さて、しかしそんな便利な世界眼のせいで、今回は珍しく悩まされることになった。
◆◆◆
――これは墓まで持っていこうか……。
イゾルデの猫耳が本物ではなくカチューシャによるものであることには、あえて気付きたくなかった。
ずいぶん手の込んだアイテムのようだ。
術式によって髪の色に猫耳の毛色が同調するよう仕掛けがなされているのだろう。
物に変化を促すタイプの刻印型術式が刻まれていて、術式炎やら術式水のように事象に式が内包されるタイプではないから、それだけであったら目を凝らすことで刻まれた式を見ることができたかもしれない。
しかし、さらにその刻印型術式を不可視にするために、上から隠蔽術式をかぶせてあるようだ。
その念の入りようを見るだけで、これを作ったやつのこだわりが伝わってくる。
コイツは究極的に『見た目が本物』の猫耳を作ろうとしたのだ。
間違いない。
――コイツは変態だ。
――すまんな……お前はきっと一生を燃やし尽くすほどの情熱でこれを作ったのであろう。
でも俺はお前の情熱に気付くと同時に、お前が目指した猫耳を紛いものであると判断できてしまう第一号観測者になってしまったよ……。
もし次があるのなら、さらなる向上を願う。――精進せよ、同志よ。
これを作った変態に念を送りつつ、思わずため息を吐く。
本当に、気付きたくなかったよ。
――隣でいまだ猫耳を撫でつけている真っ赤な顔の彼女のためにも。
俺には彼女の内心の逡巡が分かった気がした。
彼女の顔の紅潮と照れ隠しのような仕草を見るかぎり、たぶん合っているはずだ。
「イゾルデ……」
「んうっ!? なっ、なによ……?」
「いや……なんでもない」
「き、気になるわね……」
たぶん先ほど俺が『獣耳が……』と呟いてしまったのが原因だろう。
娼館通りで狐耳の美女を見て、かつそれに触れることなく桜国騎士たちに追われてしまったから、我ながら情けないとは思っても、やはり未練があった。
それゆえに悲しげに零れてしまった言葉に、イゾルデが気付いた。
そして自分の恥ずかしさを押しきってまで猫耳カチューシャを装着して――
――け、健気だ。
最初は結構気が強くて、なんだか面倒なことに巻き込まれてしまったと思っていたが、ここにきて彼女の健気さに癒された。
心が安らかになるのが分かる。
考えを改めよう。
一人旅もそれはそれでいいものだが、誰かと旅をするのも悪くないかもしれない。
隣を歩くイゾルデは視線を辺りに流しながら、前髪の毛先を手で捩じっている。落ち着かない様子だ。
まだまだ顔は赤いが、それにあえてツッコむのも野暮だろう。
それに、つり目のクールな美女の顔が恥ずかしそうに朱に染まるのは、とてもいじらしくて魅力的だ。
もう少し彼女の表情を楽しもうと思う。
それにしても、早々にこの猫耳カチューシャを作ったやつに出会いたいものだ。
――コイツ変態だけど絶対天才だ。
◆◆◆
そんなこんなで、桜国の西国門所を抜ける。
イゾルデの荷の中身に桜国特産品が含まれていたため、そこで関税の支払いがあった。
なんだか行商というのもややこしそうだ。
生憎俺は商才なんてものは持ち合わせていないから、そういうのは彼女のやりようを見て楽しむことにしよう。
桜国へ出入りする人々は多い。
さすがは観光都市国家。
世界の最大人口たる〈純人族〉が目立つが、その他の〈人族〉も数多く目に映る。
純人族の容姿は地球にいた人間となんら変わるところがない。
標準人種というだけあって、なんとも素朴である。
とはいえ、純人族内部にだって民族性はあるようで、どこどこの国の何人は商才があるだとか、あの国の純人はガタイが良いだとか、そんな特色は結構あるらしい。
対してその他の純人族でない〈人族〉は、その容姿に特徴がある者が多い。
桜国にも大勢いた角付きの〈鬼人族〉。獣耳に獣尻尾をつけた〈獣人族〉。
珍しいところだと〈竜人族〉なんかもいる。
基本的に人型種は特徴異称に『人』を接尾して表される。
純人族と比べるとやや〈異族〉によった性質が強い。
ちなみに〈異族〉というのは、〈獣族〉や〈精霊族〉など、『人』とつかない異種族を呼称する時に使われる。
基本的に名称を決めるのが〈人族〉であるから、〈異族〉という呼称もまあ仕方のないことだろう。
話は戻って純人族以外の人族に関してだが――とにかく種類が多い。
完全に把握しきれないほどに多い。
特に獣人系なんかは、その大枠では到底説明しえないほどに、獣の種類が多彩である。
犬型だったり猫型だったり。
その上、人と獣の混ざり具合にも違いがあって、顔がまんま犬の者もいれば、基本は純人そのもので獣耳や尻尾やらがついているだけの者もいる。
ちなみに個人的には後者が好みだ。
だから俺は今のイゾルデの『純人に猫耳スタイル』を尊重する。
あのカチューシャの制作者に、ぜひとも感情で動く猫尻尾とか犬尻尾だとかを作って欲しい。
「ちょっと、なにボーっとしてるのよ」
脳内で世界のどこかにいるであろう製作者に怪電波を送っていると、イゾルデが関所での手続きを終えてこちらに戻ってきていた。
横から頭を傾けて覗き込んできている。
金髪の長い前髪が垂れて、風に揺れていた。
「ちょっと同志に念をね」
「同志……?」
「こっちの話さ」
イゾルデは俺と同い年だという。
なんだかそれを知ると、少しも会話がしやすくなる気がした。
そうでもないとぎこちなくなってしまうのは、きっと日本で身についた慣習がまだ残っているからだろう。
初めて顔を合わせたクラスメイトに、「やあ」と声を掛けることのなんと勇気のいるや。
一旦話かけてしまえばあとは意外とどうとでもなるのだが、そこまでが遠いのだ。
イゾルデが来てから足を並べて歩き出して、踏み鳴らされた草原街道を歩き始める。
桜国と迷宮都市を繋ぐ街道。
――確か〈ヴァルタイト街道〉なんてゴツい名前だった気がする。
と、俺が街道の名前に確信を得ようと四苦八苦していると、またイゾルデが訊ねかけてきた。
「今度はなんだか難しい顔ね?」
「そんな顔してた?」
「してたわよ。まだ出逢って一時間ちょっとでこんなことを言うのもなんだけど、あんたらしくない気がした」
顔に出やすいとは兄弟姉妹たちにもよく言われたものだ。
そういうところがすでにイゾルデにも見抜かれていたのかもしれない。
「まあ、たいしたことじゃないよ」
「ふーん?」
結構イゾルデはよく喋る。
こちらとしても会話自体は好きな方だし、別段気になるほどでもない。
まだ少し探りつつ、という感じではあるが、ここから迷宮都市サリューンまで何日も掛かるであろうから、その間で少しずつ知っていけばいいだろう。
「そういや、馬車とか騎乗種とか、連れてこなくてよかったの?」
意外と迷宮都市までは距離がある。
イゾルデの華奢な身体を見ていると、本当に徒歩で踏破できるのだろうかと少し不安になった。
当のイゾルデは、
「いいのよ。ああいうのってお金掛かるし。節約節約」
手を振って軽く答えていた。
「もしかしてあんまり繁盛してない?」
少し皮肉っぽくいうと、イゾルデが頬を膨らませて言葉を返してくる。
「そ、そんなことないわよっ! こ、これからだもん!」
否定したいのか、そうでないのか、またなんとも中途半端な感じだ。
ともあれ、向上心があることはよく分かった。
しかし商才があるかどうかを判断するのはもう少し観察してからにしよう。
「今に見てなさい。自分の力でがっぽがっぽ稼いでやるんだから」
「おやおや、なかなか力強い独立独歩の精神をお持ちのようで」
これだけ可憐であれば、男に頼る道もあるだろうに。
内心に思いながら、俺は肩を竦めて見せた。
今回彼女が俺に護衛兼荷物持ちを頼み込んだ時だって、別に無条件でそれを求めてきたわけではない。
ちゃんと取引という体裁を取っていた。
商談の材料になりそうなものを、たとえそれが『俺の非』のような不定形のものであっても抜かりなく採取しているあたり、やはり結構デキるやつなのかもしれない。
そんな風に考えると、結構好感が湧いてくる。
男に頼るのが悪いといっているわけではないが、一人でたくましく生きようとする女性もまた、魅力的に映るものだ。
「そういうあんたは、この旅では何が目的なの?」
ふと、イゾルデがそんな問いかけをしてきた。
イゾルデは行商人であるし、『がっぽがっぽ稼ぐ』と今言ったこともあって、商人らしくそれが目的なのだろうと察せられたが、対して俺はまだ目的について何も喋っていない。
「んー……俺の目的はイゾルデのモノほど明確なものじゃないからなぁ……」
それに、少し大仰なのだ。
イゾルデにそれを言って、かえって胡散臭さを与えてしまうかもしれない。
そうなったらそうなっただが、あえてぺらぺらと喋るのもなんだか決心がつきづらいところだ。
「聞かせなさいよ。私、勢いで自分の言っちゃったから」
しかし、イゾルデはずいとこちらに近づいてきて、俺の服の袖を軽く摘まんで引っ張ってきた。
逃がさないとでも言わんばかりの接近だ。
それでいてまた少し頬を染めているイゾルデを見て、思わず微笑んでしまった。
「な、なによ」
「意外と気、緩んでる?」
「そ、そんなことないわっ!」
なんだかイゾルデの反応はどれも新鮮で、イジリ甲斐がある。
もう少し他愛ない言い合いをしていたいが、まあ、今はこのくらいにしておこう。
そこまで彼女が俺の目的を知りたいというのなら、頑なにやぶさかであるつもりもない。
「いいよ。イゾルデも教えてくれたし、俺の目的も教えてあげるよ」
「――うん」
周りから自分たちと同じように桜国から出ていく旅人や商人たちが少なくなってきたのを見計らって、俺は口を開いた。