5話 「金髪少女な行商人」【猫耳編】
〈イゾルデ・イスカドール〉は観察していた。
自分の隣を歩く、黒髪の優男を。
「エイラくん、エイラさん、エイラ様。うーん、しっくりこないなぁ」
――年は同じくらいだし、どうも敬称を付けると変な感じがするわね。
イゾルデはエイラの横顔を見ながら、なんともなくその年齢に見当をつけていた。
――十五。いや、もう少し上かな。
ほとんど勘だ。
最終的にイゾルデは、十七という当たり障りない年齢を胸に抱くことにした。
答え合わせのために彼女はエイラに訊ねる。
「エイラって何歳?」
「しっくりこなかった挙句に極自然な感じに敬称が消え去ったな」
「もし私より年上だったら敬称を付け直してあげる」
イゾルデは人懐っこい笑みをエイラに向けた。
少し馴れ馴れしいかとも思うが、それでいて一応礼節を払うつもりはある。
さすがにまだ出逢って十分足らずだ。
もし本当に年上であれば、敬称をつけるのが自然なところだろう。
いくら彼に自分を投げ飛ばした非があるとはいっても、それをネタに無礼でいるつもりはない。助けてもらったのは事実なのだ。
返答を待っていると、ややあってエイラから声が返ってきた。
「十七だよ」
――大当たり。
イゾルデは小さくガッツポーズを腰の横で作って、また明るい笑みを浮かべた。
そして続けて内心に言葉を浮かべる。
――やっぱり、同い年。
十七歳との見当をつけたのは、自分の願望が混ざっていた為でもある。
同じ年なら変に気を遣う必要もないし、そうであったらいいな、とも思っていた。
ともあれ、同じ年ともなれば、年の功という点では差がない。
大げさに敬称をつける必要もないだろう。
「じゃ、エイラのままね」
「なんだ――俺より年上なのかあ」
「ち、違うわよっ! 同い年っていう選択肢はあんたの頭の中になかったの!?」
その言葉に即時で抗議する。
なんだかこの男より年上に見られたというのは、看過しがたい感じがした。
加えて言えば、年下と見られるのもなんだか居づらい。
一人で行商人などをしていると、まあ舐められることも多くて、そういう弱みになり得る要素にどうしても敏感になってしまうのだ。
女としては少しヒステリック気味かもしれないし、好ましい性分だとは思わないが、これからもこうして一人で生計を立てていく予定なので、こういう敏感さもまだ必要になるかもしれない。
そういう観点では、年下に見られて舐められるのも嫌であるし、それでいて女としてはこの男より年上――やや歪曲した言い方で老けている――と見られるのはなんだか嫌だ。
まったく我が儘な心だ。イゾルデは自分で自分を揶揄した。
さて、しかし嬉しいことに、この男とは同い年だ。
どちらに気を遣うでもない。
不思議な雰囲気を纏っていて、時折年上にも見えれば、さっきの困った表情を浮かべていた時などは少しも年下に見えた気がする。どうしようかと云々唸っている姿は少年のようだった。
「私も十七よ。あんたと同い年」
「そっかー」
少し鼻を鳴らして答えたが、どうにもエイラの反応は芳しくなかった。
へらへらと笑っているが、その目は少し虚ろで、心ここにあらずという感じだ。
「どうかしたの? 元気なさそうだけど」
「んあっ、ごめん」
「別に非難したわけじゃないわよ。その――ちょっと気になっただけ」
イゾルデの指摘にエイラは謝罪を返した。
ハッとして我に返ったエイラの顔には、やはりまだ暗い影がある。
「ホントに大丈夫?」
イゾルデは小首を傾げながらエイラに心配そうな視線を向けた。
するとエイラが力なさ気に笑って、ついにその胸中を話しはじめる。
「いやさぁ……イゾルデに会うちょっと前の話なんだけど、『もう少しで桃源郷だ!』ってところで桜国騎士たちに邪魔されちゃって……。――うっ、獣耳が……角っ娘が……っ!」
「えっ? えっ!? なんで急に泣き出すのっ!?」
情緒不安定なのだろうか。
イゾルデはエイラの眉尻に光るものを見て、何事かと焦った。
あまり男と語らったことがないから、自分には理解しかねる習性があるのかもしれない。
「ああ、いいんだ、気にしないでくれ。イゾルデが悪いわけじゃないから」
「そ、そう」
エイラが自嘲気味な笑みを浮かべて手を振った。
イゾルデはいまだにエイラの涙の原因が分からなかったが、いくらかの推測の手は伸ばせそうで、胸中で少し思索に耽る。
――獣耳?
気になるフレーズはそれだ。
桃源郷、獣耳。
桃源郷という言葉から察するに、おそらくそれらがエイラにとって好ましいものであったのだろう。
――獣耳かぁ……。
獣耳がそんなに恋しいのだろうか。
――うーん。
エイラの顔を窺って見ると、まだ悲しげな表情だ。
このまま桜国の外に出て共に旅路を行くとなると、少し居づらくなってくる。
どうせなら笑みで居てくれた方が気も紛れるし、自分もその方が楽しめるだろう。
獣耳を見せれば機嫌が直るのだろうか。
――よし。
仕方ない。『アレ』を使おう。
一週間ほど前に隣国の酒場で冗談半分にもらったアイテム。
あまり見たことがないから、ひとまずもらっておいて、あとでどこかに売ってしまおうと思っていた謎のアイテム。
それがたしか、バックパックの中に入っていたはずだ。
イゾルデはエイラに気付かれないように、少しその後ろに回り込んで、エイラが背負ってくれている自分のバックパックのサイドポケットを開く。
記憶が正しければこのへんにしまったはずだ。
――あった。
手に感触がある。
それを掴んで引き抜いて、日の下に晒した。
燦然とした日光に照らされるマニアックアイテム。
――『猫耳カチューシャ』……。
誰が作ったのだろうか。造詣のリアルっぷりが尋常でない。
一目見て「かなり時間かけて作ったんだろうなぁ……」とヒき笑いしたくなる代物だ。
そんなだけあって、これを頭につければそれらしく獣人になれるだろう。
特段容姿に種族的特徴がない〈純人族〉は、こういう外付けのアイテムで他種族になりきろうとすることがある。
まあ、一部の熱狂的な者たちによる過剰な演出も含まれているが。
しかしこれほどのまでの造形ならば、エイラも満足してくれるのではないだろうか。
――ちょ、ちょっと恥ずかしいわね……。
それを頭につけることに、少しの照れを感じる。
猫耳。
猫科になりきればいいのだろうか。
――『にゃーん』とか、言った方がいいのかしら……。
いやいや、さすがにそこまではやらなくていいだろう。
エイラは獣耳としかいってなかった。獣耳がついていればオッケーに違いない。
――よ、よし。
よくはない。
よくはないが、やってやろう。
「ねえ、ちょっと」
エイラの袖を引っ張って、こちらを振り向くように促す。
「ん?」と疑問符を含んだ声が返ってくると同時に、エイラがこちらに身体を回してきた。
イゾルデはエイラの顔が自分の方に向く前に、素早い動きで猫耳カチューシャを頭に装着する。
髪の色に合わせて猫耳部分の毛色が同調変化するという謎術式も織り込み済みだ。
きっと今に自分の金髪に合わせた金毛の獣耳に変化しているはず。
色の違いによる違和感もないだろう。
そうしてエイラの視線を待ち構え、ついにエイラがイゾルデを見やった。
「っ――!」
途端、振り向いたエイラの顔が凍りつく。
驚愕の表情のまま、完全に停止していた。
――あ、あれっ?
何か間違っただろうか。
イゾルデは一気に血の気が引いていくのを感じた。
しまった、もしかして逆効果だったか。
脳裏に不穏な言葉が過る。
――あ、あうっ……。
もし逆効果だったら、かなりのやり損だ。
ものすごく恥ずかしい。
顔が真っ赤になってきたのが、自分でも分かる。
ああ、かなりまずい。これは耳まで赤くなっていること間違いなしだ。
もうエイラの顔を直視できない。
かといってそれ以上アクションを起こすこともできずに、エイラの反応を待っていると――
「――最高だなッ!!」
「えうッ!?」
凄まじい熱の籠った声が返ってきて、思わず驚いて声をあげてしまった。
直後、エイラがずいと近寄ってきて、まじまじと猫耳を観察し始める。
「なんだこれ! 最高だなッ! ――あれっ? イゾルデって純人族だよね? 見たところ他の種族の特徴が出ているわけでもないし」
「そ、そうよ。私は純人族――」
「純人族なのに猫耳生やせるのか!!」
「えっ、ええ、ちょっとした道具――」
イゾルデはそう言いかけて、ふと言葉を止めた。
――道具の力であることを言ってしまっていいのかしら……。
もしこれが紛いモノであることを知ったら、エイラは悲しむのではないだろうか。
そんな予測がイゾルデの胸中にぽつりと浮かんだ。
ここで悲しませてしまったら、エイラを元気づけるという目的からさらに遠ざかってしまう。
それは避けなければならない。
最善を尽くせ。
――となれば、だ。
――こ、これ墓まで持っていかなきゃダメ……?
イゾルデは顔に必死の笑みを浮かべながら、内心で困惑の声をあげた。
しかし、最終的にイゾルデはその秘密を墓まで持っていく決意を固める。
――し、仕方ないわね……。
まったく、手のかかる男だ。
「そ、そうよ。ちょっとしたコツがあってね!」
「そうかそうか。いやあ、俄然イゾルデと一緒に旅したくなってきたな。テンションあがってきた!」
ここは嬉しがった方がいいのだろうか。
それとも「私本体が猫耳に負けた……」と悔しがった方がいいのだろうか。
まあいい、ひとまずポジティブに喜んでおこう。
「そ、そっか。元気でたなら、良かったわ」
「イゾルデのおかげですごく元気でたよ!」
思ったより子供っぽい。
エイラの笑みは見ていてこちらも嬉しくなるような、そんな明るさと清々しさがある。
出逢った直後の、少し面倒くさそうな顔を見ていたから不安だったが、これならこっちも結構楽しめそうだ。
――感情が顔に出やすいのかな。
たぶん、そんなところだろう。
そりゃあ、いきなり呼びとめられて旅の供をしろなんて言われたら、誰だって面倒くさいと思う。
まだ少し、顔が火照っている。
耳も赤いままだろうか。
鏡がないから分からないが、その赤みにエイラが気付かないことを祈ろう。
イゾルデは頭につけた仮初の猫耳を手で撫でつけながら、少し顔を俯けて足を速めた。