4話 「金髪少女な行商人」【遭逢編】
誰であろうか。
長い金髪をマフラーのように自分の首に巻いている少女。
その金髪は燦然とした光を反射して、とても美しい輝きを放っていた。
枝毛一つ見当たらない綺麗なストレートの金髪だが、首に何重にも巻かれているためかふわふわしていて、とても手触りが良さそうだ。
少女は膝に手をついて「ぜえはあ」と息を荒げていた。
しばらくして、息継ぎを終えた彼女がようやく顔を上げる。
「い、一回で振り向いてよ! 悲しくなっちゃったじゃないの! ううっ……」
一回で俺を振り向かせる台詞を放てなかった自分を恨んでくれ。
そう思いながら彼女の容姿を観察する。
観察して、ハッキリと彼女の顔を見て、
「――――」
言葉が出てこなかった。思わず思考が停止した。
――絶世の美女というのはきっとこの金髪の少女のためにある。
掛け値なし、超美人。
ただいるだけで気品すら感じられてくるような美貌だ。
大人の香るような艶やかさと、少女の透明感ある儚さを黄金比で取捨したかのような、いっそ幻想的なまでの美しさがこの少女にはあった。
――綺麗だ。
何度でも、忌憚なく、俺の口の中にそんな言葉が浮かび上がる。
しかしさすがに正面に本人をおいて大げさな賞賛を送るのは恥ずかしい。
それくらいなんなくやってみせる世のジゴロたちはすごいと思う。
思わずさらなる観察の目が彼女の美しい顔を滑って行って、ふと彼女の瞳に流れ着いた。
彼女は吸い込まれてしまいそうなほどの深みを感じさせる赤の瞳を持っていた。
研磨されたルビーのような赤玉の瞳。
次いで、視線は顔から姿態へ。
身体は華奢で、細長い四肢をしているが、意外と胸元の物量はある。
他の部分が華奢で細いから、余計に胸の凸型が目立つのだろうか。
そんな彼女の背中には、身体の華奢さに対して不釣り合いな巨大なバックパックが背負われていて、またなんとも強い主張をしていた。
あんなものを背負っていて身体が潰れてしまわないのだろうか。
「どうしたの?」
「あ、いや。――だって、俺のことだと思わなかったんだもん」
ほんのわずかの間で観察の目を走らせたあと、彼女の言葉に答える。
彼女が呼んでいたのが俺であることに確信が持てなかったのは、本当のことだ。
「ちょっと」だとか「黒髪の」だとか、確信を腑に落としづらい形容ばかりされた。
名前が分からないのだから仕方のないことなのかもしれないが、さすがにそれで気付けというのも無理がある。
彼女は秀麗な眉目を少し悲しげに歪めながらも、数度目元を袖で拭いながら、また声をあげた。
「あ、あんたを捜してたんだから!」
はて、何かしただろうか。
見たところ桜国騎士のようには見えない。――となれば別件だろう。
身に覚えのない冤罪などは勘弁である。
よく前世で冤罪の恐ろしさを伝え聞いていたので、その言葉自体に言い知れぬ恐怖を感じる。
「な、なんかしたっけ?」
年の頃は同じくらいだと思って、向こうの口調に合わせて言葉を砕きながら訊ね返した。
すると、彼女は眉を立てて、少し驚いたような顔で再び言葉を紡いできた。
「覚えてないの!? あんた、〈魔獣侵攻〉の時に私のことを投げ飛ばしたのよ!?」
「……そ、そうでしたっけ?」
待て、今思い出そう。
あの時は兄の強引さと魔獣に集られるという状況に辟易していて、やや適当に事を為していた覚えがある。
愛玩動物に囲まれてキャッキャウフフポワワーンってするのとはわけが違う。
『がるる、ぶっ殺すぞ! どけ人族!』こんなのを大勢の獣に人語で言われれば普通の人間なら辟易するはず。
嫌々ながらやったことは、早々に頭の中から消すべきだ。
そう思って消したあの魔獣侵攻迎撃の記憶の中に、どうやら彼女がいるらしい。
「うーん……。詳しく状況を教えてよ」
そう訊ねると、彼女は「はあ……」とわざとらしいため息を吐いて、渋々といった表情で説明を重ねた。
「私が桜国の東街道を歩いてる時にちょうど魔獣侵攻に遭遇しちゃって、どうしようか、どうやって逃げようかってバタバタしてたら、そこにあんたと金髪の男が来たの。それで、唐突にあんたが『ここ危ないから避難しててねー』って私の身体を担いで、『はい、兄貴パース』って言って私を桜国の方にぶんなげたのよ」
やったような、やってないような。
その雑さは間違いなく俺らしいのだが。
「それで、私の身体が二百メートルくらい飛んで――」
ああ、遠投で人の身体を二百メートル飛ばしたなら、たぶん俺であろう。
「あの金髪の方の男にキャッチされなかったらと思うと、今でも悪寒がするわ……」
「いやあ、兄貴なら余裕でキャッチできるから大丈夫だよ。昔、弟を使って練習したしな!」
「あんたの家族どうなってるの……!」
ヒき気味にこちらを見てくる少女。
――さて、驚かせてしまったのはどうやら事実のようだ。
もちろん、確実に大丈夫だという保証があったからこそ遠投で彼女を避難させたわけではあるが、当人が驚くのも無理はない。それくらいは俺も分かる。
いや、分かるけどやっちゃったんだよね。急いでたから。結構彼女の位置ギリギリだったし。
しかし、切迫していたことも、この場合たいした言い訳にはならないだろう。
だから、
「ごめんね」
俺は素直に頭を下げた。
自分に非があるのだから、謝るべきだ。
「えっ、あっ、う、うん……」
少女は面食らったように驚いた声をあげながら、最後には頷いてくれた。
許してくれるのだろうか。
「わ、私もさっさと逃げずにあんなところに一人でいたっていう非はあるからいいんだけど……一応助けてもらったのは事実だし……」
それとなく、謝られることに慣れていないような印象を受けた。
たぶん、気が強い割に結構優しかったりするのだろう。
人に謝らせるのが逆に申し訳ない、という人間が特に前世によくいたため、そういう人柄には聡い方だ。
俺自身その感情が分からなくもないだけに、難解な感情の機微であると思う。
「で、でも、本当に悪いと思ってるなら、代わりに少し手伝って欲しいことがあるんだけど」
「ん?」
しかし、それでいて彼女は強かだった。
金の前髪を揺らしながら、こちらの顔をちらちらと窺ってくる。
美女に熱っぽい視線を向けられるのは、無論男としては悪くない気分だが、おそらく彼女が碌なことを考えていないだろうということを経験則で今に導き得ただけに、素直に喜び難い。
碌なことを考えない姉と共に育ったのが、こういうときに役立つのだ。
――役立ったところでどうしようもないのだけれど。
「私、行商人やってて、西の〈迷宮都市〉まで行くんだけど――あんたも西の国門抜けようとしてたんなら迷宮都市の方行くでしょ? サリューンよ、サリューン」
〈迷宮都市サリューン〉。
彼女の言葉通り、俺が目指そうとしていた『独立都市』だ。
「あー……うん、行くには行くね」
桜国もそうだが、基本的にこの世界の国家は規模が小さい。
都市国家的というのが一番的を射ている気がする。
王都だとか皇都だとか、中心となる巨大な都市が一つ二つあって、それでいて『国家』なのだ。
そんな中で、『独立都市』と呼ばれる形態はさらに特殊な立ち位置にある。
迷宮都市サリューンがその典型であるが、いうなれば独立都市は国家ではない。
迷宮都市サリューンは、その土地に自然発生する〈迷宮〉を目当てに、方々から探索者たちが集まってきて居座った結果、誕生した都市だ。
だから国家として外政に勤しんだりはしない。
一応慣習法やらの不文律によって秩序立ってはいるらしいが、明文法のある確固とした都市国家と比べるとやはりどこかエキセントリックな感じである。
ちなみに結構人気はあるらしい。
行ったことがないから、あくまで聞いた話なんだけれど。
「やっぱりね。私の勘もなかなか冴えてるわ」
「はあ」
彼女のガッツポーズに、俺は気のない返事を返すことしかできなかった。
彼女はガッツポーズのあとに再び赤いルビーのような瞳を俺に向け、そして指を差して言葉を紡いできた。
「じゃあ決まりね!」
――なにがでしょうか。
彼女はパァァっと顔を満面の笑みに輝かせて、ずい、と近寄ってきた。
「私もサリューンに行くから――『荷物』持ってって! お願いっ!」
ああ、彼女の笑顔が眩しい。
――まてまて、気を確かに持て、俺。
思考停止は避けなければ。
彼女の言葉を頭の中で反芻する。
『荷物持ってって』。――ははーん。
つまり、彼女は俺を荷物番にしようというらしい。
俺に非があることを自覚すると、荷物持ち自体は別段嫌というわけではないのだが、それ以前の問題がある。
正直、迷宮都市サリューンに行くまでは独り身の方が楽だ。
荷物持ちはいいのだが、彼女の歩調に合わせて旅路を行くのが問題なのである。
俺の旅路は割と過激だ。
というのも、前述の通りに俺の身体能力が馬鹿げていることに起因する。
人を遠投で二百メートル投げるくらいだから、その点はある程度認識してもらえるだろうが、旅路においてもそれは顕れるのだ。
三日。
俺は三日ぶっ続けで旅路を走り続けるつもりでいた。
さすがに馬より速いとは言わない。
瞬発力ならばもろもろ含めて負けない自信があるが、高速で走り続けるとなればさすがに素の騎乗生物に長があるだろう。
ただし、たとえば比べるのが馬車であったりすれば、確実に俺の方が速い。
俺は休みなしで三日走り続けられる。しかも馬車より速い。
旅をするには十分なのだ。
まったく、我ながら笑える身体である。
もともとの素体もあったが、これまでの人生で英雄転生者である兄姉たちに絞られてきたのが最たる要因だろう。
俺だって最初から短剣が身体に刺さらなかったわけじゃないんだ。――ちなみに今は刺さらない。
そういうわけで、金も掛からないし、騎乗生物の心配をする必要もないから、旅路はこれまで単独で踏破してきた。
ここで彼女と歩幅を合わせていたら、きっとずいぶん遅くなるだろう。
――うーん。
「責任、ちゃんと取ってよね」
俺が悩んでいると、彼女が腰に両手を当てて下から覗きこむように言ってきた。
可愛らしい。
やや恐ろしいセリフだが。
――さて、彼女はずいぶん乗り気だ。
見ず知らずの男に旅路の供を頼むのも、それはまた危険ではないだろうか。
「――俺、悪い奴かもよ? 実は超悪漢だったりして」
ふと思いついて、ここでそれを言い訳に使うことにした。
自分が悪漢であると知れば、きっと彼女も退き下がるだろう。
両手をワキワキさせて、一歩、彼女に迫った。
しかし、
「あんたがそんなだったら、あの魔獣侵攻の時に私のことを助けたりしなかったんじゃないの?」
「――」
まさかの切り返しがくる。
とっさに反論できない。
我ながら巡りの悪い頭だと思うが、所詮その場しのぎの嘘である。
反論に対する耐久力はお察しだ。
次の手を考えなければ――
「君が超美人だから死なせるのは惜しいので助けたあとで食べちゃおうなんて――」
「だったら投げ飛ばしたりしない」
「はい」
「助けたあとどこにいるか分かるようにしておく」
「そのとおりです」
正論ばっかりだ!
俺の理論武装が脆すぎる。――そもそも武装しきれてないか。
装備着替え中に鋭利な理論短剣で胸元サクってされた感じ。かなり無慈悲。
「――それに、別にいいわよ。その時は私に見る目がなかったってだけだから、好きなようにすればいいわ」
彼女がわざとらしく張りの良い胸を突きだして、身体を差し出すようにさらに近づいてきた。
「ぬ、ぬう……」
そうまで言われてしまっては反論のしようがない。
そこまで覚悟があるのなら、きっと彼女は何を言っても退き下がらないだろう。
彼女を投げ飛ばしてしまった責任も、まあないではない。
――仕方ないか……。
「――わかったよ。いいよ、ならサリューンまで一緒に行こう」
「ふふ、それでいいわ。じゃ、荷物と護衛、よろしくね」
彼女は背のバックパックをどさりと地に降ろして、楽しげに言った。
顔には喜色がある。
綺麗な華が咲いたかのような、明るい表情だ。
さりげなく『護衛役』が追加されているのも、この際だ、大人しく受容しよう。
抜け目のない奴め。
「思わぬ旅の供が出来てしまった……」
「なによ、不満なの?」
「滅相もございません」
「よろしい!」
まあ、これはこれで少しも違った楽しみがあるかもしれない。
ものすごく急いでいるというわけでもないので、今回はよしとしよう。
彼女のどでかいバックパックを片手で持ち上げて、背負い込む。
そうして振り向くと、彼女が隣にとてとてと駆けてきて、また愛らしい笑みを浮かべて言ってきた。
「私、〈イゾルデ〉っていうの。よろしくね。あんたの名前は?」
そういって彼女はぺこりと頭を下げた。
こうして肝心なところで礼儀正しさを見せられると、なんだか他の部分も全部許してしまいそうになる。
「〈エイラ〉だよ。しがない流浪の旅人さ」
とある目的のための旅路に、金色の美しい華が添えられた。