3話 「死霊転生者」
――さて、そろそろ現状をどうにかせねばなるまい。
褒賞というが、最低限の資金は懐に忍ばせているし、特段に必要というわけではない。
むしろ旅路に際して荷物が増えるのは好まないので、あまり大きなものも頂きたくないというのが実情だ。
それになによりこの状況。
祭輿に担がれて街道を行く構図。
もてはやされるのが嫌いとは言わないが、それが少しでも己の中の許容限度を超えると、途端に逃げ出したくなる。
『これ実は罰ゲームで皆嫌々やってるんでしょ!?』とか卑屈な思いすら湧き上がってくる。
大げさな祝い方は油断ならねえからなっ! ドッキリでした! ――ないか。桜国に来たの初めてだしな。
道行く人族たちの好奇の視線が身に突き刺さる。
心をくすぐるように撫でてくる。
やはり中庸が一番だ。
ずっと昔の哲学者も、そんなことを言っていた気がする。
◆◆◆
桜国城が近い。
確か桜国の王は〈鬼人族〉だ。
頭に角を生やしている豪胆な王であったと記憶している。
日本的だ。和的なのはいいことだ。
鬼も嫌いではない。いやむしろ好きだ。
本来恐れられるべきものだが、男としては鬼が力の権化でもある以上、そこに格好よさを感じてしまうのだ。
鬼人族の友人はまだいない。
だからって、最初の友人が一国の王というのもプレッシャーがある。
そういうわけで、どうやって逃げようかと画策していると、ふと聞き覚えのある声が聞こえてきた。
城の間近になって聞こえてきた声。
「――あれ? エイラ兄さん?」
澄んだボーイソプラノの音色に乗った言葉を把握し、俺の中に確信が生まれる。
何度も何度も聞いてきた声。
この声は――
――見つけたぞ、人柱を!
違う、先に『弟の声だ!』って言おうとしたんだけど、つい人柱見つけてウキウキしちゃったんだ。
首を回して、周囲に視線を向ける。
――どこだ、どこにいる。
――いた。
祭輿の周りを取り囲む民たちから少し離れた場所。街路の脇の方に、その姿を見つけた。
砂色の髪を宿した、いうなればショタである。
あれで齢十六というのだから、もはや詐欺だ。
長めの砂色髪と、男の子だか女の子だかあやふやになりかねない中性的な美貌。
俺は兄として『ついている』ことを記憶的に知っているが、そんな俺でも時々『あれ? こいつマジでついてたっけ?』って不安になる時がある。
そんな弟は背に不釣り合いな大きなバックパックを背負っていて、そこには物騒な剣のようなものを何本も突き刺していた。
――なにあれぇ……超おっかねえ……。
昔から伝説の武器だとか宝具だとかが好きで、挙句の果てに「自分で作ってみる!」とまで言った男だった。
それが高じてああなったようだ。
可愛らしい外見とは裏腹に、意外と物騒な趣味のやつである。
〈死霊転生者〉たる弟の一人――〈メウセリア〉。
友人に自慢したくなるほど可愛い俺の弟の一人だ。
だが今は人柱だ。あれを桜国への供物に捧げる。
「弟よ! さあ、こっちに参れ!」
わざとらしく大声をあげてから、メウセリアを見る。
すると、その声と俺の動きに同調するように、祭輿を担いでいた男たちがメウセリアを見た。
メウセリアの方は「えっ? えっ!?」とおどおどしているが、知ったことではない。――くそ、可愛いな。
ともあれ、今がチャンスである。
「聞け! 実は此度の〈魔獣侵攻〉から桜国を救ったのはあそこにいる私の弟なのだ! 私はあの弟の手伝いをしたに過ぎない! 今回の魔獣侵攻を先読みし、見事その迎撃を完遂せしめたのはあの〈メウセリア〉という私の弟の力があってこそなのだ! ゆえにっ! 褒賞を与えるならばぜひあの弟にやってくれ!」
――いける。
俺はまた胸に確信を落とした。
「おお!」やら、「なんと!」やら、眼下の人々から感嘆の声が漏れ、好奇の視線が俺からメウセリアへと移動する。
これなら俺が得てしまった不本意な役柄を、メウセリアになすり付けられる。
がやがやと祭輿の下から響くどよめきが、どんどんと大きくなっていった。
褒賞を受ける相手さえいれば桜国は困らない。
褒賞を与えずに悪い風評を流させてしまうのを桜国は恐れているのであって、誰かしらに褒賞を与えておけばあとは無問題なのだ。
『英雄』の役柄を誰かが担いさえすれば、それでよし。
ここでメウセリアに出会ったのが奇跡。
まさか同じ街で二度も兄弟に遭うとは思わなかったが、この天啓のごとき状況を使わずにいるのは、かえって申し訳ない。
何に対して申し訳ないのかはよく分からないが、とにかく、なんかこう――うん。申し訳ないよね。
「弟の手伝いをしたに過ぎないこの私が、桜国からの誠意ある褒賞を受けるのも心苦しい。さて、このへんでお暇させてもらおう!」
祭輿の上で足を踏ん張り、跳躍への姿勢を取る。
単純な膂力ならば自信がある。
逃げる口実さえできてしまえば、逃げる手段に関しては充当なものがあるのだ。
跳ぶ。
視界が開け、天高く身体が浮き上がったかのような感触を得る。
人がいないあたりを見定めて、メウセリアをも飛び越えて、数十メートル離れた位置に着地する。
「えっ? なにっ!? 兄さんっ!?」
「あとは任せたぞ、メウ! 俺はさっさと次の国へ行きたいんだ! 可愛い女の子と、理想的な保養地を求めて!」
欲にまみれた小目的がちょろっと、いやガッツリ言葉に乗ってしまったが、今は気にすまい。
祭輿に乗った俺をもてはやすように踊っていた鬼人族の美女たちの妖艶な姿は惜しいが、角っ娘で目の保養を図るのは次の機会にしよう。
メウセリアはまだおろおろとして戸惑っているが、すでにその背中には目を光らせた桜国騎士の数人が腕を広げて迫っていて、今にもメウセリアの華奢な身体を確保しようとしていた。
今の跳躍と、メウセリアの方が位置が近いのを見定めて、そちらに目標をシフトしたのだろう。
「じゃあ、ジャンヌ姉さんによろしくな!」
「えっ!? ちょっと! どこ行くのエイラ兄さ――う、うわっ、ごめんなさい僕何もしてないので捕まえるのやめ――あっ、ちょっ、あのっ、あのっ!」
――さらばだ。達者でな。
メウセリアがしっかりと桜国騎士たちに捕縛されて、ついでに周りの野次馬桜国民たちに「おお、なんと可愛らしい!」「あれ? 弟? 妹じゃなくて? ――まあいいか!」などと謎の歓声を受けながら、俺の代わりに祭輿に乗せられたのを最後に見て、視線を切った。
ひとまず西へ行こう。
東南から桜国シンラに入ってきたから、次は西だ。
北は山岳地帯が険しいと前の国で聞いた。
そろそろ地図でも買っておこうかと思いながら、俺はメウセリアの悲鳴を凱旋歌にして、西へ駆ける足を速めた。
いやあ、本当に今日は運が良かったな。
◆◆◆
桜国シンラの街中を横断するように駆けている最中、昼であるのに艶めかしい色合いの術式灯が光る地域に踏み込んだ。
どうやら娼館通りらしい。
いつのまにやら通りを歩く者の性別が男ばかりになって、ついでに子供の姿も見なくなっていた。
そこは男の夢が詰まった通りである。
娼館の表では、昼から客引きの美女たちが甘い声をあげていた。
夜の予約取りだろうか。
一本角を生やした鬼人族の美女たちが多い。
角こそ生えているが、それ以外は標準人種と言われる〈純人族〉となんら変わらない。
しっとりした黒髪と、珠のように美しい白い肌。
前世の母国にあったような和風の着物に身を包んで、そのはだけた胸元から今にも零れ落ちそうな乳房を見せつけている。
――で、でかいっ……!
思わず足が止まった。
――い、一日くらいなら滞在も……。
桜国では十五で成人というし、俺の年齢で大人の遊びに耽るのもなんら問題はないだろう。
爺さんの家を飛び出てから、酒も飲まなければこういう大人の遊びに耽ったこともない。
――ド、ドキドキする。
なるほど、前の国で出来た友人がよく『おっぱいは正義だ!』と叫んでいたが、たしかに、おっぱいは正義だな。間違いない。
俺も正義だとは思っていたが、ここにきてその思いが強くなったよ、相棒。
行くか、今こそ行くべきなのか……!
「いたぞ! あそこだ! 桜国令嬢が『あっちの方がいい』なんていうから……! まったく手が掛かる!」
行くべきではない。
逃げるべきだ。
後ろを振り向くと、またもや桜国騎士たちが走ってきていた。
着物の上に軽めの防具をつけて、こちらに走ってきている。
その新しいファッションに思わず目を見張りたくなるが、今はそれをやめてすぐに逃げるべきだろう。
「なんで俺なんだ……!」
メウはお気に召さなかったらしい。
まったくしつこいやつらだ。
くそう! 俺の桃源郷がっ!
ああっ……角っ娘の美女が……! ついでに狐耳の美女がっ……!
俺はこっちに楽しげに手を振ってくる艶やかな美女たちに名残惜しい視線を向けて、また走り出した。
桜国の娼館をきっと覚えておこう。
心に強く刻んだ。
◆◆◆
「ねー、子猫ちゃーん、僕と一緒に昼下がりのイケナイ遊びに耽らなーい?」
次に俺の目に留まったのは、桜国の民家の裏路地で壁を背負う幼気な狐耳少女に迫っている優男だった。
なんだよ、娼館に入れなかった俺に対する当てつけかっ!
なんで目に留まったかっていうと、「やめてください! 大声出しますよ!」って声が俺の耳に入ったからだ。すげえビクっとした。それもう大声出しちゃってる。
これもう電車とかで言われたら大声じゃなくてもアウトだよね。
「いいじゃんいいじゃん、俺、結構顔良いと思うんだけど」
ああ、顔は確かに良いな。イケメンだ。ちっ、絶滅しねえかな。内部からパーンって破裂するとかでもいいよ。
「顔とか関係ないですから。あなたみたいなチャラチャラした人、私嫌いです」
いけいけ、もっと言ってやれ。
いつの間にか俺は裏路地の片隅から頭だけ出して、その趨勢を観察してしまっていた。
桜国騎士団もある程度振り切ったし、ちょっと余裕がある。
「人を見かけで判断するのはよくないなぁ」
「第一印象って大事ですよ。それでは、私は急いでいるのでこれで」
お、淡々と逃げた。美少女なだけあって結構カラまれ慣れてるのかな。
「だーめ。俺自分が狙った獲物は仕留めないと気が済まないんだよねぇ」
すでに仕留めそこなってるじゃねえか。冷静にスリーアウトだろ。チェンジだ、チェンジ。
俺が隅っこで格好よくアウトポーズを取っていると、優男の方がやや強引に少女に迫ろうとしていた。
少女の腕を掴んで、無理やりに抱き寄せる。
少女がとっさに悲鳴をあげようとするが、口を塞がれ、音は籠った。
――ベタな展開だぜ。
それだけに、放っておくのもなんだかバツが悪い。
俺はなけなしの正義感を胸に、一つ決心をして、近場に落ちていた小さな石を拾った。
それを男に当たらないように気を付けながら、
「へい! カッコイイ兄ちゃん! キャッチボールしようぜ! ――まずは三百キロのストレートからな」
思いっきり投げた。
シュ、と俺の腕が風を切る音が鳴り、握られていた石はカタパルトから発射されたミサイルのように、「ズオオ」とか「ズアア」とかそんな擬態音を纏ってかっ飛んだ。
「へ?」
優男が俺の声に気付いてこちらを振り向いた瞬間に、優男の顔横を石ころが凄まじい勢いで飛んでいき、そのまま裏路地の物置らしき木造小屋を突き抜けて、彼方へ飛んで行った。
――や、やべえ……力入り過ぎた……! 物損事故やっちまった……! こんなつもりじゃなかったのに……!
ズゴン、メキィ、と嫌な音が鳴った。
木造物置小屋にぽっかりと石ころが貫通した吹き抜け穴が生まれてしまっている。
「ふ、ふわあああ……」
優男がその自分の後ろにあった物置小屋の方を振り向いて、投げられた石ころの威力を如実に語るその吹き抜け穴を見つつ、力の抜けるような声を口から漏らしている。
「ふわあああ……ど、どうしよう……」
俺の口からもそんな声が出た。
やべえよ、これ弁償とかかな。でも倒れてないからセーフだよね?
自分で言ってて明らかに基準おかしいけど自己暗示って大事。
「お、お前のせいな!」
「えっ!?」
イケメンに罪をなすりつけることにした。
最低? 違うな、策士と呼べ。
――そもそもお前がそこで無理やり気味のナンパなんてしてなければっ!
「じゃっ! ナンパもほどほどになっ! 数撃ちゃ当たるって!」
お前イケメンなんだから大丈夫だよ。無理やりはやめような。
俺はそんな言葉を残して逃走した。
ちょうど表街路の向こう側からまたぞろぞろと桜国騎士の姿が出てきたし、タイミングばっちりだな。
俺は裏路地で何も見なかったし、何もしなかった。
物置小屋が何かに貫通されたのは、きっとこの世界の神様が悪戯したのさ。まったく、許せないやつだ。
◆◆◆
どれほど走ったろうか。
桜の並木道を猛速度で過ぎ去って、ついに前方奥の方に桜国シンラの西側国門を発見する。
――でかい。
でかいうえに装飾過多だ。
桜国に来てから『でかい』ってすげえ言ってる気がする。
それにしても、これが観光産業で栄えた国の広告力であろうか。
あれだけの量の黒檀をどこから持ってきたのだ、と嘆息を込めて言いたくなる黒檀の門がまっさきに目に入った。
造形は鳥居だ。
日本の神道における鳥居と違って、神域と俗界を隔てているというわけではなさそうだが、まあ、国内と国外を隔てるのにはそれらしく立派である。
その高さたるや十階建てのマンションを見上げるかのごときで、天辺を見上げると首が痛くなってくる。
鳥居の脚は丸々として太く、大きな魔獣が数十体で体当たりしても壊れなさそうな堅牢さを呈していた。
門の近場は一際盛況だった。
旅人目当ての屋台や土産屋が数多く立ち並んでいる。
――やっぱりちょっと、懐かしいな。
スケールはいかにもファンタジックな感じであるが、雰囲気は日本のそれと似ている。
涼やかな風が柳を揺らし、小川のせせらぎに耳を傾ければ、心穏やかになる。
そんなことを思いながらも、長居が危険であることを再度自分に言い聞かせ、国門への一歩を踏んだ。
直後。
背後から思わぬ声がやってくる。
『ちょっと! そこのあんた!』
音の先端が自分に向いているような気がするが、ここまできて面倒事も嫌なので、無視して歩を進める。
いやだいやだ。まったくもう、声音に気の強さが表れてるもの。
『ちょ、ちょっと! 無視しないでよ! ねえってば!』
くっそお、余計に自分にそれが向けられていることに気付いてしまったではないか。
いいや、まだ可能性はある。
ほら、俺の周りの人たちも目を伏せて「俺じゃない、俺じゃない」みたいな感じで通り過ぎていっている。
俺もそれに倣おう。
『あんたよ! 黒髪の!』
馬鹿を言え。黒髪なら鬼人族だってそうだ。そこらへんにいるじゃないか。なんて形容が下手なやつだ。
桜国において黒髪をヒントにするなど、馬鹿の極みである。――あ、でも国門付近は旅人が多くてあんまり黒髪いないかも……。
『うっ、うぇっ、なんで振り向いてくれないのぉ……』
いきなり泣き出しやがった。情緒不安定だな。
くそ、女の泣き落としは卑怯だ。
それが自分でないと信じていても、とりあえず「何事か」と視線を向けてしまうではないか。
振り向く。
「――はあ……」
俺の眼前に、どでかいバックパックを背負った『金髪の少女』が立っていた。