42話 「神庭協団へようこそ」
〈紅茶亭〉に戻ると、シャルルが入口で待っていた。迷宮都市に来て何度か見た光景だ。
「エイラさん!」
そしてこちらにぴょんぴょん飛び跳ねるようにしながら走り寄ってくるシャルルの姿も、見慣れたものだ。
「あの時は本当に――」
感極まったように潤んだ目で見上げてくるシャルルに、俺も少し戸惑った。
たとえうれし泣きでも、女の子に泣かれるのは苦手だ。どう対応していいか分からなくなる。
「シャルルのおかげで大変動が災厄じゃなくなったんだ。だから、俺も助かったんだよ」
ジャンヌはおそらく災厄教団による災厄の早起こしの匂いを嗅ぎつけていた。
あの時の災厄協団の黒衣の話中に、『匂わせなければ』という言葉が混じっていたのをいまさら思い出したのだ。
おそらく奴らは英雄が災厄の前兆を嗅ぎつける、ということに確信を持っている。
俺もおかげさまで今回それに確信を抱いたが、どうにもきな臭さは消えないままだ。
ともあれ、今回は災厄を防げた。
だからジャンヌも特段に何もせずここを離れられたのだろう。
奔走してくれたシャルルのおかげだ。
「みんな感謝していたよ。身を挺して探索者達を助けてくれたって。他の探索団の人たちも紅茶亭に挨拶に来てた」
「あ、は、はい。起きたらいろんな人に迫られて――」
なるほど、すでに知っていたか。
「それで、例の迷宮都市の災厄解決のための集団に、ボクも加入することになって――ぜひ入ってくれって」
「おー、いいじゃん。シャルルが手伝ってくれるっていうなら俺も大歓迎だよ」
シャルル自身が無理をしないという前提でな。
「それで、エイラさんとの付き合いもあるし、その、ボクが神庭協団との協同担当ということに――」
なかなかやり手だな、大探索団のリーダー。手が早い。
シャルルはもじもじしながら俺の方を上目づかいで見てきている。
なにを求めているのだろうか。
「あの、本当にボクでいいのでしょうか」
「やってくれるっていうなら、シャルル以上の適任はいないと思うな」
「それはエイラさん的にボクを求めてくれてるってことでしょうか?」
ん? まあ、そういうことになるだろうか。
他のやつよりはシャルルの方がいいな。
「そうだね」
「本当ですか!?」
シャルルの顔がパァっと明るくなって、ずいとこちらに一歩迫ってくる。
「う、うん、ホントホント」
「分かりました! じゃあ頑張ります!」
じゃあ? ――まあいいや。やる気ならよしとしよう。
「なら協同在籍って感じでいっか。たぶんエリオットに言えばその辺やりくりしてくれるだろう。あ、でも〈神庭協団〉の名前がシャルルにとって不利益になる時は、知らんふりしてもいいからね」
逆にこれからの動向によっては――たとえば名前に箔がつけば――シャルルにとっての盾になってくれる可能性もある。その時は好きに使って欲しい。
例の略奪者関連なんてのには、もしかしたら効くかもしれない。
「大丈夫です!」
「ん、そうか。たぶんエリオット――今〈神庭協団〉で中心になってるやつ――がいろいろ指示してくれるだろうから、そしたら他の探索団と協力してサリューンから災厄を遠ざけてくれ。それだけで十分だ。もし何かあったら郵便屋を使って水国の国王に手紙出せば反応してくれると思う」
「国王!?」
「大丈夫大丈夫、秘密のルートがあるから」
幼心がくすぐられますよね、秘密のルートって。
「その辺も今から教えるよ。中に例のリーダーいる?」
気付けば時分は夜に差し掛かろうとしている。
まだどたばたは完全に収まったわけでもないし、探索団との相談もしなければならない。
さて、一気に済ませてしまおう。
そういえば、ヴィルヘルムはもう迷宮から抜け出して、もうあの大山にいるのだろうか。
もしそうなら――もう少し待っていてほしい。
そんなことを考えていたら、
「うわっ! 今空から咆哮聞こえませんでした!? 竜族の咆哮じゃないでしょうか!?」
ホントごめん、ヴィルヘルム。
俺の耳をも確かに穿った咆哮を聞いて、その咆哮に器用にも寂しさが込められていたのを察して、俺は少し急ぐ決心をした。
意外とあいつ寂しがり屋なんだな。
長いこと迷宮に潜ってたくせに。
◆◆◆
リーダーにエリオット直通の郵便ルートを教えた。ある程度使ったら捨てるルートだから、もし不都合があればエリオットの方でまた作り直すだろう。シャルルだけに教えようとも思ったが、そうするとシャルルの荷が増える。
リーダーは実際信用できそうな好漢であったし、シャルルが信用しているというから、ひとまずそれでよしとした。
神庭協団、迷宮都市サリューン支部、そんな感じになるようだが、まあその辺は彼らに任せよう。
迷宮都市のことはここに住む彼らが決めればいい。
迷宮協団を運営している商会や商団との意見のすり合わせもある。
その辺は彼らの手腕に期待だ。
◆◆◆
「はー、疲れたー」
一日でいろんなことがあった。
今は乗り切れたことに安堵する。さすがに俺も疲れた。
俺は宿の自室のベッドに身を投げ出して、大きく伸びをした。
すると、そのまま眠ってしまおうかという時に、自室の扉がノックされる。
「どうぞー」
適当に答えると、
「入るわね」
イゾルデが扉の向こうから現れた。
髪をタオルで拭きながら、湯気の走る身体を薄着で隠し、俺の部屋にやってくるイゾルデ。
しっとりした金髪が顔に垂れていて、艶やかさを助長させる。そして石鹸の良い匂いがする。
「どうかした?」
俺は平常心を意識して保ちつつ、イゾルデに問いかけた。
ベッドから立ち上がって、部屋の椅子をイゾルデの前に差し出す。
イゾルデは「ありがと」と小さく礼をいってそこに座った。
俺はベッドの上に胡坐をかいて、イゾルデに向き直る。
「あんたが迷宮に行ってる間に災厄の情報集めておいたわ」
「お、本当? 何かあった?」
「ええ、いくつか。一番きな臭いのは――〈樹国〉の話ね」
「樹国?」
聞いたことがない国だ。――いや、そういえば昔ヴァネッサから聞いたことがある。
「樹上に人が住んでいる国よ。精霊系種族の樹精が多く住んでるところ。まあ、人族も普通に住んでるらしいけど」
そうだ、そんな話を聞いた。
ヴァネッサが『樹精って文字のまんまに読むと受精みたいでちょっと淫靡だわねえ、生物的に。うふふ』とかわけわからん狂人ワードを放っていたのが思い出される。
のほほんとしていつも笑っているヴァネッサだが、言ってることはやっぱりおかしい。
「樹国が家を建てたりするのに、一番頼っている芯とも言える樹が、天を衝くほど高く太い〈世界樹〉って言う樹らしいのだけど、その世界樹が最近傾いてきているらしいの」
「え? それまずくない?」
「だからそう言ってるじゃない」
世界樹が倒れたら樹国は滅びるのだろう。
世界樹を頼りに樹上に都市国家を造っているくらいだから、そうなるだろうとの予測はある。
世界樹か。
――そういえばヴァネッサは『あんな太いの見たことないわぁ』といっていたな。
太い樹だな。お前が言うともう意図的に略しているんじゃないかと思えてくるから勘弁してほしい。
複数のそういう樹がさらに絡まり合って、強靭な大樹になっているらしいところまでは思い出された。
「原因は探っている最中らしいわ。街で樹国出身の樹精に会って、いろいろ話が聞けた。他にも青月教と赤月教の宗教対立とか、他の地方の話も聞いたけれど、たぶん一番切迫してるのは樹国の情勢ね」
「樹国か……国家が全部落ちるのはまずいな。誰がどう見たって超規模の災厄だ」
「まだ落ちるって決まったわけじゃないけど、でも実際にそうなったら一番大きくなるのはそれね」
一番大きい。
となれば、英雄は来てしまうだろう。
加えて世界樹が倒れでもしたら、さすがの英雄も民を救うのに命を燃やす必要が生まれるかもしれない。
――あり得る。民を救って自分は大樹に押し潰され――なんてベタな展開。
「そんなベタにいくかよ」と思うが、いくのだ。
ある程度を見捨てる冷血さがあれば分からないが、一人でも倒れる世界樹の下に民がいれば、たぶん英雄は飛びこむ。
自分の意志か、それとも世界の意志か。明確な判断はできない。
でも助けに入るだろうことは分かる。
「んー……」
青月教と赤月教の宗教対立も話だけは聞いたことがある。
加えて、大変動の時に助けた少女の戦争という単語も気になる。
だが、イゾルデが集めてくれた情報を加味すると一番気になるのは樹国だ。
となると、次は樹国に行先を定めようか。
「樹国ってサリューンからどっち方面だっけ?」
「西よ。また西ね。山と森を越えなきゃいけないけど、とてつもなく遠いってわけじゃないわ」
なるほど。
「それじゃ、ひとまず樹国に行くとしよう。ヴィルヘルムにも話を聞いた後、もっと切迫する話があったらまた考えるとするか」
「ヴィルヘルム?」
イゾルデが首を傾げる。そういえばまだ話していなかったか。
――「迷宮に天竜がいました」なんていって信じるだろうか。懐疑的な視線を向けられる気がする。
いっそ黙っていて驚かせてみようか。
別に説明が面倒なわけじゃない。うん。
「ああ、友人――みたいなもんさ。サリューンのはずれの大山で待ち合わせしてるんだ。明日にでも行ってみよう」
「ふーん」
サリューンの情勢はひとまず安定した。
大変動は乗り切ったし、次の大変動もこのまま迷宮関連が整備されれば大丈夫だろう。
例の変動石とやらも、大変動が数日に迫っている状況で、大変動を『促す』ための石だと言っていた。
災厄教団の奴らがぺらぺらと喋ってくれたのは大きい。
まったくの油断はできないが、その辺はシャルルたちにも伝えておけばひとまず大丈夫だろうと思う。
「じゃ、明日には出発かしら」
「そうだね。準備さえ整えば、これ以上ゆっくりしている必要もないだろう」
「シャルルと離れるのはちょっと寂しいわね」
「――そうだね」
でも、今生の別れってわけじゃない。
シャルルは神庭協団の団員になったわけだし、またすぐ会えるだろう。
「ハクロウにも言っておくわ。――今日はさすがのあんたも疲れただろうから、ゆっくり休みなさいよ」
「オッケーオッケー」
手をひらひらと振って答えた。
「それじゃ、おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
席を立って踵を返すイゾルデを、俺は笑みで見送った。




