41話 「今生の別れにはさせない」
「うまいなこれ! エイラ! そっちの青いのも味見させてくれ!」
「お、おまっ、一気に取り過ぎだろ!」
俺たちは例の芋虫大好きな飯屋のオープンテラスに座っていた。
俺、イゾルデ、ジャンヌ、メウセリア。ハクロウは椅子に座れないから――本人曰く『いけるけど不便』――地面に伏せってがつがつ芋虫を頬張っている。
今日の芋虫は黄緑だ。
すげえな、何種類あるんだよ。
俺は青光芋虫を頼んで、ジャンヌには前に食べた赤光芋虫を薦めた。
青光芋虫は赤よりもスッキリな後味。脂身少な目。のど越しスッキリ。
うまいよ。迷宮で散々見たからもう見た目にも慣れてきた。
俺はジャンヌの箸から我が芋虫を守りながら、隣でフォークをぷるぷるさせているイゾルデを横目に見る。
イゾルデが頼んだのは節足系だ。
『タムワン』とかいう名前だけ聞くとちょっと動物系でオッケオッケじゃん?
って思ってたんだが、どうやら〈多脚芋虫〉らしい。
なに? なんなの? 迷宮都市の芋虫のレパートリーおかしくない?
――ヒュー、最高にグロテスクだぜ。
「なんで……なんで私ばっかりこんな……」
「新しさにかまけた罰さ」
「刺すわよ」
こっちにフォーク向けるのやめてください。
「脚だけ食ってみれば? これ芋虫に脚ついてるっていう全体像がヤバイのであって、脚だけ切ってみればカニみたいじゃん」
「た、確かに……でも全体像見ちゃってるからなぁ……」
と、そこへ横からジャンヌが身を乗り出してきて、
「なんだイゾルデ、食わないのか? なら私に味見させてくれ!」
ジャンヌはまるで物怖じしない。
まあ命綱なしで俺の背中に掴まって天空崖登るくらいだから、もう大体のことには物怖じしないだろう。ついでに食も太い。よく食べる。
ジャンヌは箸を器用に使ってひょいと〈多脚芋虫〉を拾い上げ、尻側からガッツリ行った。
すげえ、すげえよ。
俺とメウセリアは思わず「う、うわぁ……」って声をあげてしまっている。
「うまいな! これもうまいぞ!」
バリボリ言いながらジャンヌが言った。
まあ、うまいことは分かる。
シャルルがオススメするだけあってこの飯屋は味的には当たりだ。
だがもうちょっと見た目に工夫は出来なかったのかと問いたい。
盛り付けがダイナミック過ぎる。
味は絶妙だが――なんて言おう……。
もうホント、せめて四分割とかにしてほしい。まるごとってすごいよね。
「で、エイラ、お前はこれからどうするんだ? というかお前の旅の目的をまだ明確には聞いていないぞ」
ジャンヌが脚を頬張りながら言ってきた。
「そうだね」
あえて言う必要もないからな。
変に意識させるのもなんだし。
「聞かせろ。まさか言えないとは言わないよな?」
「いいけど、姉さ――ジャンヌは良い顔しないかもね」
「それでも言え」
怒らないから、とはジャンヌは言わない。
そういう曖昧なヴェールはお互いに使わない。
伊達に十数年を家族として育ってきたわけじゃない。特殊な生まれもあるし、お互いに太い――それでいて少しあっけらかんとした――信頼があるのは確かだ。
たぶん、嘘も通じない。
特にジャンヌは俺の嘘に敏感だ。
「わかったよ。怒らないでとは言わないけど――」
「怒らない努力はしよう」
こういうときは、意外と真面目なのだ。
◆◆◆
「――〈神庭協団〉か」
「兄さんいつのまにそんな大それた組織の長になってたんですか? 団長ってなんか、カッコイイ響きですね」
「ほとんどマスコットだけどな」
掻い摘んで話をすると、ジャンヌは思考に耽る仕草を見せ、メウセリアは軽い表情を浮かべていた。
「そのエリオットとかいうのは信頼できるのか?」
するとジャンヌが訊ねてくる。
「出来るよ。俺のため命まで投げ捨てようとした男だからな。まあ、少しも好奇心に寄っている面がないとは言わないけど」
「話を聞く限りその男は『優秀すぎる』というではないか。それも見越したのではないのか?」
「そこまで器用な男じゃない。いや、器用だけど、なんていうかな……友人関係という面では、直情的な奴だ」
まだジャンヌは訝しげな表情だ。
本人を目の前に話せば、きっと信じてくれるだろうとは思う。
でもジャンヌが訝しく思うのも分かるから、少し面倒だと思いつつも、
「そんなに心配なら事の経緯を話すよ」
「ああ、そうしろ。正確にな。それで判断する」
なかなか厳しい。
俺はジャンヌの言葉を受けて、ゆっくりと頭の中にあの時の出来事を思い出しながら、話を組み立てていった。
◆◆◆
「……ふむ。水国と火国か。悪政とその後の急な善政転換の話は聞いている。そんなことがあったのか。――ふーむ」
「まだ懸念があるの?」
「んー、いや、話を聞いた限り信じられるのだが――」
「いっそのこと本人たちに会いに行って来れば?」
実際、俺としてもその方がありがたい。
こうやって誘導しても、結局はどこかで大きな災厄が起こればそっちに引き寄せられていってしまうのだろうけど。
でも、それでも、これは俺にできることだから、やっておこう。
水国と火国であれば今のところ情勢は快方に向かっているし、災厄の種もエリオットとグスタフが特に注意しているから、災厄の花が咲くこともそうないであろう。
ジャンヌにはそちらに行ってもらって、可能な限り安全な日々を送ってほしい。
「――分かった。そうする」
よほどエリオットとグスタフのことが気になるようだ。俺としてはジャンヌが俺の誘導に乗ってくれたから、ひとまず良しとしよう。
「ならすぐに行こう。じっとしていられん」
「いってらっしゃい」
口からタムワンの脚飛び出させて、もしゃもしゃしながら歩くのはやめてね。
「エイラは行かないのか!?」
俺が言うと、ジャンヌが身を乗り出してきた。美麗な顔が間近に迫って、その口から飛び出たタムワンの脚が俺の目に刺さる。――いってえ……!!
「俺の話聞いてた? 俺はここで情報集めてから次の災厄が起こりそうなところに向かうから、あえて災厄が起こらなそうな水国と火国に行くのは嫌だよ」
「えー」
「えー、じゃない」
「むー」
『えむ? えむとは被虐嗜好を指す通称でござるな!? ジャンヌ殿はえむでござるか!?』
犬っころは黙ってろ。あとなんでそんな語意を知ってるんだよ。そんなところで前世との類似性に感激したくなかったよ。
「ぬー……分かった。じゃあ……エイラとはここで一旦別れか」
ジャンヌならこっちについてきてしまいそうであったが、どうやら今回はエリオットたちへの監査欲求が勝ったらしい。
ジャンヌはまた椅子に座り直して、口元を拭いた後、俺にまっすぐな視線を向けた。
「エイラ。お前の想いを知っていてあえて言う。――無理はするなよ。無理は――しなくていいからな」
ジャンヌの目に心配げな色が映った。
「お前は死んでも生き返らないだろう。お前は転生者だが、普通の転生者ではない。たぶん、死霊転生にも引っかからないと思う。これは私の勘だが、一方で〈超越格〉の影響も考慮している。だから、お前は死んだらそこでおしまいだ」
そうだな。そうかもしれない。いや、そうだろう。二度も都合よく転生することは……ないだろうな。
たったの一度でも、きっと奇跡だ。爺さんの紡いだ縁が、俺の魂に引っかかった。
一体どれほどの確立であったのだろうか。
「いいか。お前は怒るかもしれないが――これもあえて言う。『私たちは死んでも転生する』。次も、また次も。もちろん思い出は継がないだろう。だから次の私は厳密には私ではない。でも、それでも、私という存在が継がれるのは確かだ」
……。
「私はお前が何より大切だ。家族として、弟として、そして――その……あ、あの……お、お……いやなんでもない」
なんだよ。
メウセリアが『なんで肝心な時にダメなんですか?』って言ってる。
お前らだけで通じる会話やめろって。俺仲間外れにされたみたいじゃん!
すでに世界レベルで仲間はずれなんだからさ!
「んん。まあ、ともかくだ。――無理はするなよ。何かあったら私を呼べ。心の中で『ジャンヌ愛してる』と三回叫べ。ああ、声に出してもいいぞ。そしたら颯爽と助けに行ってやる」
絶対言うものか。
「だから、ほら、私の胸の中にっ……!」
なんで!? 絶対途中のやり取りかなりすっ飛ばしてるよね!? お前の頭の中でどんなやり取りがあったんだよ!!
「一体何事が……」
ほら、ハクロウでさえヒき気味じゃねえか。この犬っころにヒかれるってかなりすごいぞ。
やめろ、俺の兄弟がみんなヤバいやつだと思われるからやめろ。
「お前が来ないなら私から行く!」
ヘッドロックはやめて。――あっ! くっそ! 動き速すぎるだろ!
神速の一歩で俺に詰め寄ってきたジャンヌが、俺の頭を胸に抱きかかえた。もう何度目だろうか。
ジャンヌが貧弱だった頃からこうであったから、抱き着かれることには慣れているのだが――久々ということもあって、こう何度もやられると少し恥ずかしくなってくる。
――はあ。しかしそろそろ頭蓋が。
「窒息する」
いつのまにやらジャンヌが立ち位置を変えて、真正面から俺の顔を胸に抱いている。
後頭部を腕でがっちり押さえられていて、まるで抜けない。
真正面から胸に抱かれているせいか、ぐにぐにと柔らかく、それでいて適度な反発弾力のある双丘が顔面を覆いつくしていて、甘く澄んだ匂いと共に口元と鼻を圧迫してくる。
「いいぞ! 私に溺れろ!」
天才的な返しだな。まったく俺の生命が案じられていない。
「どうだ、私のおっぱいも昔と比べて大きくなったろう? お前はいつもヴァネッサのおっぱいを見ていたからな。昔は悔しかったが、今なら勝負できるぞ!」
誤解だ。男なら誰だって見る。俺に限ったことじゃない。
我が姉妹内での圧倒的カースト上位者だ。
――ほら、メウセリアもモジモジしてるじゃねえか。
俺はなんとかジャンヌの胸の中で頭を捻って、片目にメウセリアのもじもじする姿を捉えた。
「ヴァネッサは垂らしこむからな。だからダメだ。エイラは私のおっぱいに溺れるのが一番だ」
「そろそろ自分の言語能力が破綻してることに気付け」
ようやっと緩まった拘束を解いて、ジャンヌから離れる。
「なんだ、気に入らないのか?」
ジャンヌが潤んだ上目づかいで俺を見てくる。大体の男ならイチコロだと思う。ただし俺を除く。
「おっぱいカースト的には序列第二位だな。まだヴァネッサが君臨者であるだろう」
まあ、二位でも圧倒的な魅惑のボディであることは認める。
すれ違いざまにその辺の男を振り向かせるどころか、すれ違いでオとすくらいならできるかもしれない。
傾国兵器にもなれるだろう。目指せ、ファム・ファタール。
ちなみに〈ヴァネッサ〉というのはジャンヌと同い年の俺の姉で、同じく俺にとっての長姉のようなものである。
二人は生まれた月も同じで、どちらが年上年下かというと、一概にどうこう言えない。
ジャンヌとヴァネッサの間で小さなころに取り決めがあって、結果的にジャンヌが長姉、ということになったが、二人は年齢的にも姉妹内権力的にも対等だ。
そんなヴァネッサは、素で傾国の美女を行く女である。
おっぱいカースト君臨者。
魔性の女という言葉はヴァネッサのためにあるようなものだ。
街中を歩いているだけで男に貢がれるらしい。何それ怖い。
「ちっ……! まだエイラの理性を破壊することはできんか……!」
ジャンヌが悔しげに悪態をついた。
コイツ俺に何させようとしてんだよ。
「――近場にイゾルデもいるからな。油断ならん!」
「えっ!? 急に私!?」
いきなり話を振られたイゾルデがあたふたしている。今の間にタムワンと格闘していたようだ。
結局食ったらしい。
「わ、私は別に……」
「ふーん。まあ、そういうことにしておこう。――さて、ならそろそろ行くか。本当はもっとお前の時間を奪っていたいが……それはすべてが終わってからだな」
「そうだね」
英雄転生の摂理がなくなれば、自由な時間はきっと生まれる。
まだ世界に縛られている英雄たちだけど、でもいつか、きっと。――いや、必ず。
と、ジャンヌがイゾルデに近づいて、またイゾルデの頭を撫でた。
「イゾルデ、どうかエイラを見ていてやってくれ。あまり一般人であるお前に重荷を背負わせたくないとは思うのだが、どうしても私は言ってしまう。許してくれ」
「大丈夫ですよ、ジャンヌさん」
「ジャンヌでいい。私の方が年上だが、些細な差だ。私も友人が欲しい」
「――分かった。じゃあ、ジャンヌ。大丈夫。エイラは馬鹿だから、少しもまともでいられるように見張っといてあげる。――護衛と荷物持ちを頼むから、それくらいはね。雇主としてね」
「はは、それでいい。――頼むよ」
「うん」
女同士で会話が完結している。俺が皮肉る余地はないようだ。
「あと、ハクロウ」
すると今度はハクロウに近づき、伏せっているハクロウの背を撫でた。――お前ちょっとは食べるのやめろよ。芋虫何匹目だよ。
「ぬ?」
「私も旅の途中で出来るかぎり〈黒白戦役〉の英雄の話を集めてみる。もし何か分かったら伝えよう。だからエイラの傍にいる間は、どうかエイラを助けてやってくれ」
「もちろんでござる。エイラは馬鹿でござるからな。本気で神の摂理をどうにかしようとしている馬鹿は初めて見るでござる」
くっそぉ、コイツの馬鹿形容だけはいつも看過しがたい……!
「まあ、ひねくれてそうで、実は結構真っ直ぐな馬鹿であるから、我は我で少しも好意を抱くところでござる。安心するが良い、ジャンヌ殿」
「頼む」
そうしてジャンヌが立ちあがり、そしてメウセリアも席を立った。
二人が俺の方を向いて、微笑を浮かべる。
俺もそれに応えた。
「じゃあ、身体には気をつけろよ、エイラ」
「兄さん、また次にゆっくり話しましょう。旅の途中でカッコイイ剣見つけたんですよ? その話もしたいので」
「ああ、楽しみにしてるよ。二人も気を付けてな」
そして最後に、俺はメウセリアを手招きする。
寄ってきたメウセリアの耳に向けて、俺は小さく言葉を紡いだ。
「――メウ、姉さんを頼む。忙しないだろうけど、お前が隣にいてくれると俺も安心できるから」
「うん、任せて兄さん。ジャンヌ姉さんのことは僕がちゃんと見ておくから。絶対災厄で死なせたりはしないよ」
「お前もな。死にづらいとはいっても、ちゃんと身体には気をつけろよ」
「うん」
「風邪、引くなよ」
「うん!」
「――よし!」
俺は最後にメウセリアの頭を撫でる。
メウセリアが嬉しそうな顔を浮かべたのを見て、俺も同じような表情を顔に載せた。
こっちの世界で初めて弟が出来たが、やっぱりかわいいものだ。
年はかなり近いが、メウセリアは見た目のせいもあって幾分幼く見える。
まあ、中身もそうであるだろう。死霊転生者のもう一つの特徴がそこにある。
それでも今は、メウセリアがこうしてジャンヌの傍にいてくれることを、素直に感謝しよう。
「じゃ、いってきます、兄さん。あっ、兄さんも『いってらっしゃい』」
「ああ、気を付けて。俺も『いってくるよ』」
すでにジャンヌは踵を返し、迷宮都市の東門に向けて歩み出していた。
今生の別れではないから、簡素なものだ。
絶対に、今生の別れにさせてなるものか。
たぶんジャンヌもそう思っているから、こうして最後はあっさりと行ったのだろう。
彼女のすらりとした細い背を、メウセリアがバックパックを背負ってとてとてと追って行く。
「よかったの? 結構あっさりしてたけど」
ふと俺の隣にイゾルデがやってきて、そんなことを言った。
「ああ。これで今生の別れってわけじゃない。また会えるから、いいんだ」
「――そっか」
それ以上イゾルデは何も言わなかった。
彼女は首に巻いた金糸の髪を撫でつけながら、俺の隣で去っていくジャンヌとメウセリアを見送っていた。




