39話 「奇天烈な姉と迷宮都市の奇跡」
イゾルデの綺麗な一撃が我が姉の脳天にクリーンヒットすると、それに反応して姉が俺の耳元から顔を離し、ぐるりとイゾルデの方を見る。
基本的に姉は器量広く懐深いといった感じで、さらに身体が頑丈なこともあってちょっとやそっとのちょっかいでは怒ったりはしない。
対外的には気品ある態度を取るという話であるし――俺もそういう態度を見たことはあるけど基本的におかしいから信じがたい――イゾルデのツッコみを受けてもなんら問題はないだろう。
当のイゾルデもとっさの行動だったようで、すぐに自分のしたことをぺこぺこして謝っている。
商人の必殺だろうか。
ごますりとぺこぺこを合成した高度な技を繰り出している。
残像がすげえ。商人ってすげえ。
そういうわけで、俺は自分の拘束が緩まったことに安堵しつつ、姉とイゾルデの対面を観察することにした。
が、
「馬鹿……な……。お、女だと……? エイラが女を……? 嘘だッ!! 貴様はまやかしだな!!」
なに言ってんだコイツ。
……。
困った。この反応は予想していなかった。
「姉さ――」
「ジャンヌと呼べ!!」
隙がねえ。もうそう呼ぼう。
この状況でもそんな指摘を挟み込むくらいだから、これからもしつこくなるのは間違いない。
毎度毎度ツッコまれるのもアレなので、ひとまず本人の前ではそう呼ぶことに決めた。前からちょくちょくあったけど、年齢重ねてから特にひどくなった気がする。
「じゃあ、ジャンヌ」
「うん!」
なんて現金な奴なんだ。欲望に忠実過ぎるだろ。
「こっちはイゾルデって言って――」
名を呼ぶとジャンヌは俺の方を見て目を輝かせたが、再び俺がイゾルデの名をあげるとまた顔が向こうへ向いて、後ろからでも分かるほどに、身体全体から黒いオーラを発散させ始めた。
警戒心の顕れのようなものだ。露骨に身構えている。
「女か!? エイラの女か!?」
「いや違うって。一緒に旅はしてるけど」
「一緒に!? 旅っ!? ――なんで!? 私との旅は断ったのに!? ねえ! なんでだ!? エイラ!」
またジャンヌがこちらを振り向いて、今度は俺の両肩を掴んでガクガクと揺らし始めた。
忙しい奴だな。あと脳が揺れそうなので勘弁してくださいよ。
「い、いや、ちょっと、俺のせいでちょっとした事件に巻き込んじゃって……。そっからこう、成り行きで?」
説明が面倒なので多分に端折る。
「成り行き!? 成り行きで駆け落ちとかかっ!?」
その素敵な思考回路をなんとかしろ。
「違うって。何もないから。俺が護衛兼荷物持ちで、彼女は行商人。そんで、俺の手伝いもしてくれるっていうから、お互い利益があるしってことで――」
「そこに愛はないな!?」
俺に訊くなよ。
なんで俺ばっかりに訊くんだよ。
ふと見ると、どうもジャンヌはイゾルデをチラチラ窺っているが、それでいて声を掛けづらそうにしている。
引け目を感じてるかのような様相だ。
チラチラ見たあとに『くっ!』とか悔しげに息を吐いている。
なんだよ。イゾルデに何を見たんだよ。
「あ、あの……」
ついに、イゾルデの方が耐えきれないと言わんばかりにジャンヌに一歩近づく。
ジャンヌはその気配を察知すると、しゅばば、と服を擦る音を盛大に鳴らしながら、両手を前に構えて臨戦態勢を取った。――いい加減にしなさい。
「敵か……? 私の敵だな……? エイラを取ろうとしているな……?」
「えっ、い、いや……そんなつもりは……」
「本当だな!」
「は、はい」
「……よし、分かった。なら許す。そうと分かればエイラの目的に助力してくれているというし、私の友だな!」
ホント黙ってれば完全無欠なんだけどなあ……。
この思考回路といい、確実にどうかしてるんだよなあ。
ふとメウセリアを見たら、なぜかメウセリアが恥ずかしそうに頭を抱えていた。
気持ちは分かる。
分かるが、そろそろ慣れよう、メウ。
お前がジャンヌの付き人になったのは天命であったのだ。
神を恨め。
俺が作った『あみだくじ』は恨むんじゃない。
右端を選んだお前の失敗だ。
「は、はあ。――私イゾルデって言います。実はエイラから〈英雄〉の話は聞いてて……その……」
「おお、そうか。ならエイラ自身の話も聞いているか?」
「――はい。あと、お兄さんの話も」
「……そうか」
ジャンヌはイゾルデに歩み寄り、優しげな微笑を浮かべた。完璧だ。完全無欠の微笑で美笑だ。
そしてイゾルデに歩み寄ったジャンヌは、イゾルデの頭に手を伸ばし、優しくその頭を撫で始めた。
「それでもなおエイラについていてくれるのは私も嬉しい。私たちは飛び抜けた力を持っているがゆえに、やはり常人に恐れられることも多いからな。だから、エイラの正体を知ってなお、エイラの傍にいてくれることに、私からも感謝を述べよう」
「あっ、い、いえ」
イゾルデの頬が上気している。
……知っているぞ。ジャンヌは女でありながら凛々しい空気を放っているから、同性にも好かれるのだ。
イゾルデもそれに当てられたらしい。大人しく頭を撫でられている。
俺といる時は結構厳しいツッコミしたりするのに、借りてきた猫のようだ。
「だがエイラはやらないからな」
「えっ――えっ?」
「いやなんでもない」
そういってジャンヌはついにイゾルデの頭から手を離し、また俺の方を向いて言った。
「よし! ならまずは飯だな!」
すげえ神経してやがる。
「まあ待て。ちょっと大変動の状況を知りたいから、まずは他の迷宮口の話も聞いてからだ」
俺がシャルルを救出したあと、地層の揺れはピタリと収まった。
どうやらあれで一旦収束したらしい。
しかし、他にも迷宮口はあるので、そちらの情報も欲しいところだ。
たぶんシャルルの探索団に所属する探索者達が教えてくれるだろうとの予測もあるが、ひとまずマルスさんのところへ戻ろうか。
シャルルをちゃんとしたベッドに寝かしてやりたいというのもある。
「んじゃ、まずは〈紅茶亭〉に戻って、マルスさんに無事を報せよう。ついでにマルスさん経由でシャルルの探索団の探索者を集めてもらって、情報を統合したいな」
「そうね、それがいいわ」
イゾルデの頷きももらった。
「んー? どっか行くのかー?」
ジャンヌだけ首を傾げて訊ねてくるので、
「俺たちが泊まってる宿さ」
「はっ! お前ら同じ宿か!! まさか――」
もう置いていってもいいかな。
わりと真面目にそう思った。
◆◆◆
俺たちが〈紅茶亭〉に戻ると、またいつかのようにマルスさんが駆け寄ってきた。
焦っている顔もまたイケメンである。
「ご無事ですかッ! エイラさん!」
肩をガっと掴まれて、迫真の表情で言われる。近い近い。
でもひとまず、それを言うより先にマルスさんに言っておくことがあった。
「シャルルも無事ですよ」
「っ! よ、よかった……! 本当に……!」
俺の肩に手を掛けながら、マルスさんは顔を下に向け、安堵の息を吐いていた。
「すでに他の仲間たちが情報を伝えるために広間に集まってきています。いきなりの大変動でしたので、まだ混乱があって。ぜひ加わってください」
「助かります」
そう告げられて、俺はすぐに紅茶亭の広間に向かった。
◆◆◆
情報を統合した結果、俺たちにとって嬉しい事実が判明した。
「――奇跡だ」
広間の椅子に座っていた探索者の一人が、そんな声をあげた。
そしてその声に他の者たちも頷きを返す。
「犠牲者がいなかったなんて、いつぶりだろうか」
あの予定より早めに襲来した迷宮大変動で死んだ者は『いなかった』。
迷宮協団の受付嬢たちによって、誰がいつ迷宮に潜ったかは記録されている。
それが今回の安否確認のために非常に役立った。やはりあの手続きには大きな意味があった。
その記録表によって、潜ったままの探索者がいないことが分かったのだ。
全員迷宮から出た時のチェックを通過している。
精確には、あの騒動の直後はどたばたしていたので手続きも曖昧だったが、そのあとに迷宮協団支部が総出で安否の確認に奔走したらしい。
そうして改めて確認して、全員の安否が確認されたのだ。
まさしく奇跡だと、探索者をしてそんな声があがっていた。
「エイラさんがシャルルを助けてくれて本当に良かった」
彼らにそういわれ、何度も言われているだけにそろそろ恥ずかしくなる。
シャルルはまだ〈紅茶亭〉の二階で寝ている。穏やかな顔で寝ているのを見て、俺も安堵した。
「そういえばエイラさん、あの時あずかった少女なんだけど――」
すると、俺が西口から出た直後にあの少女を預けた探索者が声をあげた。
そういえば、あの子はどうしたのだろうか。この場には姿が見られない。
「うん、あの子は?」
「それが、あの後ひとまず紅茶亭に連れてこようと思ったら、途中でえらい数の騎士格好の人たちに囲まれて、少女も『私の友人です』って言うから、そのまま渡しちまったんだけど……。いや、疑わしかったら渋ってやろうとも思ったんだけど、どうにも本当っぽくて。礼をするから貴国に来たらぜひ城に来てくれって」
「そういや貴国の貴族っぽいことは言ってたな。たぶん本当だと思うけど」
「そっか。あとあの子に『私を助けてくださった方のお名前を教えてくださいませんか?』って言われたから、エイラさんの名前を伝えておいたよ」
ふむ。まあ、名前を教えたところでどうこうという話ではないし、別にかまわない。
同様に、貴国に褒賞をもらいに行く気も今のところはないから、特段に気にする必要もないだろう。
戦争というフレーズを聞いているだけに、まったくこれから貴国に向かわないとは言い切れないが、貴国の情報がないからまだなんとも、というところだ。
あとは――
「うん、分かった。あと、俺からちょっと訊きたいんだけど――〈災厄教団〉って知ってる?」
あの少女を攫っていた奴ら。〈災厄教団〉という物騒な名を聞いたが、深い事情は分からない。
少しでも情報が欲しいので、俺は彼らにそう訊ねた。
「いやあ、聞いたことないなあ」
しかし、返ってきた言葉はどれもが不知を表していた。
ふと広間の壁に背を預けて立っているジャンヌの方を見ると、同じく首を傾げている。
災厄というからに英雄との接触もあったのではと思ったが、ジャンヌをして知らぬようだ。
となると活動し始めたのが最近という可能性がある。
ともあれ、〈災厄教団〉はかなり俺の胸に引っかかっていた。
あの会話で奴らが何を目的にしているのか、よりミクロなレベルで、一端を知った。
災厄を起こそうとしている。
そのあとに何をしようとしているのか。
広い観点ではいまだ答えを知らないが、奴らの災厄を積極的に起こそうとする理念は、俺の信念と真っ向から激突する。
――エリオットにも注意を促しておくか。
俺に代わって〈神庭協団〉の運営の中核を担っている友に思いを馳せながら、俺はそう決心した。
ひとまず今聞いておく情報はこれくらいだろうか。
あの銀の天竜〈ヴィルヘルム〉のこともある。
大変動のあとにサリューンのはずれの大山で待ち合わせをするという話になっていたから、遅くならないようにあとで行ってみよう。
まずはジャンヌだ。
そわそわして落ち着かない様子だから、そろそろご要望通り飯屋に行こう。
あの芋虫飯屋でいいだろうか。
実はちょっと青光芋虫の味を確かめたかったりする。
 




