37話 「聞きたくなかった声」
視界が開け、その光に向かって身体を投げ出した。
転がる込むように抜け出ると、すぐに後方で地盤ががちりとハマる音が聞こえた。
「エイラさん!!」
そんな俺を迷宮入口で迎えたのは、以前北口で一緒に迷宮を登ったシャルルの知り合いの探索者だった。
「ご無事ですか!?」
「俺は大丈夫だ。それよりこの子を――」
ひとまず抱いていた彼女をその男に任せる。
俺には気になることがあった。
「ほかの迷宮口は!」
「それなんですが、南口の迷宮口は完全に閉じてしまって……! エイラさんが西口に来ているというのでお力を貸していただけないかと私がここへ……!」
「南だな!」
「はい!」
俺はそれを聞いて一気に身を弾かせる。
階段なんか使ってる暇はない。
跳ぶ。
迷宮入口を壁を駆けるように跳び登り、南へ視線を向ける。
――間に合え……!
俺はそのまま南迷宮口へ向けて家々の屋根を跳んで行った。
◆◆◆
俺は南迷宮口にたどり着き、その階下に身を投げ出した。
眼下数十メートル。その縦穴を落ちていく。体裁など気にしている余裕はない。
着地。
やや足がしびれるが、問題ない。
「エイラッ!」
俺が着地した時、俺の目の前にいたのはイゾルデだった。
そして隣にハクロウもいる。
イゾルデは目に涙を浮かべ、足早に駆け寄ってきた。
そして――
「シャルルがまだ中に……! どうしようッ!」
なんてことだ……。
どうしてあの探索者があんなに焦燥していたのか。
大変動に人が巻き込まれたという単純な理由もあるだろう。
しかし、一番はこれだ。
シャルルが閉じ込められている。
シャルルのことだ。きっと他の探索者に避難するよう言って回って、さらにそのアシストをしたのだろう。
誰よりも最後に残って、全員がちゃんと迷宮を登りきるまで、皆の後ろで声を掛けていたのだろう。
容易にその姿が浮かぶ。
健気な少女の姿。
「入口はどこだ!!」
周囲の壁が若干変形している。
そしてまた、洞窟への入口はどこにもない。
全面が壁なのだ。
分からない。
どの方向にシャルルが閉じ込められているのか、分からない。
「エイラ! こちらからシャルルの匂いが!」
すると、ハクロウが一方向に駆けて行って、そこを前脚で掘るような仕草を見せた。
――そこか!
「どいてろ!!」
俺は夢中だった。
周りの目なんか気にしてられない。
なりふり構ってられない。
「今出してやるからな……!!」
指を岩盤に差しこみ、力を入れる。
「くっそ……ッ!!」
ビクともしない。硬い。
さっきの岩盤とはケタ違いの硬さと重さだった。
これは岩盤じゃない。
もはや地盤だ。
――破壊するしかない。
俺は即座に両手に〈赤炎〉を装填する。
有体干渉。破壊の力を込めて、地盤に触れる。
硬い。
異様な硬さだ。
この地盤はさっき砕いた岩盤とは明確に何かが違う。
――〈赤炎〉の力が『通りづらい』。
何か、赤炎の干渉を妨げる力を持ったヴェールに包まれているような、そんな感覚。
――これ……! もしかしてかなり深いところの地盤と繋がってるのか……!
感覚的に、この地盤の〈存在格〉の高さを俺は感じた。
神によって特別頑丈に作られた地盤。
もしかしたら、この星を形成する深い位置の地盤が、大変動のせいでここまで登ってきているのかもしれない。
絶対に壊れてはいけないから、一種の摂理の如く『触れざる物』として存在する深層地盤。
――この地盤は〈神格〉を纏っている可能性がある。
〈赤炎〉の破壊干渉で、どうにか両手を差しこめるくらいのひび割れは生み出せたが、それ以上動かすことができない。
「開けよ……!!」
――開け。
俺はあらん限りの力を込めて、目の前のヒビを押し広げようとした。
「――ああああああああああああッ!!」
◆◆◆
頭に血が上ってくる。
身体の中を巡る魔力が、咆哮している。
全身の筋肉が蠕動し、思い切り噛んだ奥歯がギシリと音を立てた。
わずか十数センチ。
俺が開けられた地盤の隙間。
――くそっ!!
「くそおおおおおおおおお!!」
拳を打ち付ける。
〈赤炎〉を纏った拳を打ち付ける。
一つ打つたびに打った場所から力の波動が広がって、周りの壁をビリビリと揺らす。
だのに、肝心のこの地盤は、まるで微動だにしない。
俺の焦燥に感応するようにして、赤炎がどんどん火力を増し、手から上腕へ、上腕から空に向かって、猛り狂うが如く舞い上がっていく。
いい加減にしろ。
どんだけ硬いんだ。
――全部ぶち壊すぞ。
「エイラッ!! 身体!!」
ふと、俺の耳にイゾルデの声が響いてきた。
身体? なんのことだ。
そう思って俺はようやく自分の状態に気付いた。
――やばい。
身体から『紫色の粒子』が溢れていた。
これは〈超越格〉の流体粒子だ。
「――っ!」
まずい。
夢中で気付かなかった。
青炎と赤炎を合成したわけでもないのに、超越格が現界に流出してしまっている。
神の目に留まってしまう。
「どうしろってんだ!!」
力を緩める? ――ありえない。
シャルルは中にいるんだぞ。
くそ。
くそ……!
くそッ……!!
◆◆◆
『〈紫炎〉を使え!! エイラ!!』
◆◆◆
その時、俺の耳を、『その場にいてはいけない者』の声が穿った。
俺がよく知る声。
だからこそ、ここでは絶対に聞きたくなかった声。
――ジャンヌ姉さん……!!
『構わん、やれ! エイラ!』
でも、それによってまた姉さんたちと対峙するはめになったら……
『お前は目の前の危難を見過ごす男か! 私の弟はそんな薄情なやつではないぞ!! そこで友を見捨てるくらいならば、お前はここで私に殺されてしまえ!!』
「――っ!」
――いつもそうだ。
姉さんはそうやって極論を言う。
それが俺にとっての救いで、そして罰なんだ。
「――〈紫炎〉!! 世界に干渉しろ!!」
でも今は、その声は俺の心のストッパーを解き放つのに、十分すぎる力を内包していた。
だから俺は――
右手の赤炎と、左手の青炎を――合成した。
生まれ出でるのは俺の超越格を最も多量に内包する紫の炎。
世界の事象に外部から無理やりに干渉する力。
〈絶対干渉〉の力を持つ紫炎。
俺はそれを両手に纏って、今度こそ、全力で、地盤を押し広げた。
「あああああああああああああああッ!!」
◆◆◆
紫色の炎が立ち昇る。
紫色の炎は空に昇る。そして地に染み込んでいく。
まるで揺らめく生き物の如く、俺がわずかに開いた地盤の隙間に身をすべり込ませ――
俺の感覚が同調する。
分かる。
奥にシャルルがいることも、地盤がどれくらいの大きさなのかも。
そしてその地盤を動かせることが、俺には手に取るように実感できる。
だから、押し広げた。
それまであんなにも重かった地盤が、綿でも破るかのように、左右に断裂した。
そして奥に――
「シャルル!!」
彼女の姿が見えた。
俺は開けた地盤の断裂に身をすべり込ませ、手を伸ばす。
シャルルが顔を涙でぬらしながら、俺の手を取った。引っ張り上げる。
「ハクロウ!」
「任せるでござる!」
俺は地盤に足を掛けながら、上から姿を現したハクロウにシャルルを投げ渡す。
ハクロウがシャルルの服を口でキャッチし、そのまま引っ張り出した。
その間に俺は地盤を登り――
「――っ、はあ……!」
すべてをやり切った思いと共に、息を吐いた。
◆◆◆
しかし、俺の緊張はまだ解けていなかった。
『使ってしまった』。
〈紫炎〉を。
さっき俺の耳を穿ったのは俺の姉の声。
英雄転生者たる一番上の姉の声だった。
もし今の俺の〈紫炎〉が、神の癇に障り、階段を上がったところにいるであろうジャンヌ姉さんに――俺を殺すよう命令してしまったら。
俺は予測を得てしまっていた。
なんで、ジャンヌ姉さんがここにいるか。
英雄は災厄に引き寄せられる。
災厄が起こる時に、その場に居合わせる。
今回の〈迷宮大変動〉はそこまで人が死んだわけではないはずだ。
詳しい数字は分からないが、探索団の手伝いもあったし、俺もだいぶ多くの探索者に避難勧告をすることができた。
それに、もう一つの災厄の種であるらしい『例の少女』も助けられた。
大変動は『災厄』じゃない。
なら、なんでジャンヌ姉さんがここにいるか。
別の災厄に、引き寄せられた。
――俺か。
まさか、俺なのか。
やっぱり――俺なのか……!
嫌な予感を胸に、俺は空を見上げた。
縦穴のずっと上。
燦然と日が差しこんできている。
あの上から、ジャンヌ姉さんの声が来た。
きっと上部からこの穴を見下ろして声を放ったのだろう。
しかし、ジャンヌ姉さんの姿は見えない。
首でも出してくれれば見えるのに。
だめだ、心臓が嫌に鳴る。
知りたい。ジャンヌ姉さんが今どんな状態なのか知りたい。
でも同時に、知りたくない。
階段を昇って、サリューンの街へ戻れば――
「い、行きたくない……!」
嫌だ。
――嫌だ!
ここから出たら、またミハエル兄さんみたいに……っ。
「それだけは嫌だ……!!」
俺はもう、自分の感情を止めることができなかった。




