36話 「迷宮大変動」
ひどいものだ。
洞窟の湿った空気の中を全力で疾走していた。精確には跳躍だ。
壁を蹴って、次の曲がり角まで飛ぶ。
俺が足場にした壁が踏み込みの瞬間に陥没して、そのまま地層変動に巻き込まれていく。
洞窟の壁がうねっていた。
瞬きを忘れて視界の情報を取捨する。
来た道のりは当然覚えている。
が、迷宮地層の変化で、微妙にルートが変わっているのだ。
外観が変わっている状況は探索初心者である俺には少し厳しい。
だが、視界の情報を取捨し、そこから予測し、なんとかまだ潰れずに済んでいる。
迷宮大変動のきっかけは、あの黒衣が割った〈変動石〉だ。
あれが割られたのが迷宮深層。
深層から徐々に上層に向かって、変動の力が伝わっているらしい。
その伝導速度を上回る速度で上へあがれば、この脱出も少し楽になるのだろうが、相手は地層だ。
俺が洞窟をどんなに人間離れした速度で駆けようが、地層はほかの地層に連結し、一直線に変動の力を上層へ送る。
「大丈夫、大丈夫だから」
俺は俺の胸の中に顔をうずめて震えている少女に言い聞かせた。
彼女はまだ意識を保っているようだが、やはり俺の身体速力をもろに受けてつらそうだ。
壁を蹴ったり上に跳躍したりで、三次元的に空間を跳ぶため、急に体にかかる力が変わる。
彼女はそのたびに身体をこわばらせ、急激な方向転換に耐えている。
悪いとは思いつつも、俺が速度をゆるめれば二人とも地層変動に巻き込まれる。
俺は縦方向に続く洞窟を、壁を足場に跳躍していた。
斜め上に跳び、向かいの壁をまた足場にして、さらに斜め上に跳ぶ。
垂直の壁を足場にしているわけだが、足を掛けるくぼみなんてものを探している余裕はない。
俺は足場を無理やり『作った』。
垂直の壁にぶつかる瞬間に、片足を壁にめり込ませる。
それで身体にストッパーをかけ、逆の足ですぐに壁を蹴り、斜め上に跳躍する。
そんな馬鹿げた方法で登って行くと、中間地点の目印においておいた光石灯が視界の奥に見えた。
俺はそれを目がけて跳びあがる。
そこでようやく垂直壁のぼりが終わり、今度は斜め前への登りだ。
まだ道はそれらしい姿を残している。
――いける。
「ちゃんとつかまっててね」
壁を登りきって少し状態が落ちついたから、まだ彼女の意識は確かだろうかと思って声をかける。
もし気を失いそうであれば、片手では危ういから両手で彼女の身体を押さえねばなるまい。
彼女が力のかぎり俺の身体にしがみついてくれているから、俺も登るのが楽なのだ。
「はい! 私はまだ大丈夫です! あのっ、お名前を存じませんが――よろしくお願いします」
「合点だ」
少女から強い声が返ってきた。本当に気が確かだ。
この子は間違いなく精神がタフだ。
俺の全力の疾走と跳躍は、俺の妹でもビビることがあるのに。
少女が俺の腰に回す足に力を込め、次にひかえめに首に手を掛けた。
首を絞めてしまわないか不安なのだろう。
「思いっきりで大丈夫。安心して。俺の首はそう簡単には締まらないから」
「は、はい! わかりました!」
走りながら彼女の答えを聞き、また前に集中する。
斜め上へ登って行くと、ふと急に光が失せた。
今さっきまで奥の方から術式灯と光石灯の光が見えていたのに――
まさか、岩盤でも挟まったか。
可能性はある。
地層の移動で出口はふさがれたのかもしれない。
俺が急いでその方向へ走ると、そこに巨大な岩石の肌が見えた。
とっさに片手で触れる。
――厚いな。
まったく、こんな巨大で厚い岩盤を軽く動かすとは、自然ってのはとことん強大だ。
殴る。
思いっきりだ。
真っ当な生物が当たったら骨片すら残らないほどの威力を持った拳を、岩盤に叩き付ける。
――二発目。
「――っ」
三発目。
「――っ!」
――割れた。
俺はその割れ目に両手を突っ込んだ。
しかし、割れた岩盤は両サイドからまた地層の圧力に押されて、割れ目を閉じさせる方向に力を掛けていく。
俺の膂力が勝つか、地層の勢いが勝つか。
単純な力勝負以上に、速さも重要だ。
少女には悪いが、今だけは独力でしがみついていてくれ。
俺は岩盤の割れ目に両手を突っ込んで、それを無理やり押し広げた。
「んがっ!」
馬鹿みたいに巨大な岩盤をぶち開けようとする。
バキバキと周囲の岩盤や地層から軋む音が鳴り、
「開けぇぇぇえええ!」
人がわずかに通れるくらいの隙間を押し広げることができた。
奥からはさっきまで見えていた光が見える。
間違いない。奥はまだ出口に繋がってる。
俺はまた少女を片手で支え、無理やり押し広げた岩盤の割れ目の中を這って進んだ。
急げ、また両脇から閉まってきている。
◆◆◆
中層から上層へ。
そして迷宮入口付近へ。
やっとだ。
やっとたどり着ける。
そう思って記憶の中にある最後の曲がり角を曲がり――
「――」
俺は絶句した。
眼前に広がった光景を見て、一瞬思考が止まった。
「マ、マジかよ……」
迷宮入口が完全に塞がれていた。
光は見えていたが、どうやら光石灯の光だったらしい。
外の光ではなかった。
入口付近だからそのあたりいっぱいに灯火があって、それを外の光と誤認したのだ。
しかし、今さら来た道を戻ってほかの出口を探している時間もない。
「……っ」
俺の胸に顔をうずめていた少女が、ふと震えはじめた。
泣いているのだろうか。
絶望したくもなる気持ちは分かる。
「――ふう」
触れてみたが、どうにも素手ではつらそうだ。
――やるしかない。
魔術を、使うしかない。
〈赤炎〉だ。
忌避感は少しあった。
しかし、俺一人ならまだしも、ここにはもう一人の少女がいる。
だから、俺自身の忌避感なんて些細なことだ。
大丈夫だ、爺さんと実験して〈赤炎〉単体なら災厄認定されないことは確かめてあるじゃないか。
信じろ。
「ごめん、また揺れるけど、ちゃんとつかまっててね」
「私、死んでしまうのでしょうか……」
「大丈夫。助けるから」
少女は俺の胸から顔をあげ、潤んだ瞳で俺を見つめてきた。
そして、
「――わかりました。最後まであなたを信じます」
「ああ、応えて見せよう」
必ず。
「――破壊を紡げ、〈赤炎〉」
そうして俺は、右手に魔術を発動させた。
真っ赤な炎が、俺の右手に燃え盛った。
◆◆◆
その炎は普通の炎よりずっと赤かった。真っ赤だ。
橙色の炎と比べ、まるで暗闇にどうかしてしまいそうなほどに濃く、赤い。
赤黒いという表現の方が近いかもしれない。
その赤い炎が、俺の手のひらのあたりでバチリと雷電の如く弾け、直後、一気に火力をあげる。
弾ける火の粉は嬌声をあげながら、触れるものすべてを食い殺さんばかりの威力に彩られている。
俺はその赤炎をまとった右手を開いて壁につけ――
「砕け散れ」
言葉を紡いだ。
◆◆◆
深紅の炎が燃え盛る。
波動の如く赤い力を壁の中に伝導させ、途端、目の前の岩盤が割れていく。
割れ目から赤炎の光が漏れ、今にも破裂しそうなほどに膨張していく。
そうしてある一点を越えたところで、今度は壁が『霧散』していった。
燃える、溶けるというより、分解されていくという感じだ。
分子破壊だとか、そういう方面に近いかもしれない。
俺の赤炎は実体に干渉し、それを破壊する。
場合によっては、その破壊が消滅のように映るほどの、圧倒的な火力だ。
もっと派手にぶち抜くこともできただろうが、それはまずい。
この先は迷宮入口だ。
人がいるかもしれない。
もし巻き込んだりしたらえらいことになる。
だから俺はそちらにも神経を使いつつ、それでいて後ろから迫ってくる軋みの音に焦燥を感じながら、赤炎を制御した。
そして――
「見えた」
赤炎が燃え散らす岩盤の向こう側から、岩盤に空いた小さな穴を通して光が差しこんでくる。
外だ。
この岩盤の向こう側に人はいないようだった。
これなら一気に壊してしまってもいいだろう。
俺は赤炎が遠くまで波及しないように細心の注意を払いつつも、最後にその火力をあげた。
外への道が、目の前に開けた。




