34話 「英雄の影と異変の影」
エイラが西迷宮口で今にも迷宮に潜っていこうとしていた頃、とある派手な美貌の女が、迷宮都市サリューンの東門付近で声をあげていた。
隣には桜国シンラでエイラと出会ったその弟、〈メウセリア〉の姿があった。
女は薄紫がかった銀の長髪を宿していて、とかく美貌のまぶしい女だった。
「メウ! メウ! 聞け、メウ!」
「はいはい、なんですか、ジャンヌ姉さん」
「この街からエイラの匂いがするッ!!」
「姉さんの鼻ってどうなってるんですか……?」
メウセリアはその小さな背中に見合わぬ大きなリュックを担ぎ直し、「はあ」とため息をついていた。
一方その隣で両手を腰に、胸を張って大声をあげる美貌の女は、周りの男たちの視線を受けながらも東門で大きく息を吸っていた。
まるで深呼吸するかのようだ。
「――んんっ! エイラの匂い! エイラの匂いを肺腑にっ! これであと二か月は離れても暮らしていける!!」
「あの、姉さん、かなりアブナイ発言なので街中では控えてくださいね……? ――ちょっと! すごい勢いで『スウ、ハァ』ってしないでくださいよ!」
「――メウ、私はな……」
唐突に美貌の女がメウセリアの方を振り向いて、神妙な表情を浮かべる。
切れ長の目と、気の強そうな鋭角の眉。
『冷たい美貌』という言葉の頂点に君臨していそうな美女が、しかしどこか熱気をまとった雰囲気で身振り手振りを加えていく。
「私は……」
「え……? ジャンヌ姉さん……? もしかして災厄の気配ですか……?」
唐突な美女の雰囲気の変化にメウセリアは頬をひきつらせた。
真面目な表情だ。
「――エイラと結婚したい」
「……」
「結婚したい! なあ! できるかな!? エイラをさらって来ればいいかな!?」
「ダメです! 兄弟ですよ!」
「バカッ! 血は繋がってないぞ! 親等とかそれ以前にそもそも魂の質が違う! インモラルな響きなどそこにはない! よし! 結婚する! 私はエイラと結婚するぞ!!」
「もう勝手にしてください……」
「よおっし! じゃあエイラを探しに都市の中へ行こう!」美貌の女はそう行って迷宮都市の東門へ足早に歩を進めていった。
その後ろから荷物持ちのメウセリアが続き、彼の小さな口から放たれるため息が、また一つ東門に響いた。
◆◆◆
イゾルデとハクロウはちょうど迷宮都市サリューンの東門付近を歩いていた。
情報の収集だ。
まずは東方面からやってくる旅人や商人に狙いを定め、他国の情勢を聞きまわる。
そんな中、ふとイゾルデは東門の奥の方に大きく響く声を捉えた。
「……ん? 今なんかエイラって単語が……」
「ぬ? ついにエイラを求めすぎて禁断症状でござるか?」
「次それ言ったら一度につき尻尾の毛十本ね」
「ふあああっ!?」
あんぐりと口を開けてこの世の終わりを見たような顔をしているハクロウを、イゾルデは横目に見た。
それでいてイゾルデの表情はまだ思案気だ。
「気のせいかしら」
「う、うむ、聞き間違えではなかろうか。我は特に耳に入った音はないのでござる」
「そっか……私の聞き間違えかな……」
イゾルデは頭をぽりぽり掻きながら鼻で息を吐いた。
「もしかしてエイラの兄弟だったりして」
「そうなると非常にまずいでござるな。今の時期に英雄が来るということは大変動の関連すると見て間違いないでござろう。となれば大変動が災厄認定される可能性があるのでござる」
「んー、そうねえ、そうなると英雄が身を挺しちゃうかもしれないわね……。でも、考えすぎかしら。今のところ良い方向に進んでいるし、このまま事が運べば大変動も乗り切れそうだし」
「で、ござるよ。少しのいざこざこそあれど、うまくいっている方でござる」
「ん、そうね」
イゾルデは隣を歩くハクロウにそう言われ、頷きを返した。
するとちょうどその頃、東門の向こう側からどよめきがやってくる。
どよめきは波のようにこちらにまで走ってきて、そのどよめきを起こさせているのが動体であることを二人に報せた。
「なにかしら」
「見てみるでござるか?」
イゾルデとハクロウは東門付近の人垣をかき分け、前に出てみる。
「うわ、なにあの人、すごく綺麗……」
イゾルデは人垣から顔を出して、そのどよめきの正体を見定めた。
女だ。
薄紫がかった銀の髪を揺らす、美貌の女だった。
神々しさすら見て取れる美貌。
すらりと伸びた手足に、ピンと真っ直ぐに伸びた背筋。
歩き方は優雅だが、それでいて力強い。
その女の後ろを、一人の小さな少年がいそいそとついていっている。
少年に「ほら、早くしろ、置いて行くぞ」と少し厳しめにいう彼女の姿にすら、美しさを見てしまう。
周囲から男女問わずに『罵られたい』『踏まれたい』等の声があがっていた。
気の強そうな美女に、そんな被虐願望の実現を思わず願ってしまったのだろう。
「どこかの王女様とかかな?」
「否、歩き方がただものではないでござる。あれは戦う者の足取りでござるよ」
イゾルデの言葉をハクロウが否定した。
ハクロウは当初、「あれが人族的には美女でござるか、ふむふむ」などと少し興味なさ気であったが、その歩き姿を見た瞬間に目つきが変わっていた。
「気になるところでござるな」
「ちょっとなんか、小さい声で『結婚したい』って連呼してるのが気になるけど……」
イゾルデの耳はその音を微かに捉えていたが、たぶん聞き間違いだろうと自分に言い聞かせた。
◆◆◆
「うわあああああああああ!!」
悲鳴。
誰のかって?
――俺のさ。
俺は西迷宮口から迷宮に入って、なんだか他の入口から入った迷宮と比べるとやたらジメジメしている洞窟を、飛び降り気味に下降していた。
そうしていくらかを落下すると、今度は道が水平になった。
駆け足で走る。
そこで事件は起きた。
「芋虫ッ! 芋虫いっぱい!!」
きめえ。やべえ。きめえ。
思わず「やべえ」を「きめえ」で挟み込んでしまうほどの嫌悪。
その洞窟通路の天辺から、無数のデカイ芋虫がべちゃべちゃ落ちてきていた。
最初の一匹が俺の頭に落ちてきて当たったんだけどさ、なんていうの? 重量感? やばいんだよ。
普通芋虫が頭についたら「ペチャッ」「うわあ!!」ってなって頭振るくらいじゃん?
――違うんだな。
「ゴスッ」「ぐっほぉ……!」ってなってあまりの重量に俺の首が横にゴキッてなるんだよ。
――重過ぎんだろ。
擬音語が多くなるのもやむなしな破壊力。
幸運にも身体が頑丈であったおかげで首が折れたりはしなかったが、それでもここは危険だ。
俺の精神にとって非常に危険なのだ。
シャルルに連れられていったあの飯屋で、赤光芋虫とかいうのを食べたのは記憶に新しいが、コイツは青い。青くて光ってる。
青光芋虫だろう。うまいかどうかは知らん。
赤がうまかったから青もうまいと信じてる。色的にかなりゲテモノだけど。
そんな青光芋虫が、これでもかと天井に張り付いていて、それが落ちてきているのだ。
俺は走ってる。
叫びながら走ってる。ホラー映画より怖い。
◆◆◆
「もう芋虫はヤだわぁ……」
その勢いで洞窟を下りていって、途中で平和に岩間から生えた光る植物群を採取していた探索者を巻き込みつつ、俺はついに深層らしき階層にまでやってきた。
途中に出会った探索者たちには、巻き込んで悪かったと謝りつつ、早めに帰還するように言った。
彼らも「そろそろか。わかった、大変動は怖いからな、大人しく忠告に従うよ」と言って先に帰っていってくれた。
ここまで幾人もの探索者と話してきて、気付いたことがある。
彼らは確かに猪突するが、決して聞き分けがないわけじゃない。
誰かに止められないかぎりそのまま行ってしまう者はたしかに多いが、止める者がいると意外と止まってくれる。
止められないと行ってしまうのは、単純に好奇心がぶっちぎれているやつが多いせいだろう。
ともあれ、俺が予想していたよりも聞き分けは良かった。
大変動が残り二日で来るかも、ってのもまた焦燥を煽るものではあるしな。
「そういや、例の五日後って情報を吹き込んだ探索者も、今ここらへんにいるのかな」
俺が迷宮に潜る間際に、またしてもほかの探索団が来て、避難誘導を手伝うと言ってくれた。
彼らには上層から中層を任せ、俺は下への道を一直線に抜けてきたが、もしかしたら彼らに任せた方に例の探索者がいたかもしれない。
帰ってから訊いてみようか。
さて、しかし俺がこの西側の下層で残る探索者に避難を呼びかければ、ひとまず大変動に向けた最低限の態勢は取れるだろう。
見逃しも考慮すると、明日も潜っておきたいところだ。
「――お?」
そう思いながらべちゃべちゃしてる洞窟を歩いていると、その通路の奥の方に光を見つけた。
曲がり角の向こう側だ。
そのせいで明確な姿は見えないが、おそらく探索者がいるのだろう。
ちゃんと深層まで下りてきてよかった。
そうして俺は曲がり角へ小走りに向かって――角から頭を出す。
「こんにちはー、迷宮遺物取れてますかー」
なんて探索者らしい世間話の起動ワードを放ちつつ、目を向ける。
「取れて――ないようですね」
そこには黒いローブに身を包んだ、五、六人の集団がいた。




