0話 「怪物が生まれるまでの軌跡」
その日、少年は自分の育ての親たるひとりの老人に相談を持ちかけていた。
「どうすれば兄姉を『英雄の定め』から救える?」
その老人は自分の魂を異界から呼び出したという老人だった。
そう、転生の原因を作ったのは、その老人だった。
深い皺の入ったいかめしい面と、顔の割にやたらとがっちりした体格。
そんな老人は少年の言葉に眉根をあげ、
「なんだ、ようやくやる気になったのか」
そんな言葉を放っていた。
老人には少年を呼んだ理由があった。
「わしは神の摂理を壊したくてわざわざお前という存在を呼んだというのに、お前はぼうっとしているばかりで――」
「悪かったよ。でも俺だっていきなり『お前は神の摂理を壊すためにこの世界に呼ばれた』とか言われてもすごく困るから」
「わかっておる。だから無理強いはせんかったろ」
老人は口を尖らせながらまるで子供のようにいったが、それでいて少し嬉しそうであった。
「で、どうすりゃいいの?」
「うむ。……一番ことが荒立たないのは、世界中の災厄を英雄なしで救うことだろうな」
神庭世界には英雄という存在があった。
伝承で語られるような、世界を救うあの英雄だ。
まるで世界に選ばれているかのように、英雄はたびたび世界の危機に現れては、その危機の元となる『災厄』を取り除いていく。
まるでそういう『世界の摂理』のようだった。
「英雄なしで、か。かなり苦労しそうだな」
「だができるのなら、それがもっとも安全な方法だろう」
「もしそれがダメだったら?」
「『英雄の定め』という神の摂理を崩してもらえるよう、神に直談判せねばなるまい」
そしてそんな英雄は、どうやら初めから神に選定されている、というのが世界の見解だった。
英雄は神に選定されると同時に、『災厄から世界を救え』という神の願いを聞き取るらしい。
まるで世界そのものの意志に触れたかのように、英雄は無意識的に災厄に引き寄せられる。
なぜそんなことがわかるかといえば、かくいう少年の周りにそういう英雄が何人もいたからだった。
少年にとってはそれが問題だった。
「神なんてホントにいるのかね」
「いる。断言してやる。わしが百余年をかけて見つけた神の足跡は、間違いなく神らしき存在が世界にいることを証明している。そもそも英雄という存在が神の存在を肯定しているようなものだろう。
お前とて兄姉が災厄に引かれていくさまを何度も見ただろう?」
兄姉がその英雄だった。
老人は断言するとともに、少年に訊ね返した。
「――うん」
少年が兄弟姉妹を心配する理由が、そこにあった。
「じゃあ、その神が、裏で彼らを英雄として動かしているってことで間違いないのか?」
「だろうな」
「……はぁ。ならなんでもっと英雄を丈夫にしておかないかな。世界を災厄から救うためにつっこんでいって、でも失敗して死んでしまうこともあるって、生贄みたいじゃないか」
「ああ。英雄は強大だが万能ではない。おそらく、英雄を強大にしすぎると、その英雄そのものが世界にとっての災厄になる可能性があるからだろう」
「とことん玩具だな。道具だ、まるで」
「だからわしは英雄の摂理が嫌いなのだ」
「俺も嫌いだよ」少年は続けた。
「じゃあ、英雄がいらないくらい、世界が災厄に対して強くなれば――神が英雄をけしかけることもなくなるのだろうか」
「そういった。実際に災厄が少なかった年は英雄の動きも少なかったのを確認している」
「もし、もしそれがうまくいかなかったら」
「――直談判だな」
「どうやって? 神がどこにいるかもわからないのに?」
少年は首をかしげる。
その問いに対する老人の答えは、早かった。
まるでその答えを用意しておいたかのような、そんな反応の速さだった。
「『呼び出せ』。神を。――英雄でさえ解決できない災厄が現れたとき、神そのものが世界に姿を現す可能性がある。そういう記述がいくつかの古代書に描かれている」
「古代書かよ……」
「考古物を馬鹿にするなよ。英雄の摂理にはるか昔から気付いていた者たちの書だぞ」
「――信憑性は?」
「ある。わしを信じろ。逆にお前に訊くが、それ以外に方法を思いつくのか?」
「――いや」
「ならまずは信じろ。途中で新たな方法を思いついたときは、それを取ればいい。どちらにせよ、神を呼び出す、というのは最終手段だ。一歩間違えば――」
◆◆◆
「お前は兄姉と剣を持って対峙することになる」
◆◆◆
「……」
「お前自身が災厄になるのだ。当然英雄が最初にけしかけられる。必要なのは、一発で神に『これは私がいかなければダメか』と思わせることだ。ことが遅れれば遅れるほど、英雄と剣を交えなければならない可能性が高まっていく」
老人の言葉を聞き、少年は嘆息した。
「じゃあ、なんだ。俺は英雄なしでも災厄をはねのけ、ちゃんと生きていける世界を目指しながら、いざとなったら神が慌てるほどの世界最大の災厄になる準備もしろ、と」
「おおかたそんなところだ。良い意味でも悪い意味でも――〈世界〉を征服しろ」
「世界征服って――まったくひどい響きだな」
言いながら、少年は笑った。
「それが爺さんが生涯かけて導き出した答え?」
「ああ。何度もいうが、お前がその途中でもっといい方法を思いついたなら、お前はその道を取ればいい。ひとまず、お前が英雄に定められてしまった兄姉を救うことを決心してくれただけでも、わしにとっては僥倖であるしな」
老人はそういって、それまでのしかめっ面に少し嬉しげな色を映した。
「そうだね。――うん、まずは俺が動かないとだめか」
「ああ、お前自身が神に対抗できる存在でなければ話にならん。神が武闘派だったらどうするんだ」
「勘弁しろよ、この世界の神はそんな俗っぽい感じなのかよ。スッと構えて『ほあああっ!』とか言われたら俺一目散に逃げるんだけど」
「直談判してもうまく話が収まるかわからんだろうが。そのときは――殴れ」
「横暴だなっ! 神様と殴り合いとかやだわぁ……」
「名目ならあるぞ! 今まで世界の民を道具のように使ったきた報いを受けさせるのだっ!」
興奮気味に拳を構えて素振りをはじめた老人を見て、少年はまたため息を吐いた。
「……はぁ。俺一人じゃつらそうだから、世界征服組織でも作ろうかなぁ……」
少年の嘆きは辺境の小屋に響いた。
◆◆◆
老人と話し、少年は自分の理想の実現がとても困難な道のりの向こう側にあることを知った。
しかし、それでもやると決めた。
老人の願いがその理想への道の途中に重なっていたこともあったし、兄姉を救いたいというどうしようもない衝動もあった。
ゆえに、少年は決心してからの訓練を、特に念入りにこなした。
――訓練。
実を言うと、そんな決心をする前から、少年は自分の魂を異界から呼び出したという老人から厳しい訓練を施されていた。
それまではサボったり手を抜いたり逃げたり、ということが多かったが、決心の日からは真面目に取り込むことにした。
「でもこれやっぱ死んじゃいそうなんだけどっ……!」
「大丈夫だ、死なん。お前の身体はそのくらいでは死なん」
「う、うそだっ!」
「最後の手段はお前が災厄になることだぞ? 英雄よりも強くなければどうにもならんではないか」
「そ、そうだけどっ!」
「お前の魂がこの世界に適合するように造りだしたその身体は、実に優等なものだ。打てば打つほど伸びる」
「それ結局は打たなきゃ伸びないって意味――」
「打てば伸びる」
「はい……」
「あとは周りに〈英雄〉という絶対的な天才が何人もおるのだ。そこからも学べ。英雄はおそらく成長の途中で〈力の記憶〉から能力を読み取る。それをさらにお前が読み取れ。間接的に〈力の記憶〉に触れろ」
「はあ……」
「いいな」
「はい、分かりました、分かりました、サーイエッサー」
少年は演技ぶってぴしりと姿勢を正し、溌剌として答えた。
瞬間、老人の老人とは思えぬ拳が頬にめりこんだ。
◆◆◆
それから長い間。
少年は形容しがたい鍛練を重ねた。
普通なら死んでいるような鍛練を、特別丈夫に生まれた身体にモノを言わせ、とにかく積んだ。
身体は優秀だったが、しかしこの場合問題になるは精神の方だった。
死にかけるほどの鍛練は精神を摩耗させる。
だが少年は折れなかった。
なけなしの根性。
なけなしの気合。
昔はあまり好きではなかった精神論も、このときばかりは少し信奉した。
『やればできるんだから』という前世の妹の言葉に時々寄りかかりながらも、少年は倒れなかった。
しかし、ただ一度、少年はとある大きな事件を経て、心を折りかけた。
それは鍛練によって起こった心の揺らぎではない。
少年は訓練や鍛練による苦しみには、折れず倒れず、立ち向かい続けた。
だが、その事件はもっと違う方面から少年の心を折ろうとしたのだ。
それは少年が最もおそれた事柄だった。
少年は自分の平穏のために、どうしても気になってしまう兄姉の安全を確保することにした。
つまり、少年は兄弟姉妹の危難が苦手であった。
そんな少年を襲った『悲劇』。
それは――
◆◆◆
少年の兄の一人が、
少年のとある行為が起因となって――
――死んだのだ。
◆◆◆
少年はそのとき〈世界〉と〈神〉を恨んだ。
そして自分が着々と身に着けていた『力』をも恨んだ。
神が『英雄の定め』なんていう摂理をかざさなければ、兄は死ななかった。
そして自分の強すぎる力が、世界にとっての〈災厄〉と認定されなければ、兄が死ぬことはなかった。
だから少年は力を求めることを一旦やめかけた。
兄と姉を救おうとして力を積む自分こそが、実は一番彼ら彼女らにとっての災厄になっているのではないだろうか。
最終目標のためにはそれが必要だとわかっていながら、その手前で現れてしまった悲劇に心を折られかけた。
「馬鹿が。そうしてお前が進むことをやめたら、誰がほかの英雄たちの安寧を約束するのだ」
虚ろな目をしていた少年に、老人が言葉を掛けていた。
厳しい言葉だったが、どこか震えているようでもあった。
「そこで諦めるのなら、お前は一人の兄だけでなく、すべての兄と姉の命を諦めたことになる。お前はそれでいいのか。お前が求めた平穏は、兄と姉の安寧が確約されたときに、ようやく得られるものではないのか」
少年は老人の言葉に答えた。
「でも、俺のせいで兄ちゃんと姉ちゃんが死ぬのに、俺は耐えられないかもしれない」
「だったらいっそ自分の目が届かないところで死ねというのか?」
そう言われたとき、少年の心に小さな火花が弾けた。
「どっちにしろ死ぬぞ。ほうっておけばいずれ〈英雄〉は死ぬ。英雄は万能ではない。世界を災厄から救おうとして、しかしその災厄の重さに耐えきれず、いずれ潰れる。そしてまた別の英雄として生まれ直す。
ただそれだけの人生だ。その点で英雄に自由はない。安寧もない」
「……」
「お前の求める平穏が、兄姉全員の死によってなされたものでいいのなら、それでもいいがな。たしかに兄姉が全員死んでしまえば、お前がもう心配することはないだろう。憂慮なき平穏の実現だ」
老人はそこまで言って、少年の返答を待った。
少年は涙に濡れた顔をうつむけながら、しかし、こういった。
「……俺の見えないところで、もし兄弟姉妹が死んでいたら――悲しいな」
少年は前世の最後を思い出していた。
穴抜けの記憶の中、ようやく思い出した自分の最期。
目の前で妹が危険にさらされていた。
自分の身体は衝動的に弾けて、妹を助けに走った。
どうにか助けられた。心底からよかったと思った。
でも、もしあのとき自分があの場におらず、妹がそのまま車に轢かれ――自分が家で病院からの電話を受けていたら。
――はたして耐えられただろうか。
「俺は――」
そのあっけなさとやるせなさと、自分の不甲斐なさに耐えられただろうか。
「誰かに許可を下して欲しいのなら、お前たちすべての親として言ってやる」
少年の言葉を遮って、老人が言った。
「世界と神に殺されてしまうくらいならば、いっそのことお前が兄と姉を――〈英雄〉を殺せ。神に道具のごとくして殺されるよりは、ずっとその方がマシだ」
それは狂気の言葉だった。
そして狂人の愛の言葉だった。
「だが、もうどうしようもなくなるまでは――たった一人でも兄姉を助けられる可能性があるうちは、ほかの兄姉を切り捨ててでも、もがき続けろ」
「すごいこと言ってるぞ、爺さん」
「わしは自分が狂っていることをずっと昔から知っている。もはやそこに気負いはないよ」
老人は珍しく友人に見せるような苦笑を浮かべた。
「――わかったよ。でも、俺だって最悪の状況に追い込まれないように、もっといろいろ調べてみる。神の摂理から兄ちゃんと姉ちゃんを守るために、世界を独自に災厄から救う協団組織も作る。いくらなんでも俺一人じゃ災厄すべてを潰すことはできないから、この世界の民たちにもちょっとずつ手伝ってもらおう」
「ああ、そうだな」
「手伝ってくれる友人ができるといいけど」
「ならお前が先にその誰かを助けてやれ。そうすれば彼らもきっとお前を助けてくれる」
「友人になったらなったで、こんな無駄に壮大で、それでいて実はちんけな目的に付き合わせるのが――ちょっと申し訳なくなるかもね」
「それを伝えてもついてきてくれる友人がいるなら、お前はその友人を大事にすればいい」
「――うん」
少年は折れかけた心を持ち直した。
「ならば、まずはお前自身が誰よりも強くあれ。ミハエルのことがあるから〈紫炎〉を使うのはまだ忌避されるだろう。ひとまずそれは少しずつ元に戻していくことにして、その分また肉体を鍛えるぞ」
「わかった」
少年はたった一つの大きな挫折から、そうして立ちあがった。
◆◆◆
兄の一人を失った事件を経て、さらに少年は激しく訓練を重ねた。
その事件で自分の無力さを知ったがゆえに、少年は陳腐ながら、しかし純粋に、力を渇望した。
中途半端な力があの悲劇を呼んだのだと、そう少年は反省していた。
少年と老人の鍛練は、老人が死ぬまで続いた。
その頃には少年の身に、たぐいまれな研鑽の力が積み重なっていた。
――それは少年の努力の結晶だった。
◆◆◆
そして〈怪物〉が生まれた。
◆◆◆
少年の周りには〈英雄〉と呼ばれる傑物がいた。
右隣に英雄。左隣に英雄。
少年の存在は世間一般では英雄の名に霞み、視界から消えていく。
だから、英雄の神々しい姿に見とれる者たちは、その少年こそが英雄すらをしのぐ〈怪物〉であることに気付かない。
後に世界最強の集団の『総団長』と呼ばれることを知らず。
人知れず〈英雄〉以上に災厄の芽を摘んだことも知らず。
世界を救う〈英雄〉すらも救済しようとしていることを知らず。
少年の存在そのものが世界に〈災厄〉と見なされるほどのものであることを知らず。
そして少年もそれを顕示するつもりはなかった。
自らが世界と神にとっての災厄になる最後のときまでは、顕示する必要もなかった。
できれば最後のときを待たず、自らのあの『理想』を得られればそれが一番いいと思っていた。
それでも、
少年と共に歩んだ者。
少年に助けられた者。
少年の心に触れた者。
少年の背を押した者。
少年に関わった者たちは、少年が怪物であることを知っていた。
時々『変な奴』で、時々『ダメな奴』で、でもやるときはやってくれる――不思議な怪物。
少年はあの老人が死んだあとに旅に出た。
自らの理想のため、そして自らを手助けしてくれる者たちに出会うため。
◆◆◆
「よし、行くかあ」
◆◆◆
少年が異界に呼ばれて十七年。
間延びした声と共に、その日少年の足が、とある辺境の古びた小屋の玄関口を跨いだ。
―――
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