26話 「撃滅思考」
俺はただひたすらにハクロウの姿を追った。
ハクロウの跳躍は速い。
普通の獣族とあきらかに一線を画した身体駆動。
ただの狼と違って、その一歩には強靭な力の片鱗を感じさせた。
どんどんと加速していくハクロウの身体は、なんだか白い炎のように揺らめいているようにも見えた。
まるで陽炎だ。
ハクロウの逆立った毛の先から、透明の揺らめきが見える。
そんな白い狼を追いながら、俺は迷宮都市サリューンの北の隅にまで走った。
ハクロウと同じく屋根の上を走り、跳躍し、彼に続く。
そしてついに、ハクロウの動きが止まった。
背の高い時計塔の中腹に着地して、ハクロウが眼下に視線を向けている。
俺もその近辺の屋根にたどり着いて、ハクロウの見ている先に目を向けた。
サリューン北の古びた居住区。
その細い街路を――イゾルデを担いだ大男が走っていた。
計七人。
俺よりずっと大きな身体をしている、いかにも筋骨隆々といった大男が七人だ。
俺はイゾルデが気を失って運ばれているのを見て――頭の中で何かが弾ける音を聞いた。
そこから俺は、湧き上がってきた怒りを抑えきれなくなった。
身体の奥が熱い。
――ぶっ飛ばしてやる。
俺は残忍な言葉を脳裏に浮かべたあと、今度は無心になって身体を前に弾かせた。
◆◆◆
〈ハクロウ〉はついにイゾルデの姿を見つけて、眼下の略奪者たちに跳びかかろうとしていた。
しかし、その前に後ろから追いついてきたエイラが略奪者の方向に身を弾かせていて、ハクロウはその姿を視界に捉えていた。
切迫した状況で、それでもハクロウが思わず感じてしまったのは驚愕だった。
――純人族の動きではないでござるな。
エイラの跳躍軌道を見て内心に言葉を浮かべる。
ハクロウから見ても、それは異常な軌道と速力だった。
瞬発力に自信のある自分でさえ、おそらくその尻尾すらつかめないであろうと思わせる異常な速力。
――生身であの速力でござるか。
術式の発動は見られなかった。
純粋な膂力だけで、おそらく術式使用者が出しうるような身体速度を超えていった。
術式で肉体を活性化させたり、風の術式を使って移動を補佐してやっと出しうるような速度を、エイラは純粋な肉体性能だけで超えていったのだ。
ただ、『術素』の奔流自体は感ぜられる。
体内型術素――〈魔力〉だ。
――この魔力は……
エイラがかすめていった空間に、嫌というほどの魔力の『香り』が残っている。
異常な魔力の量と密度だ。
そもそも魔力の残り香なんてものをこんな長時間空間に残していくのがまず異常だ。
思わず鼻がヒクつく。
エイラの身体は街路に着した後、今度は斜め上に弾け、その前方にあった背の高い建物の壁に一直線に跳ぶ。
もはや飛翔だ。
真っ直ぐの飛翔。
エイラはその建物の壁を次の足場にし、次に斜め下へ弾丸のように身を弾かせた。
『ひどい軌道』を取っている。
――本当に、ひどい軌道を。
あれは生物的な動きですらない。
重力のあるこの場で、まともな生物がとるべき軌道を取っていない。
重力など関係ないと言わんばかりに、縦横無尽に跳躍している。
「――ハハ」
思わず笑いが漏れてしまった。
ハクロウは奇怪な自分の笑いを自覚しながら、すぐにエイラを追いかける。
イゾルデを担いでいた略奪者の姿は彼らが角を曲がってから見えないが、ちゃんと鼻はその位置を捉えている。
イゾルデとは出逢ってたいした時間は経っていないが、気の合う友人であると思っていた。
大切な友人だ。
そんな彼女が略奪者によって攫われたとなれば当然怒りも湧いてくるし、助けてやりたいとも思う。
「我は必要ないかもしれぬが――」
今のエイラの動きをみると、冗談ではなくそう思ってしまう。
ともあれ、そう思ったからといって自分が動かない理由にはならないし、あえてエイラを一人で行かせるほど薄情であるつもりもない。
――待つでござるよ、エイラ。我にも一発くらい殴らせて欲しいのでござる。
ハクロウは疾走を速めた。
◆◆◆
気付いたらイゾルデを担いだ略奪者の目と鼻の先にまで来ていた。
頭に血が上ってからの記憶が薄いが、結果的にこうして追いつけたのだからひとまずよしとしよう。
少しも落ち着いてきた。
俺が略奪者たちに追いついた時には、そこは居住区のさらに奥間だった。
入り組んだ迷路のような地形と、死角を作る塀がたくさんある。
「止まれ!」
俺が声をあげると、ついに前を走っていた七人の略奪者が止まった。
俺に追われているということは途中から気付いていたらしい。
「くそ、どうやってここまで追いついてきやがった」
イゾルデを担いでいる男が俺を見て悪態をついた。
「イゾルデを返してもらおう。俺とハクロウが気に食わないなら、直接くればいいものを」
「うるせえな、なんで馬鹿みてえに真っ向から戦わなきゃいけねえんだよ。おめえはともかくとしてあの白い獣とまともに戦ってられるか」
男はイゾルデを隣の男に手渡して、懐から短剣を抜きつつ俺に歩み寄ってきた。
「で、あの白いのはいねえのか?」
「――ああ」
たぶんいるであろうが、つい俺が急いて置いてきてしまった。じきに追いついてくることは間違いないのだろうが、あえてそれを伝えると目の前の男たちがまた逃走してしまいそうだったので、嘘をついておく。
ある意味都合が良かった。
「そうか、じゃあおめえは馬鹿だな。あの白いやつのおかげで助かってたってのに、一人でやってくるたぁ――正義の味方気取りか?」
そんなもの気取らない。
俺は本物の正義の味方を知っているからだ。
彼らに比べたら俺は小物だ。
「なんでもいい。まずはイゾルデだ」
「放すわけねえだろ。わざわざ攫ってきたのに、おめえみてえな弱そうなのにビビって放すわけねえじゃねえか。こんな上玉なかなかいねえし、俺らで使ってやったあとに貴国の奴隷商にでも売ってやるさ」
男が下卑た笑いを浮かべた。
「――」
もういいか。もういいだろうか。もう手を出してもいいだろうか。
力を入れたつもりはないのに、拳が震え始める。
「さて、昨日略奪の邪魔をしやがったのもおめえらだし、ちょいと憂さ晴らしといこうか」
男が短剣の刀身を舐めながら、俺にあと一歩のところまで近づいてくる。
――三下。三下だ。三下だな。
俺が小物ならこいつは三下だ。
すると、ふと男の身体を隔てて向こう側で、イゾルデの頭がもぞりと動くのが見えた。
「――んん」
気絶していた彼女が目を覚ましたようだ。
「あれ……私……――エイラ?」
彼女が男に担がれながら首をもたげ、視線を向けた先――俺がいた。
目が合う。
数瞬の間があって、イゾルデが状況を察したようだった。――本当に聡い女だ。
「――逃げなさいよっ! エイラ!」
そして本当に、強い女だ。
気が強いのは知っている。でもこんなに芯が強いと知ったのは今だ。
「逃げないよ、イゾルデ」
俺は男を前にしながらイゾルデに言った。
「あんたは逃げていいのよ! ――もう責任を感じなくてもいいの! あんたと私の契約はサリューンに来たところで終わってたんだから!」
「そうだね」
正式にはそうかもしれない。
「だからあんたは私に構わないで自分の身を守りなさい! 私だって自分の身くらい守れるからっ!」
イゾルデは必死の声を飛ばしていた。
本気で俺の心配をしているのだ。
「あんたは強いかもしれないけど――でも、本物の殺意を抱いた相手と対峙するのは別物なのよ! いくら強くても、人の悪意と殺意に押し潰されてしまうわ! あなたも手を出しちゃだめ! 心が――」
イゾルデは俺に短剣が刺さらなかった現場を見ているし、英雄関連の話も聞いている。
だから俺がある程度戦えることは知っているのだろう。
それでもイゾルデは俺の心配をした。
俺の『心』の心配をしたのかもしれない。
でも、
「――大丈夫だよ。――俺は、人を殺したことがあるから」
「おしゃべりはそんくらいにしとこうぜ。じゃ、死にな、三下が」
ついに男が痺れを切らし、俺の脳天目がけて短剣を振り下ろした。
「お前が言うな、ド三下が」
俺はその言葉にそう返しながら――思考を臨戦状態に切り替えた。
◆◆◆
男の振り下ろされた腕を右手で止める。
短剣が刺さる前に手首をつかみ、同時に左手でその肘を打った。
手刀。
男の腕が本来曲がらない方向に曲がり、俺の手に何かが砕けたような感触を残していく。
「ぐっあ!!」
くぐもった悲鳴が頭の上で鳴って、男が巨体を後ずさりさせた。
俺はその後ずさりに合わせ、男の腕を離して踏み込む。
左足を前に置き、身体を捻転させ――右の掌打。
男の腹部目がけて振り抜く。
「っ――!」
男の身体がふわりと浮き、そのまま路地の行き止まりまで吹き飛んだ。
「――」
途中で他の略奪者を二人巻き込んでいき、残った略奪者たちが俺に奇怪なものを見るかのような目を向けてくる。
担がれていたイゾルデも不思議なものを見るような目で俺を見ていた。
俺はそれらに構わずに、一息もおかず前に身を弾かせる。
驚愕している残りの男たちを順に掌打で吹き飛ばしながら、最後の一人にまで追い込む。
無呼吸のままイゾルデの腕を取って、イゾルデを担いでいた男の膝を蹴り倒す。
男の身体がガクリと地に落ちるところを狙って、一気にイゾルデの身体を抱き寄せ――最後に男の胴部に思い切り蹴りを放った。
男の顔面が身体ごと塀にぶち当たって、ずるりと落ちる。
瞬く間に、立っている者がいなくなった。
俺とイゾルデを除いて。
「――嘘」
イゾルデが俺の胸の中で振り返って、男たちの惨状を見ながらつぶやいた。
――終わった。
唐突に始まった戦闘は、俺が呼吸を一つつくまでの間に終息していた。
「もう一回俺の友人に手を出してみろ――ぶっ殺すぞ」
最後の怒気を吐き出しきるように、俺は小さくそんな台詞を紡いだ。




