25話 「腑抜けと後悔と臨戦態勢」
次の日。
朝焼けが窓から差しこんでいた。
なかなか清々しい朝だ。
近頃はテントの中でイゾルデの猛攻を受けていたから、こうして一人で朝を迎えるのも久々な気がして、懐かしささえ感じる。
「食い過ぎたな……」
少し胃がもたれ気味だ。
昨日の夜はマルスさんとシャルルと、あと同じ〈探索団〉の仲間だという何人かの探索者と一緒になって、豪華な夜飯を食べた。
イゾルデもシャルルも楽しそうだったし、俺は俺でサリューンに友人が出来たしで、有意義な時間だったと言えよう。
まだ宿の中の音は少ない。
早朝だからだろう。
隣の部屋のイゾルデも起きていないようだし、他の宿泊者も同じようだ。
俺は一足先に早起きして、朝焼けに輝く迷宮都市に一人で繰り出した。
◆◆◆
「こんな朝でも結構人がいるなぁ」
商業区の人通りは相変わらず多い。
商人こそいないが、早朝出発の旅人やら、商人やら、朝からピッケル担いで走り行く探索者らしき人影もある。
活気あふれる街だ。
そんな中、俺は一人裏路地へと入って行った。
昨日のうちにシャルルや他の探索者たちからサリューンの区画情報を得て、略奪者に襲われることが多いという場所へ向かっていた。
◆◆◆
裏路地は表通りと比べてあからさまに閑散としている。
もはやそういう文化なのだろう。
迷宮都市サリューンは、荒くれ者の存在を許容してしまっているのだ。
独立都市として秩序だった機能が不十分なサリューンは、どうしてもこういう事態に弱い。
国家ならば法を持って追い出したり、行政によって統制を加えることができるだろう。
それはそれで一つの在り方だし、大陸に多くの文化国家がある以上、俺もできるだけ文化を尊重したいところだ。
が、略奪者は別である。
彼らのせいで迷宮都市に災厄が起こる可能性がある。
まだ兄姉の姿は見ていないから、ひとまず大丈夫だろう。
そもそも兄姉の姿を見てしまった時点で手遅れである。
「略奪者さーん」
閑散とした裏路地で声をあげるが、当然そんな馬鹿みたいな掛け声に応答はない。
もっと表だって歩いていくれれば分かりやすいが、さすがに彼らは彼らで闇に身を隠すのがうまい。生業のせいだろう。
ともすると、昨日ハクロウと一緒にいたことが効いているかもしれない。
ハクロウは分かりやすくあの時点で強者だった。
人系種族でないただの〈獣族〉が単独で街中を歩いていることがあまりない分、余計に派手に映ったのかもしれない。
俺はその連れという風に映ったであろう。
初心者探索者という点では狙われやすいはずなのに、まるで手が出てこなかったのはハクロウのおかげだ。
それが逆に、略奪者とのコンタクトを妨げている。
――とはいえ、あの時は他の探索者もいたしなぁ。
あの時点ではあれで正解だった。
他の探索者を守るのが先決だったからだ。
「ふーむ」
少しくらい姿を見せてくれないものか。
俺はそれからしばらく裏路地を巡って、結局略奪者らしき者に会うことなく、マルスさんの経営する〈紅茶亭〉へ戻った。
その時には正午が近づいていて。
そして――
思わぬ事態が俺を襲ったのも、〈紅茶亭〉にたどり着いた時だった。
◆◆◆
「エイラさんっ!!」
俺が紅茶亭にたどり着くと、その入り口にそわそわした様子で立っていたシャルルが俺に飛びついてきた。
俺の胸元にまで走ってきて、思わず腕を広げてシャルルを受け止める。
シャルルは俺の胸の中から涙目でこちらを見上げ――言葉を紡いだ。
「イゾルデさんがっ……!」
直後、その言葉のみで俺の背筋に寒気が走った。
シャルルは彼女の名前を紡いだだけだが、その今にも泣きそうな様子が俺にただならぬ予測をさせる。
「落ち着いて。イゾルデがどうした?」
俺はシャルルの両肩を優しく掴んで、シャルルを落ち着かせた。
そうして何があったかを問うと、シャルルから衝撃の言葉が返ってくる。
「イゾルデさんが略奪者に攫われてしまいました……っ!」
シャルルが泣き崩れた。
俺はとっさにシャルルをまた胸の中に抱き寄せて、次に紅茶亭の中から駆けて出てきたマルスさんに視線を向ける。
「申し訳ありません……! イゾルデさんが朝市に行くと一人で外に出たところを……略奪者に……」
「っ――」
なんということだ。
だから――嫌だったんだ。
俺の周りに誰かを置くのは。
そう思いながら、俺は俺でイゾルデと共にいることに心地よさを覚えていてしまった。
だから彼女をすぐに遠ざけなかったのだ。
――くそっ!!
「――マルスさんは悪くないよ。イゾルデを一人にしてしまったのは俺の失態だ。彼女の『護衛』としての――俺の失態だ」
そう。俺は彼女の荷物持ち兼護衛。
サリューンまでは正式にそれを受けて、サリューンでは済し崩し的にそれを請け負った。
だから、俺は彼女を一人にすべきではなかった。仮にも、済し崩し的にも、俺はそれを請け負ったのだから。
「――エイラ?」
すると、俺の後方からまた新しい声が掛かった。
この野太い声はハクロウのものだ。
大泣きしているシャルルを抱き寄せたまま首だけで振り返ると、そこには刀身のない剣を口に咥えたハクロウがいた。
不思議な形状だが、今はそれどころではない。
「――ハクロウ、イゾルデが略奪者に攫われた」
「なんと――」
俺はハクロウが明確な怒りを表したのを見た。
白い狼が、その足で地面を踏みつけていた。
「――我がもっと早くに帰っていればっ……! 欲にかまけた我の失態……!」
二度、三度、ハクロウは地面を爪で掻き鳴らす。
その猛獣の口元は口角があがりきっていて、鋭い牙が露見している。
あたりの通行人が悲鳴をあげて後ずさりするほどの迫力だ。
「ハクロウだけの責任じゃない。護衛である俺が『腑抜けて』いたのが最大の要因だ」
「しかし、エイラだけの責任でもないでござる。我は我で、彼女を守ってやろうなどと、そんな高慢な思いを少しも胸の内に秘めてしまっていたのでござるから。そんな中途半端を呈した我の責任でもあるのでござる」
ハクロウの言葉がありがたいが、こうして傷をなめ合っている時間もない。
俺は早々に次の手に移るため、抱き寄せていたシャルルに小さく声をかけた。
「シャルル、略奪者がどこにいったか分かるか?」
シャルルが嗚咽を漏らしながら泣いていたが、すぐに俺の質問に答えた。
「どこに行ったかは分からないんです。でも――これを」
すると、シャルルがその手に握っていた布きれを俺に手渡してきた。
「これは?」
「ボク、イゾルデさんが連れ去られる時に略奪者に跳びかかって、その服を破ったんです。これくらいしか手がかりがありません。役に立たなくてごめんなさい……」
シャルルはまた泣き崩れた。
――怖かったろうに。
自分で戦えないといっていた彼女は、それでも略奪者に跳びかかった。
その勇気に最大の賛辞を送りたい。彼女はその時、誰よりも勇敢だったはずだ。
俺はシャルルの頭を撫でながら、「そんなことないよ」と何度も言い聞かせる。
するとそこへ、ハクロウからの声が掛かった。
「エイラ、それを我に」
ハクロウが俺の隣に寄ってきて、一度前脚でシャルルの肩を優しく叩いたあと、俺の手の中の布きれに興味を示した。
「シャルル、おぬしはよくやった。この布きれはおぬしの手柄でござる。そしてこの大きな手柄を使って、あとは我がその希望を繋ごう」
「ハクロウさん……?」
ハクロウは俺の手の中の布きれにその鼻を近づけた。
「我が意地でも『嗅ぎ分ける』。エイラ、手伝ってくれるでござるな?」
「当然だ」
「よし、ならば行こう。まだかすかに匂いがある。大体の位置は掴めるはずでござる」
「頼む」
俺はハクロウの背を一度だけ撫でて、強く願った。
――イゾルデがどこにいるかを教えてくれ。
こんな腑抜けた俺だけど、それでもまだイゾルデの護衛として動くことができるのなら、身が切れるまで走って見せる。
彼女は大切な――俺の友人なんだ。
「行こう」
「我に続け」
俺の合図と共にハクロウが身を弾かせた。
「シャルル、待ってて。絶対にイゾルデを助けてくるから」
「エイラさん……!」
最後にシャルルの灰色の巻き毛を軽く撫でて、俺もハクロウの背を追った。
すでにその白い狼は家々の屋根に跳躍して登っていて、凄まじい速度で迷宮都市を駆けていっていた。




