24話 「煌めく夜光のサリューン」
俺がマルスさんに部屋まで案内されていると、ふと一つの開け放された部屋の前を通り過ぎた。
扉の前を通る際に、視界の端に人影が映る。
金の髪を首にマフラーのように巻いている、ほっそりとした身体の少女だ。
派手な色彩を身に宿すせいか、一瞬の映りでもそこまで見えてしまった。
ふと足を止めて、扉の端から部屋の中を覗き込む。
鏡を前にして首を傾げているイゾルデがいた。
頭に例の『猫耳カチューシャ』をつけている――美少女である。
どうやら猫耳モードの自分を観察しているようだ。
あっ、ポーズ取り始めた。
「これがいいのかしら。それともこっち?」と言いながらいくつかの猫ポーズを取っている。
俺がその姿をしばらく観察していると、向こうもようやく俺の気配に気づいて、バっと顔をこちらに向けてきた。
「……」
「……」
イゾルデの表情が凍っている。
――お、顔が赤くなってきた。
顔が赤くなる過程をこんなにじっくりと観察するのは久しぶりだ。興味深い。
ただちょっと、俺の勘が身の危険を訴え始めているのが気がかりである。
「……や、やあ」
なんかそのままお互いに見つめ合って黙っているのもなんだったので、片手をあげて必死の微笑で挨拶してみた。
すると、
「……っ!」
向こう側から猫耳カチューシャが飛んできた。
イゾルデがすごい勢いで頭からそれを取って、顔を真っ赤にしながら俺に投げつけてきたのだ。
――お、おいっ! これ天才が作った世界最高峰の発明品だぞっ! 大事に扱えよっ!
俺はそれをキャッチして、どこも壊れていないか確認する。
直後、俺の前に影が差した。
イゾルデが目の前に瞬時の動きで近寄ってきていた。戦闘者か何かかな? 歴戦の猛者のような動きを見せやがって。
フフッ、ちょっと冷や汗が噴き出てきたぜ。
「――見なかったことにするか、死ぬか、どっちがいい?」
「全力で見なかったことにします」
そう言葉を残して、廊下の先で楽しげな微笑を浮かべていたマルスさんに助けを求めるように、俺はそこから逃げ出した。
◆◆◆
「いきなり帰ってこないでよ」
「ひどい言い草だな、おい」
マルスさんに部屋へと案内されたあと、俺はなけなしの荷物を部屋において、イゾルデと一緒に一階の広間に来ていた。
茶室のようで、部屋の隅にいくつもの紅茶の葉と、お湯の入った陶器製のポットがある。
高そうなコップも完備だ。
そこには円形の木製テーブルが六つと、それに対応する柄入りの椅子が机につき四つずつ置かれていた。
うち一つにはすでに先客がいて、俺とイゾルデは適当に彼らに挨拶をしつつ、一個間をあけて椅子に座った。
「あれ、そういえばハクロウは?」
「ちょっと毛が汚れたから水浴びだって」
「なんだよ、あんだけ俺のこと急かしてたのに」
何なら俺も水浴びぐらいしてくれば良かった。
「ついでに少しマルスさんと話すことがあるから、って言ってたわよ。――あんたちょっと匂うわね。なんだろう、鉄臭い」
イゾルデがわざとらしく鼻を摘まんで見せた。
迷宮で鉱物にまみれたせいだろう。
「抱き着いていい?」
「やったら二度と抱き着けない身体にしてあげるから」
――それは腕をもぐとかそういうのでしょうか。
イゾルデが机に肘をついて、頬杖をしながら俺の方を見た。
切れ長のクールな視線が、俺の目を穿つ。
少し呆れているような顔だ。
そんな顔も様になるのが、イゾルデの美貌の証明にもなっていた。
「俺もハクロウに訊きたいことあったんだけどなぁ」
ハクロウがさっき言っていた『英雄殿』についてだ。
英雄という単語に食いついてしまうのはもう性分のようなものだが、ここにきてまさかハクロウの口からそれを聞くとは思わなかった。
話しぶりから過去の話であることは察せられたから、直接には俺の兄妹たちは関係ないかもしれないが、英雄に関することならばなんでも知りたい。
「そのうち来るんじゃない? 『ああでも早く鍛冶屋に行きたいでござるっ!』って喚いてたし」
どっちなんだよ。
あの狼は欲望に弱いようだ。
「ねえ、それであんた、迷宮都市でなんかしていくの?」
イゾルデが赤い瞳を揺蕩わせて訊ねてきた。
――そうだなあ。
ひとまず略奪者たちに牽制を入れる必要はあるだろう。
加えて、今回の大変動を無事で乗り越えられるように、俺自身大変動時までは迷宮都市に滞在した方がいいかもしれない。
人手が大いに越したことはない。
迷宮の大方の構造も知ったし、難易度の高い北側を行って帰ってこれたのも収穫の一つだろう。
さて、そうなると何日か滞在する必要が出てくる。
ヴィルヘルムの話では三日のうちに迷宮大変動が来ると言っていた。
ふむ。
ならその三日のうちに略奪者に牽制を入れた方がいいだろうか。
大変動当日にまでそのいざこざが続くと面倒だ。
「――俺は三日くらい滞在しようと思ってる。迷宮大変動があと三日くらいで起こるっていうから」
略奪者に手を出すという話をイゾルデにするべきではないだろう。
わざわざ彼女を危険に巻き込む必要はない。
「――そっか」
イゾルデは俺の話を聞いて「ふんふん」と二度頷いた。
鼻で息を吐いて頷く様は、なんだか小動物のようで、少し可愛い。
イゾルデは首に巻いた自分の金髪を撫でながら、考え込むような仕草を見せた。
「じゃあ、あたしもその三日で仕入れでもしようかな」
「いいんじゃない?」
とは言いつつも、やはり少し気がかりである。
――イゾルデは俺の行動に合わせている。
本当についてくるつもりなのだろうか。
そうだとしたら少し、遠ざけておきたいという気も起きてくる。
イゾルデのことはこれでも結構好いている。
感情豊かで明るいし、話していて楽しい。
一緒にいるとこちらまで気力が湧いてくる。本当に、魅力的だ。
しかしだからこそ――遠ざけておきたい。
たぶん、俺といると碌な目に遭わないから。
今からだって、略奪者に牽制を入れようとしているくらいだ。
そういういざこざのせいで、いらぬ悪意がイゾルデを襲うかもしれない。
それは絶対避けたい。
最悪の場合はイゾルデをおいて先に出発しよう。
俺はそう心に決めた。
「じゃ、今すぐ付き合ってよ。隣の街路の商業区で『夜市』が開くっていうし、いい機会だから迷宮都市の特産品でも見ていきたいわ?」
「合点合点」
まあ、迷宮都市にいるうちはひとまず一緒に行動することにしようか。
彼女の方が俺を逃がしてくれそうにない。便利な護衛としてしっかり認知されているようだ。
「待たせたな! 二人とも! 我水浴び完了でござるっ!」
するとそこへ少しだけ水を滴らせたハクロウが駆けて現れた。
後ろからマルスさんがタオル片手に走ってくるのが見える。
「ハクロウ様っ! まだ水気取れてませんからっ!」
「ぬっ! 急ぐでござるよマルス殿! 我は早く鍛冶屋にっ!」
敬意を持たれているようだが、ああしてマルスさんにタオルで身体を拭かれているのを見ると、どうにもペットという形容の方が似合う気がする。
◆◆◆
日が沈む、サリューンに夜が訪れた。
夜であるのにサリューンの街並みは明るい。
光石系の色とりどりの街燈と、ランタンのように家々の軒下に吊るされる術式灯。
青から緑、果ては金色の粒子をまき散らすものまで、とことんサリューンの街並みは光に彩られている。
人も多い。
旅人、探索者、商人。服装一つですべてを見分けられるわけではないが、比較的見分けはつくほうだ。特に小奇麗な服装をしているのは商人たちだろう。
迷宮都市の貴重な特産品を目当てに、露店の主たちと値切り合戦をしている姿が見て取れる。
そんな中で、我が身内たるイゾルデも、とある露天商相手に値切り合戦をしていた。
「そこをもうちょっと! もうちょっと安くならない!?」
かれこれ五分ほどだろうか。
なかなかしぶとい。
バイタリティ溢れるイゾルデの姿がある。
「じゃあ三袋買うから! まとめ買いするから値引きなさいよ!」
イゾルデの値切りは続く。
一応護衛も兼ねているし、隣で彼女の闘いが終わるのを静かに待とう。
俺はそんなイゾルデを傍目に、待っている間、露店の奥側に建っている大きな建物に視線を向けた。
広く開け放された入口があって、その奥から赤い光が漏れている。
カーン、と。甲高い音が鳴ってきていて、目を細めてさらに鮮明に中の光景を捉えると、熱そうな金属を売っている鍛冶師の姿が見えた。
そう、鍛冶屋だ。
この露天商はキラキラ光る金属片を売っているが、これは裏の鍛冶屋の残りものであるらしい。
値段は安いが、イゾルデはそこをあえて狙ったわけだ。
そんな鍛冶屋の中に目を向けていると、ふと見慣れた白い毛玉が映る。
ハクロウだ。
「尻尾振り過ぎだろ」
ハクロウの尻尾がぶんぶんと左右に勢いよく振れているのが見えた。
有尾種は尻尾があるせいで感情の機微が分かりやすい。
長所でもあるし、本人たちにとっては短所でもあるかもしれない。
隠そうとしている内心がバレてしまうのはいただけないものだろう。
しかし、ああして喜んでいる様が見えるとこちらもなんだか楽しくなってくる。
ハクロウはその鍛冶屋に入って、持ち込んだ鉱石で剣を打ってもらっているようだった。
マルスさんとシャルルに教えてもらった腕が良いと評判の鍛冶屋だ。
迷宮都市で採れる特殊な鉱物に造詣が深く、また未知の鉱物に対してもアプローチが的確らしい。
加えて鍛冶師のほかに術式師も在中していて、術式コーティングや効果刻印などもやっているという。
――至れり尽くせりといったところだろうか。
その分鍛冶願いを出した時の値段も張るようだが、ハクロウは値段を気にせず速攻でぶっ込んでいった。
『大丈夫! 一週間くらいご飯我慢するでござるっ!』とか言ってたけど、本当に大丈夫だろうか。
「はい! じゃあ決まりね! ――エイラ! 荷物持って!」
「うおっ」
ハクロウの尻尾を眺めていると、ついに隣から嬉しげなイゾルデの声があがって、次の瞬間に俺の腕にでかい三つの袋が乗せられた。
じゃらじゃら音がする袋だ。結構重い。
イゾルデは露天商に貨幣を何枚か渡している。
――商談は終わったようだ。
「ふふ、どこに売ったとしてもちゃんとした期待値が持てる商品って、最高よね」
イゾルデは本当に嬉しそうな顔をしていた。
ほくほくしている。
「満足がいったようでなによりだよ」
「迷宮都市にきてよかったわ!」
そこまでか。
よほどうまいこと相手を言いくるめたんだな。
悪魔のようだぜ。――あうっ。なんか横腹抓られたんだけどっ!
「なんか心の中で言われてる気がしたから抓っといたわ?」
こいつ化物かよっ! すげえ察しの良さだな! すっげえ怖いわ! ――んあっ!
二回目は予想だにしませんでした。
「じゃ、宿に帰る? ハクロウは?」
「んーっと」
俺は鍛冶屋の中に向けて声を放った。
ハクロウの名を呼ぶと、鍛冶屋の中からハクロウが首をちょこんと出してくる。
「こっちは終わったから宿に帰るけど、ハクロウはどうする?」
「ここすっごく楽しいのでもうちょっと見ていくでござるよ!」
「おっけおっけ、じゃあまた宿でな」
と、いうわけらしい。
俺がイゾルデの方を向くと、イゾルデも「楽しそうね」なんて言いながらハクロウに手を振って、踵を返していた。
ハクロウをおいて、俺とイゾルデは一足先にマルスさん経営の宿に帰ることにする。
シャルルが夜飯を宿で一緒に食おうなんて言っていたから、きっと腹を空かせて待っていることだろう。




