22話 「迷宮都市の内情」
帰り道は特段に問題も起こらなかった。
行きは迷宮生物との出逢いがあったが、どうにも帰りはその姿を見かけはするものの、こちらを完全に無視しているようで、少し異変のようなものを感じさせる。
「大変動のせいかな?」
コロンが食いだめをしているだとか、そういうことと関係がありそうだ。
大変動に向けて他の生物に構っている余裕がなくなっているのだろう。
「我らとは本能そのものが違うようでござるな」
ハクロウが水晶洞窟の壁に爪をぶち込みながら、鼻を鳴らして言った。
「ハクロウも普通の四足動物とは根本からなんか違う気がするわ」
「エイラも普通の二足動物とは根本から違う気がするでござるよ」
言われてみれば確かにと思えて、
「じゃあお互い様だな」
「うむ」
「なんでこの人たちは周りが必死で登っている垂直の洞窟を談笑しながら登っているんでしょうか……」
最後に上の方からシャルルの声が降ってきて、俺はそちらに視線を向けた。
俺とハクロウは探索者集団の最後尾を登っている。
先頭はシャルルで、その他の探索者がシャルルのルートを真似て登るという形だ。
パーティでの登山のように見えてくる。
洞窟だけど。
「そっちは大丈夫そうー?」
「ええ! こっちは大丈夫ですよ!」
シャルルから力強い声が返ってきた。
シャルルの迷宮探索の錬度は、あの場にいたベテランの探索者をして「優秀」と称するほどのものらしく、特に帰り道、ロッククライミングに近いこの状況で、その能力は発揮されるらしい。
シャルルの選ぶルートは的確だ。
一番昇りやすいくぼみをルートを見つけ、後ろの者にそれを教えていく。
だから他の探索者は、シャルルが登ったルートをしっかりと辿って行く。
俺もそれに倣って登っているが、俺の場合は最悪壁に足をめり込ませて無理やりくぼみを作ればいいし、これくらいならば跳んで登ることもできる。
別に最初からこんなことができていたわけじゃない。
何度もいうが、俺の前世は非力な一般人だ。
つまり――ああ、この後世のせいである。
雲の上に咲くという幻想植物〈天空花〉を求めて、一番上の姉に無理やり天を衝くような崖を登らされたのは、記憶に新しい。
しかも姉は俺の背中にくっついていただけだ。
俺にヘッドロックをかけながら、両足で俺の腰に巻き付いて、「ほら、登れエイラ! 私を崖の天辺まで連れていけ!」と高らかに叫ぶのだ。――く、くっそぉ、思い出したら冷や汗が出てきた!
つまり、俺は俺でこういうロッククライミングは得意なのだ。
得意になろうとして得意になったわけじゃない。
姉のせいで得意になってしまったのだ。
二つ前の国で友達になったやつには「お前なんでもありだな」なんて言われるけれど、実際は必死こいて手に入れたスキルである。
天才だなんて言われる英雄転生者と比べて、俺には膂力の長はあれど、技術の長はない。何度も失敗したし、実際にできなかったことだってある。
丈夫な身体のおかげでチャンスに恵まれていることは否定しないが、やっぱり少しくらい「天才」だなんて言われてみたい。
基本的に俺が言われるのは「なんか……がんばったね……」という悲哀と同情の混じった言葉である。
「さて、そろそろかなぁ」
俺はそのへんで思考を切り替えた。
上を見上げると、煌々とした術式灯の光が奥の方に見える。
出口だ。
ずいぶんと登ってきて、ついにあの光にあふれた迷宮入口にまで来た。
イゾルデはどうしているだろうか。
ふと彼女のことを思い出して、俺の思考はそちらに流れた。
◆◆◆
「ふう、なんとか戻って来れましたね! 皆さんお疲れ様でした!」
シャルルが迷宮入口にまっさきにたどり着いて、後から来る探索者たちを引っ張り上げながら快活な笑みで言った。
そんなシャルルに探索者たちが緩んだ表情を返して、続々と受付小屋に入っていく。
手続きを終えると、帰りの長大な螺旋階段を昇って、ついに迷宮都市に戻りついた。
「さあて、あとはこっから無事に帰れるかどうかだな」
すると、最後尾にいた俺とハクロウが迷宮都市に燦々と降り注ぐ日光に目を細めたあたりで、探索者たちが苦笑して声をあげた。
俺はその無事という言葉に閃いて、彼らの言わんとすることを察する。
「略奪者?」
「そうそう。君たちは初心者だっていうから――いや初心者なのか怪しいけど――特に気をつけた方がいい。初心者が狙われやすいのは世の常だ。――た、たぶん」
探索者の男たちが俺とハクロウを見てまた苦笑した。
「まあ、君たちなら大丈夫そうだけど」
「俺はたいして迷宮遺物取ってきてないからいいけど、ハクロウは――うん、一番大丈夫そうだな」
ハクロウはと言えば、略奪者との単語を聞いた直後、
「我の鉱物を取った輩は許さないでござる。絶対にっ! 許さないでござるっ!」
辺りを凄まじい勢いでキョロキョロしだした。威嚇の目をしている。
あれだけ悔しがりながら選別した鉱石たちを、このハクロウがちょっとやそっとの略奪者のちょっかいで手放すはずがない。
この白い犬っころはこだわりのためなら割と悪魔に魂を売りそうな性格をしている。こう、趣味にがっつり傾倒する感じ? 俺も人のこと言えないけど。
さて、ハクロウはいいとしよう。
ただ、当の彼らはどうであろうか。
「略奪者って、迷宮都市に必ず必要なわけじゃないよね?」
「当然だ! むしろ一人とていらない! 近頃独立都市として昔以上に生活者の多くなった迷宮都市の治安をも乱しているんだ。探索者を襲う以上に、そういう方面にも彼らの悪い影響は強く出てしまっている」
「なるほど」
「俺たちは探索者だが、同時に迷宮都市の愛好家でもある。迷宮都市が活気立つのはそれだけで嬉しいし、人が移り住むにたる魅力的な街になるのは当然歓迎だ。同時に、その逆は嫌だと思う。俺なんかこの街に来て家族が出来てしまったからな。余計に都市として発達するのはありがたいところだし、治安が悪くなるのはとても心証の悪いところなのさ」
迷宮都市が思った以上に活気立っていたのは、やはり都市としての汎用的な機能を取得しはじめていたからか。
迷宮に潜るためだけの特化都市だったが、それが人の流入によって生活都市の機能も備え始めている。
ならば略奪者は余計に好まざる存在だろう。
あえて確かめるように訊いたが、シャルルから略奪者たちによって探索者の活気が失せ、それによって迷宮大変動時に救出がうまくいかないというのは聞いていたから、当然予想はあった。
やはり俺にとっても略奪者は好ましい存在じゃない。
災厄の原因を作るやつは、基本的に嫌いだ。
「そうか。じゃあ、やっぱり少し、この街で動く必要があるな」
「……?」
俺の言葉に皆は首を傾げたが、このことをあえて説明する必要はないだろう。
略奪者に対する牽制は危険だろうし、それに巻き込むのは俺も本意ではない。
ひとまずすべきことは、
「まずはあなた方を無事に家まで送ろうと思う。これは俺が勝手にすることだけど、まったく一人でいるよりは何人かで帰った方が略奪者に目をつけられづらいかもしれない。――ハクロウ」
「我は別にいいでござるよ」
ハクロウに言うと、どうやらハクロウは俺の言わんとすることを察してくれたらしい。
「おお、本当か。なんだかこちらの方が経験者であるのに、助けてもらってばかりですまないな。迷宮の帰り道でも何度かフォローしてもらったし、面目が立たないな。しかしこれまでの君たちを見ているだけに心強い。俺たちの帰り道は被っているから、まとめて移動しよう。途中にどうしても裏通りを通らないといけないから、襲われるとしたらそこだ」
「場所に見当がついてるのなら話は早い。よし、じゃあ行こう」
探索者の一人が方向を指差してくれたので、俺が率先して前に進み出る。
すると、それまで唖然として黙っていたシャルルが、俺の横に小走りにやってきて、
「――ありがとう……ございます。旅の人に助けてもらってばっかりで、なんだか申し訳ないんですけど、でもそれ以上に――嬉しいです」
「俺だって助けてもらってる。案内してくれたお礼さ。シャルルがしてくれたことに比べたら、こんなのたいしたことじゃないさ」
「はい……はい!」
シャルルが頬を朱に染めて、少しうるんだ瞳を向けてきた。
それでいてその顔には笑顔が載っていて――
俺は思わずシャルルの頭に手を伸ばし、そのしっとりとした灰色の巻き毛に指を絡めて、その頭を撫でていた。
「んっ――うにゃあ……くすぐったいですよぉ……あっ、んんっ」
――んあっ!! 猫だっ!!
ふにゃんと表情をほころばせたシャルルを見て、内心に歓喜の叫びを浮かべた。
しかし、シャルルが身をくねらせながらもくすぐったいというので、すぐに手を引っ込めることにする。
と、
「あっ! もっと! もっと撫でていていいですよっ! い、嫌じゃないので!」
引っ込めようとした手をシャルルが猛烈な勢いで掴み、きらきらした目で俺に訴えかけていた。あれっ? 意外と撫でられることに積極的なの? シャルルってよくもじもじするけど変なところで積極的な気がする。
ともあれ、
――俺、もうここで死んでもいいかな。
一瞬思考が危うい方向へ流れた。




