20話 「神に駄々をこねる」
「それで、聞きたいこととはなんだ?」
「次の迷宮大変動について。ヴィルヘルムは迷宮に住んでるみたいだし、そのあたりの仕組みとか詳しく分からないかなぁって思ってね」
「大変動についてか。まったく予想がつかないではないが、私とて所詮は一個の生物だ。世界の仕組みそのものに詳しいわけではない」
「そっかぁ」
さすがに神でもなければ、自然現象がどうやって起こるかなんてわからないだろう。
竜族とはいえ細かいことまでは分からないということだった。
「だがいつ起こるか、という点では予想くらいなら立てられる。――おそらくあと三日前後で起こるだろうな。特に大変動に敏感なコロンの動きが近頃慌ただしい」
「ああ、あのリスみたいなのね」
「私を隠れ蓑にしていたコロンが、最近食いだめをしている。変動に巻き込まれたあとに餓死しないための補給なのだろう」
「ていうかなんで迷宮生物って大変動に巻き込まれても死なないの? 地層に潰されたりしないの?」
「空洞が生まれる位置が分かるのだ。なんとなく、という程度に。ここにいれば地層で圧迫されることはないだろうという勘が迷宮生物には働く。だからそこに身をすべり込ませるのだ。あとは大変動が終わるまでじっとして待っていればいい」
「まるで超能力だな」
そういう勘に関しては、いっそ術式よりも幻想的だ。
術式は確かに魔法のようだが、あれはあれで事象式が組まれている。その点で合理的と言えばそのとおりなのだ。
「じゃあ、やっぱりそこまでゆっくりしている時間はないっぽいね」
「そうだな。死にたくなければ早めに撤退するのがいいだろう」
「他の探索者にも伝えないと。――ヴィルヘルムはこのまま迷宮に?」
「うむ。私は私で目的があってこの地にいるのだ。私はもともと迷宮生物ではなく、言ってしまえばエイラと同じような探索者なのだが――」
「あ、そうなんだ」
てっきり生まれた時から迷宮に住み着いてる迷宮生物だと思ってた。
「ちと研究をしていてな。その調査に迷宮に潜る必要があったのだ。そうしてここにいるうちに、まあ竜族の便利な適応力のおかげで、大変動に対する勘も働くようになった。ゆえに潜りっぱなしだ。しかし一個前の大変動のあと、このように狭っ苦しい場所に収まってしまって」
「運が悪かったんだね」
「今までがうまく行き過ぎていたのだ。少し自省しなければな。ともあれ、やろうと思えば地層ごとぶち壊して外に出れるから、まあよいとしているのだ。しかし今それをやると他の探索者に危険をもたらしてしまうからな。だからおとなしく縮こまって調査を進めているわけだ」
地層ぶち壊すって相当だな。竜族ってやっぱすげえわ。
「次の大変動の時にでも久方ぶりに外に出るとしよう。大変動の時なら探索者も少ないであろうし、私のせいで誰かに危難が訪れることもあるまい」
「本当に皆が避難できてればね」
「まったくだ。そういうエイラはなんのために迷宮に来たのだ?」
ふとヴィルヘルムが小首を傾げて訊ねてきた。
おどろおどろしい様相だが、仕草だけ見れば可愛らしい小動物のように見えなくもない。
「その大変動で人が死なないように、ちょっと調査にね。ここで人が多く死なれると、〈英雄〉が呼ばれてしまうかもしれないから」
「ああ、そういうことか――」
ヴィルヘルムが納得の声をその場に落とした直後、その竜の顔の動きが露骨に止まった。
ハっと何かに気付いたように、その時を止めたのだ。
そうして目を丸めて、驚くような表情を浮かべたあと、またヴィルヘルムが口を開いた。
「――思い出したぞ、エイラ。英雄で思い出した。〈ジークムント〉の奴がかつて英雄転生の摂理を壊したいと言っていたが、その時にお前の名を聞いたのだ」
ジークムントという名前に、俺も聞き覚えがあった。
――『爺さん』の名前だ。
「爺さんを知ってるの?」
「ああ、知っている。神に喧嘩を売ろうとした同志みたいなものだからな。――そうかそうか。あの〈エイラ〉か」
ヴィルヘルムは少し嬉しげに竜顔の口角をあげて、笑って見せた。
「もう少しゆったりと話をしたいものだ。大変動のあと、お互い無事に外に出れたなら迷宮都市のはずれのマーシル大山で再び会おう。その時に私の知っている災厄の因子を教えてやる。隠居はしていたが、それなりに私とまみえた探索者もいたし、情報自体はある」
「――なるほど、俺の目的が何であるかを、ヴィルヘルムは知っているわけか」
「もちろん。英雄を救いたいのだろう? ――〈世界〉から」
そういう言い方をされると、ずいぶん大きな事柄に感ぜられるが、
「そんなたいそうなものじゃない。俺が気に食わないから、神様に駄々をこねようってだけだ」
「似たようなものだ。神に駄々をこねられることそのものが、第一常軌を逸している。別世界の格を持つお前は、果たしてどこまで神庭世界の神を困らせることができるのだろうな」
最後にヴィルヘルムがそういって、話は切れた。
わずかの間があって、またヴィルヘルムが言う。
「まあいい。まずは今を進めよう。お前の危惧するところは分かった。私の感覚では限界があるが、まだこの周辺に七、八人の探索者の気配がある。かなり深いところまで潜っているようだ。逃がすなら今から取り組むべきだろう」
「分かった、情報の提供に感謝するよ」
「まあ、その辺の事情は私には分からん。あとはそっちでうまくやれ」
「合点承知。じゃあ大変動のあとに」
「ああ、ちゃんと生き残れよ」
「当然」
そしてまたヴィルヘルムの身体が向こう側へと回って行った。
ごりごりと洞窟の外壁が削れ、その欠片が降ってくる。
ホント窮屈そうだ。狭いところでもぞもぞしてると猫っぽく見えなくもない。
俺はヴィルヘルムとの会話を切り上げ、再び来た道を戻るべく、くるりと振り返った。
そうして振り向いた向こう側。洞窟の曲がり角の隅で、本物の猫っぽい少女が、身体をプルプルさせながら顔だけひょっこりと出してこちらを見ていた。
まるで恐ろしいものでも見るかのような顔だ。
ねえ、ちょっとその顔やめて。結構傷つくから!
◆◆◆
「なんなんですか? もしかしてやばい人なんですか? エイラさんってやばい人なんですか? 天竜とのほほんと喋ってましたけど、頭おかしいんですか?」
「飛躍が甚だしいな、おい」
「だ、だって、普通ビビるじゃないですか! 天竜ですよ天竜!」
「すごく話の分かる竜だったよ」
「ま、まあ確かに竜族はとても頭の良い種族だって言いますし、きっとボクなんかよりずっと博識なんでしょうけど、でもあの力の強さがなぁ……」
来た道を戻りながらシャルルと会話をしていた。
シャルルはまだチラチラと後ろを振り返っている。
「自分より圧倒的に強い力を持っていて、そのうえ自分と違う姿をしていたら、確かに怖くなるかもね」
そこは否定しない。
言葉が通じたとしても、そもそも文化が違うかもしれないから、やはり逃げるだろう。
それは生物としての本能だ。正しい本能だと思う。
危機察知だとか、危機回避だとか、そういうのはどこの世だって生き物がいる限り必要なものだろう。
「シャルルは獣人種だから、そういうのにも聡いのかもしれないね」
「いや、獣人種じゃなくても天竜を見たら基本的に尻尾巻いて逃げると思います」
シャルルが軽く手を振ってビシリとツッコんでくる。
「俺の兄弟に〈天竜〉じゃなくて〈地竜〉を見たことがある奴がいるんだけど、そいつはその地竜となぐり合ったって言ってたよ。そのあと友達になったって」
「エイラさんの兄弟は魔人か何かなんですか?」
「一応普通の人族さ」
英雄種だけど。
「はあ……。なんでしょう、助けてもらった手前こんなことを言うのも失礼ですけど、ボクはとてつもない人に助けてもらったんじゃないかと思えてきました」
「俺はそんなたいそうな奴じゃないよ。兄弟はとてつもないかもしれないけど」
「いえ、その話を何気なくできてしまう時点でエイラさんも変わりありません」
「そ、そうか……」
シャルルに真に迫る感じに詰め寄られて、俺は思わず頷いた。近いから。
「まあいいです。なにはともあれ、無事ですし。――それで、大変動が三日のうちに起こるっていう話だったんですよね?」
「そうだね」
「じゃあ早めに救出活動しましょうか」
「シャルルもやるの?」
肩を回し始めたシャルルを見て、俺は首を傾げた。
「しますよ。ボクも探索者の端くれですから」
そういうシャルルは笑みを浮かべている。
その笑みを見て、俺はなんだか申し訳ない気持ちになった。
俺がこうして無理をしようとしていることで、シャルルを巻き込んでいるのではあるまいか。
シャルルは見るからに善人だ。
善人というとやや細かい判断を放り投げたような印象があるが、ともあれ、シャルルは目の前で困っている者がいたら率先して助けようとする人間だ。
だから、俺がこれからやろうとしていることに危惧を抱いて、俺のことを助けようとしているのではあるまいか。
「シャルル――」
「止めても行きますからね。大変動で探索者を死なせたくないのは僕の本心です。むしろ、エイラさんがやらなくたって、ボクは行きますよ」
「――うん」
「ボクだって何事もうまく収まるとは思ってませんけど、せめてうまく終わらせようという努力くらいは、してみてもいいですよね。――そうして負った責任は、自分でちゃんと背負いますから」
シャルルの目には強い意志が宿っていた。
俺にはそういう風に見えた。
言っても聞かない奴の目は、かれこれずいぶん多く見てきた。
英雄種なんてもんはだいたいそうだ。
弟や妹たちも所々で頑固な部分があったから、こういう目をする奴が多かった。
「――分かったよ」
だから、シャルルが自分の責任でそれをなしたいと思うのなら、俺は彼女を止めるべきではないのだろう。
ただ、いざという時は――
そんな彼女を助けたいと思うのも、やはり俺の勝手だと思う。
でもそれは言わずに、心に留めておいた。
俺はこういう繋がりに弱いんだ。
ちょっとした繋がりを断ち切る術に長けていない。
世界から完全に独立しているという素性が、俺の心のどこかに暗い穴のように存在していて、それゆえに、その穴を塞ぐための何かをこの世界での繋がりに求めてしまっているのかもしれない。
ままならぬことだ。




