17話 「水晶洞窟と健気な猫娘」
シャルルは経験者を自称するだけあって、確かに探索の術に優れているようだった。
斜め下にどんどんと続いて行く鍾乳洞窟は、徐々に形態を変える。
鍾乳洞から水晶洞へ。
煌びやかな宝石のごとき蒼い結晶が、外壁を彩るようになってきた。
加えて、斜め下への下降がさらに厳しくなる。
直角に近い。
こう上下関係なくうねっていると、自分が本当に地面と垂直方向に立っているのか怪しくなってくる。
重力だけが頼みの綱だ。
「えっ、ええっ!? 二人とも本当に迷宮初めてなんですか!?」
清涼とした声がその洞窟に響いていた。
シャルルの声だ。
「初めて初めて。危険なアスレチックみたいで楽しいな」
「さすがに垂直方向に下りることになるとは思わなかったでござるが」
「俺は狼が垂直に近い壁を余裕で降りてることに驚きを隠せない」
「ボクはお二人に驚きを隠せませんよ!」
元気な娘だ。
水晶洞窟を先導するのはシャルルではなく、俺とハクロウであった。
シャルルもかなり手慣れた下降を見せているが、「別に落ちてもいいや」な感じで適当に下りている俺と比べると、やはり慎重にならざるを得ないようだ。
いや、慎重に下りてくれ。
もし落ちたら大変だからな。俺と違って。
俺はたぶん、痛いかもしれないけど死にはしない気がする。
垂直方向に広がる洞窟の奥を見つめるが、底は真っ暗で見えない。
水晶洞窟の部分部分に光石が入っていたり、またどうやら先陣を切った者たちが目印のように術式灯を水晶壁に括りつけたいったりしているようで、意外と明るい。底が見えないのは単純に深いからだ。
「ゆっくりでいいからね」
「なんで経験者のボクが優しく心配されているのでしょうか……」
水晶壁の一部に手を掛けながら、棘のついた靴を器用に使って壁を下りて来るシャルルが、大きなため息をついた。
「というかハクロウさんはあれどうやって掴まってるんでしょうか……」
「爪と肉球パワーでござる」
シャルルの呟きをハクロウが拾って、何気なく返した。
ハクロウは洞窟の壁に身を預けるようにしながら、跳躍を重ね、徐々に下降して行っている。
四足で壁に立っているのはもうなんというか不自然さがすごいが、どうやら爪を壁に突き刺してストッパーにしたり、あの肉球で壁を掴んだりして落下を防いでいるらしい。
――なんて万能な肉球だ。
正直人型の俺でさえそれなりにちゃんと下りるのには苦労しているのに、狼の身体でそれをやってのけるのだから、いよいよもってハクロウのハイスペック具合が際立ってきた。
あれか、地球のどっかにいた崖を登るヤギみたいなもんか。
たまにどうやってそこ登ったんだよ、っていう写真あったりするよね。
「あっ、そこらへんに横穴あると思うので、そっちに行きましょう。たぶん下は真っ直ぐの道だから、すでに何人か手練れの探索者が向かってると思います」
「うむ、ではあちらに向かうとするか」
シャルルが上から言うと、一番下に陣取っていたハクロウが、ある一点目がけて壁を蹴って跳躍した。
するとハクロウの身体が壁の横穴に消えて行って、そこに空間があることを報せる。
あそこか。
ちょうど俺が掴まっている壁の反対側。ちょい下だ。
俺も狙いを定めて、跳躍の準備体勢を取った。
斜め下に跳ぶっていうのも、それなりにドキドキするものだ。
意を決して手を離し、斜め下に跳ぶ。
視界がすごい勢いで過ぎ去って行き、その最後でハクロウの白い毛を見つけて、
「よいしょっ」
そのあたりの水晶壁の突起を掴み、なんとか身体に制止を掛ける。
「す、すごい度胸ですね……落ちたら死ぬかもしれないのにジャンプするって……」
落ちても死なないと知っているからジャンプできるんだぞ。
さすがに生死掛かってたら躊躇します。
あっ、そんなヤバいものを見るような目で見ないでっ!
シャルルの純真な目が突き刺さるっ!
その二分くらいあとに、ようやくシャルルもその横穴に降り立って、「ふう」と汗をぬぐいながら一息をついていた。
「もしかしてボク、足手まといだったりします?」
「まさか。シャルルがいなかったら俺とハクロウは馬鹿正直に下に潜って行っただろうし、そうなったら先導している探索者の後追いにしかならなかった」
「そ、そうですか? ボク、役に立てていますか?」
両の人差し指をつんつんと合わせながら、少しふてくされたように言うシャルル。
「もちろん。シャルルがいてくれて助かったよ」
「うむ。我の鉱石のためにも、ぜひ力添えをしたもらいたいでござる」
「ホ、ホントですか! 喜んで!」
パァっとその表情が明るくなって、思わずこちらも頬が緩んだ。
――ハクロウ、目が穏やかな弓なりになってるぞ。
どうやらシャルルの癒しの力は狼にまで効くらしい。
◆◆◆
横穴から続く道はそれまでの道のりと比べると平坦だった。
ずいぶんと楽だ。
とはいえ、迷宮生物の件もある。
先頭を鼻の利くハクロウが歩き、それにシャルルが続き、後尾を俺が歩いた。――さすがに一本道ではハクロウも迷いようがないだろう。
これはいざという時にシャルルを守るための布陣だ。
布陣というほど大仰なものではないが、おそらくこれがベストだろう。
俺とハクロウに挟まれて歩くシャルルは、申し訳なさそうな顔で歩いていた。
「あ、あっれぇ……ホントにボクこれでいいのかな……」
いいんだ。
迷宮の情報を教えてくれるだけでとてもありがたい。
その上、危険のある迷宮においてこんな可憐な少女を先導させるなんて、男として看過しがたいところがある。
傲慢? いや違うな。
女の子の前で見栄を張りたくなるのは男の本能である。
ここで「いざとなったら俺が守ってあげるからね!」なんて台詞まではさすがに言えないが、実際そうなったらなんとかしてやりたいというのは本心だ。
「それにしても、迷宮大変動ってどういう原理で起こるんだろうなぁ」
歩を進めていくが、まだそれらしい危難の色は見えない。
だから、ここぞとばかりに俺はその話題を提供した。
「そうですねぇ。そもそも迷宮の存在自体がかなり不思議ですから、なんだか神様の悪戯なんじゃないかと、そんな風に思えてくることもあります。そんな迷宮に魅せられてしまっているボクたちが言うのもなんですけど」
シャルルは振り向いて、軽く笑みを浮かべて見せた。
「まあ、大変動が起こるおかげで未知が溢れてくるし、そのおかげでいろんな新種の鉱石やら植物やら、そんなものまで生まれるわけだから、一概に悪いとは言わないけど」
しかし、月に一度起こるという迷宮地層の変動は、一方で人を巻き込むこともある。
そして自然の意識無き暴力は、その地に住む人々にとって大いなる災厄になることが多い。
地震、海震、空震。
天候だってそうであるし、そういうものは前世においても猛威を振るっていた。
「良い面もある一方で、最近は悪い面が目立つようになってきちゃってるのかね」
「ええ、そのとおりです」
シャルルは弱弱しげな笑みを浮かべていた。
笑うというよりもどういう顔をしていいか分からないから、「とりあえず」という感じで浮かべた笑み。
「さっきも言いましたが、探索者が活動的だったころはそんなに多くの探索者が巻き込まれることはありませんでした。手練れの探索者が大変動を察して、他の新米探索者たちを救助したりしてましたから。まったく犠牲者が出ない月だってありましたよ。でも、近頃は〈略奪者〉のせいで探索者の活動が少なくなっていますから、救助活動自体も減ってしまって……」
「――うん」
「大変動に巻き込まれても、運よく空洞にでた人たちで、そのあと地力で帰ってこられた人もいます。でも基本的に巻き込まれたら地層に潰されるか、空洞に出ても変動した迷宮構造に翻弄されて出口までたどり着けずに餓死するか――」
シャルルの表情に影が差した。
「今月はもっと多くなるかもしれません。ボクがこうしてエイラさんたちについてきたのも、実はそれに少し関連してるんです」
「というと?」
「そろそろ大変動の時期ですから、今のうちに他の探索者に避難を呼びかけようと……」
なんて健気な娘だ。くそ、涙が出てきた。
「あ、あれっ!? なんでエイラさんが泣いてるんですか!?」
「い、いや、なんてことはない。これは汗だ」
「我も目から汗が……」
どうやらハクロウも俺と同じ心境だったらしい。
この位置からではあの表情に富んだ白い狼の顔は見えないが、すでに俺の脳内では涙にまみれたハクロウの顔が展開されていた。
「〈略奪者〉か……」
――略奪者の活発化が迷宮都市のバランスを乱してしまっている。
命をかけて迷宮に潜りたい馬鹿が集まる都市であったのに、今ではそれを付け狙う賊の街に変容しかけている。
そういう都市文化の変容が、同時に危難の種となっているようだ。
こういう変容の間に生まれるギャップが、えてして大事件のきっかけになるのだが――
「そうなると、そろそろ兄貴か姉ちゃんが来るころか……」
基準が定かではないが、すでにかなりの人数が大変動に巻き込まれている。
このままこれが大規模化して、さらなる人命が失われるとなると、『英雄』が来るかもしれない。
これは災厄の前兆だ。
災厄は英雄を呼ぶ。
そして英雄は災厄を世界から取り除く。
その命を使って。
英雄は災厄から世界を救う絶対的なヒーローのように思われるが、実はそんなにキレイなものではない。
英雄は無敵じゃない。
死ぬ。
失敗すれば、英雄は死ぬのだ。
死んで、また転生する。
まるで消耗品だ。
それだけは、なんとしてでも止めなければ。
「――そっか。じゃあ、俺たちも深入りしてる探索者がいたら、積極的に声を掛けよう」
そのためにも大変動に巻き込まれそうな者には避難するよう声を掛けねばなるまい。
単純に、人が災厄に巻き込まれるのは見たくないという気持ちもある。
「そうですね。――って、エイラさんも探索初心者であることを忘れないでくださいよ? いざとなったらボクが助けてあげますからね。今のところエイラさんとハクロウさんの手練れっぷりに探索者としてのプライドがズタボロですけど、大変動の察知と、逃走経路の案内くらいは僕の方が上手ですから。だから――ちゃんと守ってあげます」
シャルルが控えめな笑みを浮かべて言った。
遠慮するような笑みだが、言葉には力強い意志が乗っているように思える。
本気で俺を助けようとしているのだ。
――結婚したい。
思わず思考が飛躍した。




