「神庭世界:近き、あの夏の日」
少年が次に目覚めたとき、まっさきにその目に映ったのはこげ茶色の少し汚れた木目天井だった。
少年には目覚めるまでの記憶がほとんどなかった。
あったのは自分が別の場所の『誰か』であったという確信と、それを探るべくすぐさま稼働する理性。
なにが、どうなって、どうして。
しかし、もろもろの推測を進めようとしたところで、少年の意識は途端に薄くなっていった。
――思考が。
めぐらない。
どういうわけか考えるのが億劫になる。
過去を詮索する気力さえなく。
そういう思考能力の退化が、肉体の影響によって起こっていることに気付いたのは、少年が『地球世界』から『神庭世界』という異世界へ転生して、数年が経ってからだった。
少年は世界を越えて転生していた。
その転生にはほかの誰かの意図が絡まっていたが、肉体の幼さに釣られるように理性を退化させていくそのときの少年には気づきようがなかった。
◆◆◆
少年が諸々の事情に勘付いたのと、かつての生の記憶を断片的に思い出したのは、それから数年してからだった。
理性を働かせるには前世と同じくらいの時の経過が必要だった。
しかしいったん理性が働けば、そこからはすぐだった。
少年を育てていた人物がなにかと訳知りであったので、それも少年の記憶再起を助ける力となった。
少年は最初、二度目の生を認知するとともに、前の生との狭間で、自分を取り巻く関係のすり合わせに苦労した。
だが、かといって、
――これはこれで、俺の人生か。
二度目の生に対する少年の思いは、そう卑屈なものでもなかった。
前の生で、最後に妹を助けられたという実感があったから、大きな未練を感じずにいられたのかもしれない。
そして加えていえば、少年には卑屈になっている余裕もあまりなかった。
◆◆◆
少年にはまたも兄弟姉妹がいた。
それも十三人。
上に七人、下に六人。
少年はその間だった。
またもある意味絶妙で、ある意味中途半端な位置だった。
だが、今回はさらに数が多いうえに、なにより兄弟姉妹の癖がやたらと強かった。
彼らは前の兄姉と比べても、遜色なく優秀ではあった。
しかし、
放っておくと死にそうであった。
諸処理由はあるが、とかく命の危機にさらされることが多かった。
加えて、後から生まれてきた弟妹たちも、前世と同様に自慢したくなるほど可愛かったが、
放っておくと兄姉と一緒に死にそうであった。
少年は唖然とした。
前世の自分の兄姉妹たちは、やはりとてつもなく優秀で、かつとても素晴らしい場所に生きていたのだと思った。
その時点で、そもそもほとんどなかった前世への未練は、完全に少年の心から消えた。
――あいつらは大丈夫だな。こっちがヤバすぎて霞むぜ。
少年の心に、情熱とも、心労ゆえの熱っぽさとも言えるよくわからないエネルギーが湧いていた。
◆◆◆
少年は二度目の生を受けても、やはり少年らしかった。
いまだに雲になる方法をときどき頭の隅で考えていたし、相変わらず性根は変なやつであったが、
兄弟姉妹に対する親愛の念は強かった。
しかも、今回はどうにもほうっておけない感じの兄弟姉妹である。
それゆえに、少年の兄弟姉妹に対する親愛というか、心配というか、そういうものはむしろ大きくなっていた。
◆◆◆
一方で、神庭世界に転生し、少年にも新しいものへの情熱が湧いていた。
特に神庭世界には前世でいうところの『幻想的なモノ』が数多く存在しているようだったし、少年にはそういうものが魅力的に映った。
ただ、少年にはそういうものに全霊を傾けられるような『平穏』がなかった。
少年の言う平穏。
いうなれば、だらりだらりとやりたいように過ごすための環境。
前世では、社会化を前にしたモラトリアム期間ということで、そういう環境を追求しやすかった。
でも、神庭世界での少年にはそういう平穏が欠けていた。
原因は兄弟姉妹だった。
彼らがどうしようもなく強大な役割を背負っていたから、少年はそれが気になってしょうがなかった。
そのせいで兄弟姉妹たちが死ぬかもしれないとあっては、余計にそうだった。
兄弟姉妹のこととなると、少し衝動的になってしまう。
考えないようにと思っても、やはり憂慮してしまう。
少年は何の憂慮もなく、一種の無敵感さえ感じる爽快な状態で、自分の好きなことに埋没する『理想』を求めた。
ストレスフリーな趣味空間を求めた。
それにはやはり、兄弟姉妹に対して心配性なところが邪魔であった。
かといって、その性分とも言えるどうしようもない性格は、いまさら変えられそうにない。
少年の物事に対する反応のパターンは、すでにそれが二度目の人生であるために、固まってしまっていた。
だから、少年は解法を逆方向から導くことにした。
「心配事を全部潰すか」
兄弟姉妹たちが命の危険にさらされる理由は、彼らが背負っている『とある役割』のせいだ。
ならその役割を壊してしまおう。
「神ってどこにいるんだろう。神にお願いすれば、どうにかなるのかな」
少年の口から唐突にそんな言葉が漏れた。
その時点で少年の言葉の意味を知る者は、神庭世界で少年を呼んだ者だけだった。
「神に〈英雄〉になることを定められたやつを救うには、どうしたらいいのだろうか……」
そんな言葉が宙に浮かんでパチンと弾けた。
「しかたない、ちゃんと爺さんの話を聞くか」
少年は、少年にしか理解できないであろう思考回路の中で、ひとつの決断を下していた。
「――我が憂慮なき平穏な日常のために」
少年は小さく口ずさみながら、辺境の生家の傍で木々の間を楽しげに駆けまわる兄弟姉妹たちを見ていた。
そんな決断をした日も、『いつかのあの日』のような、ミンミンとうるさい蝉の声が鳴っていた。
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