14話 「猫耳少女とナイフの刺さらない男」
「おら! さっさとその迷宮遺物よこせよ! ぶっ殺すぞ!」
「ヤだよ! なんでボクがお前らにこれを渡さなきゃいけないんだ!」
俺が出た場所は路地の角だった。
三人の大柄の男が一人の少女を囲むように陣取っているが、視線はこちらに向いていない。
まだ気付かれていないようだ。
次いで、抵抗の声をあげている少女に目を向ける。
純人族――いや、『猫耳』がついてる。
俺が間違えるはずがない。あれは猫耳だ。『マジモンの猫耳』だ。
ホットパンツを腰のあたりで佩いて、丈の短いシャツを着ている。おかげで思わず撫でたくなるようなへそ周りが露出している。
うっすらと縦に筋の入った細い腹部が見えていて、女だてらに身軽そうな印象を受けた。
そして腹部付近の露出度が高い理由をもう一つ知る。
尻尾。
尻尾が彼女の腰の裏の方から生えていて、それを外に出すために腰のあたりが涼しげな服を着ているのだろう。
猫のそれのようにゆらゆらと動くグレーの尻尾だった。
そうして観察していると、また一段と男たちの声が大きくなっていって、状況が切迫する。
俺の後ろから追いついてきたイゾルデとハクロウも、訝しげな視線を男たちに向けていた。
華奢な少女を三人の男が囲む光景は、どうやったって健全なものには見えない。
――潮時だろうか。
「迷宮に潜るだけが取り柄のお前は黙って迷宮遺物採って俺らに渡しときゃいいんだよ!」
「だめ! やだ! ボクはこれをしかるべきところで売ってちゃんとしたお金をもらうんだ! お前らはそうやって詰め寄って、いつもいつも迷宮遺物を取り上げていく! これじゃあ生活に困るのも当然じゃないか!」
なるほど、あれが〈略奪者〉と呼ばれる奴らか。
迷宮に自ら潜るわけでもなく、探索者が迷宮から帰ってきたところを狙って、その探索物を奪いとっていく。
まあ、悪い意味で賢い奴らだ。
あれがまた、問題なんだ。
あれのせいで〈英雄〉が呼ばれる可能性が増しているかもしれないのだ。
それに、現状を前にして、あえて助けずにいられるものか。
俺の正義感はちっぽけだが、それを軟な男の自尊心と、猫耳少女に対する好奇心が支える。
「じゃ、俺は助けに行くから」
「――うん」
俺の言葉は唐突だったが、しかしイゾルデは真顔で頷いていた。
彼女の細い指がまとめられて拳の形になっているところを見ると、彼女の中にもなにやら沸々と燃え上がるものがあるようだ。
ハクロウにいたっては、すでにどうやったのか剣鞘から剣を取り出して、その柄を口で咥えている。
横に咥えられた剣の刀身が、細い路地の壁をガリガリと削っていた。
「ハクロウ、やり過ぎるのはだめだから、まずは俺が行くよ」
ハクロウはどうやら好戦的な方であるらしい。
北大陸の方は戦乱色が強いというから、もしかしたらそういう影響もあるのだろうか。
――まあ、そのあたりはひとまず置いておこう。
今必要なのは男たちの注意を少女から俺に引きつけることだ。
そろそろ行こう。
「よし」
大きく足音を立てて、裏路地に飛び込む。
その音に気付いて悪漢たちが俺の方を振り向いた。
「――あ?」
なんて期待通りの反応だろうか。
コンビニにたむろするヤンキーでもあるまいし、視線を飛ばしただけでその威嚇はないであろう。
「ちょっと道をお訊ねしたいのですが……」
かくいう俺も、多分に言い訳が下手だと自覚している。
だがあえて格好よく「やめろ!」なんて言っても、相手も神経が逆撫でされてより場が熱くなってしまうことだろう。
それはダメである。穏便にいける可能性がわずかでもあるのなら、ぜひ――
「冥府への道ならすぐに教えてやるよ。――おい、やれ」
顎をくいっと俺の方に動かして、悪漢のうちの一人が他の二人に指示を出した。
――判断早過ぎねぇ?
こちらに向かって唐突に疾走を始めた二人の悪漢の手には、銀光を閃かせる短剣が握られている。
やる気である。――殺る気である。
後ろの方からハクロウの凄まじい唸り声が聞こえた。
獣の唸り声だ。
その音だけで身を震えさせるほどの威圧的な声。
しかし、俺はそれを手で制した。
大丈夫だと、片手を後ろに向けて開く。
それで伝わるかの確証はなかったが、ハクロウはどうやら察してくれたらしい。
そうして思考を巡らせているうちに俺の懐に二人の悪漢がやってきていて、
「逃げて! 危ない!」
絡まれていた猫耳少女が凛とした声をあげたが、すでに俺の腹部に二本の短剣が差しこまれていた。
◆◆◆
「――」
右に悪漢の頭が一つ。左に悪漢の頭が一つ。
なんてむさ苦しいんだ。
身体ごと突っ込むようにして短剣を突き出してきた悪漢の二人は、俺の身体に激突して止まった。
そして、
「――なんだこいつ……短剣が刺さらねえ……!」
「う、うわっ! 兄貴! バケモンだ! こいつ普通じゃねえ!」
ひどい言われようだ。
「あ? そんなわけねえだろ。ちゃんとぶっ刺せよ」
「だから、刺さらねえんだって!」
「なにいってんだ」そんな顔をして、懐から短剣を取り出しながらリーダー格らしき男が走ってくる。
俺はわざとらしく両腕を広げ、男を迎え入れるようにして仁王立ちした。
男の狙いは俺の心臓だ。
そして、
「――ありえねえ」
短剣の切っ先が俺の服を貫いたあと、しかし胸に刺さらずに止まる。
異様に堅い木材に突き刺したかのように、刃が刺さらずに止まる。
決して石のようではないが、しかし刃が刺さらない身体であることに違いはない。
これでも人体ではあるから、それとなく生物らしい柔らかさもある。
だから木材と微妙な表現をしたわけだが――
「死にたくなければ短剣を捨てて降参しろ。お前らが疲れるまでずっと刺されてやってもいいが、たぶんその前に俺の後ろにいるおっかない狼がお前らを食い殺すだろう」
指を後ろに向ける。
その指に釣られて男たちが後方を向く。
それに合わせて俺も視線を向けると、そこには――
「ひっ!」
剣を咥えながら牙をむき出しにする白い大狼がいた。
凄まじい迫力だ。
食い殺されるとの言に俺自身納得を感じてしまう。
「うあ……!」
男たちは口から呆けた声をあげて、一目散に逃げ出した。
三下らしい捨て台詞もなく、命からがらという体だ。
――あ、ちょっと、逃げるのかよ!
逃げる前に略奪者のコミュニティとかについて訊きたいんだけど。
ついでに一応短剣を突き立てられたくらいだから、どっか警団的なところに引き渡したいんだけど――そういうのあんの? もしかして野放し?
サリューンの仕組みが分からない。
しかし、まずはとっ捕まえておこうか。
そう思って一歩を踏もうとしたところで、
「あんた馬鹿じゃないの!? 怪我は!? 見せなさいっ!」
イゾルデが俺の傍にまで走り寄ってきて、鬼の形相で俺の襟首をつかんでいた。
顔を近づけて怒った風に言ってくる。
彼女はすぐに俺の胸元に視線を向けるが――
「血が……出てない……」
「そりゃあ、刺さらなかったからね」
「ど、どういう身体してんのよ」
イゾルデが信じられないと言わんばかりに目を見開いている。
そんな会話をしている間に、どうやら男たちは逃走巧者だったらしく、霞のように姿を消してしまっていた。
どうやらイゾルデも俺に次いでそのことに気付いたらしく、
「あ……ご、ごめん……」
素直に謝ってきていた。
「いや、俺が変な受け方をしたせいだ。あらかじめイゾルデに言っておくべきだったよ」
まともな人間ならそりゃあ驚くだろう。
加えて刺された者が知人であれば心配もするだろう。
イゾルデの反応はもっともで、さらに言うなら――ありがたいものだ。
「案ずるな、イゾルデ。我の鼻がまだ居場所を捉えているでござる。ちと行ってくるでござる」
「――ハクロウ」
「うむ、分かっているでござる。少しは手加減するでござるよ。――少しは」
「――うん。俺もどうこうしろって強制はしないよ」
「気遣い癖があるでござるな、エイラは。まあ、悪い気はしないでござるが。ともあれ、自分が絡まれた者が次の日街中で死体見つかった、というのは居心地も悪かろう。その辺は考えいるでござる。――では」
そう言ってハクロウは路地を駆けて行った。
◆◆◆
俺はハクロウの後姿に心の中で礼を言い、次いで、目の前でまだ不安げに俺の胸元を観察しているイゾルデに視線を戻した。
「本当になんともない? 本当に大丈夫? 痛かったら痛いっていいなさいよ? 薬でもなんでも買ってくるから」
「大丈夫大丈夫。ごめん、先に言っておくべきだった」
「でたらめだとは思っていたけど、まさか短剣が刺さらないほどだとは思わなかったわよ」
まったくもって、俺もそう思う。
転生者として生まれた当初は、さすがにここまでぶっ飛んではいなかった。
しかし、幼少時から馬鹿みたいにひたすら研鑽してきた結果、徐々に傷に強くなっていって、挙句の果てにこれだ。
俺の魂は一体どんな身体を生み出したのだろうか。
とかくこの身体は『覚えが良い』。
――慣れるのだ。――傷に。
その代わり、あらゆる傷に慣れるために、俺は実際にそういう傷を受けてきた。
爺さんはスパルタだ。我ながら頑張った方だと思う。
一番内臓系がきつかったわ……。
『今日はこの毒だ。解毒薬はない』お前本当に俺の保護者かよ。
そうして俺が過去の凄惨な鍛錬の日々を思い出して震えはじめたところで、ふと別の声が掛かった。
「あ、あのっ!」
例の絡まれていた猫耳少女が、ぴょんぴょんと軽快な動きで走り寄ってきていた。
中性的な美貌の美少女だ。
すらりと伸びた四肢に、イゾルデと比べるとやや控えめな胸元。
ほっそりとした腰に、小さな尻。
加えて俺としては、引き締まった腹筋がうっすらと浮き出ているのが最高にグッドだと思う。
撫でてぇ……。
「助けてくれてありがとうございました!」
快活な少年のような声とはきはきとした動きで、猫耳少女は頭を下げる。
誠実な礼に、俺もやや変態的な思考を追いやってから軽く答えた。
「どういたしまして。出しゃばっちゃって申し訳ないね」
「とんでもないです! 本当に助かりました!」
顔を上げた彼女は、少し巻き毛掛かったショートボブの灰色髪を揺らし、さらにその頭から生えた三角の猫耳をピクピク微動させて、満面の笑みを浮かべた。
こちらの笑顔まで誘発させてくる、魅惑的な笑みだ。
「あの、よければ何かお返しがしたいのですが――」
昔の俺なら、「いえいえそんなこと」とか言って身を引いたかもしれないが、こっちの世界で十七年をしごかれた俺は、さすがにそこまで謙虚ではいられない。
精確にはあの姉妹たちと一緒に育っておかげだ。
謙虚でいた日にはどこまでも好き勝手をされる。謙虚でいることはあの場合玩具になることを意味した。
「じゃあ、迷宮都市についていろいろ訊きたいことがあるから、一緒にご飯でもどう?」
なんでか知らないがイゾルデに尻を抓られた。
ともあれ、先ほどちらと聞いたところ、彼女は〈探索者〉であるようだし、迷宮都市サリューンの情報を訊くには現地人が一番であろう。
「喜んで!」
少女の可憐な笑顔が、俺にはやたらに眩しかった。
あっ、ちょっと、そんなに抓らないでくださいよ、イゾルデさん!
そうして、ハクロウが戻ってくるのを待ってから、俺たちは少女にサリューンを案内されていった。