10話 「少女と寝間着の輝かしい威力」
それから他愛のない会話を重ねていって、気付けば辺りが暗くなっていた。
――夜だ。
◆◆◆
迷宮都市サリューンまではまだ距離があるが、真夜中にまで歩くわけにもいかないので、イゾルデと話し合ってひとまず野宿をすることに決めた。
自分自身の過ちに気付いたのはその時だった。
「……」
イゾルデがジト目でこちらを見ている。
髪を梳かし終えた彼女は、再び金糸の長い髪を首に巻いて、まるでマフラーのようにしていた。
その姿は独特の艶やかさを醸している。
「ねえ、エイラ」
「はい……」
そんな彼女が、すうっと目を細めながら俺の名を呼んだ。
名を呼ばれただけなのに、なんだか怒られている気分だ……。
彼女が何を非難しているのか自分でも気づいているから、余計にそういう気分になるのだろう。
「テントとか、持ってないわけ? ――ああ、私はいいのよ。私はちゃんとバックパックの中にテント入れてあるからね?」
なるほど、このやたらにどでかいバックパックの中には行商用の商品以外に旅道具も入っていたようだ。
かくいう俺は手荷物すらない。
たぶんこの状態で長旅に出るなんて言われたら、三回頭を叩かれたあとに正気を疑われるだろう。
常識に照らし合わせればそうであろうという客観視は俺でもできる。
できるが、さすがに十七年もこの身体でいるので、麻痺してくる部分もあるのだ。
「持ってないです……」
なんたって、三日間走りっぱなしで迷宮都市までを踏破しようと思ってたからな。フフッ、マラソンは得意さ。
「てっきり私、『もしかして収納術式とかで荷物を隔離してるのかしら。さすが英雄の弟ね』なんて思ってたんだけど、まあ途中であんたの話聞いて、術式が苦手っての聞いた時に『あれ、もしかして――』とも思ってたのよ」
大正解! 察しが良いね! 高得点だよ! ――くそっ! なんて人を馬鹿にした顔をしやがる! 絶妙な表情だなっ!
怪訝な色と、憐れむ色と、蔑む色。これらが絶妙な分量でブレンドされて、我が心を切り裂いてくる。残念ながら俺の業界ではご褒美ではない。
「でも分かったわ。あんたは規格外の馬鹿なのね」
「取り返しのつかない馬鹿みたいに言わないで……」
「褒めてるのよ」
「あっ、そ、そうか」
「嘘よ」
こいつっ……!
簡単にあげて落とすに引っかかる様はイゾルデから見れば犬のように見えただろう。我ながら惰弱な忍耐力であると今思った。
「まあ、私があんたを引き留めた以上、あんまり非難はできないんだけど。――でもやっぱりおかしいわよ。だって、桜国を出る前に話しかけたんだから、その時に気付いていれば旅具の一式や二式揃えられたのに……。お金がなければ私が貸してあげたし……」
イゾルデは首に巻いた自分の髪を撫でながら、大きなため息をついていた。
「お、俺は外で寝るからいいよ」
「さすがに私だってそこまで悪魔じゃないわよ。――でもちょっと決心が必要なだけ」
そう言いながら、イゾルデが少しもじもじしている。
両手を胸のあたりで組んで、やや俯き気味に言葉を紡いでいる。
耳が赤いのを見ると、なんだか恥ずかしがっているようだ。
そんなイゾルデが、ついに何かを決心したように顔を上げた。
「――よし、いいわ。じゃ、しょうがないからあんたは私のテントで一緒に寝なさい」
「い、いや、さすがにそれは……」
ここで「ウッヒョー」と叫んでイゾルデに抱きつくほど、俺は色情に魂を売っているわけではない。
わけではないが――胸が高鳴らないほど木偶でもない。
お、女の子と同じテントか……。
「いいから、別に変なことしなければ気にしないわよ。――したら殺すけどね。力で敵わなくたって、呪うとかそういう方法もあるから、問題ないわ」
「俺的にそれは大いに問題ありなんですけど」
末代まで祟ってやるとか、そういうのでしょうか。
「さ、さすがに俺もそこまで見境なしじゃない」
かといって、彼女の提案をあえて無碍にするほど控え目なわけでもない。
厚意は受け取るべき時もある。
「じゃあ、その――お願いします」
この場合、これで言葉は合っているだろうか。
「ちょ、ちょっと! なんかするみたいになるから『お願いします』はやめてよ!」
合っていなかったようだ。
◆◆◆
今いる場所は街道から少し離れた森林地帯。
街道自体が鬱蒼とした森の中へ続いていたので、奥深くに進むよりも手前で一泊することにした。
街道から少し離れ、ちょうど巨木が街道からの視線を遮るような場所があったので、そこに荷物を降ろした。
一晩を過ごす場所を決めたあと、イゾルデが『火樹の枝』という長期に渡って火の燃料材になってくれる木材をバックパックから取り出した。
それに『火精石』で火をつける。
火気を司る精霊が込められた特殊な石を二つ打ち付けると、宙に綺麗な火の華が咲いた。
空中で燃え続ける火の塊だ。
それに火樹の枝の先端を突っ込んで、火をつける。
あっという間に篝火が完成した。
篝火の前に座り込みながら、イゾルデに食材を分けてもらって、軽く飯を済ませた。
良く分からないところで生態能力が尖がっている俺は、三日くらい飯を食わなくてもなんてことはないのだが、イゾルデが「私だけで食べるのもなんか寂しいから」と言って乾パンを手渡してきた。
それに桜国原産の餡子を塗りつけて、口に運ぶ。
甘い。
和菓子の味だ。
懐かしい気分になる。
前世日本で和菓子的甘党に入党していた俺からすれば、久々の餡子の甘みは身に染みた。
その後、イゾルデのテントを俺が組み立てて、いよいよ寝ることにした。
「……き、緊張しますね」
「なんであんたが緊張すんのよ! 私の方が緊張――じゃなくてっ!」
まだまだイゾルデは饒舌だ。頬を朱に染めて大きな身振りで抗議の声をあげている。少し怒っているような顔も、なかなか魅力的だ。
見上げれば、夜空の景色を森の木々が遮っていた。
しかし、その枝の隙間から星の輝きがちらほらと見えて、それとなく幻想的な美しさを感じさせる。
月は二つ。
ほのかに蒼い月と、ほのかに赤い月。
俺には前世の記憶があるから、夜空に光る大きな天体を見つけるとどうしてもあのクリーム色の月と重ねてしまう。
しかし、こっちの世界では、
「〈青月〉と〈赤月〉、今日も綺麗ね」
イゾルデの言葉のごとく、青い月の名が〈シリス〉で、赤い月の名が〈リィム〉というわけなのだ。
北方大陸の方で大昔に流行った神話内の言葉を流用しているらしい。
その神話内では、蒼い月は男の星神で、赤い月が女の星神だった。
一か月に一度それが交わって、そしてまた離れていく。
仲睦まじくていいね、と思う傍ら、大人になってくるとそれにやや艶めかしいものを連想してしまうのだが、致し方ないだろう。
事実、月に一度の月の交わりの日には、まあそういう営みが合わせて行われることも多いという。
今のところ俺には関係がないから悲しくなるところだが、大丈夫――これからさ。ああ、きっとな……! まだ人生は始まったばかりさ……!
「さて、じゃあ、明日も朝から旅路だし――そ、そろそろ寝る……?」
イゾルデが少し首を傾げて、頬を上気させながら訊ねてきた。
破壊的な仕草だ。何に対してかといえば、俺の理性に対して破壊的なのだ。
可愛いな、くそう!
「じゃ、じゃあ、お邪魔しようかな――」
言いながら、欲望に自制の鍵を掛ける。
「う、うん。あの、ちょっと待ってて? 中で寝間着に着替えるから……ね? す、すぐだから待ってて?」
ああっ!! 自制の鍵が寝間着の響きにすでに三つ割れてしまった!! ――んああっ!! 照れ隠しのように小首を傾げるんじゃない!! 鍵がっ! 丹念に掛けたはずの鍵がっ!
俺が内心で煩悩と激しい戦いを繰り広げている間に、イゾルデが先にテントの中に入っていった。
しばらくしたあとに入り口から手を出して、俺を手招きしてくる。
どうにか自制心を取り戻した俺は、その細い指に誘われるようにして、彼女のテントに入っていった。
◆◆◆
残念ながら、特に何事もなく就寝した。――イゾルデが。
疲れていたのだろう。
――あ、でもちょっと寝相悪いかもしれない。
足が、足がこっちの腹に落ちてきた。
寝返りが激しい。
こちらに寝返りを打ってきた拍子に、彼女の顔が近づいてくる。
遠心力で勢いよく振られた金糸の髪が、俺の顔にバサリと飛びかかってきた。
えっ、これ起きてるとかじゃないの? 髪が飛んでくるってすごい勢いだよ?
俺、このままちゃんと眠れるか不安になってきた。
顔に掛かったイゾルデの髪を手で優しくどかしながら、一息つく。
イゾルデの髪の匂いがまだ顔の近くに残っていて、ものすごく良い匂いが鼻腔をつついた。
なんで女の子って、こんな良い匂いするんだろうね。
さて、余韻に浸っていたいところでもあるが、ひとまず俺も寝ることに集中しよう。
頭の中で羊でも数えていれば、気付いたころには寝ているだろう。
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