とあるビッチの得恋。
☆いきなり、ラブホ。下ネタ注意です。
──明日のプレゼン、お前の企画を加えて欲しければ、今晩付き合え。
先輩のアシスタントについて半年。会社で支給されているスマートフォンで呼び出された私は、待ち合わせ場所へ着いて三分後にはボロ汚いラブホテルへと連れ込まれていた。
「先輩て以外とケチくさいですね」
「お前の品位に合わせた」
ドアが閉まるなりベッドに押し倒され、鞄の中身が床に散らばる。後で拾うのが面倒だな。
「先輩て以外と性急ですね」
「明日寝過ごしたくないからな」
「先輩、シャワー浴びないんですか」
「人をバイ菌扱いするな。お前こそ──」
「明日寝過ごしたくないんで、八時にはお風呂入って九時には布団の中でした。眠りを妨げたのが先輩からの電話でしてね──」
「わかったよ、入ればいいんだろ! 逃げたらクビにしてやるからな」
逃げませんよ、こんな好機逃してなるものですか。
「ふわぁあ……」
でも眠いなぁ、昨日先輩に頼まれた企画書徹夜で作ってたからなぁ。もう歳かもしれない、息切れ動悸で頭がクラクラするわぁ。明日は正念場だから今夜はゆっくり眠ろうと思っていたのに、まさか前日にご所望とは。前夜祭的なやつか。態々会社用のスマートフォンに証拠を残すなんて……馬鹿だなぁ。
シャワーの音が遠退いていく。
「結局先輩も、あいつらと同じ穴のムジナ──か」
私が働く会社は日本を代表する広告代理店だ。
最寄り駅地下道から直通二分。
東京都市ど真ん中に建つ本社ビル。
高校生の頃からずっと憧れだった、銀色に輝く巨塔。この会社において目指すはクリエイティブ科。この部署で一流のグラフィックデザイナーになることが、私の夢だった。
短大卒業後、新卒で見事内定をもらい晴れて社員となれたのだが──それから三年間、私にって暗黒の日々が始まる。
世は、というかこの会社は未だ学歴社会。美大とはいえ短大は短大、私が入社し始めて与えられたデスクは地下倉庫。パソコン一台どころか鉛筆一本握らせてもらえない庶務科だった。
庶務科は全部署の雑務を担う本腰の庶務科。毎日ビル内を徘徊する内に私はこの会社に循環する悪玉コレステロール等を目の当たりにした。権力を駆使し女子社員を食い物にする重役ども──。こいつらを掃討しなければ、一女子社員がクリエイティブ科への出世など皆無。
単純にイラッとした。諦めてなるものか。私には学歴や権力はなくても、女の武器がある。二十歳まで染めなかった髪を染め、化粧をし、学生の頃はコンプレックスでしかなかった胸を寄せて上げた。
それからというもの私はひたすら悪代官を狙い撃ち。女子社員の尻を執拗に追いかけ回す庶務科課長に始まり、リストラ脅迫で社員をホテルに連れ込む人事部長を社会的に抹殺、その他もろもろ。最後にはクリエイティブ科部長を誘惑し、私の転属許可にサインさせてから奈落の底に突き落としてやった。アシスタントを次々と愛人にし飽きては捨て、若い芽をここぞとばかりに潰してきた重罪人だ。
もちろん、その代償に私へ向けられる社員の目は冷たい。
裏では犠牲女子社員に感謝されているが、表面ではすっかりビッチの悪名が流れ、そのうちクライアントにも手を出すのではと「広告代理店の魔女」なんて異名までつけられている。社長をパトロンにしているからクビにならないのだとまで。パトロンいたら、アクリルガッシュ箱買いしてるっつーの!
本人である私は全く気にしていない。だって掃討の結果、晴れてクリエイティブ科の一員となれたのだから。
転属初日。同じく配属されたばかりの新部長に「別にそっちじゃないから」とビクビク呼び出された会議室に先輩はいた。そっちて、どっち。
「き、今日から君は、佐伯君のアシスタントに入ってもらいます」
「佐伯優馬です、宜しく。久しぶりだね」
長身で、スレンダーな身体にのる顔は小さく、黒縁眼鏡の奥はつぶらな瞳。にっこりと砕けた笑顔はあら眩しい。
私は六年前の面影を残し、成長した彼の姿に思わず息をのんでしまった。
もちろん、庶務科徘徊当時に何度か社内ですれ違っている。それでなくても入社二年でテレビCMのアートディレクターに抜擢された若き天才グラフィックデザイナーは会社でもメディアでも有名人だ。
でも、そんなに真っ直ぐな眼で「久しぶり」なんて言われたら、いやでもあの頃を思い出してしまう。
「お久しぶりです……佐伯先輩」
あの頃といっても、私の一方的な片想い。高校二年間──同じ美術部で、放課後肩を並べて絵を描いているだけの、淡い淡すぎる青春の一ページ。
「女は変わるっていうけど、ここまでとはな──ガッカリだよ」
先輩は私と二人きりになった途端に態度が豹変した。何故だろう、あの頃の私はカビが生えたみたいに地味でブスだった。今の方が明らかに眼には優しいと思うのに。ここはキャバクラじゃないんだと、イモ臭いジャージを投げ付けられた。何さ、ちょっと谷間がみえたくらいで。あれ、よく見たら母校のジャージだ。先輩、物持ちいいー。
私に用意されていたデスクは先輩と向かい合わせの広い作業台。パーテーションで仕切られた豪華な個室だ。パソコンはもちろん、タブレット、スマートフォンまでが配給されていた。
でも私がこのデスクにいる時間は出勤時の五分と退勤時の五分の合計十分。初日から半年経つ今の今まで私は先輩のパシリだった。
会議室をおさえ、倉庫にプロジェクターを借りにいってはドリンク調達、企画が通れば撮影チームとのスケジュール調整、会社と印刷所の往復。十センチあったヒールは一ヶ月で磨り減り、以降ノーヒールに履き替えた。
社内では優良社員がビッチに首輪をつけたぞ、なんて噂されている。
「散々パシらせ、虐げているのに何故めげない」
「だって、凄く勉強になります!」
この半年、私にとっては天国にいるような日々ですよ。グラフィックデザイナーを目指す身には見るもの聞くもの総て新鮮で、貴重な経験ばかり。先輩のプレゼンを見た日は必ず復習ノートに手書きで書き込んでます。
その夜は先輩が手掛けた化粧品広告の市場評判がよく、打ち上げを称し初めて私を飲みに連れていってくれた日のこと。居酒屋だけど。立ち飲みの。
「最近、お前のふしだらな噂を聞かないな」
「はい! 悪代官の掃討は完了しましたから」
それにクリエイティブ科に入れたら、後は自分の才能との勝負です。今はアシスタントで仕事の流れを掴みながら、アイデア力を養う時。
その後何年も努力が実らなくても、それが自分の才能の限界だと素直に認めるしかないと思う。
「先輩こそ、最近土日も出社されてるみたいですけど仕事にのめり込みすぎやしませんか? 園田先輩に愛想つかされても知りませんよ」
園田先輩とは先輩の同級生で、高校生の時からの恋人だ。大学卒業したら結婚するなんて宣言するほどラブラブだったので、私のようなゴミ女子には当時つけ入る隙などなかった。
給湯室なんてやらしい場所で女子社員に告白されても、飲み会の席で誘惑されても、なびかなかったのは彼女を大切にしていたからではないのですか。
「白石のような女に忠告されたくはないんだが。それに俺は今フリーだ」
「ひどーい、先輩。まさかふったんですか。園田先輩のこと一生大切にするって言ってたじゃないですか」
「……園田が言いふらしていただけだろ。それに、あいつが俺を裏切ったんだ」
「園田先輩が?」
え? 二股?
大学入って三ヶ月で?
「去年、どっかの御曹司と結婚したよ」
「おふられになったのですね、先輩」
「だから俺は、お前のような不貞を働く女が大嫌いだ」
トラウマになるほどの失恋だったのですね? 故に女子が言い寄ってきても、無下に断ることしかできないんですね。女性恐怖症ですね、先輩可哀想。
もう二度と私みたいなアバズレに引っ掛かっちゃ駄目ですよ?
なんて酒酌みしながら、ちゃっかり自己アピールにデザイン画を見せたりした。
まさかそのデザイン画が次の企画対象と性対象に選ばれるとは思ってなかったけど。
もうっ、先輩たら。
アバズレに引っ掛かっちゃ駄目って言ったのに。
「おいっ、起きろ!」
「ふぇ……先輩、もう朝ですか」
「まだ一時だ。そうか、寝てごまかしてやり過ごすつもりだな。そうやって何人もの男を巓落させていったのか」
「先輩ひどいです、違いますよう。何時もなら一服盛った後に証拠写真を撮って五分でさよならです」
遠慮なしに家庭に会社に警察に写真をばらまいて三年間生きてきました。
「今日もそのつもりだったのか」
「はい、一服盛る前に連れ込まれてしまい、自分が寝てしまった次第です」
「やっぱりお前は最低なビッチだな、──帰れ。明日の朝にはお前のデスクが消えてるよ」
ひどいです、先輩。
終電もないのにどうやって帰れというんですか。一アシスタントがタクシー拾えるお金持ってる訳ないでしょう。一晩くらい我慢して寝かせてくださいよう。
え、駄目?
わかりました。
「さよならです……、先輩」
人を休日に呼び出しておいて、思うようにならないと権力振りかざしてクビだなんて、やっぱり先輩はあいつらと同じじゃないですか。
今にもワイヤーが切れそうな、ガタガタ揺れるエレベーターに飛び乗るが一階に着いてようやく気付いた。──財布もスマートフォンもない!
必死になって鞄にいれ集めたのは、もう必要ない企画書や会社のスマートフォン。戻らない訳にもいかず、仕方なくまたおんぼろエレベーターに飛び乗った。追い出された身分が出戻りて私、カッコ悪すぎる。
いや、財布はともかく、今スマートフォンを見られては困るのだ。親友のみっちゃんとのラインのやり取りは眠りこけてしまう直前まで行っていた。
返信がきていたら、ディスプレイに出てしまう。更に中身をみられたら私の黒歴史がご開帳に──!
「先輩、すみません」
「…………」
「せんぱーい! なんと私、財布と携帯忘れちゃいました!」
「…………」
「ないと帰れません! お願いします! みたくない顔見せなくていいので、ドアの隙間からいただけませんか!」
「…………」
「せんぱーい! どうかお願いしま──、っ」
い、息ができない。
部屋にまた連れ込まれた。デジャブか。
「ぷはぁ、──た、タンマです。先輩、まさか私の携帯見てませんよね!」
「見ていない。中身はな」
ジャ、ジャーン。と掲げられたどでかいスマートフォンのディスプレイ。無駄にでかい。よく見える。何故こんなでかいディスプレイ選んだ、私。タブレットかと見間違えたわ。鮮やかな緑色の新着メッセージが眩しいっ。
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どうだった?
初恋の彼との、記念すべき初・体・験は!
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ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっみっちゃん覚えていなさい今からタクシー拾って叩き起こしタクシー代払わせた挙げ句にあなたのプリチーなお顔ボコボコにしてやるから!
「あ、ご丁寧にどーも、ありがとうございまーす。それでは先輩、さようならー」
「帰すわけないだろうがぁあ!」
あぅっ、またベッドに押し倒された。デジャブだ。
「俺を騙せると思うなよ、どうせこれも巧妙な罠だろう。こんな誘うような格好身体したエロ女が、初恋とか誰が信じるか!」
「ごもっともです! ですので白石は潔く帰りたいと思います!」
「帰るだと? 二千円ぽっきりで何処に帰るんだ? お前はパトロンがいるんじゃないのか、今時小学生でももう少し持ち歩いてるぞ!」
「給料日前でもないのに、画材で使い込みました! すみません! 歩いて帰ってみせますのでどうかお許しを!」
「最初にのこのこついてきたのはお前だ。今更いやがるな」
「先輩こそ、なぜ今更ヤる気に」
「嘘か本当か、確かめてやりたくてな」
「嘘です! 罠です!」
「……罠でも、いい」
先輩、私を呼ぶまで一人寂しく家飲みしてたんですか。綺麗なお顔が真っ赤です。
え? シラフ?
「好きだ」
眼鏡取って、仔犬のようにキュートな眼差しで訴えないでください。
私も好きです。
ずっと好きでした。
初恋が忘れられなくて、他の人と付き合えないなんて、今時あり得ない。馬鹿みたいですよね。
これでも先輩が結婚したら諦めるって、ちゃんと考えてたんですよ。まさか上司になるなんて、園田先輩と別れてるなんて、少女漫画みたいな展開、いやでも期待しちゃうじゃないですか。
一度だけでいいから思い出に、なんて甘い夢、見たっていいじゃないですか。
──でも、ちょっと待ってください。先輩の、どうみても私のとサイズが合わない気がします。
「私達、身体の相性良くないみたいです。やはり出直そうかと」
「出直してどうにかなるのか。だが……あれだな、服を着ろ」
「よかった、私のチープな身体に幻滅して帰していただけるのですね。我が家までのタクシー代五千円ほど貸していただけますか」
「本当に初めてなら可哀想だからな。帰してやろうと思ったが、エロすぎて治まりそうもない。いくぞ」
……は?
俺の家の方が近い?
ちょっと待ってくださいよー。
あれ、深夜なのにアッサリとタクシー捕まるもんなんですねぇ。
へぇ、ここが先輩のマンション。世田谷一等地じゃないですか、インテリ臭がプンプンしますよ。
「初体験がボロいラブホテルじゃ、思い出にならないだろ」
「先輩が連れ込んだんじゃないですか」
「安心しろ、この部屋に女を連れ込んだのはお前が初めてだ。初めて同士なら気後れもしないだろ」
ここにきて屁理屈ですか。
言っときますが、私のファーストキスはボロいラブホテルでしたよ。一生の思い出にしてやりますからね。
ところで先輩の部屋、意外と散らかっててビックリです。
先輩もまだ、絵を描いていたんですね。
「このアートブック初版じゃないですかっ、ちょっと拝借──」
「後にしろ」
「先輩、今更ですがヤりたいがために好きとか言うの、反則ですよ」
「そうだな。俺はどっちかっていうと清純派が好みだ」
「先輩、残念です。私、真逆路線です」
「そうだな。ガッカリだよ、百合。それでも好きなんだから」
先輩、いきなり名前を呼ぶのも反則です。
キュンとしちゃうじゃないですか。
「もう二度と、家に帰してやらんからな」
それって世に俗にいう監禁ってやつでは──。
先輩、コクコク頷いてますが明日は大事なプレゼンですよ。
私、困ります!!!!!
*
‐先輩視点‐
放課後の美術室の匂い。
西陽が落とす影。
針をはぜるような、細かい鉛筆の音。
一日で一番、穏やかな時間。
高校を卒業してから、ずっと違和感を感じてた。スケッチブックを広げる時、イーゼルの前に座る度に白石の横顔を思い出す。
異性として意識したことなんてなかった。単なる部活の後輩の一人。──でもあの時間は、あの穏やかな空気は、園田といても他の女といても到底得られない。
失ってから気付いた自分の居場所。
戻れないだけに、年を重ねる度、憧れるように思い出した。
白石が今の会社に勤めているのは、美術部のOBから聞いていた。
大学を卒業し、後を追うように入社した先で──彼女は見違えるほど、綺麗になっていた。栗色に染髪した髪をくるくるに巻いて、化粧して香水を振りまいて。
前屈みでいつも長い前髪を垂らし、暗くてダサくて地味な彼女はもういない──きらびやかな彼女を前にすると、まるで失恋したみたいに世界が淀んで見えた。女を見る目がないのは自覚している、それでも白石だけは違うと信じていたのに。
白石がクリエイティブ科へ転属してきてからは、噂通りに色気を振り撒く彼女に嫌悪し、徹底して蔑ろにし続けた。
だが、何故だ?
白石と二人きりになると時が止まったかのように、あの時間が甦る。何も変わっちゃいないと錯覚させられる。外面が磨かれただけで、中身は変わってないとか、いくらなんでも萌えるだろ。
好きになるな、振り回されて捨てられるだけだと葛藤していた矢先──男と密会する彼女を現実に目の当たりにして、頭が冷えた。結局俺は最初から白石に振り回されていたんだ。
もう終わりにしよう──振り回されるのも、夢を見るのも。そう思って、態とけしかけたのに。
タイミング良すぎだろ、みっちゃんさん。
初恋とか、信じられるか。
こんなエロい身体して処女とか、俺の許容力を超える。
「そういや、接待先の料亭で鉢合わせたあの男は何なんだ」
あの料亭はそういった営業用に御休み処があるんだぞ。
「あー、あれはみっちゃんのパパさんですよー」
「お前は親友の父親をパトロンにしてるのかっ」
「さっきからパトロン、パトロンて。パトロンいたら、もっとお財布ふくれてますよ! みっちゃんの自宅なんですから、そりゃパパさんも居ます」
短大でお友達になったみっちゃんは料亭の箱入り娘なんです。私にお化粧や男の堕とし方を教えてくれたのはみっちゃんのママです。なんて、裸のままゴロゴロと人のベッドで転がりながら本を読み漁る。面倒な親友がいたもんだな、全く。そのみっちゃんからまた気色悪いスタンプが届いてるぞ。
「コングレチュレーション? ノンですよ! 大根を鼻に入れるどころの話ではなかったです。鬼畜の所業です!」
「そうか。二回戦目にはニンジンくらいに思えるといいな」
「無理です。もう断固拒否します。明日のプレゼンに響きます」
既に先方には白石の企画が通っているのだが、今すぐ調子に乗られても困るので黙っておこう。
この俺を六年も悩ませて、散々振り回して仕事もさせるとはな。
「やっぱり私達、身体の相性が良くないかと」
「安心しろ。次の週末には自分から催促するよう、しつけてやる」
それって俗にいう調教ってやつでは、と逃げる首をひっ捕まえる。味をしめたらそりゃ男ですから、イーゼル並べる時間よりずっと、こうしている方が心地好い。
「これ以上惚れさせたら、本物の首輪をつけて飼ってやる」
「どうせなら指輪を買ってください」
交際一日目で給料三ヶ月分を請求するとは。まあ監禁よりは合法的か。それも悪くないなと、思案する俺はやっぱり振り回されているのか。
どうやら白石百合は、本物のビッチだな。
──fin.
最後までお読みいただきありがとうございます。
職場の友人が実際に引き起こしたライン事故を元に勢いで……昨夜書いてみました。ので、誤字脱字、あやしい文脈その他もろもろご了承をっ!