聖女の奇跡
「レン、来てたのか」
悲しそうに、嬉しそうに語りかけてくるロックを見上げるレン。
一体何を?と言い返そうとして、ふと鼻を鳴らす。
「生臭い?」
鼻をつく何とも言えない匂いにレンは眉を顰め、顔一杯に被ったスライム饅頭の白濁液に手を伸ばす。にちゃぁと何とも言えない感触に引きながらも、男のアレに似てるなあと言う感想を飲み込みながらロックへ問いかける。
「何だこれ?」
「あぁ露天商の作ったスライム饅頭って言うお菓子だ。
ぬ、布か何か探すからちょっと待ってろ」
レンの小さな指の間で橋を作る白濁液。
そういう物ではないのだと分かってても微妙な気分にさせられるその様子に、ロックは慌ててカバンの中を漁り始める。
「饅頭?お菓子?・・・練乳みたいなもんか?」
首を傾げながら白濁液を眺めているレン。
しばらくそれを見つめていたが、恐る恐るとその指についた液体を口に含む。
「っ!? にがぁ」
想像していた練乳の甘みとは程遠い、濃い苦味に更に一層顔を顰めるレン。
ぺっぺっと唾を吐き捨てながら手の練乳を振り払うその姿に、その場に集まる主に男性プレイヤーたちの意思が一つにまとまった。
(((よしっ!!)))
無言のガッツポーズでお互いを称え合うプレイヤー達。
先までの錯乱状態は何だったのか、一気に大部分の仲間が平静?になったところで、ようやく場が落ち着いて来た。
「苦い?練乳じゃないのか?」
「苦いぞ・・・ほら、これ舐めてみ」
そこでようやく目当ての布を取り出したロックが顔を上げる。
と、その目の前でレンは自らの頬に残った白濁液を人差し指で掬い取ると、そのままロックの開いた口の中に指を差し込んでしまう。
「っ!?」
(((!?)))
瞬間、時が静止した。
「ほら、苦いだろ?」
油汗を顔面一杯に吹き上げるロックと、呼吸するのも忘れるほどに絶句するプレイヤー達。一人自分の行動の意味を理解していないレンは、静止したロックから布を受け取り顔を拭きながら、更なる爆弾を投下する。
「これだけ匂いがつくと、洗わないと落ちないかなあ。
カグラの湯だっけ、明日は休みだしログオフしたらあそこの銭湯に入りに行こうか?」
この時、レンを除いた全員が同じイメージを想像した。
つまりは、風呂に浸かる全裸の大男と、小さな全裸幼女のカップリング。何故か幼女が大男の膝の上に座っていたりする光景が展開されているおまけつきの、言うまでも無く『おまわりさん、こいつです!!』と叫びたくなるその光景に、周囲の温度がギュンギュン急降下していく。
「いやいや、ちょっと待て!!その想像は違う!!」
「?」
ロックが叫ぶが声は届かない。
攻撃魔法の数十発位は即座に飛んできそうな剣呑な気配の中、ロックはこれ以上の地雷発言は危険だと、未だ状況を理解していないレンの口を塞ぐべく、話題の変更に掛かる。
「いや、先週だって休みの日でも風呂くらい入れって無理や・・・むぎゅっ」
「れ、レン!!お前まだ半分眠ってるだろ!!
とりあえず今の俺達の状況を説明するからな、ちょ、ちょっと黙って話を聞いて欲しいんだ」
レンの口を押さえ必死の懇願するロック。
と、その必死な様子に首を傾げつつも大人しくなったレンに安堵し、ロック、そして露天商やラミア達、そして大勢のプレイヤー達がその場にすわりこむ。
「まず、最初に分かっているのは、ここがゲームの中じゃないこと、そして地球ではない何処か異世界だって事だ。それもCoHOに酷似した、な」
「部屋の倉庫に入れてたアイテム類もお金も全滅、殆ど身一つでここに連れてこられた感じだな。スキル関係は問題なく使えるようだが、大きな問題がある」
ロックと露天商の説明に、ふんふんと鼻を鳴らしながら説明を聞くレン。
「スキルや魔法の対象の選択に使ってたマーカーアイコンが当然ながら無い。距離と対象を目測で判断しなきゃいけないから、力はあってもCoHOみたいに使いこなすのは困難だ」
「マーカーアイコンって?」
その説明にレンが首を傾げて問いかけると、全員の頭の上に疑問符が浮かぶ。
「いや、レンも回復魔法使うときに確認するだろ?メニュー開いて魔法使うときに出てくる矢印だぞ」
「何それ?」
「ま、まさかレンちゃん、ずっと目測でスキル使ってたの?」
続く説明にも首を傾げたままのレンに、恐る恐るスキュラが問いかければ、レンは暫く考え込んだあと、立ち上がり集まるプレイヤー達をゆっくりと見回していく。
「軽い怪我をしてる人の赤い光もちゃんと見えますね。
いつもはこれを確認して、こう」
レンの視界には淡く光る数人のプレイヤー達。
それを確認したレンが軽く指を振るうと、狙いたがわず対象のプレイヤー達の身体を癒しの光が包み込む。
「と、いつもこんな感じですが?」
「お前・・・マニュアルは愚か、チュートリアルすらやってないのは知ってたが、スキルまで感覚で使ってたのかよ」
呆れるようにロックが呟くが、集まる全員の感想も同じ。
CoHOではマーカー補正なしでのスキル行使が出来ること自体は全員が知っていたが、わざわざそんな意味のない事をするプレイヤーは居ない。大群相手に個別対象スキルを使う位なら範囲攻撃を繰り出すのが当然だし、あえて個別スキルを使うのならば、誤爆を警戒し手間がかかってもマーカーを利用するのが常であるからだ。
「メニューとか開きかた知らなかったし、そんなの開いてたら本が・・・」
100人からのプレイヤー郡に向かい百発百中でボールを命中させるような技術。それがどれだけ異常な技術であるか欠片も理解していないレンが、しかしここで何かに気づいたかのように顔色を蒼白に変えて狼狽する。
「ログアウトできない?」
「あぁ、メニューも開けないし、そもそもVRのヘッドセットがここに転がってる事を考えれば、何処か別の世界に移動させられてるとしか思えない」
レンが自分の胸を指差して問いかける。
「は、廃墟」
「あぁ、ユグドラシルの街は廃墟になってる」
恐る恐る荒れ果てた街の姿を指差して問いを繋ぐ。
「と、図書館は?」
「俺が確認に行ったが、それらしき建物は崩れて瓦礫の山になってた」
腰が抜けたかのように崩れ落ちるレンに、しかしロックは無常にも言葉を返す。
「ほ、本・・・は?」
「・・・残念ながら」「あるわよ」
目に涙まで浮べて問いかけるレンに、ロックが目を逸らしながら返すが、その隣から一冊の本がレンへと差し出される。
「ちょうどね持ってたのよ。
符呪士関係の小説なんだけど、これでもいい?」
「シルクさん」
涙を浮べた顔を上げれば本を差し出すシルクの姿。
レンは感激のあまり震える手でその本を受け取ると、もう離さないとばかりにしっかりとその胸に抱え込む。
「とりあえずさ、レンちゃん。
蘇生魔法って使える?」
そんなレンの姿に微笑みを浮べつつ、シルクが問いかけると、その場の全員の視線が今思い出したとばかりに一箇所に集中する。
「高レベル聖女なら使えるはずだと思うんだけど」
「多分、使えると思いますけど?」
再び立ち上がるレンに、付き従うシルク。
ロックも、露天商も、スキュラも、ラミアも、全員がその後ろについて歩く中、彼女らの道を示すようにプレイヤー達が道を開ける。
その先には横たえられたプレイヤーだったもの。
ただの平穏な世界のゲーム好きの一般人が、理不尽にも異世界へ召喚され殺された。死が、殺人が当たり前のように存在する彼等の新たな『現実』の中で、超越者である英雄を持ってしても、本来は絶対である筈の『死』を否定できる存在がここに居る。
-黒い、光-
レンは無言で死したプレイヤーを見つめている。
彼の身体を黒い光が覆っている。次第次第に小さく淡くなっていくその光が、おそらくは彼に残された制限時間とレンは認識し、自分の内にある確かな力を確認しながら、ゆっくりと彼に近づいていく。
「まだ間に合いますし、使えます」
レンがはっきりと答えれば、周りのプレイヤーの顔にはっきりと笑みが浮かぶ。
「お願いね、レンちゃん」
「お願いします、レンさま」
「頼むよ、レンきゅん」
「頼んだわよ、レンちゃん」
シルクが、ラミアが、露天商が、スキュラがレンの背中に声をかける。
「この理不尽な現実を否定してやってくれよ、蓮」
「分かった」
ロックが親指を立て声をかけると、レンは静かに目を閉じ手を胸の前で組む。
同時に、レンの身体を淡く白い光が包み込むと、天から光の柱が倒れたプレイヤーへと降り注いでいく。
「・・・きれい」
それは誰の言葉だったろうか。
光の柱からは光の羽毛が舞い飛び、プレイヤー達の周囲を舞っている。
光輝くレンの背からは、小さな光の翼が生えている。
プレイヤー達は、本質的に神を信じていない。
現代人である彼等は、奇跡を信じていない。
しかし、そんな彼等から見ても、確かにそれは奇跡の体現であった。
-リザレクション-
そして、レンの音無き声と共に、奇跡が舞い降りた。
因みにシルクさんのバッグには日常的に本が山ほど格納されています
理由?いうまでも無いでしょう




