第8話 竜王顕現/モンスター
-竜王顕現-
いったいなぜ、こんなことになってしまったのだろう?
『竜族』の中でも最強を誇る黄金竜のトップエリートに生まれ、竜王様直々に外敵の排除の任を与えていただいたこの自分が、なぜ、矮小なる人間の姿にならねばならないのか?
体内の【魔力】も著しく衰え、羽のように軽かった身体も、重量感を持って行動の自由を制限する。
つまり、今、我は『竜族』としての力をほとんど使えないということだ。
【竜族魔法】が使えぬ竜など聞いたこともない。
とにかく一刻も早く竜王様のもとへ行き、やっかいなこの『繋がり』を断ち切る許可をいただかなくてはならない。
そうなれば、我の『真名』を知り得た人間など生かしておくものか。
すぐにでも光の塵に変えてやる。
やがて谷の最深部、『竜王神殿』の前に到着する。
そう、竜王様は創世のときより世界に生きる我らの神にも等しき御方。
矮小なる人間ごときがお目にかかるなど、本来ならあり得ない名誉なのだ。
そう言ってやったというのに、人間どもときたら、ろくな反応を返さない。
「いいから早く案内なさい」
「竜王って何色なんだ? さっきから見かけた竜は、なんとも色とりどりだったけどよ。黄金色より凄い色ってなんだろな?」
「ヴァリスって、普段何しているの? 食べ物は何が好き? 今、……何考えてる?」
いい加減にしてほしい。ここへ来るまでの間、同胞たちの侮蔑の視線がいかに屈辱的だったか。はらわたが煮えくりかえる思いを耐えているというのに、何なのだこの連中は!
特に水色の髪の小娘だ。スキルだか何だか知らないが、我をこんな姿にした責任はこの小娘にあるというのに、先ほどからくだらない質問ばかり。
ギロリと、普段ならそれだけで『キングリザード』ですら逃げ出しかねない視線を向けても、この娘はにっこりと笑い返すだけだ。今の我には力が無いと、侮っているのだろう。
そして、竜王様の座へと到着する。巨大な洞窟をさらにくり抜いて作っただけの、『竜王神殿』だが、そこにおわす御方を見れば、まぎれもなくここは『神殿』なのだ。
虹色に輝く竜鱗。圧倒的な巨躯。すべてを見抜く黄金色の瞳。なにより神々しいまでの圧倒的な【魔力】。さあ、ひれ伏すがよい人間ども。
見れば流石に人間どもも、この圧倒的な存在感に声も出ないでいるようだ。
〈小さき者よ。何が望みだ〉
直接脳内に語りかける形で、竜王様は慈悲深くも、人間どもにお言葉を下さった。
「はじめまして。竜王様。わたしたちは、この『竜の谷』にある【魔鍵】を入手しに来ました。だから、それさえ終われば、早々に立ち去らせてもらいます」
〈……どうやって、ここに【魔鍵】が眠るを知った?〉
「もちろん、ダウジングで。だから、ここにある【魔鍵】が適合タイプであることは間違いないの」
〈馬鹿な、あれと合う人間などいるはずがない。偽りを申すな〉
静かな口調ではあったが、竜王様は明らかにお怒りになっている。こんなにも、竜王様が感情をお示しになるところは初めてだ。その【魔鍵】に一体何があるのだろうか?
いずれにしても、この人間どもはこれで終わりだ。竜王様の怒りに触れれば、消し炭どころか塵も残らず消えうせるだろう。
と、そこまで考えて気付いた。
「りゅ、竜王様! どうか、我にかけられた『繋がり』を断つことを御許可ください!」
そうだ。このまま、この水色の髪の小娘が死んだ場合、我にもどんな影響がでるのかわからない。二度と元の姿に戻れない可能性もあるのではないか?
〈控えよ、『ヴァリス』〉
と、竜王様は我のことを『真名』で呼んだ。つまりそれは、この『繋がり』を追認したということだ。追認された繋がりは、もう永遠のものだ。他にどんな竜と『真名』を呼びかわしても意味がない。繋がった後はすべての竜が『真名』を名乗る。
おそらく黒髪の小娘が「若くてよかった」と言ったのはそういう意味だったのだろう。
……だが、そんなことはどうでもよい。絶望感のあまり、我は膝から力が抜け落ちてしまっていた。人間と繋がれと? そんな馬鹿な……
「信じられないなら、確かめればいいでしょう? もし、適合しなかったら、わたしたちをどうしてくれてもいいわ」
〈……よかろう。その可能性が少しでもあるなら、それは我の望みでもある〉
竜王様はどうやら、この人間どもに【魔鍵】を取りに行くことを許可するつもりのようだ。
信じられないことだった。
幼いころから『神』は裏切り者で、その眷族たる人間は矮小なるくせに、世にはびこっている害虫だ。そう教えられ、そう信じてきたのだ。
神の欠片たる【魔鍵】を人間に与えるということは、可能性は低いとはいえ、その先につながりかねないことのはずだ。
竜王様は何を考えているのだろうか?
〈ヴァリス〉
茫然としていた我は、人間どもが姿を消していることにも気付かなかった。竜王様の呼びかけに、はっと我に帰るも、ショックは依然抜けきらない。
〈あの娘は、顔を見ただけで汝の『真名』を呼び当てた、それに相違ないな?〉
「は、そのとおりです。まったく、不可解なことですが、人間の世にはそうした特殊技能があるのでしょうか?」
〈わからぬ。今の世界は我の知る世界ではない。ゆえに、我は人間を測りきれぬ〉
竜王様は目を閉じ、少し間をおいてさらに続けた。
〈……存在としての格が違うはずの人間に、いかに『真名』を呼ばれたとはいえ、汝が竜としての姿そのものを失うほど引き摺られるなど、尋常なことではない。ゆえにヴァリスよ。あの娘を見極めよ。測れぬ我に代わり、測れ〉
「だから、追認したと?」
我は竜王様の言葉に納得できずにいる。声色にも非難の響きが出てしまったかもしれないが、納得できないものはできないのだ。すると、竜王様は慈愛に満ちた瞳を細めた。
〈汝がこの娘の『真名』を呼ばない限り、追認にはならぬ。汝にはこの娘を殺すことはできないが、この娘が死んだ場合には、繋がりは切れる。案ずることはない〉
言われるまで気がつかなかったが、頭上には、あの小娘が透明な球体の中で目を閉じて宙に浮いていた。連中が戻ってくるまでの人質といったところだろうか?
竜王様はさらに言葉を続ける。
〈適合など、するわけがない。千年待ち続けて叶わぬことが、いまさらできるはずがないのだ。結果は見えている。ゆえに案ずるな〉
-モンスター-
ここまではほぼ、計算どおり。
アリシアには悪いけど、竜王がわたしの知る知識のとおりの存在なら、残った彼女を殺したりはしないだろう。
殺されるとすれば、約束を破り、わたしとルシアがここから逃亡した場合ぐらいか。
もちろん、アリシア自身は意志や感情を読み取る力があるのだから、わたしたちが裏切るつもりがない事くらい、見てわかっただろう。
わたしはそれを利用して、この状況をつくりあげた。ただ、アリシアには、それさえもわかっていたのかもしれないけれど。
「うん、いいよ。だってシリルちゃん、あたしの親友なんだから、何も心配してないよ? ううん、危険なところにいくのなら、シリルちゃんの方が心配だよ」
そう言った彼女の顔は、「すべてわかっているから、さっさと行って来い」と言わんばかりのものだった。
『竜の谷』に【魔鍵】があると知って、考えたのがこの作戦。
『竜族』は千年近くもの長きにわたってこの谷を棲み処と定め、動くことはなかった。
本来なら、『神』は『竜族』にとって許し難い裏切り者であるはずだけれど、わたしの知る『伝説』によれば、唯一、『竜族』を裏切らなかった『神』がいたらしい。この谷に『神の欠片』たる【魔鍵】があるというのなら、それこそがその『神』のものに違いない。
だから、適合者がいると話せば、こうした展開になることも十分予想できた。
でも予想外だったのは、今、わたしたちがダンジョンにいること。
「アリシア。大丈夫かしら」
思わず、そんな言葉が口をついて出てしまう。
「ああ、心配だよな。俺たちがいなくなったのをいいことに、ヴァリスの奴にあんなことやそんなことをされてなければいいけどな」
「何言ってるのよ、馬鹿!」
そう言って手にした【魔導の杖】で殴り飛ばす。
まあ、彼もわたしの気を紛らわせようとして言っているのだろうけど。
わたしたちが今いるダンジョンは、『竜王の座』のさらに奥に続く洞窟だった。この先に目指す【魔鍵】があると言われて、ルシアに確認すると、確かに何か惹かれるものがあるとのこと。
仕方なく、そのダンジョンに足を踏み入れると、そこはモンスターの巣窟だった。
そして、何が一番の誤算だったかと言うと、
「うわあ、ちょ、待てって。危ねえ! 何なんだよ、こいつら」
ルシアのまったくの「使えなさっぷり」である。一応【エクストラスキル】“剣聖”の所持者なのだから、剣さえ持たせれば戦えるかと思い、町で買った長剣を持たせているが、まるで構えがしっくりきていない。
アリシアに限ってまさかと思うけれど、鑑定結果に誤りがあったのだろうか?
狼型モンスター『ロックウルブス』が三匹。ルシアを取り囲み、飛びかかっている。
S級、A級、B級、C級、D級、E級に冒険者ギルドが区分けしている分類では、下から2番目のDランク、それも集団認定クラスにあたるモンスターである。
集団戦法が危険な種族であるが、三匹程度ならちょっと旅慣れた剣士なら簡単に倒せるレベルの相手だ。
しかし、ルシアは手にした剣を振りまわすと、やみくもに『ロックウルヴス』の硬い外皮にたたきつけているだけで、一向に有効打を得られない。それどころか時々噛みつかれ、傷だらけになっていた。
「本当ならすぐに助けに入るところだけど、つい、見てしまったわ」
自分に言い訳をしつつ、彼が深刻な怪我を負わされる前に仕留めることにした。
手にした【魔導の杖】は、いくつかの風系魔法のイメージをセットしたものだ。
〈風にすまう獣。切り裂くは、鋭き牙〉
選択する魔法は中級魔法《真空の獣牙》
初級魔法の連発でも倒せないことはないけれど、一応は時間稼ぎをする形になっているルシアもいることなので、これにしよう。
杖を正面に掲げると、白い光を放つ魔法陣が出現し、徐々に緑色の光で明滅し始める。
本来ならわたしが発動させるのに十分近い時間がかかるはずの魔法が、わずか一分弱で発動の準備を整える。
「ほら、下がって、ルシア」
「お、おう!」
ルシアが大きく跳び下がったのを確認すると、わたしは目の前の空間に展開された魔法陣に再び杖をかざす。
《真空の獣牙》!
ごう! と大きな音を立てて、風の渦が『ロックウルヴス』を包み込む。当然、ただの渦などではなく、中に巻き込んだものを風の刃で切り刻むものだ。
『ロックウルブス』の弱点は、風と鋭い刃である。ルシアの攻撃が有効にならなかったのは、彼の太刀筋が素人で、斬撃ではなく打撃になってしまっていたからだ。
「うおお、すごいな。相変わらず。あの硬い狼もどきがズタズタだぞ」
ルシアは自分もズタボロになっているというのに、そんなことを言った。
「ほら、こっちに来なさい。手当てしてあげるから」
まったく世話が焼けるわね。そう思いながら、手元の荷物から『キュアポーション』を取り出し、彼の頭からかけてあげた。
「ぶわ! 何すんだよ、ってにがっ!苦いなこれ」
「舐めなくていいのよ。身体にかけておけば、自然と傷をいやす【魔法薬】なんだから」
「【魔法薬】か。便利なもんだな」
それにしても、彼は痛みを感じないのだろうか?先ほど噛まれているときに、とっさに助けに入れなかったのも、彼の反応があまりに暢気なものだったせいもある。
いまだって、傷口にしみるはずの『キュアポーション』をかけられて、まず『苦い』という言葉が出るなんて。
そう言うと、彼は笑って首を振った。
「いや、痛いぜ? でもまあ、痛みは我慢するよう訓練してたからな」
どうやら前の世界にいるときの話のようだ。いったいどんな生活だったのだろう?
と、彼は軽く首をひねって聞いてきた。
「でも、おかしくないか? 俺、“剣聖”だとかっていう才能があるんだろ? なんだかその割にはこの剣も扱いづらくって仕方ないんだけどな」
やはり異世界人であるがゆえに、特別な問題でもあるのだろうか?
とにかく、わたしたちにできることは、進むことだけ。
そして、わたしたちは、ダンジョンもそろそろ半ばにさしかかっているだろう頃、再びモンスターとの戦闘に入っていた。
「のうわ! 畜生、これでもくらえ!」
ルシアの一撃は、そのモンスターの柔らかい体を通り抜けたが、相手はまったくダメージを受けた様子がない。それもそのはず、この相手は物理的な攻撃が効きにくい、戦士泣かせのモンスターなのだから。
「なんだよ、こいつは?」
「Dランクモンスター『ヴェノムスライム』よ。毒があるから近寄っちゃ駄目」
「そういうことはもっと早く言ってくれ!」
あわてて飛び下がるルシア。「それじゃ、囮にならないじゃない」とは言わず、わたしは先ほどとは違う【魔導の杖】を構えた。
白い【魔法陣】が赤く明滅する。
〈焼き穿ち、貫け炎〉
《炎の矢》
火属性の初級魔法により生み出された炎の矢が数本、【魔法陣】の前に出現すると、あっさりと『ヴェノムスライム』を焼き尽くした。
「いい? モンスターとの戦闘では、相手の弱点を知っているかどうかが重要なのよ。だから、この世界で生きていくならモンスターの勉強もする必要があるわよ」
「ういっす、了解です」
ルシアは剣についたスライムの体液を振り払いながら、気の抜けた返事をした。
本当に真面目に考えているのかしら? “剣聖”が間違いだったとなると、考え方を変えないといけないかもしれない。やはり、彼は冒険者にすべきじゃない。
「ここまで来て言うのもなんだけどさ、どうしてシリルは、俺にここまでしてくれるんだ?」
わたしが物思いに沈んでいると、唐突にルシアがそんなことを聞いてきた。
「もちろん、償いのためよ」
「いや、確かにそうなんだろうけど。……責任感、強すぎじゃないか?【召喚】された当の俺が泣きわめいたり、怒り狂ったりしているのならともかく、そうでもないんだから、なにもここまで無茶しなくても良かっただろうに」
「ここがどんな世界なのか、あなたにはまだわかっていないから、そんなことが言えるのよ」
そう、よりにもよってわたしは、他の世界から、こんなにも狂った世界に彼を生まれ変わらせてしまったんだ。
「そうか? 自然も豊富だし、俺のいたところより全然いいと思うけどな」
「あなたの世界にはモンスターがいなかったって言っていたでしょう? それだけでも違うわよ。なにしろ、彼らは生きとし生けるものにとっての天敵なんだから」
「生きとし生けるものの天敵?モンスターだって生物だろ?」
そう言って首を傾げるルシアに、わたしはこれ以上の説明を諦めた。どのみち、この世界で生きていく以上は嫌でも思い知ることになる。
それを考えれば、この程度のことで償いになるとは到底思えなかった。