幕 間 その12 とある試験官の試練
-とある試験官の試練-
俺の名前は、ガイル・ガストール。ツィーヴィフの町の冒険者ギルドにおいて、試験官の仕事をしている。新たに冒険者となろうとする者の力量をはかり、適切なランク付けをすることで冒険者ギルドの円滑な運営に貢献する重要な仕事である。
最近の俺の生活は実に充実してきており、これもやりがいのある仕事に従事させてもらっているからに違いない。この仕事を選んで、本当に良かった。
「何をぶつぶつ言っているんですか? ガイルさん。ほら、受験者の方が来ましたよ?」
そう言って優しく声をかけてくれたのは、このギルドで受付嬢をしているリラ・ハウエルさん。大きな茶色の瞳と緩やかに波打つ金色の髪をした、とても綺麗な女性だった。俺の前任者である『爆炎の双剣士』ことライルズ・ハウエルさんの妹さんだ。
ああ、いつも見ても綺麗だなあ。……俺はあっさりと前言を撤回する。
試験官の仕事には、いつもは小遣い稼ぎに一時的な仕事として関わってきただけだけど、彼女と一緒にいられるのなら、いつまでだって続けていたいぐらいで……。
「えい」
「おぐあ!」
彼女は可愛らしい掛け声とともに、手にしたファイルの角で俺の頭を打ちつけてくる。
でも、当てられた場所はちょうど【因子所持者】である俺が持つ、『ロックギガース』の因子によって硬質化した皮膚の部分なのであまり痛くはない。そのあたり、ひょっとしたらリラさんも気を遣ってくれているのだろう。
「気が付きましたか? ガイルさん」
「え? あ、はい! すみません……」
「もう、しっかりしてくださいね? さ、それじゃ、これが今回の受験者の資料です。今、この部屋に案内しますので、よく目を通しておいてください」
「はい」
危ない危ない。リラさんの前でみっともないところを見せるわけにはいかない。
このツィーヴィフの冒険者ギルドに足繁く通ってくる男の冒険者の大半は、彼女目当ての連中だ。つまり、ライバルは多いわけで、試験官という近い立場にいられることは大きなアドバンテージだとしても、うかうかしてはいられない。
それに、今日こそは、俺はある決意を固めている。
日没を過ぎる頃、冒険者ギルドの通常業務は終了する。夜間については緊急時における受付業務を担当する人間もいるにはいるが、試験官は必要ないし、ましてや女性の受付嬢を配置したりもしないため、俺とリラさんが仕事を終えて帰宅する時間は同じ頃になる。
「あ、あの! リラさん!」
俺は帰り支度を終え、今にも建物から出ようとする彼女に、勇気を振り絞って声をかけた。緊張のあまり、少し声が大きくなってしまったせいか、他の女性スタッフ達がにやにやと意味ありげにこちらを見ているのがわかる。彼女らには俺の、というか彼女目当ての連中の気持ちはバレバレらしく、誰が彼女を『落とす』のかが賭けの対象になっているとかいないとか。
「はい? どうかしましたか?」
そんな周囲の様子に気づくこともなく、リラさんは不思議そうに首をかしげて俺を見る。
ああ、そんなひとつひとつの仕草までもがとても可憐だ……。
っと、まずい。また陶酔に浸ってしまうところだった。俺は気を引き締め直すと改めて声をかける。
「あの、もし、よろしかったら、夕食をご一緒しませんか? そ、その、おいしい店を見つけたので、ええっと、その、リラさんにはいつもお世話になっていますし、ご馳走させてもらえれば……どうでしょうか?」
「え? うーん……」
首をかしげたまま、しばらく黙考するリラさん。うう、心臓が痛い。やっぱり時期尚早だったろうか? 周囲の野次馬たちがごくりと息を飲む中、彼女が考え込むように閉じていた目を開いた。
「はい。いいですよ。家にある食材も日持ちするものが多いですから、今日くらい外食でも大丈夫です」
「あ、はい! ありがとうございます!」
周囲から「おおっ!」という声が漏れ聞こえてくる。
やった! やったぞ! ついに彼女を食事に誘うことに成功したんだ。聞いた限りでは彼女は兄のライルズさん以外の男性と外食したことはない。これは大きな前進に違いない!
それにしても、さっきの黙考は家の食材について考えをめぐらしていたのであって、俺の誘いの意味について考えていたわけではないのか。そう考えると、手放しには喜べないな。よし、勝負はこれからだ!
「じゃ、じゃあ、行きましょう!」
「はい」
二人で連れだって夜の街を歩く。月光と魔法具で造られた街灯の青白い光に照らされる街並みはいつもと同じはずなのに、二人でいるというだけでなんだか違って見えるのだから不思議なものだ。
「こうして歩くと、この街もなんだか違って見えますねえ」
「え? そ、そうですね」
まさか、リラさんも同じことを? いやいや、そんなわけがない。あまり夜の街を出歩いたりはしないから珍しいだけだろう。
「どうしたんですか?」
「いえ、なんでも……」
俺より頭一つ分以上背が低いリラさんが俺の顔を見ようとすると、どうしても上目使い気味になるようで、その姿を見るだけで胸が高鳴って仕方がない。
そして長いようで短かった散歩の時間は終わり、予約しておいた店に到着する。
「あ、ここって、最近できた評判の店じゃないですか。でも、高いんですよね? いいんですか?」
「もちろんです! さ、入りましょう」
予約席に相向かいに腰を掛け、あらかじめ考えておいた料理を注文する。
うわ、信じられない。目の前にリラさんが座っているぞ。
これは夢じゃないだろうか?
「ふうん。いい雰囲気のお店ですね」
リラさんは興味津々に周囲を見渡す。実際、ここはいわゆる高級レストランに分類されるお店だ。さすがに正装が必要なほどの場所ではないけれど、腰かけた椅子やテーブルにも洒落た装飾が施されているし、照明器具にも相当に凝ったガラス細工が使われているしで、一目で庶民にはちょっと値が張るお店とわかる。
俺の財布も少し苦しくなるけれど、背に腹は代えられない。
「あ、料理が運ばれてきましたよ?」
リラさんの声も心なしか弾んでいるようだ。喜んでくれて、良かった。
そして俺たちは、たわいない話をしながら、値段以上においしい料理を口に運ぶ。
でも、夢のような時間はあっという間に過ぎていく。気づけばあらかたの料理は食べつくし、時間もだいぶ遅くなってしまった。
「それじゃあ、帰りましょうか?」
「はい、お送りします」
そして、再び夜の街を並んで歩く。うう、このまま別れてしまっていいのか?
でも今日はこれだけで十分満足な気もするし……。
──いや、駄目だ。決意を固めたはずだろう?
「今日は、本当にありがとうございました。素敵なお店に連れて行ってもらえてよかったです」
リラさんの宿舎の前までたどり着くと、彼女は深々とお辞儀をして礼を言ってくれた。
その際に、金色の髪がさらりと前に零れ落ちる。
「あ、い、いえ、俺も、その、リラさんと食事ができて楽しかったですから……」
がんばれ俺、言うんだ俺! ……でも、肝心の言葉が出てこない。
ふと、俺は気付く。リラさんがお辞儀をしたまま、顔を上げてこない。
いったい、どうしたんだろう?
「あ、あの、リラさん?」
「……いいんですか?」
「へ?」
「このまま、顔を上げたら、わたし、すぐに宿舎に戻って寝てしまいます。そしたら、わたしもガイルさんも、何事もなかったみたいに明日を迎えて、受付嬢と試験官の仕事に戻るんです……」
え? も、もしかして……。そんなまさか!
こんな状況で、彼女にこんなことを言わせてしまうなんて……。
情けないにもほどがある。だが、俺の口から出た言葉は、さらに情けないものだった。
「あ……。そ、その、俺、リラさんが好きなんです。ただ、その、リラさんは他の連中にも人気があるし、俺なんかで釣り合うものかと思ってしまって……」
自信の欠片もない腰砕けのそんな言葉に、リラさんは勢いよく顔をあげる。俺の目には夜の薄明かりの中、そのはにかんだような顔が何より眩しく見えた。
「もう、仕方ないですねえ。でも好きって言ってくれたから、ぎりぎりEランクぐらいで合格にしてあげます。……だいたい、わたしだって何とも思っていない男性と二人きりで食事になんて、行ったりしませんよ?」
「うう、面目ない……です」
それから、二人の間には沈黙が訪れる。ゆっくりと距離を縮める二人。
そして二つのシルエットが一つに重なろうとした、そのとき──
「ちょ、駄目! 何をしようとしているの!」
「うるさい、離せえ! あいつを殺す! 殺してやるう~!!」
その声に、俺とリラさんは足を止め、唖然として固まった。声のした方を見れば、赤く揺らめく炎の光と青くきらめく氷の輝きが目に映る。
「お、お兄ちゃん!?」
「へ? ラ、ライルズさん?」
そこには、殺気のこもった眼で俺を睨みつけるライルズさんと、彼を後ろから羽交い絞めにしながら困ったような顔をする蒼いローブ姿の女性がいた。
「あ、ははは……、ごめんなさいね。えっと、貴女がリラさんね。ライルズから話は聞いてるわ。わたしはアイシャ。彼とは、その、……冒険者仲間よ」
「そ、そうですか……」
訳が分からないといった顔で返事するリラさん。確か、ライルズさんはアルマグリッド武芸大会に出かけていたはずだけれど、どうしてこんな夜中に?
「く! せっかく時間ずらして帰宅して、リラの奴を驚かせてやろうと思ったのに、なんだこの展開は! だいたいお前! 俺は試験官の仕事は引き継いだけど、リラまでくれてやった覚えはねえ!」
「わたしは物じゃありません! そ、それに、わたしが誰と付き合ったって、関係ないでしょ!?……だいたい、長いこと留守にしておいて、なんで女連れで帰ってくるのよ……」
リラさんの後半の呟きは小さかったせいか、多分ライルズさんには聞こえていないだろうけど、言葉の内容からすればやきもちなんだろう。前々から彼女の言葉の端々に感じていたことだったが、実は彼女、ものすごくお兄さんのことが好きなんじゃないだろうか?
「くっそう! こうなったらガイル! 俺と勝負しろお! 俺に勝ったら二人の交際でもなんでも認めてやるう!」
そんな無茶苦茶な……。でも、その一言にリラさんが俺の袖を掴んでくる。
「ガイルさん! こんな兄、こてんぱんにしてやって!」
本気ですか、リラさん!? リラさんの目の輝きを前に、さすがに声には出さなかったが、俺は天を仰ぎたくなった。確かライルズさんって、アルマグリッド武芸大会でも上位入賞常連だったはずなんだけど……。
それ以降、俺はライルズさんに認められるために何度となく戦闘訓練に付き合う羽目になり、一方でライルズさんとアイシャさんとの仲を知って加速度的に機嫌が悪くなっていくリラさんをなだめたりと、今後もしばらくは、充実した生活が続きそうなのだった。