第70話 わけがわからない/一件落着
-わけがわからない-
「感動のシーンを邪魔して申し訳ないが、まだ俺が残っている。この状況なら貴様らを皆殺しにすることなど、実に容易いと思うのだが、さてどうしたものかな?」
武骨な黒い全身鎧に顔にまかれた白い包帯。その隙間から覗く赤い瞳。
いつ見ても、不気味な人だ。
見た目のことなんかじゃなく、その心の在り方が、どうしようもなく理解できない。
「──無駄だ。いかに優れた“同調”系の能力があろうと、俺のような『理外』の存在を『理解』することなど叶わぬ」
逆にあたしの心を読んだかのように言いながら、赤い瞳をこちらに向けてくる彼に、あたしは言い知れぬ恐怖を感じていた。
ぐったりとしたまま床に膝をつくヴァリスの肩を掴んだ状態で、あたしたち一人一人に視線を向けてくる。
「それで? 次は貴方が戦おうっていうの? ……『失敗作』が『最高傑作』に勝てるわけがないでしょう?」
シリルちゃんの声だ。あのヴァリスですら無力化できてしまう相手に、ここまで消耗しきった状態で戦うなんて不利に決まっているのに、そんなことはおくびにも出さない。
こんな状況なのに、シリルちゃんはなんて強いんだろう。
「……ふん。仲間のためには自身が標的になることも厭わないというわけか。自己犠牲と言えば聞こえはいいが、だが俺は、お前のような自愛なき『強さ』には興味がない」
訳の分からないことを口にするフェイルに、シリルちゃんは怪訝そうな顔をする。
「フェイル。貴方はわたしに『言霊』に抗うチャンスをくれたわ。貴方だって『パラダイム』の連中に酷い目にあわされてきたから、わたしを助けてくれたのでしょう? だったら、ここで争う理由なんてないわ」
今度はアイシャさんがフェイルに語りかける。そういえば、さっきもあのアキュラとかいう『魔族』の人に随分反抗的な態度をとっていたみたいだし、そういうことなのかな?
「関係ないな。『言霊』がなくともなお、お前は俺の良いように踊ってくれた人形だ。だが俺は、お前のような意志なき『弱さ』には興味がない」
「な!」
あまりの言葉に絶句するアイシャさん。今のアイシャさんにとって、『人形』と言われることが一番傷つくことを知っていて、あえてそんなことを言う。やっぱり彼は、初めて会った時と同じだ。世界の悪意を知りつくし、それがために強い負の感情を抱えながら、それを当たり前のように受け入れ、他人のそれすら制御している。
「ぐ、うう。貴様……いい加減に! ぐう!」
ヴァリスが苦しそうに呻きながらも、なんとか立ち上がろうとしているけれど、フェイルが少し力を込めただけで再びがっくりと膝をつく。
「まだ動くとは、流石は『竜族』だな。類まれなる強固な自我と他を圧倒する力を持ち、存在だけで自己完結する。だが俺は、お前のような他者なき『強さ』には興味がない」
え? ヴァリスが『竜族』だということがバレてる?
次に彼の赤い瞳はあたしを捉える。あたしは内心の恐怖を押さえつつ、相手を睨み返す。 大丈夫。いざとなれば『拒絶する渇望の霊楯』もあるんだから。あたしは自分にそう言い聞かせた。……そこに、再び響く声。
「自分を守るために他者を拒絶し、自分を利するために他者に同調する。俺は、お前のような節操なき『弱さ』には興味がない」
なによ、それ……。
あたしは、そんなことをしているつもりは全然ないのに……。
ううん、惑わされては駄目。こんな風に言葉で人を傷つける。
それが彼の手なんだから。
そして最後に、彼は両腕を氷に覆われたまま気絶しているルシアくんを見た。けれど、その口からは意外な言葉が発せられる。
「俺が興味があるのはその男、ルシアだけだ」
その言葉に、アイシャさんが俯いていた顔を再び上げる。
「なら、ルシアのさっきの力を確かめるために、わたしをシリルにけしかけたというの?」
けしかけた? じゃあ、アイシャさんがシリルちゃんに戦いを挑んできたのって、フェイルのせいなの? でも、あの時の彼女には、シリルちゃんへの強い憎しみの心があった。それすらも、フェイルの計算の内だったのかもしれないけれど……。
「力だと? ああ、確かに驚かされたよ。完全に『魔神』と同化した人間を救い、『魔神』のみを滅ぼす力など、もはや最強どころか絶無の存在と言ってよかろう。だが俺は、単なる力になど興味がない」
さっきから、興味興味って何が言いたいんだろう? この人は本当にわからない。
「すべてをあるがままに受け入れ、かと思えば絶対的と思える事象すら否定してのける。強さも弱さも関係ないままに難敵を打破し、可能か不可能かを問題としないままに難事を達成する。そんな『わけのわからなさ』こそ、俺の興味の対象だ」
フェイルが心底愉快そうにくつくつと笑うと、そこにシリルちゃんの呆れたような声が重なる。
「貴方って、本当に理解不能ね。結局、何がしたいわけ?」
「俺には目的などない。貴様のように己が造られた目的に唯々諾々と従うなど、おぞましい限りだ。……皆殺しにすると言ったのは、ただ嫌がらせだよ。一人ぐらいは殺してやった方が面白いかもしれんが、まあいい。今回はもう満足だ。それに、他にやることもある」
そう言ってフェイルが視線を向けたのは、さっきまで『魔族』アキュラの立体映像があった場所だった。……いつの間にか、消えてる?
「アイシャ。俺がここから去れば、『ワイズの言霊』の効力は復活する。とりあえずの『マスター』は俺が殺すが、『次』が来る前になんとかするんだな。おそらくはルシアの力なら、『言霊』の排除も可能だろう」
「え? フェイル? どうしてそんなことを?」
さっきまで「関係ない」とか、「意志のない人形だ」とか酷い言葉を投げかけた相手に向かって、一転して助言めいた言葉を口にするフェイルに、当のアイシャさんは驚いたような視線を向ける。
あたしにも、彼の心は理解できない。──もちろん、見えてはいる。けれど、見えているから理解できるというわけでもない。精神構造そのものが全く違うとでもいうかのように、「どうしてこの場面でそんな心の動きが生まれるのか」がわからない。つじつまが、まったくあわない。
そう……わけがわからない。
「ふむ、あまり遠くに行かれると面倒だ」
彼はアイシャさんの問いをまるで無視し、つまらなそうに言葉を漏らす。そして、腰に差していた黒塗りの鞘から一本の剣を引き抜いた。
現れた刀身は血のように紅い。やっぱり戦う気? でも、そんな気配は感じない。
ううん。彼の場合はまったくあてにならない。その場の思いつきだけで、いきなり誰かを殺していてもおかしくはない人なんだから。
「また会うことになるだろう。それまでせいぜい、その男を死なせるなよ?」
彼はヴァリスの身体を蹴飛ばして転がし、手にした真紅の長剣を軽く振り下ろす。
あたしは一瞬息が止まるかと思ったけれど、斬られたのはヴァリスじゃなかった。何かが斬り裂かれるような音とともに姿を現したのは、何もない空間に浮かぶ、真っ赤な『裂け目』みたいなもの。
そして彼はなんのためらいもなく、その『裂け目』へと身体を潜り込ませ、そのまま姿を消してしまう。
「え? なんなの、あれ?」
「あの紅い剣は【魔鍵】みたいね。空間を渡る能力、かしら? ……でも、【スキル】による自身の“虚無化”能力に【魔鍵】の“神性”による空間移動能力だなんて、よりにもよって悪魔的な組み合わせね」
シリルちゃんの言葉は、かつてエリオットくんの能力を指して言ったものと同じ。
存在そのものを霞ませながら、自由に空間を渡り歩き、あらゆる力を“減衰”する。──そんな力を前にしては、どんな強さもまるで意味をなさない。まさに彼は、『悪魔的』な存在なのかもしれない。
それは、ともかく。
「ヴァリス! 大丈夫?」
あたしは床に倒れたままのヴァリスに駆け寄る。すごく辛そうだったけど、大丈夫かな?
「ああ、だが、不甲斐ない。結局、我は何もできなかった。ルシア一人に戦わせてしまった。『他者なき強さ』だと? おのれ……」
ヴァリスは歯ぎしりするように唸ってる。あたしたちを守ることを自分の使命にしているはずのヴァリスが、何もできずに見守るだけだったなんて本当に悔しかったんだろうな。
フェイルの言葉も、そんなヴァリスさんの状況を嘲笑うかのようなものだったし、どこまで底意地が悪いんだろう?
「でも、さっきのルシアくんの力、何だったのかな? 一瞬だけど、神様みたいなイメージが見えたんだけど……。えっと、確か『ファラ』だったかな?」
「ファラですって? ……そう、やっぱりあの影はルシアの【魔鍵】の……。でも【魔鍵】の意識があそこまで具現化するなんて……」
「影」という言葉はよくわからなかったけれど、そこであたしもようやく気付く。そっか。ファラって、『グラン・ファラ・ソリアス』の【神の名】と同じだもんね。
じゃあ、さっき感じたのは『神』の気配? うーん、威厳ある神様というよりもずいぶん自由奔放な人(?)みたいな感じがしたけれど……。
「いずれにしても、早く外に出ましょう。『魔神』の気配がなくなっても、すぐにモンスターがいなくなるわけではないはずよ。街を守らないと!」
そうだった。ライルズさんが助かって、フェイルもいなくなって、一安心するところだったけれど、今もシャルちゃんやエリオットくんが必死に戦っているかもしれないんだ。
「わたしにも手伝わせて。少しでも、罪滅ぼしがしたいの」
アイシャさんがそう申し出てくれた。
「ええ、今は一人でも多くの力が必要よ。行きましょう!」
シリルちゃんはルシアくんの身体を抱えようとして、その重さにふらりとよろめく。さすがに体格が違うんだから、ヴァリスにお願いした方がいいんじゃないかな?
ヴァリスはどうにか体力を取り戻したみたいだから、大丈夫だと思うけど……。
「いや、その必要はないかもしれん。たった今、街の東側にあったモンスターの気配はほぼ全滅したようだ」
「全滅? そう、よかった。シャルたち、やってくれたのね」
ヴァリスの言葉にシリルちゃんが安堵の息をつく。そっか。全滅か。すごいなシャルちゃんたち。あたしもほっとしたけれど、ヴァリスは少し怪訝そうな顔をしている。
「どうしたの?」
「いや、我は『たった今』と言ったが、その直前から立て続けに数百体のモンスターの気配が消滅している。いくらシャルの【精霊魔法】でも、そんなことが可能なものか?」
ヴァリスの言葉に、その場のみんなの目が点になる。
え? 数百体って……数十体の間違いじゃなく?
いったい、何が起こっているんだろう?
-一件落着-
街の入口に辿り着いた我らを待っていたのは、意外な相手だった。
「やあ! シリル! 久しぶりだな!」
「え? ちょ、あの、なんで? どうしてあなたがここに?」
「いやあ、ははは! シャルがいつまでたっても恩返しに来てくれないからな。こうして押しかけてきたんだ」
実に楽しそうに笑う蒼髪の女性の傍では、シャルが困ったような笑みを浮かべている。
確かにエイミアなら低ランクモンスター程度が相手であれば、数百体を一度に全滅させることも不可能ではないかもしれない。
だが、ホーリーグレンド聖王国の聖騎士団長である彼女が、どうしてこんな遠方の都市にまで来ているのか?
「エイミア。あなた、騎士団はどうしたの? まさか、こんなところにまで遠征に来ているの?」
「そんなわけはないさ。……騎士団か。うん、やめてきた」
「へえーそう、やめてきたのね。……って、ちょっと!? 何を言ってるの? そんな気軽に辞められるようなものじゃないでしょう?」
「あははは! 相変わらずシリルは面白いな。だが、安心してほしい。ちゃんと考えて決めたことだし、団員のみんなも賛成してくれた話だからな」
エイミアは聖騎士団をやめるに至った経緯を語ったが、誰もが敬うであろう身分を自ら捨てるなど、理解しがたい話である。
「わたしは、もともと冒険者の方が性に合っているんだ。ここに来るまでの道中も何度か仕事をしてみたが、やっぱり冒険者は楽しいな」
「エイミア、あなた、ギルドの登録はどうしたの?」
「うん? ああ、別にライセンス証を返したわけでも登録を抹消したわけでもなかったからな。窓口で申請したら問題なく、仕事ができたぞ? さすがにちょっとは驚かれたが」
「『ちょっと』なわけがないと思うけど……」
シリルは呆れたように肩をすくめたが、思い直したように急に真剣な顔になった。
「ありがとう。あなたのおかげで、街の人たちが犠牲にならずにすんだわ」
「なに、当然のことをしたまでだ。それにわたしが来る前からシャルたちが随分頑張っていたんだぞ? そっちを労ってあげたらどうだ?」
エイミアは快活に笑いながら言う。どうやら冒険者の方が性に合っているというのは確かなようだ。以前会った時よりも表情が生き生きしている。人間の社会も地位がすべて、というわけではないようだ。
「シャル。よく頑張ったわね。……ううん、こんな言い方じゃ駄目ね。わたしのために、本当にどうもありがとう」
「シリルお姉ちゃん……。もう大丈夫?」
シャルは心配そうにシリルを見上げている。
「ええ、大丈夫よ。ライルズも助かったし、街の皆も無事だった。もう、何の問題もないわ」
「うん、よかった……」
シャルは嬉しそうに笑う。実際、ライルズが『魔神』に変貌した直後のシリルの様子は、今にも倒れてしまいそうなほど青ざめ、まともな状態でないのは誰の目にも明らかだったのだ。ルシアのあの力のおかげでライルズが助からなければ、我らの旅もここで終わっていたかもしれない。
と、そこへ新たな声が割り込んでくる。
「そろそろ、彼の治療を始めましょう? 今、『解凍』するわ」
遅れて姿を現したアイシャはそう言うと、地面に横たえられたままのルシアの両腕に手をかざし、『解凍』を始める。
「……シャル。ルシアの治療をお願いできる?」
「うん!」
「何があったかわからないが、酷い怪我だな。よし、わたしも手伝おう。【生命魔法】は重ねがけした方が効果が高くなるからな」
そう言って、二人は黒焦げのままのルシアの両腕に向かって手をかざす。
〈満ちる緑、鳥の歌声〉
《生命の賛歌》
まず、シャルの掌の先に淡い輝きの【生命魔法陣】が浮かび、中級クラスの【生命魔法】が発動する。
〈萌えいづる命、星に願うは在りし日の輝き〉
《星辰の再生光》
遅れてエイミアの【生命魔法】が発動し、先ほどまでの淡い光を強力な白光で包みこむ。するとほどなくして、ルシアの腕は劇的な回復を見せた。
「大したものだな。これが【生命魔法】の治癒力か」
我は思わず感嘆の声を出した。"竜気功"による自己治癒でも、流石にこうはいくまい。
「エイミア様の上級魔法がすごいんです」
治療を終えたシャルが謙遜するように言うが、その肩をがっしりとエイミアが掴む。
「んん? シャル、さっきも言ったはずだが、わたしの名前に『様』を付けてはいけないぞ?」
「え? あ、うう、そうでした……」
エイミアににっこりと顔を覗き込まれ、少し怯えたように返事をするシャル。
どうやら我らがここに辿り着くまでに、二人の間で何らかのやり取りがあったらしい。
「……、う、く、ここは?」
「ルシア! 気づいたのね?」
ようやく目が覚めたらしいルシアの声が聞こえるや否や、シリルは彼の手を取って声をかけた。
「……よかった。本当に、よかった……」
「え? シ、シリル?」
シリルはルシアの手を両手で抱くようにしながら、その銀色の瞳から大粒の涙をこぼしていた。
「……しんぱい、したんだから。もう、死んじゃうかと思ったのよ? この手だって、二度と使えなくなっちゃうかもしれなかったんだから……」
ルシアはそんなシリルの様子をしばらくの間、呆気にとられたかのように見つめていた。が、やがて表情を和らげると軽く身を起こし、シリルの頭を自分の胸元に抱えるようにして腕を回す。
「心配かけて、悪かったな。もう、大丈夫だ」
ルシアはシリルの銀の髪を優しく撫でながら、囁きかける。そしてしばらく、そのまま時が流れていく。──やがて、シリルの嗚咽が収まり、すっかり身体の震えもなくなった頃合いを見計らったかのように、
「えーと、お二人さん? 仲睦まじいのはいいけれど、シャルちゃんもいるんだから、ほどほどにね?」
と、アリシアが茶化すように声をかけた。
「~~!!」
途端、シリルは電光石火の勢いで立ち上がり、ローブの裾を叩きながらあたふたと首を振る。
「べ、べべべべ別に、仲睦まじいとか、そんなんじゃ……!」
その顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
「あははは、シリルちゃん、可愛い!」
アリシアがカラカラと笑うと、エイミアも同調する。
「うむ。黒髪の頃も美人だと思ってはいたが、やっぱりこちらの姿の方がかわいらしくてわたしの好みだな」
ふと見れば、シャルもくすくすと笑いをこらえているようであり、我の口元にも自然と笑みが浮かぶのを自覚できた。
なにはともあれ、一件落着といったところか。
「と、ところで、エリオットはどうしたの? それに、さっきの話だと他にも協力してくれた人たちがいたんでしょう?」
シリルは強引に話題を変えるべく、しどろもどろにそんな疑問を口にする。
確かに、それは我も気になるところだ。
「あ、実はエリオットさん、エイミア様……じゃなかったエイミアさんの姿を見るなり、一目散にいなくなってしまって……」
そういえば、エイミアとエリオットは知り合いだったのだな。しかし、姿を見るなり逃げ出すとは、どういうことだ?
「うん。そうらしいな。まったく、あの子ときたら、昔から恥ずかしがり屋なところは変わっていないんだな。ま、そのうち会いに来てくれるだろう」
恥ずかしがり屋だと? 「あの子」という表現もそうだが、どうもエイミアから見たエリオットの人物像は、我らのものとはかなり異なるようだ。
「それと他の皆さんですけど、モンスターが全滅したら用は済んだとばかりに街に戻ってしまったんです。帰り際に、お礼がしたいので後でガアラムさんの工房に来てほしいってお話ししたので、来てくれればいいんですけど……」
助太刀に来てくれた者たちの中には、我と武芸大会で戦ったミスティやグレゴリオなどもいたらしい。我もかつて手合わせをした相手として、彼らと改めて話がしてみたいものだ。
「……無事、だったんですね。よかった」
ルシアはそう言って、シリルの肩を借りながらゆっくりと立ち上がる。その視線の先には、神妙な顔をしたまま俯いたライルズがいた。地下で目を覚ました彼は、そのまま休むよう勧めるアイシャの言葉に首を振り、二人でここまで来たのだった。
「なにが、良かったものかよ。俺は心底自分が情けないぜ。あんな無様をさらした挙句、お前にも、他の皆にも、あらん限りの迷惑をかけちまった。謝ってすむことじゃあないが、本当に……すまん」
聞いたところでは、ライルズには『魔神』となった時の記憶もわずかながら残っているらしい。再びうつむこうとするライルズに、アイシャが縋り付くようにして声をかける。
「貴方が悪いんじゃないわ! わたしのせいよ。わたしが貴方に『薬』を盛ったのがいけないんだから。責められるべきはわたしよ!」
「それは違うぜ。俺は、お前がそんなにも苦しんでいるってことに気付いてやれなかったんだ。何度もコンビを組んだ仲間なのにな。今思えば、お前の様子がおかしいことに気付くべき場面はたくさんあった。だからこれは、俺の失敗なんだよ」
「でも、わたしは!」
「いいから黙れって! 俺にこれ以上、みっともない真似をさせるなよ。俺のために、死のうとした奴を責めろっていうのか? ……馬鹿言うな」
そういうと、ライルズはアイシャの身体を抱きしめた。
「え? ラ、ライルズ?」
「お前がタッグ戦の間、どれだけ俺のことを案じてくれていたのか。そのことに気づきもせずに、俺はどれだけお前のことを傷つけてきたのか。それを思えば今からじゃ、遅いのかもしれないけどな。でも、俺はもう、お前を離さない。そう、決めたんだ」
「あ……ライルズ……」
大粒の涙を濃紺の瞳に浮かべるアイシャ。
二人の抱擁は、たまりかねたシリルが思わず咳払いを始めるまで続いたのだった。