第69話 生きることは、足掻くこと/わたしの剣
-生きることは、足掻くこと-
「はあ! はあ! はあ!……くそ、なんて熱さだよ」
俺は『魔神ライルズ』と切り結びながら、滴り落ちる汗に目を瞬かせる。あまり長時間接近していると、それだけで焼け死にそうだ。熱や衝撃を体外に排出する魔法具『放魔の装甲』の効果を『理想化』できていなかったら、とっくにあの世逝きだっただろう。
それから、つい先程、シリルの声とともに俺にまとわりついて来た氷の効果も大きい。この氷は俺の身体を冷やすと同時に直接熱気から身を守ってくれる効果もあるようで、おかげでかなり助かった。しかし、シリルの奴、俺に気を回している場合か? 俺は「任せろ」って言ったはずなんだが……。
「随分器用だけれど、それが仇になったわね」
と、これはシリルと交戦中のアイシャさんの声だ。今ここに至って現れた彼女は、「ライルズさんと一緒に死ぬ」と言ったかと思うと、シリルを殺す気で攻撃してきている。
何が彼女をここまでさせるのかわからないが、彼女の目は紛れもなく本気だ。
いくらシリルでも、他のことを気にしながら戦える相手じゃないはずなのに。
《凍え逝く彼岸の挿花》!
【魔法陣】の構築もイメージを補助する詠唱もないままに、発動する水属性魔法。
アイシャさんの足元から、無数の『氷の茨』が出現する。それは一斉にシリル目掛けて襲いかかると、その周囲を瞬く間に埋め尽くしていく。気づけば、鋭い刺を生やした白い茨は、シリルのいた場所に大きな球体を形成していた。
「シリルちゃん!」
アリシアが泣きそうな声で叫ぶ。
「シリル! くそ!」
俺は全身の力を使い、いなすように『魔神ライルズ』の動きを横にそらせることで辛うじて間合いを取った。体中の皮膚がひりひりと痛む。シリルの冷気による中和のおかげで、何とかなっているが、とんでもない熱量だ。
「あは、あはははははは! 馬鹿な子! それだけ特別な力を持ちながら、仲間なんかを守ろうとするから、そうなるのよ。あははは!」
アイシャさんは笑う──涙も枯れ果て、感情までもが渇ききった──そんな声で。
彼女をつなぎとめていた何かが、ぷつりと音を立てて切れてしまったかのようだ。
だが、今の【魔法】は何だ? シリルは大丈夫なのだろうか? 凍りついたままの茨の球体は、ピクリとも動かない。その不気味な沈黙が、俺の胸を焼き焦がしていく。
一刻も早く助けに行きたいのに、俺の目の前には、最凶最悪の『魔神』が立ち塞がっているのだ。
「ルシアくん! ライルズさんの【ヴィシャスブランド】"炉心暴走"はほとんど無限に熱くなるの! だから長引くと大変なことになっちゃう!」
そんなアリシアの声に、思わず俺は自分の耳を疑った。
『無限』に熱くなるだって? そういえば、『アルマゲイル』も無限に近い再生力なんてものがあったが、モンスターたちは上位クラスになればなるほど、なんというか、『タガ』が外れていく感じだ。……シリルのことも心配だ。ここは、腹をくくるしかない。
「なら! 短期決戦でやるだけだ!」
そんな俺の声に反応したわけではないだろうが、『魔神ライルズ』は獣の口を大きく開いたかと思うと、そこから灼熱の火炎、否、『熱線』を吐きだしてきた。
「うおおお!」
俺はほとんど無我夢中のまま、それを『切り拓く絆の魔剣』で斬り払う。
斬る直前の熱だけで皮膚の数か所に酷い火傷ができたのが分かる。
「あははは! 貴方も無駄な足掻きはやめなさい!……みんな、死ぬの。死ぬのよ! あはははは!」
狂ったように叫び、笑い続けるアイシャさん。
けれどそれは、痛々しいほどに、深い悲しみにまみれた狂気だ。
──俺は、それが許せない。
彼女をこんな絶望の縁にまで、追い込んだモノが許せない。
この世にこんな『理不尽』があることを、俺はどうしても、許すことができない。
だが、彼女の笑いもそんなに長くは続かなかった。
──声が、聞こえたからだ。
「何が、そんなに可笑しいの?」
冷たい声。あらゆる感情を凍りつかせたかのような、そんな声。
アイシャさんは、息が止まったかのように笑いを止め、驚愕に目を見開く。
「う、うそよ!! 《凍え逝く彼岸の挿花》はあらゆる防御を貫く【魔法】のはず! いったいどうして!?」
アイシャさんの声に合わせるかのように、シリルを覆う白い茨にピキピキとひびが入り、ボロボロと崩れていく。ようやく見えてきた彼女の周囲には、半透明の防御壁のようなものが見えた。あれは、【魔装兵器】『ディ・エルバの楯』だろうか?
「そ、そんな初歩的な【魔装兵器】で防げるわけが……」
「今の【魔法】の欠点はね、常に茨が相手の障壁の弱いところを探し出して一点集中の一点突破を図るものだということよ。……なら、一切の弱点がない障壁ならどうかしら?」
「弱点がない? 何を言っているの? ほんの僅かな歪みや綻びで十分なのよ? ……ま、まさか、それすらもない完全な防御壁を創ったの? そんな……どんな魔力感覚があればそんなことが……」
「当然でしょう? わたしの【オリジナルスキル】“魔王の百眼”はそのための力よ。完全かつ完璧な魔力制御。それがどれだけ恐ろしいことかわかる? 『絶対に失敗が許されない』ということが、どういうことなのか」
シリルの声は、彼女が身にまとう冷気よりも冷たく響く。
「世界を救う力……ね。でもそれは、わたしのせいで『世界が滅びるかもしれない』ということなのよ? 羨ましいなら、いつでも代わってもらいたいくらいよ!」
急激に高まったその声は、見えない氷の刃となってアイシャさんを貫く。
「あ! う、うう……」
アイシャさんは戦意を失ったかのようにその場に膝をつき、自分の身体を抱きしめるように震え始めた。
「わ、わたしにはどうしようもなかったの。……あんなこと、したくなかった。彼を、殺したくなんて……なかったのに!」
「だから、彼と死ぬの? いい加減にしたら? そんな自己満足、彼だって望んでやしないわ。だから、貴女は生きるの。彼なら、わたしが……殺してあげる」
静かな声。心を殺し、想いを殺し、己自身すらも殺す声。
そんな声で──『あなたじゃなくてわたしが殺す』
シリルは、そう言ったのだ。
「う、ああ、うああああ!」
シリルのその言葉に、そこに込められた思いに、泣き崩れるアイシャさん。
なるほど、大した思いやりだ。いったいどうやったらそこまで、自分を捨てて、人のために行動できるのか不思議なほどだぜ。
俺は、ふつふつと湧きあがる怒りを心の内に感じ始めていた。
「うおおおおお!」
再び放たれてくる熱線を斬り散らしながら、俺はがむしゃらに『魔神ライルズ』に斬りかかる。横薙ぎの一撃に見せかけた剣の軌道を変え、一転して上段から袈裟懸けに振り下ろした『切り拓く絆の魔剣』は、『魔神』が掲げた獣の両腕でがっちりと食い止められる。『魔神』となってもバトルセンスは残ってるってことか? それにやっぱり、“斬心幻想”であっても『魔神』は簡単には斬れないようだ。
「ぐあっ!」
『魔神』が繰り出す炎を纏った蹴りの一撃が脇腹をかすめる。胴衣として身に着けている装備もそれなりの【魔法具】のはずだが、その下の皮膚ごとブスブスと焼け焦げていく。
「ルシア! 無理はしないで! わたしに任せて!」
シリルの声が聞こえてくる。でも俺は、それを無視する。振り回される灼熱の鉤爪を屈みこんで回避しながら、今度はフェイントではなく相手の胸元に向けて横薙ぎに『切り拓く絆の魔剣』を振るう。『魔神』はそれを、バックステップで回避する。
「ルシア! 離れて!」
シリルの焦ったような声を聞きながら、俺は相手を追いかけるように一歩踏み込み、その胴体を返す刀で斬り払う。しかし、肉を斬り裂く浅い手ごたえこそ感じたものの、相手の傷口から発する熱量にたまらず後退する羽目になった。
間合いをとってから『魔神ライルズ』を見ると、つけたはずの傷があっという間に塞がっていくのが見える。
「くそ、こんなんじゃ駄目か……」
なら次は……。
「くくく、そうだ。そうでなくては面白くない」
そんな呟きが聞こえてくる。フェイルのものだ。
相変わらず何を考えているのかわからない奴だが、ここで介入してこないのはありがたかった。
「『魔神』に傷を?……し、信じられん。……だ、だが、人間ごときが何ができる! 所詮は無駄な足掻きだ!」
フェイルとは対照的に、狼狽したようなアキュラの声が響く。
無駄な足掻き……か。まったく、どいつもこいつもわかっていない。
生きることは、足掻くことだ。
もがき苦しんででも、その足を前に進めることなんだ。
だが俺が再び『魔神ライルズ』に斬りかかろうとしたそのとき、一際強力な冷気が放たれたかと思うと、『魔神』の全身が見る間に氷で覆われていった。
振り向いて見れば、『ローラジルバ』の力をかなり消耗したのか、身にまとう冷気が極端に少なくなったシリルがいた。
「もう、いい加減にして! 彼は、ライルズはもう『駄目』なのよ! どう見ても因子が完全に融合しきってる。拒絶反応もないし、あなたの【魔鍵】でもどうにもならないの! 今のうちに早く下がりなさい!」
痺れを切らしたように叫ぶ彼女。苛立ちと怒りに満ちた声だが、怒りを感じているのは俺だって同じだ。
「じゃあ、どうすんだよ。殺すのか? ライルズさんを」
「し、仕方ないでしょう!? そうでもしなければ、この街が滅びてしまう。人が、たくさん死ぬの。でも、今なら犠牲は一人で済むわ。だから、これが最善の選択肢なのよ!」
そんな震える声で、そんな上擦った声で、いったい何を言っているんだか。
……オーケー、わかった。もう切れた。完璧に、ぶち切れたぞ俺は。
「……何が、何が最善なんだよ。いいわけがないだろうが。ライルズさんは俺たちにとって恩人みたいな人だろう? お前、本当にそれでいいのかよ?」
低く唸るような俺の声に、一瞬だけ怯んだ顔をしたシリルだったが、すぐに叫び返してくる。
「だ、だって仕方ないじゃない! 感情的になってもどうにもならないもの! だったら、残る選択肢で、何が一番犠牲が少ないか、考えるべきでしょう!?」
「……どこまでも理詰めで考えようってか? でもそれは、何よりもお前自身が犠牲になってるってことを、忘れちまってるんじゃないのか?」
「な、何が言いたいの?」
俺の言いたいことが分からないのか、戸惑ったような視線を向けてくるシリル。そんな彼女に──
「何が言いたいだって?──決まってんだろうが!! 勝手に諦めてんじゃねえよ! こんな場面でまで理性的になんかなろうとするな! 感情的で何が悪い! お前はいったい何がしたいんだよ! 合理的で、効率的で、正しくて、最善なことか? ふざけんな! 自分の心を切り刻んで、正しいもくそもあるか!!」
俺はこれまで、ずっとため込んできた思いを吐き出すかのように怒鳴った。
俺が女性に向かって怒鳴りつけるなんて、生まれて初めてじゃないだろうか?
-わたしの剣-
ルシアにこんな風に怒鳴りつけられることなんて、もちろん初めてのことだ。
もちろん、彼の気持ちだってわかるつもりだ。彼はライルズとはそれなりに親しかったみたいだし、優しい彼がそんなライルズを殺すことに抵抗を感じるのも無理はない。
でも、ここは感情的になってはいけない場面なのだ。みんなを救うために、わたしは理性的に判断を下さなくちゃいけない。……なのに、彼の言葉はそれを真っ向から否定してくる。
「もう一度、言うぜ。お前は本当にそれでいいのかよ? 昔からの知り合いを、簡単に切って捨てることができるような奴じゃないだろ、お前は。何とも思ってないわけ、ないだろ?」
何を言うかと思えば、この人は。そんなの、当たり前じゃない。
けれど、わたしが口を開こうとするより早く、再び彼が言葉を続ける。
「なら! 助けたいんなら、助けたいって、言え! 助けてほしいなら、助けてほしいって言ってくれよ! 俺たちは仲間だろう? 頼ってくれって言ったよな?」
「わかってるわよ、そんなこと! でも、無理だもの!」
「無理なことが頼めるのが仲間だろうが! ……これまでずっと、右も左もわからなかった俺を、お前はいつだって気遣って、助けてくれたじゃないか」
彼は、わたしに向かって手にした剣をかざして見せる。
かつて、わたしが彼に渡した剣。
今もなお、その姿と形を模した【魔鍵】
──わたしと彼が、見つけた魔剣。
「そ、それは償いのためなんだって言ったじゃない! べ、別にわたしは……」
「お前がどんなつもりだったのだろうと、そんなもん、俺には関係ない。……何よりも、お前は俺に、新しい人生を与えてくれたんだ」
新しい人生を与えて『くれた』ですって? 彼は何を言っているのだろう? 異世界に引きずり込まれ、今こうして命がけの戦いにその身をさらしている彼の、今の境遇を作り出した元凶こそが、このわたしだというのに。
「だから、俺がお前を護る! お前の行く手に立ち塞がるものがあるのなら、それがどんな理不尽だろうとかまうものか! そんなものは俺が全部、切り拓いてやる! 俺は……お前の『剣』として生きる!! ……それが、俺の『やりたい』ことなんだ」
「わ、わたしは……」
彼に力強く宣言されて、わたしは言葉を失う。
一人、世界を救う重圧に押しつぶされそうだったわたし。
いっそ叶わないなら死ねばいい。何度もそんなことを考えた。
辛かった。苦しかった。わたしには、失敗が許されない。
常に冷静かつ理性的に正しい判断をしなくてはいけない。
そんなわたしが【召喚】した彼は、わたしが救うべき世界の人ではなかった。
そんな彼が今、わたしを助けてくれると言ってくれた。
いつからかずっと、わたしの心に痛みばかりを与え続けていた重圧感が消えていく。
わたしは一人じゃない。わたしを助け、わたしを理解し、わたしとともに歩んでくれようとする人がいる。
──なら、わたしは彼に頼り切ろう。わたしは彼に……甘えてしまおう。
感情的になって、泣いて喚いて、それで愛想をつかされるなら、それでもいい。
「……お願い、ルシア。ライルズを、助けてあげて。わ、わたしを……『助けて』」
震える声で、わたしは言った。やっぱり駄目だ。上手くいかない。ここしばらく、わたしは人に甘えるなんてしたことないから、こういうとき、どうすればいいかわからない。
でも彼は、にっこり笑って頷いた。
「よし、任せておけって」
このうえなく頼もしい、わたしの『剣』。
けれど『魔神ライルズ』に目を向ければ、そこには見たくもない現実がある。足止めのための【魔力】を込めた氷はほぼすべてが融解し、『魔神』から放たれる熱が再び高まり始めている。
「さあて、ライルズさん! そろそろ決着だぜ! あんたに教えられたとおり、俺はもがいてでも、足掻いてでも、俺が守りたいものを、俺の力で守ってみせる!」
そういって『切り拓く絆の魔剣』を正眼に構えるルシア。その背中には、迷いも恐れも存在しない。
「くくく、ははは! 馬鹿め! くだらん話で最後のチャンスを手放すとはな。冷気の力も底をついたお前が『魔神』相手に何ができる? おとなしく降参すれば、今ならまだ間に合うぞ?」
自分ひとり安全な場所にいるのをいいことに、癪に障る声でわめき散らすアキュラ。
この世で『最凶』の存在である『魔神』に生身で立ち向かおうとしているルシアとは、まるで比較にならないほど卑小で醜い存在だ。
「何ができる、ですって? するのは、わたしじゃないわ。彼よ」
「彼、だと? ははは! 下等なる人間がか? 確かに少しはやるようだが、そんな程度では焼け石に水だということがわからんのか? くははははははは!」
そうだ。わたしは彼を信じる。わたしの言葉に哄笑するアキュラを無視し、わたしは彼の後姿を見つめた。
……え?
わたしは自分の目を疑った。彼の姿に重なるように、銀髪の少女の後姿が見える。
あれは、わたしの姿? 他の人には見えていないようだけれど、幻覚だろうか?
けれど続いて、幻聴までもが聞こえてくる。
〈やれやれ、ようやく『扉』を開きかけたかと思えば、女がきっかけとはな。だが、その思い、その言葉、悪くはないぞ。わらわの力はお主の力。存分に使うがよい!〉
〈意志を剣に、剣を意志に……〉
《斬神幻想》!
何が起こっているのだろう? わたしの理解を超えた存在が、目の前にある。
わたしの【オリジナルスキル】“魔王の百眼”でも完全には捉えきれないほどの膨大な力の流れ。人が扱える力の範疇をはるかに超えたそれが、ルシアの手にする【魔鍵】へと凝縮していく。
「神様なの? うそ、信じられない……」
アリシアの声が聞こえた。【オリジナルスキル】“真実の審判者”を持つ彼女が言う以上、どんなに信じられない事実でも、それが真実なのだろう。あれは紛れもなく『神』の力。
今にも発動しようとしているあの力は、通常の【魔鍵】における擬似的なそれとは違い、 正真正銘の【事象魔法】だ。たとえ【魔鍵】があろうとも、ただの人間には決して再現不能なはずの、純然たる【失われた魔法】。
〈グロガロオオオオオオ!〉
そのときだった。突然、残っていた魔法の氷を一気に振り払い、咆哮をあげる『魔神ライルズ』。まるで不倶戴天の宿敵でも見つけたかのように怒り狂い、猛り狂ったかと思うと、獣毛に覆われた肉体が爆発するかのように燃え上がり、一気に赤熱していく。
「くう!」
「きゃあ、熱い!」
周囲の景色までもが歪み、わずかにわたしの周囲に残っていた冷気までもが吹き飛ばされていく。
『拒絶する渇望の霊楯』に守られているはずのアリシアまでもが苦悶の声を上げているところを見ると、【魔鍵】の力すら無視する類の力が放たれているようだ。
これが『魔神』の全力なの? こんなもの、あと数秒だって耐えられない!
「うおおおおお!」
叫び声とともに、ルシアが動いた。でも、あんなものに近づいたら、それだけで焼き尽くされてしまう!
爆発的な加速によって姿を霞ませながら突進する『魔神』の姿。
怯みもせずに灼熱に歪む空気の中に飛び込んでいくルシアの姿。
……そして、炸裂する斬撃と爆炎の響き。
「ルシア!」
わたしは無我夢中で叫ぶと、自分が火傷を負うだろうことも構わず、そこへ向かって飛び込んでいく。
けれど、そんな心配をするまでもなく、それまで部屋全体を焼き尽くさんばかりに充満していた膨大な熱量は、まるで何かに『斬り散らされた』かのように跡形もなく雲散霧消していた。
「ルシア!」
わたしはもうもうと立ちこめる煙の中、彼の姿を探す。
……いた! わたしは急いで床に倒れ伏す彼の傍へと駆け寄った。
「ルシア……。こ、これは……ひ、ひどい……」
わたしの目に映ったのは、全身に無数の火傷を負った彼の姿。わたしはすぐに、ありったけの『キュアポーション』を彼の身体に振りかける。
でも、問題なのは、ほとんど黒焦げになった彼の両腕だった。これだけは【魔法薬】程度じゃ治せないレベルの酷い怪我だ。
「く! シャル! 【生命魔法】を!」
「シリルちゃん! シャルちゃんはここにはいないよ!」
「あ……」
アリシアに言われて、ようやくそのことに気づく。わたしは、かつてないくらい気が動転していた。こういう酷い怪我は時間がたてば【生命魔法】でも治せなくなってしまうことが多い。このままじゃ、彼は一生腕を失ってしまう。
でもこんな地下深くに【生命魔法】の使い手なんているわけもなく、わたしはおろおろと周囲を見回す。
「あれだけ冷静だった貴女がこうも取り乱すなんて、よほど大事な人なのね」
そんな声とともに、わたしの目の前で彼の両腕が蒼い氷に包まれる。
「な! あ、アイシャさん! どうして!?」
「落ち着きなさい。これはわたしの『掬い結ぶ霧氷の青衣』の神性“霊像解凍”の作用よ。彼の腕の状態を『冷凍』したから、このまま地上まで運べば十分間に合うはずよ」
見上げれば、あの夜、出会った時に見た、優しい笑みを浮かべている彼女がいた。
「あ、ありがとう。アイシャさん……」
「礼なんて、言わないで。わたしの方こそ礼を言わなくちゃ、いけないんだから」
そう言ってアイシャさんが目を向けた先には、気絶したまま横たわるライルズの姿があった。元の、人間の姿に戻っている?
「ライルズ? 助かったの?」
「ええ、生きてるわ。……だから、ほんとうに、ありがとう。わたしは諦めてばかりで、そのために彼を死なせるところだったのに、貴方たちは諦めなかった。わたしたちを救ってくれた。ほんとに、ありがとう……」
わたしの前に膝をつき、濃紺色の瞳からぽろぽろと大粒の涙を流すアイシャさん。わたしは彼女の身体を軽く抱きしめる。
「わたしは何もしてないわ。諦めたのは、わたしも同じだもの……。だから、お礼は彼が目を覚ましてから言って」
と、そこに割り込んでくる男の声。
「感動のシーンを邪魔して申し訳ないが、まだ俺が残っている。この状況なら貴様らを皆殺しにすることなど、実に容易いと思うのだが、さてどうしたものかな?」
……フェイル・ゲイルート。
人間と『魔族』と『邪霊』の【因子所持者】。
彼の声は、つい今しがたまで死闘が繰り広げられていたこの場には場違いなほど、愉快気に響きわたった。