第68話 クライシス/意思
─クライシス─
『魔の山ボルムドール』がある東の地平線に、たくさんの影のようなものが見えてきました。モンスターの襲来といっても、移動速度自体はゆっくりしたもののようです。
それでも、生きとし生けるものの天敵である彼らは、近くに人間の気配がすれば必ずそれを殺そうとする。それが何かのルールであるかのように、『殺意』だけをむき出しに襲いかかってくる。──それが『モンスター』なのです。
「シャル。準備はいいかい?」
「はい。任せてください」
わたしは、エリオットさんに頷きながら返事をする。
彼はわたしのことを子供だと思って気を遣ったりせず、ちゃんと戦力として考えてくれているようです。
「一応、増援は頼んでおいたけれど、お金になる仕事じゃないし、あまりあてにはできないからね。あの数を足止めするには君の【魔法】だけが頼りだ」
「はい!」
徐々に近づいてくるモンスターたち。『ゴブリン』、『ワーウルフ』、『マッドオーク』、『バトルオーガ』などなど。ギルドのモンスター名鑑にも記載のある低ランクモンスターたちがざっと数百体。ぞろぞろと不気味に行進しています。
けれど彼らは、『その場所』で唐突に動きを止める。
わたしが《融解》であらかじめ地面を『柔らかく』しておいた場所。
けれど、本能だけで行動する彼らは、まるで底なし沼に足を踏み入れたようにズブズブと沈みながらも、先に沈んだ仲間を踏みつけ、前進を続けようとする。
それでも次々と沈んでいくモンスターたち。狂気じみた、信じられない光景です。
「そんな……! あれじゃいずれ乗り越えてきてしまいます……」
「いや、十分だよ。だいぶ戦いやすくなった」
エリオットさんはそう言うと、『轟き響く葬送の魔槍』を手に駆け出していく。
わたしが仕掛けた《融解》の罠は、モンスターの動きが一か所に集中するよう配置を考えたものでした。
罠のちょうど中央にあたる空白地帯。何かに惹かれるように歩みを止めないモンスターの群れに、エリオットさんは怯むことなく飛び込みました。その後ろ姿は、当然ですが人間一人分の大きさしかありません。
あのまま、飲み込まれちゃうんじゃ? ──と、思ったその時でした。
地を揺るがし、空気を震わす凄まじい轟音。エリオットさんの目の前にいたモンスターたちが吹き飛んでいく。あれは、神性“狂鳴音叉”を利用した『轟音衝撃波』でしょうか?
たった一撃で、十数体のモンスターが粉々に吹き飛ばされてる……。
わたしはここで、彼の討ち漏らしたモンスターを倒すことになっていたけれど、その必要はないかもしれません。エリオットさんは周囲に群がるモンスターの攻撃をことごとくかわし、立て続けに『轟音衝撃波』を放っていました。
「シャル! 空から来てる! 頼んだよ!」
「は、はい!」
そうです。気を抜いてはいけませんでした。空から来る敵はわたしの担当なのです。
飛来してきたのは『マーシャルバット』が数十羽。身体は小さいけれど凶暴で、常に集団行動をするため、戦士系の冒険者にとっては実に戦いにくい相手だそうです。
わたしは『差し招く未来の霊剣』を抜き放ち、『マーシャルバッド』に差し向ける。虹色の刀身が陽光にきらめく中、わたしはみなぎる『精霊』の力を解放しました。
〈吹き荒び、切り裂く旋風〉
放たれた風属性の【精霊魔法】は、化物蝙蝠たちを切り刻み、地に叩きつけていきます。街のことを考えれば、一匹たりとも後ろに通すわけにはいきません。わたしは続いてエリオットさんの状況を確認するべく、そちらに目を向けました。
モンスターの群れの中、一際派手な爆発が起こったかと思えば、ぽっかりと空いた空間に槍を携えた灰色の戦士と、粉々になったモンスターの残骸が現れる。その繰り返し。
もうすでに、百体近いモンスターを倒しているんじゃないでしょうか?
エリオットさんにはまだまだ余裕がありそうです。
でも、そんなふうに安堵したのも束の間のことでした。それまで群れの大半を防ぎとめていた《融解》の罠が限界を迎えてしまい、モンスターたちの戦列がいっせいにこちらに雪崩れ込んできたんです。
「く! 深入りしすぎたか! シャル!」
「だ、大丈夫です!」
わたしは《凝固》を使って彼らの動きを押しとどめるべく、空気の壁を生み出そうとする。でも、この『空気の壁』はわたしのイメージの産物なのです。そのため、見えない場所には展開できず、広範囲に展開した場合には、意識が分散して壁そのものが薄くなってしまうという欠点がありました。
「うう、く、耐えきれない!」
案の定、無数のモンスターの突撃を支えきれず、徐々に破壊されていく空気の壁。
──これ以上は抑えきれないと、わたしが焦りを覚え始めたその時でした。
「まったく、最強の傭兵さんもしょうがないねえ。守る戦いは苦手ってかい?」
「シャ、シャルちゃん、守りは任せてよ!」
わたしの両脇を固めるように立つ、くすんだ茶色の髪をした大柄な女性と色黒の小柄な男性の二人組。
「あ、リエナさん、ダリルさん!」
わたしとルシアがタッグ戦第1回戦で戦った相手、リエナとダリルのマクスウェル兄妹の二人でした。よかった、来てくれたんだ……。
「吹き飛びな!」
リエナさんが手にした大弓、『破裂する熱情の炎弓』から放つ矢は、右手から迫ってきた『ゴブリン』の群れを着弾時の爆発でまとめて吹き飛ばしていく。
「お前らはこっちだ!」
ダリルさんは、左から迫りくる『ワーウルフ』の集団に飛び込むと、両手に持った小楯『勇み立つ鉄壁の双楯』を打ち鳴らし、周囲のモンスターをまとめて引き摺りよせ、押しつぶしていく。
わたしも負けじと空を飛ぶモンスター群に向けて【精霊魔法】を放ちます。
けれど、徐々に敵の数が増えてきました。『魔の山ボルムドール』はモンスターの種類と数の多さで有名ですが、それにしても尋常ではありません。
「あ! 逃げられちゃう!」
空を飛ぶ蛇『ジャイロスネーク』の一団が、少し離れた空を進むのが見えたけれど、わたしは他のモンスターの相手で手一杯の状況でした。
すると、さらに──
「ふん。エリオットに頼まれたのでは断れんのでな」
|《天罰の巨岩》(ロック・オブ・パニッシュメント)!
声とともに空中に出現した巨大な岩の塊が、『ジャイロスネーク』をまとめて叩き潰していく。
わたしの背後に現れたのは、二人の人物でした。
一人は茶色のローブをまとった魔導師で、ヴァリスさんと個人戦を戦ったグレゴリオ・ジオデムさん。それから……
「はあ~あ、ただ働きって何よ、これ。エリオットってば人使いが荒いわよねえ。前に命を救われた恩がある以上、逆らえないんだけどさあ!」
今度はそんな声とともに、恐ろしく長大な鞭がまるで蛇のように宙を舞い、巨大な虫型モンスターが次々と薙ぎ払われるのが見えました。直撃を免れたモンスターもいたけれど、鞭の一撃がかすめただけで墜落し、ぴくぴくとその身を痙攣させています。
あれは『跳ね回る狂乱の牙鞭』?
ヴァリスさんと一回戦で戦ったミスティ・ジャネイさんです。
「みなさん! ありがとうございます」
「ああ、礼はいいから前を見なよ」
ミスティさんは照れ臭そうに赤毛の頭をかいています。露出の多い大胆な格好の割には、意外と照れ屋さんなのかもしれません。
「だが、このままではまずいな。『天嶮の迷宮』のモンスターが来ればどうにもなるまい。集団認定Aランクが相手となれば、この人数では討ち漏らしは防げん。原因を突き止める必要があろう」
グレゴリオさんが渋い顔をして言いました。
原因……大丈夫です。それはきっと、シリルお姉ちゃんたちが何とかしてくれます。
「く! なんだ? あいつらは!」
エリオットさんの声。見れば、東の空を無数の影が覆っています。
嘘? なんであんなに?
「『ガイストビー』か。ちょうど繁殖時期だったのか?」
グレゴリオさんの低い声が聞こえてくる。わたしが知る限り、『ガイストビー』は年に一定期間だけ猛烈な勢いで繁殖し、時期を終えると仲間同士で共食いを始めて数を減らすという、奇妙な性質を持った巨大な蜂のモンスターです。
「あれじゃ、さすがに無理ね。まあ、幸い『ガイストビー』は弱いから、ゲートの中なら街の連中も大丈夫なんじゃない?」
ミスティさんは言うけれど……、駄目。駄目なんです。
「外縁部の人たちがいるんです! あの人たち、放送を信じてくれなくて……高層住宅から避難してなくて……」
あの建物には警備員はいますが、空からモンスターに襲われることを想定した警備ではない以上、このままでは犠牲は避けられません。
「これだから成金どもは……。でも、そんなのは自業自得でしょうよ」
そうかもしれません。でも、シリルお姉ちゃんは、きっとそうは思わない。
……それだけは、どうしても、駄目。
わたしは『差し招く未来の霊剣』を掲げ、軽く百匹はいようかという巨大蜂の群れを見る。やるしかない。今のわたしにできる、最強の攻撃を。
「フィリス、力を貸して!」
〈せめぎ合う劫火の先に、束縛からの解放を……築き上げるは雷火の尖塔〉
直後、地面では金属を大量に含んだ複数の岩塊が、その先端を円形の中心部に向けるように隆起。上空では大気中の微粒子同士を接触・振動させて、弱い電撃を生成。そして最後に、その間を【超電】の道で結ぶ。
《雷火衝天》!
地と風と火の融合。わたしとフィリスの合体技。
天と地を貫く極太にして高密度の雷撃は、空気を引き裂く轟音をあたりに響かせながら、蜂の大群を焼き尽くしていく。
「うわ! とんでもないね、あんた! すごいじゃない!」
ミスティさんが賞賛の声をあげるのが聞こえる。
けれど、【魔力】を使いすぎたわたしは、その場にぐったりとへたり込んでしまいます。
「──まだ、か。いったいなんなのだ、これは……」
え? グレゴリオさんの声に、わたしは朦朧とする頭を振り、再び東に目を向ける。
するとそこには、新たなモンスターの群れ。
空を飛ぶ『ワイバーン』に地を這う『ワンダリングナーガ』
【瘴気】をまき散らす『エビルスピリット』に毒を吐く『ヴェノムジャイアント』。
まさか、全部Bランク単体認定モンスター?
『魔の山ボルムドール』でも最強の位置に君臨するモンスター群です。
本来なら群れをなさない彼らが、同じ目標に向かって進む有り様は、もはや悪夢としか言いようがありません。
「くそ、ほかの雑魚さえ片づいてりゃ、あの程度のランク、楽勝なのに……」
リエナさんも次々と爆発する矢を『ゴブリン』の群れに叩き込みながら、悔しそうにうめいています。
「うおおおお!」
見れば、エリオットさんは因子制御まで解放して、半竜人ともいうべき姿のまま槍を振るい、次々とモンスターを薙ぎ払っていました。
でも、数が多すぎる。信じられない。これが、Sランクモンスターの災害?
出現しただけで国を滅ぼすとされる存在。それを前に、わたしたちはなすすべがない。
「こりゃ、どうしたって外縁部の連中の犠牲だけは避けられそうもないね」
ミスティさんの言うとおりです。
集まったみんなのおかげでモンスターはだいぶ駆逐できているけれど、遠くに見えるBランク単体認定モンスターを相手にしはじめれば、きっと他の敵を取り逃がしてしまう。
そんなことになったら、シリルお姉ちゃんが……。
きっと、生きていけないくらい、傷ついてしまう。
──どうしよう。
そんなふうに思ったのは、これで何度目のことでしょうか?
けれど、それがこんなにも鮮やかに覆されるのは、今、この時が初めてでした。
「──よく、頑張ったな。すごいぞ。わたしも同じ師匠を持つ身として、鼻が高いというものだ」
凛と響くその声は、力強く、勇ましく。
──そして、眩しいくらいに鮮烈な青のイメージ。
〈還し給え、千の光。二重に三重に降り注げ〉
それは、天から降り注ぐ光の雨。すべての汚れを洗い清め、消し去っていく聖女の祈り。またたく間に、数百体の低ランクモンスター群が消滅していく。
「ええ? う、うそでしょ?」
「な、なんだ、……これは?」
ミスティさんとグレゴリオさんが呆気にとられて固まる中、わたしは目的の人物を視界に収める。
鮮やかな蒼い髪。以前見た時より少しだけ短くなったその髪を、上半分だけ頭の後ろで結い上げている。すらりとした長身を包むのは、鮮やかな青と白を基調とした騎士装束。その上に羽織られた地味な茶色のマントですら、彼女を引き立たせるための不可欠な要素に見えてしまう。颯爽としたその姿に、わたしは思わず見惚れてしまいました。
「エ、エイミア様!」
「やあ、シャル。借りを返してもらいに来たぞ?」
目に涙を浮かべたわたしに向かって、蒼い髪の聖女様はお茶目に笑ってみせたのでした。
─意思─
わたしは『言霊』に逆らって、部屋に入る。
どうしてもっと早く、こういうことができなかったのだろう?
そうすれば、わたしは彼を失わないで済んだかもしれないのに。
わたしは悔やむ。けれど、仕方がないことだった。
わたしが『ワイズの言霊』の意を無視して動けるようになったのは、部屋の片隅からこちらを意味ありげに示している男、フェイルのおかげであって、わたしが自力でどうにかできたわけではないのだから。
あのとき、彼とは一つだけ取引をした。だから、彼に感謝する必要もないのだけれど、それでも最後に、わたしがわたしの意思のままに動くことができるのは、死んでもいいくらいに嬉しいことだった。
「ば、ばかな! 何をやっている! 貴様の出番はまだ先だ!」
わたしは故意に、その言葉を無視することにした。ああ、なんて清々しいのだろう。
「ア、アイシャさん……。やっぱり、操られていたのね?」
そんなふうに、わたしに声をかけてきたのはシリル。
全身に尋常ではない冷気をまとわせ、『彼』の放つ熱気を中和し続けている。特別な力を持つ彼女。その能力の一端を見せつけられている。わたしの心には静かな怒りがわき起こってくる。
「わたしはここで、彼と死ぬ。そのためにここに来た」
わたしは宣言する。その言葉に、シリルの表情が驚愕と苦痛にゆがむ。
「そんな!」
「貴女にはわかるでしょう? 彼の状態が。彼はもう、二度と元には戻れない。だから、わたしは彼と死ぬことにしたの。だって、わたしには……それぐらいしかできないもの」
「く、うう……」
やっぱり彼女の【オリジナルスキル】“魔王の百眼”には、彼の絶望的な状況がよく見えているのだろう。わたしの言葉に反論する気配もない。でも、それだけではまだ足りない。
「──でも、その前に貴女を殺す」
それが、フェイルとの約束。けれど、それはわたしの意思でもある。わたしは彼女が大嫌いだ。だから殺す。……もう、それでいい。
「ア、アイシャさん……」
おしゃべりは、もうおしまい。
わたしは無言のまま、身にまとう【魔鍵】『掬い結ぶ霧氷の青衣』の能力を発動させる。
“霊像解凍”
『シャクナ』系の【魔鍵】。
四系統に属さない世にも希少なこの【魔鍵】は、その神性も同じく、あらゆる【魔法】、あらゆる『状態』を氷に閉じ込め、いつでも自由に解放できるという希少な能力だった。
でも、ある意味では、これが悪夢のはじまりだった。
わたしが生まれた里は、二百年以上前から『魔族』の管理下に置かれている。
血族によって受け継がれ続けたこの【魔鍵】の特殊性に目を付けた『パラダイム』は、一族代々の【魔鍵】使用者に対し、生まれた時から『言霊』と呼ばれる【魔導装置】をその体内に埋め込むことで、絶対服従を強いてきた。
「でも、それも、もう終わりよ!」
《流水の方槍陣》!
水属性上級魔法が解放される。防ぐ暇もないタイムラグゼロの魔法発動。これまでに不意打ちでこれを受けて、まともに防ぐことのできた敵はいない。にもかかわらず、彼女はそれを防いでしまう。数十にも及ぶ槍を模した水流の束は、彼女に届く直前で凍りついて動きを止める。そしてそのまま砕け散ると、数秒後には『彼』の放つ熱気によって水へと返っていく。
「アイシャさん! やめて!」
彼女はなおも、往生際悪く叫ぶ。
でも、わたしはそんな彼女の声なんて、意にも介さず返事もしない。
「アイシャ! 貴様、何を考えている! 銀の魔女は貴重なサンプルだ!」
「うるさいわね! ……自分では何もできない無能の分際で、わたしに指図するな!」
けれどわたしは、アキュラの叫びには思わず怒鳴り返していた。積年の憎しみが抑えきれない。ずっとわたしは彼らの道具だった。自由に冒険者をしているように見えて、いつだって彼らに有益な情報を収集することに腐心させられていたのだ。
「な! ななな、お、おのれええええ! こうなったら構うものか!『魔神ライルズ』! そやつらを皆殺しにしろ!」
激昂するアキュラに対し、それまで黙って傍観していたフェイルが冷ややかな声を出した。
「いいのか? 銀の魔女が死ぬかもしれんぞ?」
「うるさい! この程度で壊れるようなサンプルなどいらぬわ!」
「……単純馬鹿は誘導が楽でいいな。ようやく、舞台が整ったようだ」
わたしには、フェイルの狙いがさっぱりわからない。シリルを殺すか、または足止めができるだけでも構わない、としか言われていないのだ。
〈グラガガグガガガアアアア!〉
それまで部屋の中央で全身から炎と熱を噴出させ、足元の石床を半ば融かしていた『彼』が咆哮をあげる。押さえつけられていた『本能』が一気に爆発する。
「アイシャ。攻撃の手を休めるな」
フェイル……。言われなくても!
どうやったのか、氷の『精霊』の力を直接使えるらしい彼女には、わたしの水属性魔法は効きづらいかもしれない。でも、攻撃のための手段なら他にもある。
『彼』が動き出すのに合わせ、わたしはソレを解き放つ。
《断罪の煉獄炎》!
それは彼の得意魔法のひとつ。タッグ戦の前に彼と協力して『冷凍』しておいたものだ。
解き放たれた矢のように高速で突進する『彼』の姿に重なるように、その熱量を膨張させながらシリルに迫る炎の大剣。
『彼』自身の熱量と物理攻撃、それに炎属性上級魔法。これらをすべて同時に防ぐ方法なんて、ありはしない。
「させるかよ!」
しかし、わたしのそんな目論見は、その声とともに崩れ去る。
シリルと『彼』の間に割って入った人影は、信じられないことに『魔神』の力を正面から受け、その突進を食い止めたのだ。
「ルシア!」
直後、シリルの放つ冷気がその黒髪の青年、ルシアの正面に展開し、《断罪の煉獄炎》ごと熱量を一気に中和していく。
「くううう!」
さすがに消耗する【魔力】が大きいのか、苦悶の声をあげるシリル。
「シリル。ライルズさんは俺に任せておけ」
「でも、任せるって言っても!」
「二人同時に相手にするわけにはいかないだろうが。……任せてくれよ。な?」
「う、うん……」
二人の間の問答に、呆気にとられて固まるわたし。
あの彼は、『魔神』を相手に一人で戦う気なのだろうか?
そんなもの、自殺行為を通り越して正真正銘、ただの自殺だ。
ものの数秒で屍が一つ、できあがるだけ。
〈降り注ぐ雹弾〉
物思いに沈みかけたわたしに向けて、シリルが放つ氷の礫が飛来する。
わたしは自分の周囲に浮かべた氷塊の一つを楯にして、それを防ぐ。防ぎながら、わたしは叫ぶ。
「わたしは、貴女が憎い! 世界を救うだけの力を与えられておきながら、自由気ままに旅を続ける貴女が許せない! 貴女は、わたしがずっとほしかったものを、自由を、欲しいままにしている。どうして……貴女ばっかり!」
人形だったわたし。世界の希望である彼女。
大切な人を自ら壊したわたし。仲間と自由を謳歌する彼女。
どうしてこの世界は、こんなにも不平等なんだろう?
だからせめて、貴女もわたしと一緒に死んでちょうだい。
それが、平等ってものでしょう?
《瘴気の解放》
わたしは黒ずんだ氷塊を砕き、彼女に向けて中に閉じ込めていた【瘴気】を放つ。
わたしの【魔鍵】が【魔法】しか凍結させられないと考えている相手には、非常に有効な奇襲戦法として使える手段の一つだ。
「く!」
でも、予想通り、【オリジナルスキル】“魔王の百眼”を有する彼女はそれを見切り、逆に吹雪の風でこちらにそれを跳ね返しにかかった。
「あ、うう!」
吹きつけられた【瘴気】にあてられ、気持ち悪さが全身に襲いくる。
でもこれは、見せかけだけだ。実際には瘴気の密度も大したことはない。これは単なる次への布石。と思ったとき──
「うおおお!」
大きな声で叫ぶルシアの声が聞こえてきた。
見れば、『彼』の熱気にやられてか、全身にところどころ酷い火傷を負っている。
『魔神』と化した『彼』は本能の赴くまま、がむしゃらにルシアに鉤爪を振りかざし、力押しでの攻撃を繰り返している。
それにしてもルシアはなぜ、まだ生きているのだろう?
常人ならいくらシリルの冷気による中和があったところで、あの至近距離で高温の熱源体と化している『彼』と切り結んだりすれば、とっくに焼け死んでいてもおかしくない。
加えて『魔神』は単純な肉体的能力だけを見ても、通常のモンスターとは比較にならない強さがある以上、攻撃を受け止めるどころか回避することすら困難なはずなのだ。
実際、アキュラなどは彼のことを取るに足りない人間とみなし、大した警戒も払っていなかったはずだ。立体映像に見えるアキュラの顔も、驚愕の表情のまま固まっている。
「ルシア!」
シリルは慌ててルシアに冷気の障壁をまとわせながら、彼の火傷部分に氷の覆いのようなものを被せていく。単なる【精霊魔法】を超えた【魔力】を秘めた氷ならではの芸当だろう。
「随分器用だけれど、それが仇になったわね」
わたしはようやく準備ができた【魔法】を示す。
『掬い結ぶ霧氷の青衣』の神性“霊像解凍”はあらゆる力を冷凍・解凍できるけれど、大きすぎる力は複数の氷塊に分けなければできないことがある。
複数に分けた氷塊の解凍作業は通常よりも若干時間がかかるため、わたしがダメージを受けて怯んだと思わせているうちに、少しでも解凍を進めようという考えだった。
でも、そんな必要もなかったようだ。
仲間のことになんて気を取られているから、こんなことになる。
水属性禁術級魔法《凍え逝く彼岸の挿花》
氷の茨で対象を拘束し、物理防御・魔法防御を問わずその『隙間』から内部へ入り込み、内側から氷の薔薇を咲かせて粉々に打ち砕く。単体専用魔法では最強ランクに位置する【魔法】だ。これなら、彼女がいかに氷の『精霊』の力を使おうと関係ない。
わたしの勝ちだ。わたしはそう確信し、その【魔法】を解き放った。