第63話 ささいな違和感/夜道の邂逅
-ささいな違和感-
予選のバトルロイヤルを勝ち抜いたのは、ライルズさんの組と俺たちの組だけ、ということにはならなかった。このあたりは大会の運営側も流石というもので、複数の審判員が敗退順を記録していて、その順番でほか上位6組を決定したらしい。
それにしても、ライルズさんの戦いぶりには恐れ入る。このバトルロイヤルの中にもライルズさんに匹敵する使い手がいなかったわけじゃない。けれど、ライルズさんは対戦相手が無数にいるこの予選において、そうした強者に対して一切の心構えや準備をさせる余裕を与えず、真っ先に特攻を仕掛けて蹴散らしてしまったのだ。
「アイシャも余計なことをしてくれるんだからな。まったく」
試合後、試合会場の中央でライルズさんはつまらなそうにボヤく。
「いや、余計なことって言いますけど、俺らが戦っている間に残った敵全員を倒してしまうなんて凄いじゃないですか」
俺は称賛の言葉を口にしながら、彼女、アイシャさんを見る。
長い濃紺色の髪と薄絹を何枚も組み合わせたような青いローブ。よく見ればかなりの美人なのだが、なんとなく周囲の気配に馴染んでしまい、注意してみなければ気付かれないような印象がある。
アイシャさんは俺の言葉に軽く会釈をするように目を伏せると、ライルズさんに声をかける。
「ごめんなさい。あなたばかりに無理をさせてはいけないと思ったのですけど……」
「無理なんてことはねえよ。まあ、勝っといて文句を言うのも変だし、いいけどさ」
今の口ぶりからすると、アイシャさんは俺がさっきの戦闘でライルズさんとやりあって気付いたことを、もともと分かっていたみたいだな。
ライルズさんの戦い方は、“炉心火速”による先手必勝型の高速戦闘術だ。
戦闘開始直後こそAランクの相手を一瞬で蹴散らすような戦闘力が発揮できても、戦いが長引くにつれて徐々にその強さにも陰りが見え始める。
確かに、シャル(フィリス)を護らなきゃならないってことで俺に気合が入っていたせいもあるけれど、それだけではあそこまでライルズさんを圧倒することは難しかっただろう。
恐らくアイシャさんはそれを分かっていて、手早く戦闘を終了させたのだ。
「でもライルズさんも、これはタッグ戦なんですから魔導師系のパートナーのことを考えた戦い方をするもんだと思ってましたけどね」
「はっは。意表を突かれたってか? まあ、だから足手纏いにならない奴を選んだんだけどな」
ライルズさんはそう言って笑う。
だが俺は、今の言葉に皮肉を込めたつもりだった。なのにライルズさんは、普通なら気付かないはずはないそんな皮肉すらも、別の捉え方をしてしまっている。
それは、さっきの戦闘中からずっと感じてきた危うさだ。今の彼は戦いというものに、のめり込み過ぎている。と言うより、あえてそうすることで、何かを忘れようとしているかのようだ。
ふと視線を転じれば、そんなライルズさんをアイシャさんが悲しげな瞳で見つめているのに気付いた。いくら彼女が強いのだとしても、彼女の存在を全く無視したかのような彼の戦いぶりを、彼女はいったいどう思っているのだろう?
「それでは、失礼しますね。決勝トーナメントでお会いしましょう。ルシアさん。シャルさん」
「え? ああ、そうですね。それじゃあ、また」
「さよウなら」
俺とフィリスの返事に、アイシャさんは流れるような所作でお辞儀をすると、ゆっくりとこの場を歩み去っていく。
「俺も行くかな。じゃあな。一回戦は……俺たちがシードじゃないから無理か。その次の二回戦で当たれるといいんだけどな」
ライルズさんもその後を追うように、会場を降りて行った。
「さて、じゃあ、俺たちもいくか?」
「ハイ」
ん? なんだか、周囲が騒がしいな?
俺たちが観客席で待つシリルたちと会場脇で合流し、浮遊型の昇降機に向かおうとしたその時、待ち構えていたように人だかりが押し寄せてきた。
「わあああ、やっぱり可愛い!」
「さっきの剣、見せてくれませんか?」
「小さいのに、凄かったね!」
さっきの一戦で、シャル(フィリス?)に大量のファンが出来てしまったみたいだな。
「って、おい、フィリス?」
なんとフィリスは、観客たちの要望に応えるように腰の鞘から『差し招く未来の霊剣』を抜き放ったのだ。陽光を反射して虹色に輝く刀身がなんとも眩しい。ってそんな場合じゃない。ますます騒ぎになるぞ?
「おお、すごい!」
「き、綺麗……」
「ね、ねえ、これはなんて【魔鍵】なんだい?」
「【魔鍵】じゃありませン。ヴィダーツ魔具工房のガアラムさんが造ってくれた【魔法具】デす」
どうやらフィリスの奴、ガアラムさんの工房の宣伝がしたいみたいだな。フィリスは手にした『差し招く未来の霊剣』を右に左にかざして見せる。
「か、可愛い……」
「す、すげえ、絵になるなあ……」
フィリスの気持ちはわかるけど、やたらと危ない目つきをした皆さんもいらっしゃることだし、ここはさっさと退散したほうがよさそうだぞ。
俺はフィリスを促すと、どうにか人波をかき分け、浮遊型昇降機に乗り込んで会場の下へ降りていく。
「さすがガアラムさんの剣デす。すごい人気がありましタ」
昇降機の中で、フィリスはこちらを見送る群衆を見上げながら興奮気味にそんなことを口にした。彼女が表に出ている時としては珍しく、頬を上気させた顔をしている。
……いや、なんというか、それはその、恐ろしく誤解しているぞ?
はっきり言って、俺とフィリスがあの会場に入ったその瞬間から、俺たちへの注目度は半端じゃなかった。なんといってもフィリスは出場選手中最年少の十二歳。しかも、見た目は可愛らしいフリルつきの黒を基調としたドレスを身に着けた可憐な少女なのだ。注目されないわけがない。
それに輪をかけてしまったのが『差し招く未来の霊剣』だ。
まあ、というよりもドレス姿の少女が虹色の優美な剣を振りかざし、髪の色や肌の紋様を鮮やかに変えながらを風や炎を生みだして敵を蹴散らす姿なんて、誰もが目を奪われて当然ってものだろう。集まってきた連中も言っていたが、まさに「絵になる」姿だ。
「ルシア? ワタシの顔に何かついていますカ?」
「へ? い、いや、別に」
俺は無意識にフィリスのことを見つめてしまっていたらしく、慌てて首を振る。そして、恐る恐るアリシアの方を見るが、特にそのことで俺に何かを言うつもりはないらしい。
無意識だったから、気付かなかったのかな?
「んっふっふ。フィリスちゃん。可愛かったよ! もう最高! 凛々しくって勇ましくって、なのにとびぬけて可愛くって、あたしもう、他のものなんて目に入らない!」
ああ、そう、それが理由ね……。
「少し、疲れまシタ……」
フィリスは『精霊』であるせいか、あまり長時間、意識の表面に出ていると疲れるらしい。そう言いながらも引っ込もうとしないのは、アリシアに抱きつかれたこの状況でシャルに交代するのも申し訳ないと思っているからだろう。
俺としては、一つの身体に二つの魂が同居するなんて、なにか不都合が生じないだろうかと思ったこともあったのだが、むしろ上手く使い分けてすらいるみたいだ。
シリルに言わせれば二つで一つの魂なのだから、お互いがお互いを自分のことのように考えている以上、問題など起こるはずもないということらしい。
「あ、ごめんね、フィリスちゃん」
「いえ、大丈夫デス」
ようやくアリシアもそれに気づいたらしく、謝りながら身体を離す。っていうか、心の動きが読めるのに今まで気付かないって、どんだけ夢中になっているんだよ。
「……夢中になっていると言えばライルズのことだけど、少しばかり行き過ぎな感じがするわね」
何となく会話が途切れたところで、それまで難しい顔をしていたシリルが言った。
「ああ、それは俺も感じてたよ。俺とトレーニングしている時はまだ、吹っ切れた感じだったんだが、やっぱりエリオットに勝てなかったこととか、悔しさが忘れられないんだろうな」
「ええ……、そうね」
シリルはなんとなく、腑に落ちないような顔をしている。
「何か気になることでもあるのか?」
「ううん、そうじゃないけど」
「でも、ひっどいよね! こんなに可愛いフィリスちゃんに本気で切りつけようとしたじゃない! あんなのないよ」
アリシアが憤慨した様子で声を張り上げる。
「……ルシアの言った『守る相手がいるから負けられない』との言葉を確かめたいがゆえの行動だったようだがな」
昇降機の壁面に寄りかかり、目をつむったままのヴァリスがそう呟く。
確かに、そうなんだろうけど、それだけのために目の前の俺を避けてまでフィリスに攻撃をするってのは、今までのライルズさんからは何か違う気がする。
この時感じた違和感は、ごく些細なものだった。だが俺は、そんな違和感を「彼だって人間なんだし心が弱ることもあるのだ」と、だからこれは「一時的なものですぐに元に戻るはずだろう」と、そんな風に片づけてしまったことを心の底から後悔することになる。
-夜道の邂逅-
その夜。わたしは、一人でアルマグリッドの街を歩いていた。
もちろん、気分転換のつもりというわけではなく、『元の身体』に慣れるために少し身体を動かそうと思ってのことだ。
もう、『パラダイム』から逃げ隠れすることをやめた以上、今までのように自分の姿を偽装しておく必要はない。と言うよりも、元の姿でないと【魔装兵器】などの力が十全に使えない以上、かえってこれまでの姿でいる方がデメリットが大きいとさえ言える。
とはいえ、わたしはもう四年以上もの間、ほとんどの時間を外見年齢二十歳すぎの身体で過ごしてきた。本来のわたしの身体は、十六歳という年齢の女性の身体にしても小柄な方なので、どうしても違和感を感じてしまう。
「もっとも、これまでの知り合いに、どう話したら信じてもらえるかも考えないといけないのよね……」
自分で決めたことながら、しばらくは面倒が続きそうだ。
けれど、これ以上自分を偽らなくていいと思うと、すごく開放的な気分になる。
違和感があると言っても、慣れてしまえばこちらの姿の方がしっくりくるし。
わたしは円柱都市の内側斜面にある階段をゆっくりと登りながら、自分の腕の長さ、脚の長さなどを確かめ、ついでに久しぶりにまじまじと、自分の銀の髪を見る。
『古代魔族』の証。これがあるために重い使命を背負い、命まで狙われた。時として疎ましく感じることさえあったはずなのに、今は、この輝きが誇らしくすら思える。
そう言えばルシアは、わたしのこの髪を「綺麗だ」と言ってくれたんだっけ?
ふと、そんな考えが頭をよぎり、あわてて首を振る。
「もう! わたしったら、なんで変なことを考えているのかしら。そんな場合じゃないのに……」
「ふふふ」
「え?」
思わず声に出てしまった独り言に、どこかから笑い声が聞こえ、わたしは慌てて周囲を見回した。
「あら、驚かせてしまったかしら。ごめんなさいね。なんだか、あなたの様子がとても微笑ましかったものだから、つい、ね」
そう言って建物の蔭から姿を現したのは、濃紺の髪をした青いローブの女性。タッグ戦にライルズと一緒に出ているアイシャだった。薄暗い街の中では、彼女の姿はぼんやりと周囲に溶け込んでいて、不覚にもわたしは気付くことができなかったらしい。
「こんな時間にお散歩かしら?」
彼女は優しげに笑いかけてくる。彼女は昼間、観客席にいたわたしを目にしているはずだけど、今の姿ではわたしが誰なのかはわからないだろう。とはいえ、この状況で説明するのも難しいし、ここはこのまま誤魔化してしまうことにする。
「はい。ちょっと気分転換に。……あの、アイシャ、さん、ですよね?」
「ええ、よくご存じね? あなたみたいな女の子でも武芸大会を見ていたのかしら?」
「はい。あの予選の時のアイシャさん、とっても凄かったです」
たまたま武芸大会を見ていた街の女の子を装うつもりだったけれど、この言葉自体は嘘じゃない。彼女の戦いぶりは本当に大したものだった。
彼女は、自分の周囲に無数の氷塊を浮遊させ(恐らくは【魔鍵】の能力だろう)、接近してくる相手の攻撃を防ぎつつ、絶妙な足さばきで間合いを計りながらも正確無比な【魔法】を放ち、次々と敵を仕留めていた。
それだけにとどまらず、ライルズに【魔法】を使おうとする相手を見つけては、より早く発動する【魔法】を的確に選択して相手の攻撃の手を潰すなど、彼のサポートまでも同時にこなしていたのだから、彼女の実力は底が知れない。
「そこまでわかるなんて、驚いたわね。あなた、よっぽど武芸大会が好きなのね。よく見ているのね?」
「あ、あはは……、全部人の受け売りなんですけどね」
わたしはそう言って誤魔化したけれど、褒めるつもりが、少し話し過ぎたかもしれない。
「そう……。ねえ、あなたさえよかったら、上にある公園で話さない? わたしも少し気分転換がしたかったところなの」
「え? はい、いいですよ」
彼女の意外な申し出には驚いたけれど、話の流れ的にも断りづらいし、彼女の情報を仕入れるのも悪くないと思ったわたしは、二つ返事で了解した。
そして、公園のベンチに腰掛けると、アイシャは星の瞬く夜空を見上げながら、こう切り出した。
「お世辞なんかじゃなく、正直なところを聞かせてほしいの。この前の予選、わたしのチームの戦いぶりに気になるところとか、なかったかしら?」
「え?」
「ああ、あなたが受け売りだって言っていた人の話でもいいわ。あなたはさっき、『わたしの』戦いぶりを褒めてくれたけれど、話の中にライルズのことがあまり出てこなかったから。……気を使ってくれたんじゃないの?」
鋭いわね。と、いうより自分でも気にかけている部分なんでしょうけれど。
わたしは少し悩んだけれど、結局、思ったことだけは正直に話すことにした。
ライルズが何か問題を抱えているなら、彼女に話すことで少しでも解決の糸口にしてもらえるかもしれないし。
「ライルズ……さん、ですけれど、少し入れ込み過ぎているんじゃないかと思いました。タッグ戦なのに周りが全く見えていないというか、何があったのかわかりませんけれど、個人戦の時と比べてもあの状態は普通じゃないと思います」
「……そうね。元々あの人は考える前に走り出すようなところがあって、それはそれであの人の良さだと思うけれど、でも、今の彼はあなたの言うとおり、『入れ込み過ぎ』だわ」
アイシャさんは、悲しげに眼を伏せながらそう言った。
「アイシャさんから何か言ってあげたらどうですか? あのままだときっと、どんどん良くない方向に行ってしまいそうに見えます」
「え? ああ、そうね。そうしたいところだけれど、なかなかわたしの言葉なんて聞きいれてくれる人じゃないし……。そもそも、わたしには何もできないから」
アイシャさんは、『何も』という言葉を強調するように呟く。何か思うところでもあるのだろうか?
「どうかしたんですか?」
「いえ、なんでもないわ。……そう、会ったばかりのあなたがそこまで心配してくれると思わなかったから、少し驚いただけよ」
なんとなく誤魔化されてれているようにも感じたけれど、言われてみれば単なる街の住人が言うには、少し不自然な言動だったかもしれない。
なぜかアイシャさんと話していると、その落ち着きに引き込まれてしまうみたいね。
そのせいでつい、気を抜いてしまいがちになる。
「でも、あなたの言うとおりだわ。今の彼は尋常じゃない。自分より強い相手がいることに喜びすら感じていたはずの彼がどうして、あんなふうになってしまったのか……」
「他にも何か、あるんですか?」
「……ええ、今の彼は個人戦の話には触れたがらないのよ。それこそ、去年までなら敗因の分析だとかを自分から話してくれたのに、誰かがその話に触れようとすると、露骨に嫌な顔をするの。ただ、それだけなんだけどね……」
これは、思っていた以上に深刻な問題なのかもしれない。結局はライルズ自身が解決するしかない問題かもしれないけれど、わたしたちは彼に対して恩がある。
何か、力になれればいいのだけれど……。
「ふふ。あなたって、本当に思ったことが顔に出やすいのね? 心配してくれて、ありがとう」
アイシャさんはそう言って笑った。顔に出やすい? 今までそんなことを言われたことはなかったのだけれど、……やっぱり因子制御を止めた影響はあるのかしら?
「さて、それじゃあ、そろそろ行くわ。あなたも夜更かしはしないようにね。今更言うのも何だけど、若い女の子が夜に出歩くものじゃないわよ?」
アイシャさんは穏やかな笑みを浮かべ、流れるような動作で立ち上がると、わたしに向かって軽く手を振りながら歩み去っていく。
わたしは、思わずそんな彼女の背中に声をかけた。普段の自分なら、決してやらない踏み込んだ真似だと思うけれど、このときは何故かそうせずにはいられなかった。
「アイシャさん! 人は辛い時や苦しい時、誰かが傍にいてくれているだけでも、すごく救われるんです。わたしも、……そうだったから。だから……何も出来ないなんて思わないでください。助けたいと思う気持ちだけだって、きっと大切で、意味があるものだと思います」
どうして、わたしはこんなことを口走ったのか? それが自分でもわからなかった。 こんな状況でわたしが言うには、かなり不審に思われてしまうに違いない言葉なのに。
アイシャさんはその言葉に、振り向かないまま肩越しに手を振ることで応えてくれた。
この日の邂逅は、彼女がわたしの名前すら知ることのないままに終わってしまったものだったけれど、きっと何か大事な意味のあるものだったのだと思う。