幕 間 その10 とある最強の始まり
-とある最強の始まり-
僕は『ワイバーン』の【因子所持者】として、生を受けた。
僕が生まれた村、『ローグ村』は山間の小さな集落だったけれど、村人たちは皆いい人ばかりで、身体の一部に鱗を生やした僕の事を気味悪がるでもなく受け入れてくれた。
この村には僕以外、【因子所持者】として生まれた者がいなかったことを考えれば、これは異常なことだと言ってもいい。
貧しい村だったこともあって、連帯感が強かったせいもあったのかもしれない。
あの時の僕は、いつまでもそんな平和で穏やかな日が続いていくものだと信じていた。
けれど、それは唐突に悪夢に変わる。
きっかけが何だったのかはわからない。村の皆はほとんど全員が全員、ほぼ一斉に苦しみだし、やがて……その姿を化け物に変えた。
変わってからしばらくは、彼らにも意識があった。
驚き、戸惑い、嘆き、助けを求め、慰め合い、そして、狂った。
怒り狂い、荒れ狂い、暴れ狂った。僕は、皆の姿を茫然と見つめながら、こみあげてくる吐き気をこらえ、自らの身を呪った。平和だった村に何の脈絡もなく、こんなことが起こるはずがない。
何があった?
決まっている。この村には、最初から異質なものがあったじゃないか。
……僕だ。ここにいる僕なんだ。
この惨状は、僕のせいだ。きっと僕が呪われていたから、みんながこんな目にあっているんだ。
みんなはこんなにも苦しんでいるのに、僕だけは何事も無いみたいに平然としている。
何より辛いのは、村の皆は悶え狂い、暴れながらも、決して僕に危害を加えようとはしないことだ。それどころか、残った意識でこの僕に、早く逃げろとさえ言ってくれるのだ。
でも僕は、逃げることなんてできない。
そう思っていたけれど、それからいくらもしないうちに、誰かが村にやってきた。
ガシャガシャと鎧兜の音を響かせ現れたのは、銀色の甲冑をまとった数十人の男たちだ。
「こ、ここが、情報にあった悪魔憑きの隠れ里『ルギュオ・ヴァレスト』か!」
「ば、化け物が暴れているぞ!」
「くそう! 悪魔憑きめ。神の御名の下に我ら『神の騎士団』が成敗してやる!」
男たちはそう叫ぶと、いっせいに村の皆に向けて斬りかかった。
止める暇なんてまったくなかった。それ以前に、まだ6歳になったばかりの僕の精神は、すでに限界に達していた。目の前の現実を受け入れることを止め、ただ茫然としながら、彼らの言葉を思い返す。
「悪魔憑き」。そんな存在がいるとすれば、それは僕じゃなかっただろうか?
次に気がついた時、僕は『ローグ村』からかなり離れた山間の谷底にいた。
恐らく無意識にふらふらと歩いている途中で、崖から足を踏み外して落ちたのだろう。
だというのに、僕の身体には傷一つ付いていない。何とか立ち上がり、うっそうと生い茂る木々をかき分けて歩くうち、僕はふと、喉の渇きを覚えた。
そして、ようやく見つけた水場に近づき、水面を覗き込んだ瞬間、僕は絶叫した……。
それから、僕は自らの異形を誰にも見られないように、山の中で生活を続けた。
でも、そんな生活を続けること6年、この異形の身体にも慣れてきた頃、僕には新たな感情が芽生えはじめていた。……忘れてはならないことがある。村の皆は、殺されたんだ。
だから、復讐しなくちゃいけない。あいつらを殺す。皆を殺したあいつらを許すことはできない。仇討ち。皆のために僕が出来ることは、それだけなんだ。
それは単に、6年間の孤独と苦痛に耐えきれなくなった僕の心が見つけ出した逃げ道に過ぎなかったけれど、その日、ようやく僕は山を降りた。
とはいえ、特にあてなどない。僕は全身をすっぽり覆う布切れを身体に巻きつけ、街を歩く。奇異の目で見られはしたが、化け物と罵られるよりはましだった。そんな時、僕の耳に聞こえたのが『魔神殺しの聖女』の噂だ。
ホーリーグレンド聖王国の聖騎士団長エイミア・レイシャル。
人々が英雄だと称え、聖女だと崇める彼女の話を聞いて、僕は思った。
そういえば、村を襲った連中は、『神の騎士団』とか名乗っていた。ひょっとしたら、……いやきっと、聖騎士団が何か関係あるに違いない。
無理矢理のこじつけだったけれど、とにかく「何か」をしていないと発狂しそうだった。
不幸な自分と比べ、あまりにも対照的に華やかな名声を持つ彼女に対する逆恨み。
騎士団の所在地や彼女の年齢を冷静に考えれば違うことは明らかなのに、そのときの僕は認めたくない事実からは意図的に目を逸らしていたのだった。
そして僕は、彼女に出会う。
異常なまでの執念深さで、僕は彼女の行動を遠くから観察し、彼女が『オルガストの湖底洞窟』周辺の訓練を終えた後、必ず一人で立ち寄る場所があることを突き止めたのだ。
そこは、湖から少し離れた場所にある森の中。彼女は訓練後、誰にもついてこさせずに、その場所に向かう。
だから僕は、森の中で待ち伏せした。化け物を殺し、英雄扱いされてちやほやされている彼女に、みっともなく命乞いをさせてやろう。
このとき醜く歪んでいたのは、異形の姿以上に、僕の心だったのだ。
やがて彼女が森の中に入ってきた。相手はかなり腕の立つ騎士だ。不意を突かなければ、僕には勝ち目はない。そう思い、彼女の様子を窺う。
騎士装束の上に銀の鎧。あの時の男たちに良く似た姿だ。けれど、決定的に違うものがある。
それは、肩にかからない程度に伸ばされた鮮やかな青い髪。……なんかじゃない。
そんなものよりも僕の目を引きつけたのは、彼女の瞳だ。青く澄んだその瞳は、実のところ何も映してはいなかった。深い『悲しみ』に支配された、虚ろな瞳。
何故だろう? どうして彼女は、あんなにも皆に崇めたたえられているのに、幸せなはずなのに、まるで僕みたいに、いや僕以上に悲しみに満ちた瞳をしているんだろう。
それが気になって、気がつけば僕は彼女の前に姿を現していた。
「誰だ?」
「なんなんだよ、あんた! どうしてだ! あんたは英雄なんだろう? 皆にあんなに囲まれて、どうしてそんなに悲しそうなんだよ!」
僕はわけも分からず叫ぶ。彼女は、そんな僕の異形の姿に一瞬、驚いたような顔をしたけれど、すぐに元の悲しげな顔に戻った。
「君は人間か? その姿、【因子所持者】にしても少し混じり過ぎている気がするが」
「ああ、そうだよ! オレは化け物だ。オレのせいでみんな死んだ! でも、あんたは違うじゃないか! 綺麗で、華やかで、みんなを救った英雄で……なのに、なんで! どうしてそんなに辛そうなんだよ!」
僕の叫びは、はっきり言って彼女には意味が分からないものだったに違いない。でも彼女はその問いに、正面から答えてくれた。
「……どんなに、どんなに皆に囲まれていても、一番近くにいてほしかった人がいないんだ。掛け替えのない大切な家族を犠牲にして、わたしは生き残ってしまったんだ。英雄になんか、なれなくたっていい。聖女だなんて、柄じゃない。ただ、あの子が、アベルが生きていてくれたら、それだけで、良かったのに……」
その言葉に、悲しみを絞り出すかのようなその声に、僕は絶句した。どうして僕は、この世界で自分だけが不幸だなんて思ってしまったんだろう?
それから僕らは彼女の弟、アベルの墓だという塚の前でお互いの話をした。
人間離れした姿の僕なのに、まさかこんなふうに相手をしてくれるとは思わなかった。
「エリオットは何となく、アベルに雰囲気が似ているよ」
「でも、こんな化け物の姿じゃなかったでしょう?」
落ち着いてきたためか、僕は彼女に敬語で話すようになっていた。
「ただ、代わりにモンスターを召喚して使役していたな。もしかしたら、その分だけわたしにはモンスターの姿に『慣れ』があるのかもしれないな」
彼女はこんな風に、僕の姿に対して必要以上に気を使わないのだ。それは、簡単なようで、とても難しいこと。
「……君には、力が必要だな。生きていくための力が。だから、【魔鍵】を探そう。わたしも協力するぞ。なあに、【ダウジング】用の【魔鍵】ぐらい、セイリア城にも四種類が全部そろっているからな。今度持ってこよう」
「え?」
何を言っているんだろう、この人は。こんな化け物の僕にそこまでしてくれるなんて、どういうつもりなのか?
「わたしも君と同じだよ。『何か』をしたいんだ。でも、復讐なんかじゃない。わたしがアベルに生かされたというのなら、わたしが誰かを助けることは、アベルがその人を助けたのだと言うこともできるだろう?」
彼女はそう言って、初めての笑みを見せた。きっと僕は、この時この瞬間から、彼女の凛とした強さに、ひたむきな前向きさに、惹きつけられてしまったのだろう。
だから余計に、彼女に言葉をかけてもらいたくて、僕はあえてこんなことを言った。
「でも、オレは化け物で、オレのせいで皆が死んだんです。だったら、生きる力を手に入れるより、むしろ死んだ方がいいんじゃないでしょうか?」
すると彼女は、僕の額を指ではじいた。額にも多少は鱗があるはずなのに、結構痛い。
「馬鹿だな。君は。君が死んだら犠牲になった人はもっと浮かばれないじゃないか。君は生きて、死んだ人の分まで何かを成し遂げなくちゃいけないんだぞ。縮こまって後ろを向いてウジウジしている場合じゃない。胸を張って前を見て意気軒高に生きていくのさ」
そう言って、僕の頭をわしわしと撫でまわす。まるで、『弟』にでもするみたいに。
それからの僕は、時折騎士団を抜け出してくる彼女と共に【魔鍵】探しを続けることになった。その間中、僕はずっと守られてばかりで、何一つ彼女の力になることができなかった。
だから、僕は決めた。いつか、彼女のことを助けられる存在になりたい。
だって、彼女のような素晴らしい人を助けることができるなら、それこそが死んだ人の分まで僕が成し遂げるべき『何か』だと思うから。
でもその前に、彼女に認められるくらい、世間に認められるくらい、強くなろう。
彼女と肩を並べられる域にまで辿りつき、僕は僕の強さを証明したい。
そうして初めて、彼女の力になれるのだから。