第59話 サヴァイヴァー/たどり着けない領域
三日連続更新、第2回目です。
-サヴァイヴァー-
ズドオン!と、ものすごい轟音があたりに響き渡りました。
あの灰色の人、エリオットさんの所持する【魔鍵】『轟き響く葬送の魔槍』の最大にして最強の必殺技、『轟音衝撃波』。
事前には聞いていましたが、すごい威力です。爆発音とともに土煙が拡がる直前、ヴァリスさんが掌を突き出すのが見えましたが、いくらヴァリスさんでもあんなものを受けて無事でいられるのでしょうか。
「……大丈夫だよ。シャルちゃん」
アリシアお姉ちゃんが、わたしの腕を掴むようにして言いました。けれど、その手が少し震えているのがわかります。やっぱり、心配ですよね。
会場全体が唖然として見守る中、晴れていく土煙から最初に姿を現したのはヴァリスさんでした。ヴァリスさんの身体は、ぼろぼろの傷だらけになっているようですが、“竜気功”を使っているみたいで、気功によって修復される機能のある『波紋の闘衣』を含めて、少しずつ回復してきているみたいです。
「なあ、シリル。ヴァリスの奴、気功の力自体も強くなってないか?」
「ええ、“竜気功”はもともと【魔力】を生命力に変換する力だもの。ヴァリスが自信を取り戻すことで、自我の力である【魔力】が強まったのなら、当然の結果よ」
自信がついたぐらいで強くなれちゃうなんて、『竜族』ってすごいです。わたしはルシアとシリルお姉ちゃんの会話を聞きながら、改めてヴァリスさんのすごさを思い知りました。
「お、エリオットの姿も見えてきたな」
ルシアの声に、わたしは意識を闘技場の舞台の上に戻しました。
するとそこには、仰向けに倒れたまま動かないエリオットさんの姿が。
「おおっと! なんと言うことでしょう! 煙が晴れた後に現れたのは、なんとも予想外の光景です! これまでただの一度として、背中を地につけたことのないエリオット・ローグが倒れています!」
アナウンスの人が興奮気味に叫ぶ声が聞こえます。
勝った、のかな? 冒険者の中でも最強って言われている人に。……本当に?
けれど、あまりにあっけない決着に、会場の皆が驚き静まりかえる中、エリオットさんに動きがありました。
ムクリ、とまるで機械仕掛けの人形のように何の反動もつけないまま、上半身だけを起きあがらせるエリオットさん。
その顔には、頭から流れる赤い血の筋ができていて、身にまとう石の鎧こそほとんど傷ついていないように見えますが、鎧に保護されていない部分は、ヴァリスさん以上にぼろぼろになっていました。
「まだ、動けるか。大したものだな。だが、我の勝ちだ。その状態ではもう戦えまい」
ヴァリスさんは、視線を別の方向に向けながら言いました。その向けられた視線の先には、吹き飛ばされて遠くに転がった『轟き響く葬送の魔槍』が落ちています。あの槍がなければ、エリオットさんも【通常スキル】クラスの力しか使えないはず。起きあがったとは言っても決着はついたようなものでしょう。
……けれど、
「僕は、この世のどんな存在にも負けてはならないんだ。でなければ、あの日、あの時、僕のせいで犠牲になった人たちが報われない。僕が世界に生み出された意味を、今も僕が生き残っている意味を、世界に示し続けなくてはいけないんだ」
彼は、よろよろと立ち上がる。
「そうか……。なら、最後まで相手をしよう。それが礼儀と言うものだろう」
ヴァリスさんはそう言って、再び構えをとりました。
会場中の誰もが、ヴァリスさんの勝利を確信する中、不安そうな声を出した人が一人。
「駄目……」
アリシアお姉ちゃん?
「ぐあああ!」
え? 目の前で何が起きたのか、すぐには理解が及びませんでした。
ただ、わかったのは、ヴァリスさんが闘技場の端まで弾き飛ばされてしまったこと。
そして、さっきまでヴァリスさんが立っていた場所に、異形の存在がわずかに宙に浮いた状態で佇んでいること。
「な、なんだあれ?」
「う、嘘でしょう?」
ルシアとシリルお姉ちゃんも驚愕に声を震わせています。
それは、翼を生やした人間の姿をしていました。でも、袖口から見える手首から先はびっしりと青銀色の鱗に覆われていて、爪の形も人間のものではありません。首から上も同じく鱗が生えていて、顎から頬の半ばあたりまでを覆っています。
ただ、顔の中央付近には鱗もなく、目鼻立ちなどはそのままですが、見た感じ随分と若返った少年のような顔になっています。瞳は赤く染まり、灰色の髪には紅い色がまだらに混じり、先ほどまでの薄い印象とは対照的に、鮮やかな外見に変化していました。
「『ルギュオ・ヴァレスト』……」
アリシアお姉ちゃんの口から呟きが漏れました。そして、それに鋭く反応したのはシリルお姉ちゃん。
「『ルギュオ・ヴァレスト』ですって? まさか、あそこに生き残りが?」
その言葉に、わたしもようやく気が付きました。
今から十年ほど前まで存在していた隠れ里『ルギュオ・ヴァレスト』。
わたしが読んだ本にある限りでは、もともとは単なる小さい集落に過ぎなかったはずでしたが、十年前に悪魔の住む呪われた村として、一気に有名になったらしいのです。
『混沌の種子』によって世界に生まれ始めた『亜人種』たちは、あくまで人間の姿をしていて、身体のごく一部にモンスターの器官を有する程度のもの。
それに対し、『ルギュオ・ヴァレスト』の人々は、人間離れしたその外観から、本物の『悪魔憑き』として迫害の対象になったそうです。
そして十年前。恐らくは『悪魔憑き』を忌み嫌う過激な一団の手によると思われる襲撃によって、その集落は地図上から永遠に姿を消してしまったのです。
エリオットさんは、『ルギュオ・ヴァレスト』の生き残り?
だから、アリシアお姉ちゃんは、生誕地の情報を「?」にしたんだ……。
「ぐ、うぐ! まだ、そんな力を残していたとはな。油断した」
ヴァリスさんはゆっくりと立ち上がりましたが、右腕が奇妙な方向に曲がっています。
折れてる……? でも、骨折ですら今のヴァリスさんは治癒出来てしまうみたいで、左手で真っ直ぐ固定された右腕は、まもなく元の形に戻りました。
「アンタは、オレのこの姿を見ても、なんとも思わないのか?」
エリオットさんが、これまでとはまるで異なる口調で問いかけます。
「ふん。貴様が『ワイバーン』の【因子所持者】だということは知っている。貴様の身体能力の高さもそれに起因すると考えれば合点のいく話だ。むしろ驚いたとすれば、【魔鍵】がないにも関わらず、そこまで洗練された動きができるという事実の方だろう」
「……アンタは誤解しているようだが、確かに【魔鍵】がなければ、オレはここまで短期間に強くはなれなかっただろう。だが、あれから四年間、オレは死に物狂いで戦ってきた。達人の感覚を自身の身体に『染み込ませる』まで、何度も血反吐を吐き、何度も死線をさまよってな」
エリオットさんは、翼をはためかせ、わずかに宙に浮いたまま、鉤爪のついた手を顔の前で開いたり閉じたりしています。その姿は中途半端に人の形をしているせいで余計に化け物じみて見えるのに、仕草そのものはすごく人間らしさを感じさせるものでした。
「うそ、でしょう? だって、あの『実験』には生存者はいなかったって……」
シリルお姉ちゃんが、蒼白な顔で震えています。いったい、どうしたんでしょうか?
「因子の制御にはどうしても【魔鍵】が必要だ。長時間手放せば、この有様だ。流石にこんな姿をさらした以上、もうここにはいられないだろうが、それでもこの程度のことで負けるわけにはいかない。四連覇。それだけすれば、強さの証明には十分だろうからな」
その言葉が終ると同時に、エリオットさんは地を軽く蹴り、宙を滑空するように猛然とヴァリスさん目がけて接近すると、鉤爪付きの右手を繰り出しました。
「ぬうう!」
ヴァリスさんは真横に跳躍してその突進を回避しましたが、宙を飛ぶエリオットさんは旋回するようにその後を追い、回避直後で体勢を崩したヴァリスさんに左手を振り下ろしました。
しかし、ヴァリスさんは頭を庇うようにクロスさせた両腕から血飛沫を舞い散らせながらも、右回し蹴りをエリオットさんの脇腹部分に叩きつけます。
たまらず吹き飛ぶエリオットさん。しかし、普通の人なら肋骨を砕かれてもおかしくない一撃を受けながら、特にダメージを負った様子もなく、体勢を立て直してしまいました。
「でもあの姿は、【因子暴走】……、じゃあ、やっぱり間違いないのね。でも、どうして?」
「シリルちゃん、どういうことなの?」
相変わらず一人呟き続けるシリルお姉ちゃんに、アリシアお姉ちゃんが痺れを切らしたように尋ねました。
「『ルギュオ・ヴァレスト』というのは、地名じゃなくて『パラダイム』が行った実験の名前よ。聞いた話では、被検体となった村人は一人残らず体内で暴れる因子のせいで心身ともにモンスターと化してしまった、……はずなんだけど」
「そんな、それじゃ、エリオットくんって……」
「ええ。人間にモンスターの因子を植え付けるのみならず、暴走させることで単なる【因子所持者】を超える存在を生み出そうとした、とも言われている荒唐無稽な人体実験『ルギュオ・ヴァレスト』。恐らくは……その生き残り、でしょうね」
-たどり着けない領域-
まったく、ついていけないぜ。
俺は観客席の最前列に陣取って、二人の戦いを見つめていた。ヴァリスの付き添いとして闘技場脇から観戦することもできたかもしれないが、目立ち過ぎるのも良くないだろうからやめておいた。
あれが、エリオット。奴の本気の姿なのか?
俺にはとうとう最後まで見せることもなかった姿だ。悔しいが、ヴァリスの今の強さは本物だろう。確かに俺は、奴の『轟音衝撃波』を凌げば勝てるとは言ったが、本当に凌げるなんて思いもしなかった。なのにあいつときたら、俺が試験官の時に弱点を示してやったはずの、一点集中型硬気功を使って防いじまったんだもんな。ほんとに、脱帽だぜ。
俺の席は最前列なので、いちおう二人の話し声ぐらいは聞こえてくる。
「オレには、負けられない理由がある。オレを残して、オレのために、オレのせいで死んでいった人たちの命が無駄なんかじゃないってことを、オレは証明し続ける!」
「負けられないのは、我とて同じだ……」
不利なのは、明らかにヴァリスの方だろう。見たところ、二人の身体能力は完全に互角だ。身体の強度そのものも、エリオットが『ワイバーン』の因子をあそこまで発現させた以上、今となっては大差ないだろう。だが、経験やセンスに劣るという点は依然として変わらないうえ、エリオットにはヴァリスにはない『翼』がある。
あの翼は、どんな原理かわからないが、大して激しく羽ばたかなくても人一人分の重量を宙に浮かせることができるようだ。今の奴は、ほとんど宙を滑空するように移動しているから、機動性の面でもヴァリスの不利は否めない。
「あまり長く、この姿でいたくはない。終わらせてもらう」
エリオットはそう言うと、鉤爪付きの両手を広げ上空に飛び上がる。
そして、角度をつけて一気に急降下。ヴァリスの身体を薙ぎ払わんばかりの一撃を振るう。ヴァリスが跳び下がってそれを回避するも、再び急上昇。そしてさらに急降下。
俺が『静寂なる爆炎の双剣』でやって見せた以上の巧みな飛行により、縦横無尽にヴァリスへの攻撃を繰り返すエリオット。
ヴァリスは完全にその動きに翻弄されている。それまでの平面的な戦闘に慣れてきたところへ、高さまで含めた多角的な攻撃をこうも高速で叩き込まれれば無理もないだろう。
気付けば、ヴァリスの全身は血まみれになっている。“竜気功”による回復も多少はしているのだろうが、それ以上に負傷する速度が速い。
「ぐ、う、おおお!」
ヴァリスは急降下してきたエリオットに渾身の一撃を叩き込もうとする。しかし、エリオットは、それを空中で受け止め、吹き飛ばされながらもそのまま翼で体勢を立て直す。
あれじゃあ、幾ら攻撃しても意味がない。全部衝撃を吸収されてしまうようなものだ。
「どうしてアンタは、そこまで戦う? オレに匹敵するほどの、負けられない理由なんて、アンタにあるのか?」
攻撃の手を緩めることのないまま、ヴァリスに問いかけるエリオット。この状況では、答えを期待してのものではなかっただろうが、それでもヴァリスは答えた。
「『最強』では、足りないのだ。我は『それ』よりなお、強くならねばならん。我は、彼女が与えてくれた、この身の強さを証明する!」
おお、言うじゃねえか! 話の内容はよくわからないが、この場合の『彼女』ってのはもちろん、アリシアの事だろう。見ればアリシアは口元に両手をあてて、目元を潤ませているようだ。
ヴァリスは叫ぶと同時に、身をかがめ、真上に向けて跳び上がる。普通、身体強化だけであの高さまで跳びあがれるか?
「そうか! じゃあ、オレとアンタ、どちらの想いが強いのか、決着をつけようじゃないか!」
エリオットは、自分の頭上まで一気に跳びあがったヴァリスを追うように上昇する。
でも、ヴァリスの奴。あれは選択を誤ったんじゃないか? 急降下攻撃は避けられるかもしれないが、どのみち鉤爪による攻撃自体はかわせないだろうに。
だが、エリオットは一撃では決着のつきにくい鉤爪による攻撃よりも、効果的な方法を選択した。
「オレの勝ちだ!」
跳び上がっただけで身動きの取れないヴァリスと違い、エリオットは翼がある。
巧みに空中で身体の位置を調整すると、ヴァリスを背後から掴み、さらに上昇後、急降下する。石床の直前でヴァリスを手放し、そのまま叩きつけるつもりだろう。
が、しかし。
「これを待っていた。……グウルウガアアアアアアアアア!」
“竜の咆哮”。俺がエリオット戦では使わない方が良いと話した技だが、確かにものすごい力だ。はるか上空からの声ですら、俺の全身を戦慄が走り抜けるほどの衝撃がある。
だが、エリオットには……と、そこまで考えて気がつく。そうか。奴は戦闘技術に関しては『轟き響く葬送の魔槍』がなくとも十全に使えるようになっているのかもしれないが、因子制御や精神制御のような真似は、あれを抜きにしては流石にできないんじゃないか?
「ぐ、うあああ! こ、これぐらいで!」
「一瞬でも、隙ができれば十分だ」
ヴァリスは拘束が緩んだと見るや、巧みに身体を入れ替え、エリオットの翼を掴む。
「く、くそ! でも、これじゃあ、アンタも墜落するぞ!」
「承知の上だ。どちらが頑丈か、勝負しようではないか」
「な!」
おいおい、なんて奴だよ。捨て身もいいところだぜ。エリオットが加速をつけたあの速度で落ちたりなんかしたら、二人ともただじゃ済まないぞ?
そうこうしているうちにも、二人はあっという間に石床めがけて落下していく。
ズドオン! と、エリオットの『轟音衝撃波』のような音を立てて二人は墜落した。
石床の舞台が衝撃に耐えかねて粉々に砕け、浮遊する会場の岩盤全体も、あまりの衝撃の強さにぐらぐらと揺れる。
「うわああ!」
「おお、ゆ、揺れる!」
周囲の観客たちが動揺の声を上げる中、俺は闘技場の中心を見守った。
もうもうと立ち込める土煙の中、最初に立ちあがるのは、いったいどちらか?
最初に見えたのは、エリオットだった。灰色と紅のまだら模様の頭髪に、さらに赤い血を混じらせ、翼も半分ちぎれたような壮絶な立ち姿だ。
続いてヴァリス。同じく満身創痍のぼろぼろな有様で、腕をだらりとぶらさげたまま立ちつくしている。
だが、それだけだ。二人とも、立ちつくしたそのままの姿勢で、ぴくりとも動かない。
「こ、これは、……ど、どうしたことでしょうか? 二人とも動きません。えっと、これはいったい?」
戸惑ったようなアナウンスの声があたりに響く。エリオットの異形が現れて以降、言葉を失っていたらしいが、まあ、無理もないわな。
とにかく、これで決着だ。気絶したまま立ちつくすとは、二人とも大した根性だぜ。
やがて、ようやく事態に気付いたアナウンスの声が、審査員に確認を取った後、改めて場内に試合結果を告げる。
「ひ、引き分け! 引き分けであります! 両者ともに気絶! 戦闘不能により、今回のアルマグリッド武芸大会個人戦は両者同時優勝となりました!」
その声に会場は静まり返り、一瞬遅れて大歓声が沸き起こる。
「わああああああああ!」
「二人ともすごいぞ!」
「よくやった!」
二人の戦いぶりのあまりの凄さに、エリオットの異形についても誰一人として気にした様子もないまま、ただ感動と称賛の声だけがあたりを包んでいた。
二人に向けて、大会スタッフの“治癒術士”から【生命魔法】がかけられている。
砕けた舞台の破片を乗り越えて、アリシア達がヴァリスの元に駆け寄って行くのが見えた。
「……あーあ、次元の違う戦いを見せられちまったなあ。あれが、【因子所持者】の極まった連中なんだよな。ある意味じゃあ、才能って奴か……」
俺の知る限り、戦士系のSランク冒険者、それも短期間でランク昇格したような一線級の連中に限れば、その大半がなんらかの【因子所持者】だ。こんな言い方はしたくもないし、認めたくもないが、やっぱり、だからこそ連中は化け物じみているのかもしれない。
そう思うと、俺の心に重く、黒い何かが堆積していくような気分になる。
絶対にたどり着けない領域。努力しても必ずしも報われるわけじゃないという現実。
もちろん、俺の【スキル】だって一般人から見れば、ありえないくらいの高スペックのものなんだろうし、ただ、上には上がいるだけだということだろう。
だいたい俺は、もう命のやり取りが必要な戦場には、立たないと決めたんだ。
死ぬことが怖いわけじゃないが、リラを置いて死ぬのは怖い。
あいつに死なれかけた時、俺が感じた恐怖。それをあいつに味わわせるなんて、まっぴらごめんだ。
だからもう、俺が強くなる必要なんてないじゃないか。自分と妹の身を守れる強さなら、十分にある。それで満足すればいい。そう思いながらも、諦めきれない自分がいる。
……はあ、やめやめ。
いつまでもウジウジとくだらないことを考えているなんて、俺らしくもない。タッグ戦もあることだし、まだ今年の大会の楽しみがなくなったわけじゃない。
それに、リラへのお土産も決めておかないとだしな。