幕 間 その8 とある古代妖精の想い
-とある古代妖精の想い-
今からおよそ千年前、世界に現出した『邪神』と呼ばれるもの。
世界を蹂躙した異形のモノたちには、絶対たる『神』の力ですら通じなかった。
世界の法則を生み出す絶対者の力を受け付けない存在。
だからソレは、異世界からの侵略者であったのだとも言われているけれど、真相は定かではない。
いずれにせよ、伝説によれば『神』は最終的に『邪神』に対して勝利を収めたと言われている。……それまで共に『邪神』と戦っていたはずの『竜族』を裏切り、すべての『邪神』を『竜族』もろとも隔離空間に封印するという暴挙に出ることによって。
にもかかわらず、その後も『神』は何かに恐れおののくように互いに反目し、相争った挙句に世界を『分断』させたまま、数年と経たずに姿を消してしまう。
原因は不明。詳細も不明。わかっていることは、滅びに瀕した彼らが、ただひたすらに、自分以外の『神』を裏切り、自身の生み出した【幻想法則】だけが適用される『世界』を世界の中に乱立させたのだということのみ。
そして、二百年後。破滅は突然、わたくしたちの世界に音もなく訪れる。
乱立する【幻想法則】はひとつに重なり、【自然法則】に属する存在である『精霊』や『妖精族』でさえも、『変質』した【幻想法則】の影響により、次々と狂っていく。
結局、生き残ることができたのは、『聖地』に逃げ延びた『妖精族』と、混乱の中で偶然生まれた【亜空間】に逃れることのできた一部の『精霊』たちだけだった。
それからさらに、八百年あまり。わたくしは、久しぶりに懐かしい友達に出会った。
シャル・エンデスバッハと名乗る少女。その魂の存在に。
生まれつき体の弱かったわたくしは、『変質』の前は毎日のように『世界樹』の傍で『精霊』たちと時を過ごしてきた。だから、その再会はまるで奇跡のようで、わたくしに例えようのない喜びをもたらしたのだった。
……けれど、そんな奇跡に勝るとも劣らないくらい嬉しい出来事があった。
レイフォン・レイヴンウッド。
人間たちの邪な思惑のために犠牲となった、とある女性の忘れ形見。
わたくしたちが気付かぬうちに、人間の社会に根付いていった『世界樹』への欲望は、人間と『妖精族』との関係すらもいびつなものに変えてしまった。
わたくしはそんな事実を知った時、この世界に失望した。絶望まではいかないけれど、どうしようもなく歪む世界は人の心までも歪ませるのかと、悲嘆にくれた。
あの『変質』の後、かろうじてモンスターとならずに生き残ったわたくしたちを救ってくれたのは、なんの力も持たないはずの人間たちだった。清浄な【マナ】のある場所以外に行き場のないわたくしたちのために物資を運んでくれたり、わたくしたちが育てた『世界樹』の苗木を植えてまわることで、生活できる場所を増やしてくれたのも彼らだった。
そんな彼らの子孫だから、わたくしたちは彼らがどんなに変わってしまっても、彼らを憎んだり、蔑んだりすることはなかった。
それに、わたくしたちが種を維持するためには、どんな関係であろうと彼らとの繋がりを断つことはできなかった。だから、わたくしたちは諦めにも似た気持ちでそれを受け止め、虚しく日々を過ごしてきた。
『創世霊樹』の問題を解決するため、人間たちを頼る。そんな考えでさえ、あの『完全精霊』を宿した少女に出会うまで、思いつきもしなかった。
シリルと名乗るあの女性が、わたくしの依頼を快く引き受けてくれた後もなお、わたくしの心には、人間たちに対する失望感が消えることなくわだかまっていた。
そんなわたくしに、帰ってきたあの子はこう言ったのだ。
「ソアラ様。僕は、人間たちとの新しい関係を創りたいと思います。『妖精族』のみんなは、もっと人間のことを良く知るべきです。わかりあおうとしないから、お互いの間に悲劇が生まれる。僕はそう思います」
一人の人間の女性と共にわたくしの前に立つレイフォンは、出発前とはまるで別人のようだった。
「確かに人間たちの中には、自分勝手に非道な振る舞いをする連中がいるかもしれません。けれど、それは『妖精族』だって同じはずだ。そのつもりがなくても、知らずに傷つけて、苦しめて、その現実を見ようともしないなんて、間違っています」
そう言って、彼は傍らの女性に優しい視線を向ける。その目には、これまでの『妖精族』が人間の女性を見ていた目とは違い、本当の愛情が込められていた。
その女性は、人間たちの言う『精霊騎士団』の制服を着ている。
ふわりとした金色の髪を肩のあたりで切り揃え、緑を基調にした制服に身に纏って立つ彼女は、穏やかで、それでいてレイフォンと同じく、決意に満ちた顔をしていた。
かつてレイフォンの母親も所属していたその騎士団の女性たちは、誰もが皆、どこか諦めたような、悲しげな顔をしていたけれど、彼女は違う。
「ソアラ様。お初にお目にかかります。わたくし、『精霊騎士団』のルフィール・シャーリーウッドと申します。わたくしは、罪を犯しました。でも、厚かましい言い方かもしれませんが、もし、許されるなら、わたくしに償いの機会を与えてほしいのです」
彼女が語った話の内容は、痛ましいばかりのものだった。
事件への『魔族』の関与は信じがたいことだったし、特にフェイルと名乗る『魔族』がやったことは酷過ぎる。
彼女の心を傷つけるだけ傷つけ、それでいて何を生み出すわけでもないやり口は、合理性の追求を至上命題とする本来の『魔族』からは想像できない。
数百年前、後に【重なる世界】と呼ばれることになる亜空間を見つけ出し、『妖精族』とともに力を尽くして『創世霊樹』を創り上げた彼らが、いまになってなぜ、こんなことをしたのか?
彼らもまた、歪んだ世界の中で心を歪ませてしまったのだろうか?
どのみち、彼女を責めようという気は全くない。今回の件でセドルたちが犠牲になったことは悲しいけれど、なによりも彼女自身が一番深く傷ついているはずなのだから。
「彼女のしたことは、たとえ騙されて、操られていたのだとしても、許されないことなのかもしれません。でも、こんな辛い経験をした彼女だからこそ、僕は一緒にやっていけると思うんです。嘘偽りなく、わかりあえることができると思うんです」
いったい誰が、こんな日がくることを予期し得たでしょう?
世界は醜く、歪んでいるのかもしれない。けれど、そこに住む人々は、その心は、歪んでなどいない。
人の姿が歪んで見えるのは、勝手な思い込みと逃げにも似た諦めの気持ちで、自分の目を曇らせているからに他ならない。
それをまさか、まだ幼子だと思っていたような子から教えられるなんて。
失望も諦めも、すべては自分が生み出したもの。なぜなら、その方が楽だから。
諦めてしまえば、目の前の現実に蓋をしてしまえば、それ以上、頑張る必要はないから。
でも二人は、そんな現実に真っ向から立ち向かうのだと言った。
一人ではできないことでも、手を取り合って、二人で成し遂げて見せると言った。
わたくしは泣きたいほどの感動に、心を震わせていた。
「あなたたちの歩む道は、きっと平坦なものではありません。それどころか、険しく辛い道になることは間違いないでしょう。それでも、進むというのですか?」
「はい!」
「もちろんです!」
ためらいのない二人の声に、わたくしの顔にも自然と笑みが浮かぶ。
きっとこれから、世界は変わる。
あのときの『変質』に比べれば、ささやかな変化だけれど、とても大切なもの。
「なら、頑張りなさい。わたくしは、あなたたちを応援しますよ」
「ありがとうございます!」
揃って頭を下げてくる二人。あまりにも息がぴったり合っていて、実に微笑ましい。
わたくしは、二人が築くであろう新しい未来に、祝福を捧げようと思う。