第50話 リバース・フォレスト/妖精族と人間と
-リバース・フォレスト-
ルシアが死んじゃう。ルシアが死んじゃう。
ルシアが死んじゃう!ルシアが死んじゃう!
わたしはパニックになっていました。どんな本を読んでも、『死神の鎌に触れたものは命を落とす』というのはもはや定説のように書かれています。
その血塗られた鎌の切っ先が、ルシアの腕を抉っているんです。血も出てしまっていて、これ以上ないくらい、確実に命中しているのがわかってしまいました。
ゆっくりと、倒れていくルシアの姿。【リーパー】はもう彼には興味がないとばかりに次の標的を探しはじめていて、それはつまり……。
いつもわたしのことをからかって、面白がるような嫌な奴だけど、死んじゃうのは絶対に嫌!こんなことで、こんなところで、お別れだなんて絶対に嫌!
剣の稽古だって、まだ一本も取れていないのに、もう二度と相手をしてもらえないの?
……本当は知っていたんです。彼が、ルシアが、いつだってわたしのことを気遣ってくれていて、事あるごとにさりげなく、わたしにすら気付かれないように、わたしを守ってくれていたこと。
「ルシア! いやあ! 死んじゃ駄目!」
無駄なのはわかっていました。でも、わたしは叫びます。だって、嫌だから。嫌だから。
こんな現実、認めない。こんな運命、許せない。こんな世界、全部嘘だ。
頭の中が真っ白になる。わたしの中のわたしと意識がシンクロしていく。
〈渦巻き集いて形を成す、焦熱の檻〉
《炎風監獄》!
わたしと『フィリス』は、無我夢中のまま周囲の【マナ】に働きかけると、水と風の融合属性《凝固》と火属性の【精霊魔法】を同時展開する。それはいわば、三属性の融合。
いまや【リーパー】は、『固められた』爆炎と旋風の壁に閉じ込められているような状態です。燃え盛ったまま凍りつく炎熱の牢獄。無限の責め苦。普段のわたしなら使いたくても使えないし、使えるとしても絶対に使おうとはしない類の【魔法】です。
「ルシア! しっかりしろ!」
ヴァリスさんがその隙にルシアの元に駆け寄って行くのが見えます。でも、もう……。
許せない。わたしは、その身を焼かれ続けてなお、変化もなく佇んだままの【リーパー】を睨みつける。さらに攻撃的な【魔法】を使おうと意識を集中し……、肩を掴まれました。
「駄目だ、シャル! 君が、『精霊』を宿す君が、憎しみの心に染まったら、『精霊』だってそのまま『邪霊』になってしまうんだぞ!」
レイフォンさんでした。さすがに『妖精族』の人だけあって、『精霊』のことに詳しいみたいですが、そんなことはわかっています。他ならぬ『フィリス』のことなんですから。
それでもなお、許せないものは許せないから。
「シャル、落ち着け。ルシアは生きている」
そこに響くヴァリスさんの声。
「え?」
で、でも、あの鎌は死神の鎌で、刺さった地面にあった草だって枯れていて……?
「草が枯れる程度で人間は死んだりするまい。ダメージはあるようだが、心配はいらん。恐らくは神話の世界に忠実と言っても、限度があるのだろうな」
その言葉に、茫然とするわたし。……生きて、る? 本当に?
「そうだぜ、勝手に人を殺すなよ。まあ、死にかけたのは確かだけどな」
ルシアの声だ。生きてる! よかった……。
「おいおい、俺が生きてて嬉しかったからって、なにも泣くことないだろが」
「な、泣いてなんかないもん!」
わたしの頬が濡れているのは、涙なんかじゃない。そう、ちょっとだけ、暑くて汗が出ちゃっただけなんだから……。
「ふふふ、よかったね、シャルちゃん」
アリシアお姉ちゃんが笑ってる。うう、こういうときばっかりは感情を読まれるのは恥ずかしい……。
「さてと、じゃああれを片づけるとしますか」
「といっても、どうするつもりだ? 奴を殺す手段は強力な【魔法】しかないのだぞ?」
「大丈夫だよ。臨死体験中に閃いたっていうか、叩き込まれたことがあるからな」
「?」
首を傾げるヴァリスさんを尻目に、ルシアはゆっくりと立ち上がると、いまだ燃え盛ったまま固まる空気の渦に近づいて行く。
「まあ、死にかけた以上、文句は言えないんだけどさ、もっと優しく教えてもらいたかったぜ」
ルシアはなぜか、気絶したままのシリルお姉ちゃんを一瞥してから、手にした【魔鍵】『切り拓く絆の魔剣』を上段に掲げ、そのまま振り下ろしました。
すると、ただそれだけで、固まった炎熱の渦はあっさりと斬り散らされてしまいました。
周囲の壁がなくなったことで、動き出そうとする【リーパー】に対し、ルシアは再び剣を振りかざします。
「モンスターを斬ろうと認識して斬ったのでは、【魔法】や【事象】は斬れない……か。まったく融通が利くんだか、利かないんだか、わからないよな」
言いながら振り下ろされた『切り拓く絆の魔剣』は、防ごうと構えた【リーパー】の鎌ごと、その身体を真っ二つに斬り裂いた、のではなく『斬り散らして』しまったのでした。
「しんどかったなあ、今回も。確か、この国には息抜きに来たんじゃなかったっけ?」
ルシアはわたしたちの方を振り返りながら、そんな気の抜けたことを言いました。
もうなんだか、憎たらしくなってきた。さっきまでの心配は何だったんでしょう?
それから、わたしたちが最初に取りかかったことは、『創世霊樹』の正常化でした。
「とりあえず、【瘴気】を浄化することが必要ね。磔にされた遺体の方は、この際焼却せざるを得ないとしても、浄化には、そうね……その『世界樹』の若木を使いましょう?」
作業は、意識を取り戻したシリルお姉ちゃん(まだ銀色の髪のままで、背もいつもより低いので、なんだか可愛らしい感じです。)が率先して指示を出してくれました。
あの闇の渦のこと、その時シリルお姉ちゃんが使った不思議な【魔法】のこと。
聞きたいことはたくさんあったけど、それは後です。
レイフォンさんが腰から外した特別な『世界樹』(実際の呼び名は『新世界樹』だったでしょうか?)をさっきまで『アシュバの繭』があった場所にそっと植えました。
「これで、どうにかなるのか?」
ルシアが不思議そうに首を傾げています。身体の方は全然問題ないみたい。
「『世界樹』は【瘴気】を中和する役割も果たしているのよ。でも、このままじゃ、小さ過ぎて容量が足らないみたいね。シャル、《成長》をお願い」
「うん!」
わたしが融合属性の【精霊魔法】を使うときは、【魔鍵】『融和する無色の双翼』に意識を集中させ、二つの色を混ぜるようなイメージを思い浮かべます。
すると、今回は青い光、茶色い光が透明なガラスの小鳥に色を付け、次の瞬間、『新世界樹』が猛烈な勢いで成長し始めました。そして、不思議なことに『創世霊樹』に巻きつくように枝葉を伸ばしていきます。
「え? なにこれ?」
シリルお姉ちゃんも予想していなかったことみたいで、びっくりした声をあげています。
でもわたしには、これが何を意味しているのか、分かるような気がしました。
「……良かった。これで、この森は再生するよ。間違いない……」
レイフォンさんにも、わかったみたいです。これで『創世霊樹』の本体は常に【瘴気】を浄化することができるはず。恐らくはこの森だけに有効なもので、世界中に張り巡らせているという『根』については、無理なのでしょうけれど。少なくとも、これで二度と『精霊の森』にモンスターが出ることはないでしょう。
「『古代妖精』と『古代魔族』の合作【魔導装置】ね。世界を守るために造りだされた『創世霊樹』……か。でもこれも、所詮は一時しのぎ。根本的な問題は解決できない。やっぱり、どうしても『あれ』をするしか、ないの?」
シリルお姉ちゃんは、何かを考えるようにぶつぶつと呟いています。
「シリル様。世界を危機にさらすような真似をしたわたくしたちの罪は、とても償いきれるものではありません。どのような罰でも受けさせていただきますわ」
ルフィールさんをはじめとする『精霊騎士団』の人たちは、いつの間にか全員が一か所に集まり、正座をしてシリルお姉ちゃんたちを見上げていました。ルフィールさんの背中の傷もようやく回復しましたが、焼けてしまった髪の毛までは戻せなかったので、短くなっています。
シリルお姉ちゃんは、そんなルフィールさんたちを振り返ると、軽く首を傾げました。
「……うーん、そうね。じゃあ、こうしましょう。これからわたしたちは犯罪行為を行うわ。だから、それを見逃してくれることと、引き換えっていうのでどうかしら?」
「え? ど、どういうことですの?」
シリルお姉ちゃんの言葉に疑問符を浮かべるルフィールさん。
そして、シリルお姉ちゃんは、銀の髪を軽やかに揺らしながらスタスタとわたしの傍まで歩いてくると、とんでもないことを耳打ちしました。
「え? で、でも……」
「いいのよ。だいたい、報酬だってたっぷりもらう約束だったんだし、問題ないわよ」
こういうときのシリルお姉ちゃんはすごく強引だけれど、それが優しさから来るものであることを、わたしもパーティのみんなも知っていました。
わたしはほとんど『創世霊樹』と同化している『新世界樹』に近寄ると、その枝を一本、ポキッとへし折りました。それも小さな枝じゃなく、杖にできそうなくらいのものを。
「ああ!」「なにを!」
ルフィールさんとレイフォンさんから叫び声が上がりました。折れたところはすかさず【生命魔法】で塞ぎましたが、これは『密伐』と言うのじゃなかったでしょうか?
「じゃ、ちゃあんと見逃してね? わたしも、あなたたちを見逃してあげる」
シリルお姉ちゃんは意地悪そうに笑ったのでした。
-妖精族と人間と-
『妖精の森』の中で生まれ育った僕は、自分が人間の母親から生まれながら、自分の傍に母親がいないことの意味を考えようともしなかった。『妖精の森』で暮らす女性もいないこともないが、多くは子供が生まれるとすぐに人間の町へと戻ってしまう。
その理由に、どうして思い至らなかったのだろうか。実際、名も知らぬ僕の母親は、僕のことを産みたくて産んだのではないのかもしれない。
「今だからお話しますけど、わたくし、上層部からはレイフォン様と婚姻を結ぶよう促されておりましたの」
だから、ルフィールからそんな話を聞かされた時、僕には返す言葉がなかった。
なぜなら、もし婚姻の話が僕に伝わっていたなら、その時の僕ならきっと、種族の義務として、何の疑問も抱かずにその話を受けていただろうから。
それがどれだけ彼女の心を傷つけ、苦しめることになるかも知らずに。
「わたくしは、自分から志願して『精霊騎士団』に入りました。世界を守る高潔なる騎士団に入ることこそ、召喚系【スキル】を持った選ばれし者の使命なのだと信じて……」
けれども、彼女がそこで体験したのは、『世界樹』を守るためとは名ばかりで、さながら『妖精族』とお見合いでもするかのごとく、意味もなく『妖精の森』をパトロールさせられる毎日だった。
「下級貴族の生まれであるわたくしはまだ、ましな方でした。でも、わたくしの部下たちの多くは貧しい家に生まれ、幸か不幸か……いえ不幸にも召喚系【スキル】を備えていたために騎士団へ入らされた者ばかり。婚姻にしても、暗に家族のことをちらつかされれば断れるはずもありません」
彼女は、自分のためではなく、部下の女性たちのために行動を起こしたのだ。
「はじめは上層部に訴え出ました。こんな理不尽が許されていいものかと。……でも、駄目でした。あまり騒ぎ立てるようならわたくしの家を取りつぶす。そう脅されました。そこで、わたくしは、諦めてしまいました。自らの保身のために……!」
後悔の滲む声。何も出来なかった自分に、彼女は責任を感じているんだろう。聞けばその後、『妖精族』との婚姻のために恋人と別れ、自殺してしまった部下もいたらしい。
「そんなとき、わたくしの前にあの男が、フェイルが現れたのです。今思えば、それもあの【魔導装置】のせいだったのでしょうけれど、彼は驚くほどわたくしたちの怒りや悲しみを『理解』してくれました。そんな彼が自らを伝説の『魔族』の末裔だと語り、『創世霊樹』の秘密を話してくれた……。その時点でもう、彼の術中に嵌まっていたのでしょうね」
すべてを語り終えた彼女は、ゆっくりとこちらを振り向く。泣き笑いのような顔でこちらを見つめる彼女の姿に、僕の胸は強く痛んだ。今の彼女が別人のように見えるのは、少し前まで腰のあたりまで伸びていた緩やかに波打つ金髪が、肩のあたりで短く切りそろえられているせいだけじゃないだろう。
ただ、僕が毎日のように親しげに言葉を交わしておきながら、本当の彼女のことを、何一つ知らなかっただけなんだ。
「さあ、これで話はおしまいです。シリル様たちは許してくださっても、貴方はそうはいかないはずです。ただ、わたくしの命をもって、部下の命だけは見逃していただきたく、お願いします」
神妙に頭を下げるルフィール。
彼女達の「許し方」も少し問題があるとは思うけれど、僕には同じ手は使えない。
ましてや、ここには、かつて仲間だった者たちの亡骸がある。セドルたちの、亡骸が。
やっぱりルシアの言うとおり、モンスターと化した仲間を救うすべはなかった。
せめてもの救いは、僕らがここに来た時にはすでに皆、事切れていたということだ。
もっとも、助けられないことを知っていたシリルが、僕に気を使って「仮死状態になるだけだ」と嘘を言っていただけかもしれないが。
でも、それでも、僕は……。
「ルフィール。誓わせてほしい。僕は、諦めない。きっと、『妖精族』の中にも今の人間と『妖精族』との関係を良しと思っている者の方が多いだろう。でも、僕はやるよ。このままでいいわけがない。何も知らなかった僕だけど、知ったからには、僕はやる。きっと、この現実を変えて見せる」
「……ええ、きっと貴方ならできますわ。あのとき、目の前にあるものだけは、どんなものでも救ってみせる、とおっしゃってくれた貴方なら、新しい人間と『妖精族』との関係を築けるはず」
そんな未来を見られないのは残念だけれど、と彼女は悲しげに笑う。
「だからルフィール、僕に協力してほしい。僕一人では不可能だ。……関係は、一人で築くものじゃない。絆は、一人で結ぶものじゃない。君の力が、必要なんだ」
「レイフォン様……でも、わたくしは貴方の仲間を死なせてしまいました。『妖精族』との絆を自ら否定したわたくしに、そんな資格はありませんわ。わたくしはここで死ぬべきなのです」
「ルフィール!」
もどかしい気持ちで、胸がいっぱいになる。どうしてわかってくれないのか?
そんな辛い経験をした君だからこそ、必要だというのに。君でなければならないのに。
と、そのとき。
「ああ、もう、メンドクサイわねえ! ぐぢぐぢ言ってないで、言うこと言っちゃいなさいよ! こっちが恥ずかしくなってくるわ、もう!」
もうなんだか、すべての雰囲気をぶち壊しにしてくれた声の主は、銀の髪に銀の瞳という神秘的な外見を裏切るかのような剣呑な目をした少女、シリルだ。先ほどから手にしている『新世界樹』の枝を顔の前で左右に揺らしながら、僕に向かってにじり寄ってくる。
かつての黒髪黒眼の女性の姿が、なぜこうなったのかも不思議だが、それよりなにより性格まで変わっていないだろうか?
「シ、シリル? 何を言い出すんだ?」
彼女の迫力になんとなく気圧されながらも、どうにか質問を返す僕に対し、うってかわって落ち着いた様子に戻った彼女は軽く息を吐いた。
「ここまで覚悟を決めちゃってる彼女を引き留めたいのなら、貴方も覚悟を決めなさいってことよ。本心でぶつからなくちゃ、気持ちなんて通じないわよ?」
ここまで言われれば、何を言いたいかは察しがつく。確かに、この状況で言うべき言葉ではないと思って言わないでいたけれど、でも、彼女の言うとおりだろう。僕は、意を決してルフィールに向き直り、その目を見つめる。
「え? えっと……レイフォン様?」
「ルフィール! 僕と、結婚してほしい! 上の思惑なんかじゃなく、僕たちの意志で、僕との新しい関係を築いてほしいんだ!」
「ええー!!」
周囲の皆から、異口同音に驚きの声が上がる。続いて、騎士団の女性たちやアリシアなど、特に若い女性たちがきゃーきゃーと騒ぎはじめた。
「あ、えっと、まさかそこまで一足飛びに言うとは思わなかったわね、はは……」
なぜか僕に行動を促したシリルまでもが驚いた顔をしている。と、そこで僕は気付く。
……しまった、結婚は行き過ぎだったか!
「あ、あの、えっと、レイフォン、さま。お気持ちは、その、嬉しいのですが……」
ルフィールは顔を耳まで真っ赤に染めて俯きながら、身体をもじもじとよじっている。
「あ、いや、ルフィール。その、結婚っていうのは違うんだ! いや、結婚したくないわけじゃないんだけど、だから、その……」
「駄目だよ、レイフォンくん。男に二言はないんだからね?」
にやにやと笑いながら、アリシアがそんな言葉をかけてくる。
……その後のことは、思い出したくない。とにかく、『精霊の森』を出るまでの間、皆に徹底的にからかわれ続けたのだけは確かなことだった。
シリルたちは、森を出ると、そのまま僕らと別れると言いだした。もちろん、僕は恩人である彼らを再びソアラ様のところに連れて行き、十分な礼をしたかったのだが、『世界樹』の枝を折ったことを理由に、断られてしまった。
きっと初めから、そのつもりで枝を折ったんだろう。まったく、どこまでわかりにくい女性なんだか。ルシアの言うとおり、『馬鹿みたいにお人好し』なんだな、本当に。
『魔族』と名乗ったフェイルとの関係やあの不思議な【魔法】のこと。なにより伝説の『古代魔族』そのものの銀髪銀眼の姿。聞きたいこともたくさんあったけれど、ここでお別れなのだろう。彼女たちにも事情がある。無理強いはできない。
いずれにしても、僕たちは彼女たちに助けられた。だから、いつか彼女たちが助けを必要とする時が来たら、絶対に力になりたい。これも僕の誓いのひとつだ。