第49話 お伽話の怪物たち/怪物退治
-お伽話の怪物たち-
フェイル・ゲイルート。
あの人の心には、見えない傷がたくさんあった。あの人がシリルちゃんと同じ『造られた存在』で、シリルちゃんとは違う『失敗作』なんだとしたら、その分だけ酷い境遇の中を生きてきたのかもしれない。だからこその、無数の傷跡。
でも、あたしにだけ見えるその傷は、いわば感情の跡。名残みたいなものに過ぎない。
あたしの“真実の審判者”で読み取ることのできた感情は、憎悪でもなく復讐でもなく、ただひたすらに、空虚なものだった。果たしてこれが、『感情』と言えるのだろうか?
何もかもがどうでもよくて、だからこそ何もかもに酷い事が出来てしまう。
あんな心の持ち主は初めてだった。……だから、なのかな? 今、彼の手によって目の前に生まれつつある新たな命も、同じようにあたしの理解できる範疇を超えた存在だった。
「ごめんなさい、シリルちゃん。わからない……」
だから、シリルちゃんからの質問に、そう答えるしかなかった。
「そう……。確かにあれだけ混沌とした存在じゃ、無理もないわね」
シリルちゃんの“魔王の百眼”でも、わからないのだろうか?
宙に浮かぶそれは、一言で言うなら『黒』。
闇の中の闇。暗黒の中の暗黒。
たとえここが月一つない宵闇の中であっても、それと判別できてしまえるような、どこまでも暗く、どこまでも黒い、絶対深度の闇の渦。
「中から何か来るぞ!」
ヴァリスが鋭く警告の声を出したその時、闇の渦の中から腕が伸ばされる。続いて頭が見え、胴体が現れ、……最後に、やっぱり『胴体』が現れた。
「半人半蛇の怪物?お伽話の『ラミア』みたい……」
シャルちゃんが茫然と呟く。そう言われてみれば確かにそうだ。美しい女性の上半身に大蛇の下半身。まさしく神話の世界に出てくる魔人『ラミア』。
でも、お伽話の怪物だよ?モンスターとはわけが違うよ? 実在していたなんて……。
「まだだ! 気をつけろ!」
続いて現れたのは、全身を漆黒に染め、角と翼を生やした巨人。
同じくお伽話にでてくる悪魔王『ディアブロ』そのものの姿をしてる。
「これは、……まさか? ……シャル、護りをお願い!わたしはアレをどうにかするから!」
ここにきてシリルちゃんには、あの闇の渦がなんなのか、わかったみたいだ。心の動きから読む限り、もしかしてシリルちゃんはアレを以前に見たことがあるのかな?
そうこうしているうちに闇の渦からは、大鎌を持った黒いローブ姿の怪人が現れる。 ローブの中に黒い闇しかないその姿は、多分『リーパー』という死神のもの。
どうしよう。どんどん出てくる。どれもこれも、お伽話の世界から現れたみたいな化け物の姿。小さいころから聞かされた恐ろしい姿そのままに、ゆっくりと近づいて来る。
《凝固》
シャルちゃんの融合属性【精霊魔法】が発動して、あたしたちの前にできた空気の壁が彼らの動きを防ぎ止める。けれど、ルフィールさんたちの位置がまずい。泣き崩れたままの彼女達のいる場所は、あたしたちから離れ過ぎていて、怪物たちに近過ぎる。
行く手を塞がれた怪物たちが、方向転換をして彼女達に向かうのは、当然のことだった。
「危ない!」
あたしは思わず叫ぶけれど、どうしようもない。するとその時、
「くそ! なにをやってるんだ!」
レイフォンくんの叫び声とともに、ルフィールさんたちが地を滑るように、こっちに向かって動き出した。見ればレイフォンくんは【印】を結んだ手を大地に押し当てている。
地属性の【精霊魔法】って、あんな風にも使えるんだ。
ルフィールさんたちは、間一髪で『リーパー』の鎌が届く前にこちら側に来ることができた。レイフォンくんが彼女たちに駆け寄っていく。
「しっかりしろ! 死にたいのか!」
「あ、ああ? どうして?」
「なんだって?」
「どうして、わたくしたちを助けるのですか? あ、あんなに、酷い事をしたのに……」
「……騙されて、操られていたんだろう? それに、僕は確かに無知だったかもしれないし、そのために君たちを傷つけていたのかもしれない。けれど、だからこそ、目の前にあるものだけは、どんなものでも救ってみせる。それが償いになるとは思わないけどね」
「レイフォン……さま」
レイフォンくんとルフィールさんの会話が交わされる中、再び怪物のようなものが闇の渦から現れそうな気配がする。
「いったい、なんなの?」
あたしは目の前で起きている現象が理解できないまま、呆然とつぶやく。
と、そこでようやくシリルちゃんの【魔法】が完成した。
〈ラフォウル・ルンデ・マナ・エウラ。マギウス・ラグナ・トード・メンダス〉
〈万物に宿るマナよ、我が手に集え。幻想の法則よ、終末の刻は来たれり〉
《収束する世界律》!
シリルちゃんの口から紡がれる不思議な旋律は、『古代魔族』だけが使いこなせるという古代語と呼ばれる特殊な言語だ。さっきフェイルが姿を現す時にやったように、ただ同じような言葉を口にしただけでは何の効果も生じない。
けれど、これは「生じ過ぎ」だよ! あたしは思わず心の中で叫んだ。
シリルちゃんの周囲に壁のように出現する、おびただしい数の白い【魔法陣】。
あれだけの【魔法陣】を構築するには莫大な【魔力】と時間が必要なはず。それにあんなにすごい数の【魔法陣】が必要だなんて、一体どれだけ複雑な【魔法】なんだろう?
時間が止まる。空間が凍る。周囲から色が消え、静寂が支配する世界の中で、唯一変化が起きていたのは、今まさに怪物が生まれようとする闇の渦だった。
そこだけが、まるで時間が逆さまに流れているみたいに怪物の姿が押し戻されていく。
闇の渦そのものも、発生したときとはまるで反対に収縮していく。
気付けば、闇の渦はきれいさっぱり消えうせていて、シリルちゃんはぐったりと倒れていた。
「シリルちゃん!」
あたしは慌ててシリルちゃんに駆け寄る。もう周囲ではヴァリスやルシアくんたちが怪物と交戦を始めている。やっぱり、すでに現れてしまっていた三体の怪物たちだけは、消えなかったんだ。
「大丈夫。ちょっと【魔力】を使いすぎただけだから……」
あたしの腕の中で呟くシリルちゃんは、銀髪銀眼の少女の姿のままだ。色も薄いし、身体が小さいしで、いつもより余計に頼りなく見えて心配になってしまう。
「いくら小規模とはいっても、まさか凝縮した『邪霊』が【狂夢】と同じ性質を持つなんてね。…やっぱり、一人じゃ、無理なのかな?【収束】の段階でこんなに消耗するようじゃ、次の【構築】を使う余裕なんてない……」
シリルちゃんは、疲労で焦点の定まらない目をしたまま、呟いた。
あたしの声も聞こえているのかどうか……。
「なんなの? さっきのは? それに、あの怪物も……」
「……狂える世界の【幻想法則】が、周囲の意識を無差別に拾い上げて具現化した現象。……暴走する、【事象魔法】。あの怪物は多分、それと同じ……」
説明する気がないのか、それとも単に独り言なのか、やっぱり意味の掴みにくいことを言うシリルちゃん。でも、【事象魔法】って確か、神様の魔法のことじゃなかったのかな?
「あの【怪物】は、神話のイメージから具現化した現象そのもの。だから、あれを倒すには、神話に書かれている怪物退治の方法でやるか、でなければ、あれより強力な意志で構築した現象、つまり【魔法】をぶつけるぐらいしか……」
言われて、あたしは周囲の怪物たちに視線を向ける。あたしはそこで、不思議なことに気がついた。半人半蛇の【ラミア】も悪魔そのものの姿をした【ディアブロ】も、死神の【リーパー】もみな、細部の細かいところが良く見えない。
明らかに『それ』が『そう』だと断言できる外観を備えながら、イメージだけでは補いきれない顔の造形や何かは、ぼんやりと霞がかかったように見えてしまう。
「でも、お伽話の退治方法だなんて、知らないよ? どうしたら……」
あたしの目には、【怪物】たちを相手に劣勢に立たされている皆の姿が見える。
【ラミア】と戦っているレイフォンくんは『精霊騎士団』の女性たちを庇いながら、自分の身体や武器に【精霊魔法】を纏わせ、果敢に攻撃しているけれど、当の【ラミア】は斬っても殴ってもすぐに再生してしまっている。
【ディアブロ】に強力な一撃を叩き込んだヴァリスの攻撃も大して効いたように見えないし、ルシアくんが斬った【リーパー】でさえ全くダメージを受けた様子がない。
「……大丈夫。【怪物】があそこまではっきり出現しているなら、この中に相当、具体的なイメージを持っている人がいるはず……」
そこまで言って、シリルちゃんはとうとう気絶してしまった。
そこで、あたしはふと気付く。もしかして……、シャルちゃん?
幼いころからあまり外にも出してもらえず、本ばかり読んでいた女の子。
「シャルちゃん!」
あたしは急いでシャルちゃんに声をかけた。
-怪物退治-
アリシアの説明は、あまりにも荒唐無稽で信じがたいものがあったが、言われてみれば確かに、ぼんやりとした外見や感じる気配の異質さは、これが生き物ではなく現象なのだと言われた方が納得できるものだ。
我の目の前で黒塗りの剛腕を振りかざし、ときおり口から炎を吐きだす翼ある巨人の姿は、人間たちの神話に登場する『ディアブロ』という怪物に酷似しているらしい。
並みの武器では傷一つつかない漆黒の皮膚を持ち、鋭い牙と捻じれた角を生やした怪物。
動きはそれほど素早くはない。確固たる意思もなく、ただ闇雲に目の前にいる相手に襲いかかってくるだけで、外見に比して知能の欠片も感じられない。
だからさして苦戦するでもなく勝てると踏んだのだが、我の攻撃は一切、この【ディアブロ】には通じなかった。どれだけ気を込めた拳や蹴りを叩き込もうと、固い外皮に弾かれる。内部に浸透したはずの衝撃すら、まるで感じていないかのような動きで腕を振り、炎を吐きかけてくる。
「なんなのだ、こやつは!」
焦りかけたところへ、シャルから声がかかる。
「ヴァリスさん!お伽話の『ディアブロ』は、氷の槍で胸を貫かれて倒されるんです!だからこれを!」
その直後、我の足元の地面に氷で造られた槍が突き刺さる。シャルが【精霊魔法】で造ったのだろう。我は半信半疑ではあったが、使いなれないその槍を手に取った。
そして、手にした氷の槍の切っ先を【ディアブロ】に突きつけるようにして構えると、とたんに【ディアブロ】は動きを鈍らせ、よたよたと後ろへ下がる。
「なるほど。『物語の結末が決まっている以上、避けたくとも避けられない』ようだな」
我は手に伝わる冷気を気功でこらえながら、決められた終わりを待つ怪物へと突進した。
そして、そのまま立ちつくす【ディアブロ】の胸を貫く。ただそれだけで、あれほど攻撃してもびくともしなかったはずの【ディアブロ】は、音もなく溶けるように消滅した。
続いて我は、『精霊騎士団』を庇いながら戦っているはずのレイフォンを助太刀しようと、その姿を探す。
と、そこへ鋭い叫び声が聞こえた。
「レイフォンさま! 危ない!」
その声に振り向いた我の目に飛び込んできたのは、レイフォンを突き飛ばすルフィールの姿だった。
「きゃああああ!」
「ルフィール!」
【ラミア】は上半身は人間の姿をしているが、それはいわば擬態であり、本体は蛇そのものの下半身だということらしい。とはいえ、人間の頭部がばっくりと割れ、そこから強酸性の液体が吐きかけられるなど、通常なら想像もつくまい。
レイフォンより先にルフィールがそれに気付いたのは、恐らく少なからず人間の世界に伝わる神話の内容を知っていたからだろう。
結果として、レイフォンにかかるはずだったその液体は、ルフィールの背中を焼いた。
腰まで伸ばされた金色の髪も、無残に焼かれ、ぶすぶすと煙を立てている。
「く、誰か! ルフィールに治療を!」
〈満ちる緑、鳥の歌声〉
《生命の賛歌》
レイフォンの叫びに即座に反応したシャルが【生命魔法】を発動させる。が、思った以上に傷が深いうえに、酸そのものは依然かかったままであるため、完全回復には至らないようだ。
「うう、もっと強い【生命魔法】が使えれば……」
シャルが悔しそうに言うのが聞こえる。確か、シャルの【生命魔法】の適性自体は複合スキル“聖戦士”に備わった【通常スキル】クラスの“治癒術士”だったはずだ。
にもかかわらず、これだけの速さで他者への【生命魔法】を発動させられたのなら、むしろ褒められてしかるべきだろう。
いずれにしても、倒れたままの彼女を庇いながらでは、戦うこともままなるまい。
「シャル。レイフォン。ルフィールは我が退避させる。早く奴を倒せ!」
我は一声そう叫ぶと、倒れたままのルフィールを抱きかかえて跳び下がる。
「レイフォンさん!お伽話の『ラミア』は、お酒を浴びて動けなくなったところを倒されてるんです。だから、えっと……」
酒だと? そんなものがあるわけがない。シャルも途中まで言いかけてそれに気づき、言い淀んでしまったようだ。だが、それがなければあの【ラミア】を倒すことはできない。ここはいったん退くべきか?
「みんな! お酒なら、これがあるよ!」
耳を疑うような言葉を発したのはアリシアだった。だが、彼女が手にしている物を見て納得する。
『霊草エクサ』から造られる【魔法薬】『霊酒エクシル』の入った瓶だ。
怪我ではなく病に有効なタイプの珍しい【魔法薬】だが、旅先で体調を崩した時のためにということで、アリシアが『霊草エクサ』の採取を依頼してきたところから購入してきたのだ。(つまり、単体で見れば依頼の品より高いものを購入したことになるのだが。)
しかし、ここではそれが役に立った。アリシアが『霊酒エクシル』を荷物から取り出し、それを【ラミア】目がけて投げつけると、『運命』に逆らえないその怪物は、真っ向から瓶の直撃を受け、それを全身に浴びた。
「後は、118回斬りつければ、倒せるはずです!」
「118回? わ、わかった!」
シャルの言葉に、レイフォンは手にしたレイピアを構えなおすと、酔ったように倒れ伏す【ラミア】に向かって斬りつけはじめる。118回とは難儀なものだが、レイフォンは細身の剣に相応しい早業で斬りつづけており、この分なら間もなく倒すことができるだろう。
「シャル! できればこっちも早く頼む!」
ルシアの声だ。奴の『切り拓く絆の魔剣』なら、あるいはとも思ったが、やはり現象そのものまでは斬れないということだろうか?
ルシアが相手にしているのは『リーパー』という人間の世界でも一般的な、我ですら知っているような典型的な怪物『死神』である。
だが、だとするならば、あの血塗られた大鎌はそのまま『死の鎌』と呼ばれ、かすっただけでも生き物を絶命させかねない危険なものであるはずだ。
ルシアが斬り結んでいる【リーパー】は具現化した単なる現象であり、どこまで物語に忠実かはわからないが、今までの例からみて可能性は低くない。
「ちっくしょう! なんでこいつ、斬れないんだ?」
今まで、どんなものでも斬り裂いてきた魔剣なだけに、いざそれが通じないとなると、慣れていない分、戦いづらいのだろう。実際、あれが斬れなかったのは同じ【魔鍵】ぐらいのものだったはずだ。
と、そこまで考えて我は思い至る。
「アリシア! この連中は【事象魔法】と関係があると言ったな?」
「うん。シリルちゃんの言うことは難しかったけど、多分そう」
なるほど。だから、同じ【事象魔法】の使い手である『神』の欠片たる【魔鍵】の力も通じにくいというわけなのだろうか?
「シャル!早く奴の弱点を!」
我の声に、シャルは顔を歪め、大きく首を振る。
「だめ! だめなんです!『死神』が出てくるお伽話はいっぱいあるけれど、そのどれにも『死神』の殺し方なんて、退治の仕方なんて、書いてなかった!」
なんだと? なら、あれは文字通り不死身の怪物ではないか?
殺す手段のない『死神』。そんなもの、悪夢としか呼びようがない。
せめてもの救いは、奴が本能的な行動しかとらないところだろうが、ルシアにかわされて空振りした大鎌が地に突き刺さり、その部分に生えていた草が黒く変色するのを見る限り、野放しにしてよい怪物ではない。
「ルシア! 間合いを取って! あれに斬られたら掠り傷でも死んじゃう!」
シャルが必死に叫ぶ。だが、本能的な動きしかしないとはいえ、【リーパー】は他の怪物たちと違い、宙に浮いている。黒いローブ姿の裾からは、足など生えていないのだ。
一度近接戦を挑んだ以上、宙空を滑るように移動する【リーパー】から、今さら大きく間合いをとることは困難を極めるだろう。
我とて助太刀に入りたいところだが、相手に有効な打撃を与えるどころか怯ませることさえできないのであれば、かえって邪魔にしかなるまい。
ルシアは必死に【リーパー】の大鎌を剣で受け流し、相手に斬りつけようと試みるが、大鎌自体を斬ることはできず、相手の身体は斬っても効果がないという状況である以上、やがては追いつめられるだろう。どんな人間であれ、集中力は無限には続かないのだ。
歯噛みしながら状況を見守る我に、アリシアが声をかけてくる。
「シリルちゃんが言うには、他にもあれを超える強い意志のこもった【魔法】をぶつければ倒せるって言ってたけど……」
そうは言っても、それが可能なシリルはいまだにアリシアの腕の中で気絶したままだ。
残る手段は再び、我がアリシアと『真名』を交わし、【竜族魔法】を使うくらいだが……、できることならそれだけはしたくない。……否、決してするべきではないのだ。
後はここを退却して、シリルの回復を待つしかないのだが、その前に決定的な瞬間が訪れてしまう。とうとう、ルシアの身体に【リーパー】の持つ大鎌が命中してしまったのだ。