第47話 一縷の望み/ブラッディ・ツリー
-一縷の望み-
可能性は高いと思っていた。でも現実に目の前に現れたソレは、悪夢としか思えない。
『精霊の森』の異常を確かめるべく先遣隊として調査に入ったセドルたちが戻ってこなかったと知り、第二陣として調査に向かった僕らが目にしたものは、変わり果ててしまった森の姿だった。
外から見る限り、人間の目には何の変哲もない森に見えるかもしれないが、森に満ちているはずの『精霊』の力は酷く歪み、森の結界は完全に異常作動していた。結局、僕らは何も出来なかった。
ただ、先遣隊が遭難したことを知っていたがゆえに最大限の注意を払っていたからこそ、かろうじて戻ることができたに過ぎない。
そして今、その先遣隊のみんなが目の前にいる。彼らのおかげで僕は助かったようなものだったのに、その彼らは、醜いモンスターになり果てていた。
現在の世界にいる妖魔の多くは、かつての『変質』の際に『妖精族』がモンスター化したモノを『原型』にした存在なのだそうだ。その難を逃れた少数の『妖精族』は森や湖など【マナ】の清浄な地域に逃げ込むことで、かろうじて生き延びてきた。
だから、自分と同じ『妖精族』が、あるいは自分自身が、妖魔になるかもしれないなど、考えたこともなかった。それは、遠い昔の出来事だったはずなのだから。
僕は、腰に吊るした『新世界樹』の苗のポッドに無意識に触れた。そうだ、これがなければ僕もきっと……。
「どうして、こんな……」
僕は、闇色の鎖に捕らわれた仲間たちの姿を茫然と見つめていた。灰色の髪に赤黒い肌、口元から突き出た鋭い牙に、指先がそのまま変化したかのような極太の鉤爪。
でも、数少ない仲間の面影を、僕が見逃すはずもない。彼らは、……彼らなんだ。
「とりあえず、殺さないようにアレンジした【魔法】にしたわ。本来なら肉体ごと噛み砕くものなんだけれど、かわりに極限まで生命力を奪い取る、そういう【魔法】にね」
シリルの心遣いは正直、ありがたかった。他のみんなも、本気で戦えばもっと強いだろうに、極力殺さないような戦い方をしてくれていたのは僕にもわかる。だから僕が言わなければならないのは、お礼の言葉のはずなのに、口をついて出たのは違う言葉だった。
「なんとか、なんとかならないのか?頼むよ。助けてくれ!」
「……一縷の望みにかけてみるしかないわ。この森を正常化すればあるいは……」
シリルは険しい顔で首を振る。目の前が真っ暗になったかのような気分だ。
彼らは痙攣しながら倒れ伏しているが、闇の鎖は依然として彼らの力を吸収し続けているようだ。戻せない、戻らないとなったら、一体どうなるのだろう?
「我も人のことが言えた義理ではないが、その甘さはかえって良くない結果を招くかもしれないぞ? 元に戻せなければ、彼らのとどめを改めて刺さなくてはならないのだ」
ヴァリスの言う通りなのかもしれない。いまさら、抵抗もできない彼らを殺すだなんて、僕には耐えられない。
「心配ないわ。そうなったなら、『それ』は、わたしがやる。わたしの判断でね」
無表情のシリルの声は、血も凍るような冷たさをもって、周囲の皆を静まりかえらせた。
ああ、彼女は『やるといったら、やる』のだろう。否応なく、そう感じさせる冷徹な眼差し。
シャルという奇跡の少女とパーティを組む彼らが、只者ではないということは先ほどの戦いを見るまでもなく十分に分かっていたけれど、これはその極めつけではないだろうか。
ためらいというものを微塵も感じさせない彼女。もちろん、セドル達は彼女の仲間ではないし、殺すとしても極力助ける努力をした結果の判断なのだろう。
だからといって、瀕死の状態で抵抗もできない彼らを殺すことについて、ここまで無機質に感情を表すこともなく、断言できてしまえるものなのだろうか?
「さ、行きましょ。彼らなら、このまま放っておいても仮死状態になるだけだから」
そう言って、彼女は振り返ることもなく、さっさと歩き出した。
その背中を見つめながら、僕は、彼女は単なる人間なんかじゃなく、理解不能な別次元の生き物なんじゃないかとさえ思った。
「どうかしたか? そんなおっかなげな顔して」
ルシアが他の仲間に聞こえないように、『風糸の指輪』で声をかけてくる。まったく普段と変わらない声だ。さっきの彼女の様子に、思うところはないのだろうか?
「いや、その、シリルって、いつもああなのか?」
動揺のあまり、酷く抽象的な質問をしてしまった。これでは何が聞きたいか、わからないだろう。けれどルシアは、当然のように肯定の言葉を返す。
「ああ、そうだ。いつもあんなだな」
「き、君たちは、その、あんな……」
そこまで言って言葉に詰まる。僕は、何を言おうとした? あんな「気持ちの悪い」もの?
恩人に言っていい言葉じゃない。それでも、正しい選択肢をただ、「正しい」という理由だけでためらいもなく選んでしまえる存在を、「気持ち悪い」と思わないではいられない。
僕のそんな内心の想いになど気付かないように、ルシアは言葉を続ける。
「いつも、あんな、さ。まったく馬鹿みたいにお人好しなんだよ。自分がどれだけ悪く思われようとお構いなしなんだからな。まあ、だからギルドで正規パーティを組む仲間もできなかったんだろうけどさ」
「お人好し?」
彼は、何を言っているのだろう?
「でも俺は、そんなにお人好しにはなれない。あいつが悪く思われるのは我慢ならない。だから、どんなに残酷でも俺から言ってやる。……連中は、もう駄目だ。あれが【転生】と同じだというのなら、元に戻ることだけはあり得ない。それは、あいつと俺が一番良く知っている」
「そんな! だ、だったらなぜ、殺さないんだ?あんな面倒な【魔法】まで使って……」
馬鹿な。何を言ってるんだ。彼は。おかしい。助からない? 絶対に?
だって、それじゃあ、一縷の望みにかけてみるって言葉は嘘だったのか?
結局は殺さなければならないのに、どうして中途半端に生かしたりする?
「決まってるだろ。お前のためだよ。目の前ですぐ殺したんじゃ、やりきれないだろ?」
「なに、言っているんだよ……。やり切れないも何も、同じじゃないか」
「同じじゃないさ。直接手を下さないにしても、自分が参加している戦闘中に連中が死ぬのと、戦闘後に他の人間の判断によって連中が殺されるのとでは全然違う。後者なら最悪、お前は判断を下した人間を憎むだけでいいんだからな」
言葉が、出なかった。確かに、さっきまでの僕は仲間を助けられない無念さや死なせてしまう責任感より、彼女によって死を決定づけられることへの理不尽さに気持ちを集中させていた。
まさかそれが、計算尽くだったっていうのか?
出会って数日しか経っていないような僕のために、それもただ、心の負担を軽くする程度のことのために、汚れ役を自ら買って出て、嫌われ役まで演じようとしたっていうのか?
「だったら、僕は……」
「おっと、今の会話は聞かれてないんだから、このまま騙された振りをしてやってくれよ。俺はお前にシリルを悪い奴だと思ってほしくなかっただけだしな」
「あ、ああ、わかったよ」
僕には、そう言うしかなかった。どこまでいっても完全に敗北だ。だったらせめて、彼女の心遣いにだけは応えなければならない。
僕は改めて彼女の後姿を見つめる。黒くて艶やかな長髪を背中に垂らし、白を基調としたローブを揺らせて歩くその姿は、さっきまでとは違って、どことなく儚げにすら見えた。
『創世霊樹』の根元までは、あともう少し。
諸悪の根源たる【歪夢】はそこにあるのだろうか? 聞いた話では【フロンティア】の発生源である【歪夢】はランダムにその姿を現すことが多いらしい。
だが最長老であるソアラ様は、少なくとも今回の【歪夢】は『創世霊樹』の極めて近くにあるはずだと、そう断言した。
もし、離れた場所にあるのなら、いかに【歪夢】が【瘴気】を生み出そうと、『精霊の森』に豊富に生える『世界樹』がそれを中和するため、ここまで『創世霊樹』の機能が狂うはずはない、とのことだった。
そして、ようやく目的の場所にたどり着いた僕たちの前に現れたものは、一見、ソアラ様の推測の正しさを裏付ける光景であるかのように見えた。
『創世霊樹』の周囲に漂う、おびただしい数の『邪霊』たち。
この世界で生まれ、行き場をなくして【瘴気】に捕らわれた『精霊』たちのなれの果て。
けれど、その中心にあったものは、もっと信じられない、信じたくないものだった……。
-ブラッディ・ツリー-
「? ル、ルフィール? どうして君たちがここに?」
レイフォンさんの声が震えています。もちろん、周囲を覆う『邪霊』の群れに怯えているわけではないでしょう。これだけの数となれば確かに脅威ではありますが、ほとんどが下級精霊のなれの果て。そこまで極度に恐れるようなものではありません。
では、いったいどうしてなのか?
王国の許可がないために来れないはずの『精霊騎士団』の皆さんがここにいるから?
でも、援軍であるはずの皆さんに、震える必要はありません。
彼女達がこの場には不似合いな笑みを浮かべ、こちらを見つめているから?
それも、確かに不自然ではありますが、そんなものではまだ、足りません。
そんなものなんかより、もっとずっと決定的なものが目の前にあるからです。目を背けたくても背けられない、酷いものが、惨いものが、気持ちの悪くなるようなモノが……。
「な、なんだよ、これ?」
「ああ、うう……」
ルシアとアリシアお姉ちゃんも衝撃のあまり、声が上ずっているようです。
『創世霊樹』。あまりにも巨大すぎて、この距離からではただの木の壁にしか見えないその大樹の幹は、真っ赤に染まり、あるいはどす黒く変色していました。
その上には、いくつもいくつも、数えきれないほどのヒトガタが張りついて……。
その真下には、不気味にうごめく暗灰色の肉塊のようなものが転がっていて。
わたしもきっと、過去の経験がなければ、気絶してしまっていたでしょう。
それぐらい、衝撃的な光景でした。
「お早いですわね。レイフォン様。『完全精霊』と共にあれば、結界があっても迷うことはないとは思いましたけれど、植物のモンスターもいたはずですのに、大したものですわ」
けれど、そんな凄惨な光景がまるで嘘のように、ルフィールさんはにこやかに声をかけてきたんです。
「質問に答えてくれ!何故、ここにいる?どうやって、ここまできた?コレは何だ?」
「怖い顔をなさらないでくださいな。せっかくの美貌が台無しですよ、貴き『妖精』様?」
「ルフィール!」
レイフォンさんの問いかけを茶化すようにいなして笑うルフィールさんは、『妖精の森』であった時と同じ人とはとても思えません。
「この者たちは、以前に密伐者として引き渡した連中のようだな」
そこで口を挟んだのはヴァリスさん。見たくはないけれど、ヴァリスさんのその言葉に仕方なく、わたしも同じ壁面を見てみると、確かに見たことのある顔があります。
「おいおい、なんだよ。この国じゃ、密伐者はこんな惨い方法で処刑してるのか?」
ルシアが嫌そうな顔で吐き捨てると、レイフォンさんが首を振って否定しました。
「そんなわけないだろ。密伐者は確かに死刑が多いけれど、未遂や初犯なら投獄で済むはずだ。ルフィール、ここには【歪夢】はないのか? どうして君たちが? 答えてくれ!」
「【歪夢】? おめでたいですわね。まだそんな戯言を信じているのですか?」
「じゃ、じゃあ、まさか、この森のこの有様は、『創世霊樹』が狂ったのは、君たちが?」
信じられないといった様子で首を振るレイフォンさんに、肩をすくめるルフィールさん。
そのとき、それまで黙って『創世霊樹』を見上げていたシリルお姉ちゃんが呆れたように言いました。
「生きた人間の恐怖。死んだ人間の無念。確かに【歪夢】によらず、人工的に【瘴気】を生み出すにはそれしかないでしょうけれど、随分と酷い事をするものね」
「……流石ですわ、シリルさん。一目で見抜くとは。ただ、そう言わないでくださいな。どうせこの連中は罪人です。世界のことも考えず、『世界樹』を密伐したのですよ?」
「『創世霊樹』を【瘴気】に侵す方がよほど世界を滅亡させることだと思うけれど?」
「いいえ、これは制御のためです。わたくしたちは、この偉大なる【魔導装置】を制御する術を得たのです。現にこの『精霊の森』の結界と『邪霊』の出現程度は操れるようになりましたわ。いずれは世界全土の『邪霊』の出現を支配できるようになるでしょう」
【魔導装置】? それって確か『魔族』の……。わたしは驚いてシリルお姉ちゃんを見ましたが、やっぱり同じように驚いていました。
「『創世霊樹』が【魔導装置】?」
「ああ、うっかり余計なことまで口にしてしまいました。…まあ、いいですわ。どうせ、シリルさん以外は生贄になってもらう予定ですし」
さらりと衝撃的な発言が。わたしたちを生贄にする?
「わたし以外? どういうこと?」
「あの時、わたくしの言葉に激しく反発した貴女なら、わたくしたちの気持ちを分かってくださるでしょう?『妖精族』の繁殖の道具として使われる、わたくしたちの気持ちが」
「待ってくれ! 繁殖の道具だなんてそんな!」
レイフォンさんが血相を変えて叫びました。
「『世界樹』の栽培方法は、あなたたち『妖精族』しか知らない。『妖精族』の子は、召喚系【スキル】持ちの人間女性しか産むことができない。だからこその盟約。希少かつ高価な『世界樹』の断片を手に入れるための道具。それがわたくしたち『精霊騎士団』……」
ルフィールさんは遠い目をしたまま、レイフォンさんの言葉が耳に入っていないような様子で呟きました。
「僕らは、君たちのことをそんなふうに考えたことはない!」
レイフォンさんのその言葉に、ようやくルフィールさんは反応を見せました。
うっすらと笑みを浮かべて、けれどもその瞳は凍りつくように冷たく、レイフォンさんを見つめていて。
「個人の思惑など、どうでもよくてよ。問題なのは、そんな枠組みがあることそのもの。国は『妖精族』と人間の婚姻を奨励している、というのは嘘。実際は『強制』でしかない。この国の女性たちは召喚系の【スキル】持ちと知られれば、すべて『精霊騎士団』に所属させられ、『妖精族』との婚姻を迫られる。たとえそのとき、本人に愛しい恋人がいようと、家族があろうとお構いなしに!」
「な、そんな馬鹿な……」
「あら、知らなかった、とでも言うのですか? 無知とは罪ですわね。『妖精族』に罪がないとは言わせませんわ。種族を維持するために『世界樹』を取引材料にして、人間の女性を差し出させる。そんな貴方たちに、わたくしたちの苦しみも悲しみも、本当の意味で理解できるはずもないでしょう?」
やっぱり、シリルお姉ちゃんの言うとおりだったみたいです。高価な魔法具の材料になる『世界樹』を手に入れるための道具。
「世界のためなどと言いながら、『世界樹』の伐採規制ですら、実際にはその希少価値を高めるための手段でしかない。……腐っていますわ、何もかも! だから、わたくしたちが変えて差し上げますの。……この『邪神の揺籃』を使って」
ルフィールさんの差しのべた手の先には、不気味にうごめく暗灰色の肉の塊。高さは人間の背丈ぐらいだけれど、横幅はその倍ぐらいあるようです。見ているだけで気持ち悪くなるのはきっと、不気味な見た目のせいだけじゃない。
「『邪神の揺籃』? 随分な名前ね。それが『創世霊樹』を制御する術だというの?」
「ええ、シリルさん。これが完成すれば、世界中の『邪霊』の発生量を制御できます。外部からの進入が不可能な森の中で、一国を、世界を滅ぼしうる力を得る。それが何を意味するか、おわかりでしょう?」
「世界を支配することも可能と言うわけね。もっとも、その前に世界が滅びなければ、だけれど」
「心配いりませんわ。制御が完成すれば、『精霊』の【誘導機能】を地域別に作動・停止させることもできるのですから。……あなたのような聡明で力のある女性なら、わたくしたちの仲間に相応しい。お仲間になってくださらない?」
「興味深い話ね。ただ、条件があるわ」
「なんでしょう?」
「わたしの仲間を生贄にするって話は、なしよ。当然でしょう?」
「ああ、なるほど。確かに先ほどは言いすぎましたわ。見たところ、他の皆さんもこの国の人間ではないようですし、構いませんわよ。……ただし、そちらの『妖精族』は別ですけれど」
レイフォンさんは、ルフィールさんの憎悪のこもった瞳を向けられ、戸惑ったように首を振りました。
「好きにしたらいいわ。彼は別に、仲間でも何でもないもの」
シリルお姉ちゃんの冷たい言葉に、レイフォンさんが息を飲むのがわかります。
でもレイフォンさんの方は、本当に「わかっている」のでしょうか?
「うふふ。いいですわね。その冷徹な判断。ますます、気に入りましたわ」
ルフィールさんは、なんだかうっとりした顔をしていて。
シリルお姉ちゃんもまた、『意地悪そうな』顔で笑いました。