第45話 異世界の一大事/異形の森
-異世界の一大事-
『妖精の森』の最長老だというソアラさんは、どう見てもうら若い女性にしか見えない。
他の『妖精族』の若者と違うところと言えば、男女の別を除けば、白い長髪を首の後ろで束ね、ゆったりとした衣装を身に付けている分、落ち着いた雰囲気があることぐらいだろうか。
これで八百数十年も生きているとは到底信じられないくらい、若くて綺麗な人だった。
「皆様は、【歪夢】のあるところにどうしてモンスターが発生するか、御存知でしょうか?」
「ええ、知っているわ。アレは世界を歪め、周辺のあらゆる存在のあり方を捻じ曲げる。それだけならまだしも、正常な【マナ】を【瘴気】に変えることで広範囲にわたって自我の弱い生き物をモンスターに変異させる、でしょ。常識だわ」
常識だと言いながらも説明口調になっているのは、たぶん俺に対する配慮だろう。シリルは細かいところで気が利くんだよな。
「では、【歪夢】のないところでは、どうでしょうか?」
「? ないところ? そうね。いずれにしても何らかの原因で【瘴気】の濃度が高まったからでしょう」
「そうです。通常は【瘴気】の濃度が高い場所でしかモンスターは発生しません。ですが、例外があります」
「『邪霊』のことね。『精霊』は極端に【瘴気】に弱いから。そのための【精霊界】でしょう?」
「はい。……『創世霊樹』の作用によって、本来なら『精霊』は生まれてすぐに世界を渡ります。ですから『邪霊』自体、それこそ【歪夢】のある場所でもない限り、そうそう生まれるものではありません」
「何が言いたいの?」
シリルはソアラさんの遠回しな言い方に苛立ちを覚えているみたいだ。
いや、というよりは焦りを感じて話の先を急がせたがっているような?
「裏を返せば『創世霊樹』に何かあった場合、世界は『邪霊』で溢れ、現在かろうじて保たれている【自然法則】すらも維持できなくなる、ということです」
なんとなくはわかるが、『創世霊樹』が何なのかがわからないと話についていけない……。
さしものシリルも、話の内容に引き込まれているのか、こちらに気を利かせてくれる余裕はなさそうだ。すると、アリシアがそんな俺を見かねてか、こっそり教えてくれた。
「えっとね。『創世霊樹』っていうのは、『精霊の森』の中心にある世界に一本しかない樹で、『精霊』が【重なる世界】、つまり【精霊界】へ避難するのを助けてくれるの。しかも、世界中に『根』を張り巡らせているから、どこで生まれた『精霊』でも、その助けを得られるんだよ」
なるほど、まさしく世界の生命線だな。
とにかく、今の言い方からすれば、そんな重要なものに異常が起きてるってことなのか?
おいおい、世界規模の大問題じゃないか!
俺のそんな疑問に気付いたのか、ソアラさんは続けてこうも言った。
「現在の状況は、ただちに世界が滅びる、と言うほど緊迫しているわけではありません。ですが、【精霊界】に今いる『精霊』も永遠に生きるわけではないのです。召喚でもされない限り、数年で元の純粋な【マナ】に戻ってしまう以上、こちらの世界から『精霊』が供給されなくなれば……」
「数年以内に解決しないと『精霊』が死に絶える、と言うわけね。随分と廻りくどい説明ね。だいたい『創世霊樹』のことなら、『妖精族』の方が専門家でしょう?」
シリルのきつい言葉に、親衛隊のアルフが耐えかねたように立ち上がるが、ソアラさんがそれを片手で制する。
「いいえ。少なくとも今回の件については皆さんの方が専門家です。……最初の問いについて、貴女は【歪夢】が【マナ】を【瘴気】に変えるからだとおっしゃいました。それも一因ではありますが、もっと重大なことは【歪夢】自体が【瘴気】以上に『創世霊樹』を狂わせる力を持っている、という点です。ゆえにこそ、『根』の力も【歪夢】の周辺には及ばないのですが……」
「ちょっと、待って。それじゃ、まさか……」
「はい。現在、世界のうちで最大にして最重要の【聖地】たる『精霊の森』は、【歪夢】の発生により人間たちの言うところの【フロンティア】と化しています。恐らく、【歪夢】の場所自体も『創世霊樹』からそう離れてはいないでしょう」
その一言は、穏やかで静かな口調で発せられたにもかかわらず、俺の周囲に劇的な反応をもたらした。
シリルは顔を青ざめさせ、アリシアは「嘘……」と呟いて自分の身体を抱き締めるようにしている。シャルもシリルのローブの袖を掴んで震えているし、ヴァリスでさえ目を見開いたまま固まっている。
俺にも今の話が、どれだけ重要なことなのか、わからないわけではない。
でも、まったく実感がわかない。この世界を我が事のように考えられない自分がいる。
自分で自分が許せないような気分になったが、今はそんな場合じゃない。
むしろ、どんな理由だろうと自分だけが冷静でいられるというのなら、俺には俺の役割があるはずだ。
「なら、さっさとその問題とやらを解決しちまおうぜ。ようはその【歪夢】を『ぷちっ』とやってくればいいんだろ?」
俺は努めて明るくそう言った。すると、シリルが俺の顔を見つめてくる。うう、そんなに真剣に見つめられると困るな。
黒い瞳はこの世界では珍しいらしいが、俺の世界では見慣れたものだ。だが、シリルのものは、何かが違う。そこにある輝きは、俺がいたあの世界の住人には、決してなかったものだ。
シリルは、ふっと表情を和らげると俺から視線を外し、ソアラさんに向き直った。
「ルシアの言うとおりね。でも、それならギルドの協力を得るのが一番でしょう?専門家というなら、あそこ以上のところはないんだから」
シリルの当然の疑問に対し、口を開いたのはアルフだった。
「彼らにも無理だ。『精霊の森』には、『創世霊樹』や『世界樹』を守るために迷いの結界が張られている。それが【歪夢】の影響で異常な作用を起こし、我々の侵入をも阻んでしまうようになっているのだ」
「じゃあ、お手上げじゃない」
「いや、結界の機能は暴走しているが、その根源までも変わったわけではない。『精霊』を導くための『創世霊樹』を守ることが創り手の意思である以上、結界が『精霊』を拒むことだけはあり得ない。ゆえに、シャル殿のお力をお借りしたい」
創り手……? 樹じゃないのか?
「つまり、シャルに道案内をさせたいってことね」
「そのとおり。それは意志なき『召喚精霊』には、できないことだ。しかし、モンスターの駆除と【歪夢】の消去は我らに任せてほしい。決して君らを危険な目にはあわせない」
「僕たちに協力してくれるなら、出来る限りの礼はする。だから、頼む!」
アルフとレイフォンが口々にそう言うが、シリルは首を縦には振らなかった。
「それじゃ、駄目よ」
「そんな!」
「あのね、あなたたち。自分が『妖精族』だって自覚がないわけ?【歪夢】の傍なんて行ったら、あっという間にモンスターの出来上がりよ。『ゴブリン』にでもなりたいの?」
「あ!」
「うう……」
そういえば、そうだった。『妖精族』のなれの果てが『妖魔』だったんだっけ?
『森』を心配するあまり、二人ともそのことを忘れていたみたいだが、隣で戦っていた奴がいきなりモンスターになったんじゃ、目も当てられないよな、実際。
「だから、あなたたちは留守番よ。『精霊の森』には、わたしたちだけで行くわ」
やっぱり、そう言うと思った。だが、それでこそシリルだ。
しかし、それまで静かに話を聞いていたソアラさんがゆっくりと首を振る。
「あなたたちに全てを押し付けるわけにはいきません。ここに、『世界樹』の中でも数千本に一本しか生まれない『新世界樹』の苗があります。浄化作用が特に強いこの苗を持っていけば、『妖精族』でも【瘴気】に耐えられるでしょう。せめて一人だけでもお供させてはいただけないでしょうか?」
ソアラさんは椅子から立ち上がると、『世界樹』の傍に置かれていた苗木のポットを拾い上げる。
「そうね。確かに、そんな手段があるなら一人ぐらいは、いてもらった方がいいわね。森の中のことはわたしたちも慣れていないわけだし」
「ならば、僕を!」
「いや、俺に行かせてください!」
二人の『妖精族』の若者が我先にと身を乗り出してくるが、ソアラがそれを制した。
「レイフォン、貴方が行きなさい」
「はい!」
「そんな!最長老様。何故です?」
喜色満面に返事をするレイフォンとは対照的に、ソアラの言葉に食い下がったのはアルフだった。
「貴方はわたくしの親衛隊です。貴方がいなくなったら誰がわたくしを守るのですか?」
「あ、そ、そうでした。……ぐ、仕方がない。レイフォン! しくじるなよ!」
「当然だよ。僕を誰だと思ってるんだ?」
うーん、ソアラさんも随分と気を使っているんだな。それにこの二人のライバル関係もなんだか随分と人間くさい感じだ。
こんなに人間とそっくりで、人間との間に子供まで生まれるのに、『妖精族』はモンスターになる可能性があって、人間なら問題ないってのはどういうことなんだろうな?
結局、『精霊の森』に向かうのは、俺たちの他はレイフォン一人のみとなった。
-異形の森-
一体何が、起こっているんだろう?
【聖地】が【フロンティア】化するなんて信じられない。
まさか、わたしの思っている以上に、『アレ』が早まっているのだろうか?
でも、こんな現象は想定されていなかったはず。それとも、やっぱり『魔族』は、わたしに多くの隠し事をしているのかもしれない。千年前のこと、八百年前のこと……。
わたしたちは、『妖精の森』から北に歩いて1日ほど離れた場所にある『精霊の森』に向かっていた。空にも風の結界があるということで、移動手段は徒歩にせざるを得なかった。
『精霊の森』に存在するという『創世霊樹』は、樹木とは思えないほど巨大なものだ。遠方からでも、その姿ははっきりと見てとれる。
山の上にこんもりと茂った森の中心から伸びる、明らかにサイズを間違えた太さの幹。それは雲の上まで伸びており、枝葉の存在すら雲の彼方で確認できないため、まるで一本の塔のようだ。
「あれが『創世霊樹』か。見るのは初めてだな」
ヴァリスが感慨深げにそんな言葉を口にした。『竜族』にとっても、あそこは特別な場所と言えるのだろう。それはまさに、世界を支える柱そのもの。
あの巨木からは、単に『精霊』を【精霊界】へ導く存在という以上に、世界を包みこみ、護ろうとする強い意志を感じる。
「ほんとに、すごいね……。あそこに【歪夢】があるなんて信じられない」
「本当だよ。現に僕らの仲間が数名、あの森に入ったまま、帰ってこなかった。迷いの結界があんなことになっているとは……。くそ!」
恐らく彼らはモンスターと化している、か。『妖精族』は『精霊』ほどは【瘴気】に弱い存在ではないけれど、それでも流石に【歪夢】の傍では耐えられないでしょうね。
「ところで、『精霊騎士団』の人たちの協力ぐらいは得られなかったのか? 盟約とかあるはずだろ?」
ルシアが今更な質問をしたのは、場の空気を変えるためだろうけれど、なんとなく彼女たちが来ないのを残念がっているようにも聞こえるのは、わたしの思い込みだろうか?
「国が認めないわ。彼女達は『騎士団』なんて呼ばれているけど、密伐者の摘発以上のことをやらせてはもらえないのよ」
「なんでだ?」
「決まってるじゃない。あれは召喚の素質を持った女性を『囲っておく』ための組織だもの。『妖精族』と子作りさせる道具なのよ?命の危険のあるような戦いはさせないで、適度な任務で国民へのアピールだけは欠かさない。本当、嫌になるわ」
なんとなく機嫌が悪くなったわたしは、何時になく厳しい言い回しをしてしまった。
「それは言いすぎだよ。確かに、そういう面もあるかもしれないが、彼女達の存在は、『世界樹』の大切さを国民に認識させる意味もあるんだ。輸出に使えば莫大な利益の上がる『世界樹』をこの国の人たちが一切伐採しないのも、そのおかげなんだ」
「……そうね。ごめんなさい」
そうだった。レイフォンにとっては『精霊騎士団』は母親にあたる人がいる組織。その彼を前にして、あまりにも悪しざまな言い方をしてしまった。
そしてようやく、わたしたちは森の入口に到着した。見た目は何の変哲もない森。特に暗いわけでもなく、おかしな植物が生えているわけでもない。しかし、
「さて、ここから先は何が起こるかわからない。十分に注意してくれよ」
レイフォンの言葉通り、森の中に一歩足を踏み入れた途端、わたしは奇妙な感覚に襲われた。周囲の木々の配置が変わっている? ほとんど数秒ごとにそんな変化が起こっているため、右も左も一切の方向がわからなくなってしまう。
「うわ、なんだこれ?」
「きゃあ、目がまわる!」
「ま、まさかこれほどとは……」
迷いの結界の性質はつまり、こうして侵入者の方向感覚を奪うことにあるようだけれど、流石にこれは異常だった。
わたしは【オリジナルスキル】“魔王の百眼”で周囲を見渡す。
駄目だ。力の流れが滅茶苦茶すぎて、把握しきれない。見え過ぎるのも考えものね。
「シャル。この結界、どうすればいいか、わかる?」
「ううん、わからない。『フィリス』にお願いした方がいいかも……」
「そう……、じゃあ、お願い」
「……この森、酷いデス」
入れ替わった途端の台詞は、あまりにも唐突だった。
「どういうこと? フィリス」
「『精霊』たちが残らず『邪霊』になっていマス。早ク、行きまショウ。こっちデス」
そう言って歩き出すフィリス。どうやら彼女には迷いの結界は通じないようね。
彼女を先頭に歩くうち、周囲の木々の動きには、だんだんと慣れてきた。方向感覚は戻らないけれど、やっぱり進むべき方向が分かっているというのは大きい。
「そろそろ来るぞ」
ヴァリスの言葉。彼がこう言うときは敵襲のあるときだ。けれど、なんの気配もしない。
「く、まさかとは思ったが。敵は周囲の植物だ!」
なんですって? そんな馬鹿な……。
考えている余裕はなかった。ヴァリスの言う周囲の植物。それはびっしりとわたしたちの周囲を囲う木々や草花のことだ。
特に変わり映えのしなかったはずのそれらが、一斉に奇妙な形に歪む。あるものは枝を伸ばして叩きつけてくる。あるものは足に絡みつき、またあるものは種子を飛ばしてくる。
わたしの通常の【魔法】では全然間に合わない!
わたしは左の手首に手をあて、ソレに【魔力】を流し込む。
瞬間、半透明の障壁がわたしたちを包み、周囲の植物の攻撃を弾き飛ばした。
個人防衛用の【魔装兵器】『ディ・エルバの楯』。わたしが使えばこんなふうに味方全体を守ることもできるけれど、『今の状態』のわたしでは、二度三度とできるものではない。次は防げないかも知れない。
〈舞い踊る炎〉
フィリスの火属性【精霊魔法】が発動し、奇形化した植物たちを焼き払う。
「な! うそだろ!」
しかし、ルシアは大声を上げながら、自分に迫る焼け焦げた枝を切り払う。
そう、植物たちは自らを焼く炎をものともせずに、再びこちらに迫ってきていた。
少しずつ再生している? 森の中では火属性【精霊魔法】も威力が落ちるとはいえ、こんな植物がいるなんて、どうなっているのだろうか?
「くそ! これでも喰らえ!」
〈纏いし刃は、不可視の風〉
レイフォンは手で【印】を組むと、腰のレイピアを抜き放ち、植物へと斬りかかる。
「おい、無茶をするな!こいつら、ただの植物よりよっぽど丈夫だぞ」
ルシアの心配をよそに、レイフォンが持つ一見貧弱そうなレイピアは、やすやすと太い枝を切り裂き、樹木の幹すら刺し貫く。
これが『妖精族』の【精霊魔法】。最初に出会った時の【魔法】は『世界樹』の傍ならではのものらしく、実際にはこうして属性の力を物体に纏わせて戦うのが主流らしい。
「驚いたな。これが『妖精族』の戦い方か」
ヴァリスが感心したように言う。彼も気功を全身に纏い、襲い来る植物たちをちぎっては投げ飛ばしているが、次々と再生するため、らちが明かない状態が続く。
「この植物たち、モンスターだよ!多分、『精霊』に近い性質のある植物だったんだ!」
アリシアが何かに気付いたように言う。まさか植物のモンスターだなんて。
でも彼女の言うとおり、世界に近いもの、自我の弱いものほどモンスターになりやすいのなら、植物ほどその条件に合うものもいない。ただ、通常の植物は力も弱いのが一般的。
むしろ、この森の強い生命力があだとなった形らしい。
そうこうしているうちに、ようやくわたしの【魔法】が完成する。
〈その目を覆うは虚ろなる眠り。迫り来たるは無情なる終焉〉
《虚夢の鎮魂歌》!
強力な自壊作用を引き起こす闇属性上級魔法。どんなに強い生命力があろうと、この【魔法】なら倒せるはず。
わたしの手の先に広がる白と黒の【魔法陣】。その先から真っ黒な不定形の塊が飛び出し、周囲の植物に順番に襲いかかる。ソレに飲みこまれた植物たちはその場で枯れ果て、ぼろぼろに崩れていく。そうして、ようやく周囲から植物モンスターの気配がなくなった。
「ふう、なんて厄介な連中だよ。まいったな」
ルシアが大きく息をつく。なんと言っても彼はわたしの【魔法】が完成するまでの間、わたしに迫るすべての植物を斬りつづけていたのだ。疲れていないはずがない。
「ありがとう、ルシア。……でも、困ったわね。今でこそ周囲の植物は枯らしたけど、この調子じゃ先には進めないわ」
これから先の植物すべてに今の調子で【魔法】を連発し続けるのは不可能だ。
流石にわたしの【魔力】が尽きてしまう。さて、どうしようか。
「『シャル』に代わりマス。森はもう、ワタシたち二人を、認識してくれましたカラ」
唐突なフィリスの言葉。
「え?」
なぜこの場面で、フィリスはシャルに代わるなんて言い出したのだろう?
その答えは、この後すぐに思い知ることになった。