第41話 手堅く行こう/精霊回帰
-手堅く行こう-
ホーリーグレンド聖王国のセイリア城を出てから3週間、あたしたちは隣国のエルフォレスト精霊王国のアザルスという町を拠点にして、ギルドでの依頼を受けていた。
護衛任務(貴族じゃなくて一般の人の)を1回、魔法薬の材料なんかの探索任務を1回の計2回、どちらもランク指定もなくて、命の危険も少ないものだったけど、普通はこういう仕事が一般的な冒険者の仕事の大半だったりする。
世界中で冒険者登録をしている人は軽く数十万人はいるけれど、モンスター討伐任務なんかでも不安なく受けられるCランク以上の冒険者は、その10分の1ぐらいしかいないんだからそれも当然なんだけどね。
「わたしたちはCランクパーティに分類されているけれど、お金は十分にあるのだし、無理に危険の多い仕事をする必要はないわ。今までが少し異常だったぐらいよ」
うん。確かに、シリルちゃんの言うとおり、最近は命がけの出来事ばかりだったけれど、そんなことばかりじゃ身が持たないよね。
なんだかヴァリスが不満そうな顔(きっと「身体がなまる!」とか思ってるんだろうな)をしているけれど、あたしはシリルちゃんの意見に大賛成。
「まあ、息抜きも大事だよ。この前の護衛も特に襲撃されたりはしなかったし。楽して金が稼げるなら、言うことはないもんな」
ルシアくんの言い方は、さすがにちょっと怠け者すぎる気もするけれど。
あたしたちは今、3つ目の仕事を受けて、エルフォレスト精霊王国の代名詞とも言うべき、『森』のひとつに向かっているところ。
なんでも、この国は昔から【聖地】って呼ばれる『精霊』の力が豊富な土地がいくつもあって、その多くが木々の生い茂る森を形成しているせいで、国土の四割が森なんだって。
実際、この国に初めて来たときは、あまりの森の多さにびっくりしたけれど、すごく自然がいっぱいで、動物たちもたくさんいて、いいところだなって思った。
「平和なことは悪いことではないと思うが、油断はするべきではない。足元をすくわれかねないぞ」
ああ、ヴァリスったら、まだ言ってる。
「大丈夫よ。シャルのことなら。『精霊』の力の豊富なこの国でなら、彼女に傷を付けられる存在はそうそういないわ。もともとモンスターも少ない地域だし、『リュダイン』も付いているんだから、いつまでも心配しないの。もっと信じてあげなさい」
そう、シャルちゃんは今、『リュダイン』に乗って、あたしたちのずっと先を行っている。
森に行くまでの道のりは、そんなに遠くないので歩いて行くことになったのだけれど、これがまた緑豊かな草原地帯になっていて、馬でも走らせたらすごく気持ちよさそうな光景が広がっていた。
シャルちゃんも同じことを考えてたみたいだったから、あたしがシリルちゃんに話してあげたところ、「召喚の練習にもなるし、『リュダイン』はシャルのお友達なんだから、たまには遠乗りでもしてきたら」ってことになった。
そこで意外にも、反対したのがヴァリスだった。
「一人で遠くまで行かせるなんて危ない、また攫われたらどうする」て言って猛反対。
なんだかんだで、ヴァリスは優しいんだよね。
「『風糸の指輪』も持たせてあるし、何かあってもすぐに助けに行けるわ」
「……油断は禁物だ、と言いたかっただけだ」
シリルちゃんの言葉に、ヴァリスはぷいっと横を向いてしまった。素直じゃないのは相変わらず、かな?
と、そこへ遠くまで行って満足したのか、シャルちゃんが戻ってきた。緑の草原の中、風を切って走る一本角の黄色い馬『リュダイン』が軽快に蹄の音を響かせている。うん、とっても気持ちよさそう。
「おかえり、シャル」
「ただいま!」
シリルちゃんのお迎えの言葉に、元気な声で答えるシャルちゃん。
「おお、『リュダイン』から落っこちないで帰ってこれたか」
「ルシアじゃないもん。そんな失敗しないんだから」
まるで子供みたいに言い合う二人。まあ、シャルちゃんは子供だけどね。
でも、子供とはいっても女の子。最初は『リュダイン』での遠乗りをするのに一つだけ問題があった。
それは、シャルちゃんの服装。
シャルちゃんの仕事着はもちろん、カルナックで買った魔法具なんだけど、あたしとシリルちゃんがデザインにこだわっちゃったから、ちょっと馬に乗るのに向いてない。
白のブラウスも魔法の力で熱気や冷気を遮るものだし、ひらひらのスカートも黒い膝上ソックスについた白のフリルもただの飾りじゃなくて、属性魔法の制御を助ける効果があるものなんだけれど、一見してみれば「お姫様のドレス」だもんね。
特に問題なのがスカート。
「これで馬に乗るのは駄目なんじゃないか?」って言ったのはルシアくん。
うん。言われるまで気が付かなかった……。
結局、あたしの外套型魔法具(「星光のドレス」の露出がルシアくんの目に毒だからって理由でシリルちゃんが買ってくれたもの)をシャルちゃんに着てもらうことで解決したんだけれど。
「『リュダイン』ありがとね。とっても楽しかった」
シャルちゃんは、優しく『リュダイン』の黄色く輝くたてがみを撫でると、軽い身のこなしでひょいっとその背中から飛び降りた。『リュダイン』も嬉しそうにいななく。
「乗ったままでもいいのよ、シャル」
「ううん。わたしも足腰を鍛えなくちゃだから。みんなと歩く」
シャルちゃんは、ルシアくんに視線を向けながら筒型の召喚獣封印具を取り出し、『リュダイン』を筒へと収納する。ああ、そう言えば……。
「シャルちゃんは最近、ルシアと剣の稽古をしてるんだよね?調子はどう?」
「……」
あたしは、言った瞬間に後悔した。クリティカルに聞いてはいけない質問だったみたい。
シャルちゃんの機嫌がどんどん悪くなっているのが分かる。ただ、それはあたしに対するものじゃなくて、ルシアくんに対するもの。
「いつか絶対に勝ってやるんだから……」
「はは、頑張れよ。まあ、そうだな、十年もすればきっとできるさ」
シャルちゃんの悔しそうな視線を受けて、ルシアくんは意地悪そうに笑った。
「もっと早くできるもん!」
シリルちゃんとルシアくん以外には、丁寧な言葉で話すことが多いシャルちゃんだけど、ここ最近、特にルシアくんに対する口調がどんどん子供っぽくなってるような?
まあ、悪い事じゃないんだけどね。
「真面目な話、やっぱり【アドヴァンスドスキル】“聖戦士”だっけ?剣の才能があるってのは本当みたいだよ。まあ、それよか、水を固めた剣を作って切りかかられた時の方が驚いたけどさ」
と、これは、掴みかかろうとしたシャルちゃんの頭を片手で押えながらの言葉。もう、意地悪しすぎだよ。もちろん、そういう悪い子にはちゃんと天罰が下る。
ゴキン!
「いってええ! シ、シリル、何も【魔導の杖】で殴ることないだろ?」
「シャルをからかうのもいい加減にしなさい。まったく子供なんだから」
ルシアくんが振り向いた先には、【魔導の杖】を手でくるくると弄ぶシリルちゃんの姿。
「それで、シャル。『森』の様子を見てきたのか?」
「はい。ヴァリスさん。特に問題はありませんでした。ただ、すごく『精霊』の力が強いところなのかなって思いましたけど」
「そうか。やはり『妖精の森』と名付けられているだけのことはあるようだな」
あたしたちの今回の目的は、【聖地】『妖精の森』の奥に生える『霊草エクサ』の採取。
いわゆる探索系の任務ってやつね。
「でも、森の奥に行って薬草を取ってくるだけの割には、払いはいいんだよな、この任務」
「そうね。もっとも『霊草エクサ』は、肉眼では一般の草とほとんど見分けがつかないものだから、採取には優れた鑑定眼か特別な【スキル】がいるわ」
「その点、シリルの“魔王の百眼”なら間違いはないか。じゃあ、今回も楽な仕事だな」
「ヴァリスじゃないけど、油断は禁物よ。なにせ『妖精の森』には、噂じゃ『妖精族』が出るって話だから」
「『妖精』ねえ。ま、そのなれの果てがこの前見た『ゴブリン』だったりしたんだし、あんまり期待はしない方がよさそうだよな」
もう、何を期待してるのかなあ、ルシアくんったら。
気がつけば、あたしたちの視界の先にこんもりとした森の姿が入りこんできていた。
-精霊回帰-
そこは、我が今まで感じたことのないほど清涼な空気に包まれた場所だった。
もともと我が暮らしていた『竜の谷』は、すぐ近くに【フロンティア】『魔竜の森』があることからもわかるとおり、『竜族』に影響を与えるほどでないとはいえ【瘴気】も多く、居住するのに適した場所とは言えない。
それでも我らがあそこで暮らしていたのは、竜王様の意向あってのことであった。
それに実際のところ、千年前の『世界の分断』から二百年の間、封印されていた『竜族』にとって、あの場所は最早故郷も同然であったということもある。
しかし、この『妖精の森』には一切の【瘴気】がなく、かわりに清々しい【マナ】で満ちている。もし、我らの故郷がこんな場所であれば、どれだけ良かったことか。そんなふうにさえ思ってしまうほどだ。
「ヴァリス。なんだか、嬉しそうだね」
「わかるのか?」
アリシアの問いかけは図星だったが、彼女は確か我の感情は読めないと言っていたはず。
「見ればわかるよ。表情とか仕草でね」
「いやいや、俺にはヴァリスの無表情っぷりから感情を読むなんて出来ないぞ?」
「そうね。まあ、アリシアみたいに、四六時中ヴァリスの顔でも見ていれば、細かい変化に気づくのかもしれないけれど?」
ルシアとシリルが息を合わせたかのように、からかいの言葉を口にする。
「も、もう! またそんなこと言って! 別にそんなんじゃないんだから!」
そうやって必死に否定するから、余計にからかわれるのだ。さらりと受け流せばよかろうものを。だが、まあ、彼女にそれを要求するのは無理というものか。
そのとき、ふと視線を感じた。見れば、シャルが我の顔をじっと見上げている。
「どうかしたか?」
我と目が合うと、びくっと一瞬身をすくませるが、シリルの陰に隠れたりしなくなったのは大きな進歩だろう。
「えっと、ヴァリスさんって、時々、すごく優しい目でアリシアさんを見ますよね?」
「……」
なに? 自覚は、……なくはない。
特に『ラドラックの宮殿』で空間転移魔法|《転空飛翔》(エンゲージ・ウイング)を使ったあの時以降、我はアリシアの姿を探し、視界におさめては安心している、ということが多くなっている。
いや、安らぎを得ていると言うべきか?
我の沈黙をどう受け取ったのか、シャルはそれ以上、追及してはこなかった。
「それにしても、ここの【マナ】って本当に綺麗。いつも“魔王の百眼”で見たくもないものばかり見ているから心が安らぐわ。間違いなく、ここには『世界樹』も生えているでしょうね」
「世界樹?」
「……ああ、ルシアにはまだ話したことがなかったかしらね」
シリルは根気よく説明するつもりのようだが、この世界にいながら『世界樹』の名を知らないとは、やはりルシアは異世界人なのだと改めて気付かされる。
「『世界樹』はね、文字通り世界を繋ぐ樹なのよ。前に『精霊』はこの世界に生まれると、【瘴気】を避けるためにすぐに【精霊界】へ逃げ込むって話をしたでしょう?」
「ああ、【瘴気】に侵されると『邪霊』とかのモンスターになるって話だよな」
「ええ。でも、『精霊』がいなければ、この世界はあっという間に【マナ】のバランスを崩して滅亡してしまう。それを防いでいるのが、『世界樹』よ。『世界樹』はその根がこの世界と重なって存在する【精霊界】と繋がっていると言われていて、向こうの世界から『精霊』の力をこちらの世界に供給して、四属性のバランスを調整したり、【瘴気】を中和したりする役割を果たしているの」
「ふうん。つまり、【サーキュレーター】みたいなものか……」
ルシアは、我には理解できない種類の言葉を呟きながらも、『世界樹』の役割については理解したようだ。
この森の美しさは、そうした『世界樹』の働きがあってこそ、保たれているのだ。木々は瑞々しい生命力をたたえた葉を茂らせつつも、空から降り注ぐ陽光を完全に遮ることはなく、無数の木漏れ日が緑の大地に屹立する様は、あまりにも幻想的でこの世のものとは思えない。
森を流れる小川から聞こえる水の音。小動物の息遣いに、鳥のさえずり。
視覚だけでなく聴覚にまで心地よい、と思っていたところに、異なる雑音が聞こえてきた。恐らく人間の話し声だろうが、まだ距離があるらしく、ルシア達には聞こえていないようだ。
「どうしたの? ヴァリス」
「ああ、どうやら先客がいるようだ」
我の言葉に、反応したのはシリルだった。
「……【魔力】の気配がするわね。でも、どういうこと?わたしたちと同じように『霊草エクサ』を取りに来たのだとしても、妙に攻撃的な【魔法陣】を構築している気配だわ。火属性? 何を考えているのよ! こんな森の中で!」
「シリルお姉ちゃん! はやく行こう! こんな綺麗なところでそんなこと、駄目だよ!」
『精霊』をその身に宿すシャルにとっては、この森に感じる親しみの気持ちは、我の比ではないだろう。それが炎の蹂躙を受けるかもしれないとあっては、慌てるのも無理はあるまい。我らはいち早く走り出したシャルを先頭に、気配のする方へ急いだ。
そして、シリルが言う【魔法】の気配の発生源。そのそばには、湖に囲まれた陸地に立つ一本の巨木があった。その木の表面には緑の苔がびっしりと生えており、他の木々にも増して力強い生命力を感じさせる。
湖の手前には、倒れ伏す数人の冒険者風の男たち。そして、こちらに背を向けて立ち、今にも発動しそうな火属性の【魔法陣】を構築している魔導師が一人。最後に、その魔導師と相向かいに立つ髪の長い若者の姿があった。
「いけない! 上級魔法だわ!」
魔導師が構築している【魔法陣】は白の魔力変換魔法陣と赤の属性魔法陣が対になっているものだ。それはすなわち、今放たれようとしている【魔法】が上級クラスのものだということであり、火属性である以上は、そのまま火力の強さをも意味することになる。
「よし、完成したぞ! 化けものめ! これで終わりだ!」
〈万象ことごとくを舐めつくす、炎の大蛇が伸ばす舌〉
《蹂躙の赤熱波》!
魔導師の叫び声とともに、その掌の先から大蛇を模した凄まじい熱量の炎が生まれる。
「こんな森の中で、なんてことを!」
シリルが叫ぶが、事ここに至れば【魔法】の発動は止められない。あれを阻止する【魔法】も間に合うまい。周囲の木々が怯えるかのようにざわめくの感じる。
「よりにもよって『世界樹』の傍で僕と魔法の撃ち合いをしようだなんて、つくづく愚かだな、人間は」
そんな中、冷静な声で呟く若者が、両手を素早く複雑に動かす。
次の瞬間、その動きに呼応するかのように周囲に風が巻き起こる。続いて湖から水柱が立ち上がり、生き物のようにうねると、一気に魔導師風の男に向かって雪崩れ込んできた。
「へ? う、うわああ!」
火属性上級魔法の炎などものともせず、水蒸気を上げながら一瞬で鎮火させた膨大な水流の束は、茫然とする男を飲みこみ、そのまま我らに向かって押し寄せてくる。
「ちょ、おい!」
ルシアの叫び声が響く。我も咄嗟のことで、まったく対処ができない。火属性魔法の発動を予想していたところに、まさか、逆にこちらへ向かって水流が押し寄せてこようとは。
「きゃああ!」
アリシアの悲鳴が響く。
しかし、我らを飲みこむはずの水流は、目の前の空間で唐突に停止した。
「間に合って、よかったです」
そう言って、安堵の息を吐いたのはシャルであった。見れば彼女の瞳と髪、それに肌の紋様は青と緑の入り混じった色彩に変化しており、同じ色彩を宿したガラスの小鳥がその周囲を軽やかに舞っていた。
『融和する無色の双翼』の神性“具現式彩”。
織り交ぜられた二つの色が意味するものは、水と風の融合属性《凝固》。
すなわち、目の前の水は文字通り「固められた」ということらしい。
「今の気配は【精霊魔法】? 新手の人間どもじゃあ、なかったのか?」
凝固した水の塊の向こうから聞こえてくる若者の声。その口ぶりからしても、いましがた使って見せた【魔法】からしても、奴が人間ではないのは明らかだ。
「希少な種族とは聞いたが、こんなに攻撃的な連中とは思いもしなかったぞ」
我は、奇妙な形で固められた水流の上に飛び上がるように姿を現した若者の姿を睨みつける。白い長髪に尖った耳。長身を冒険者風の衣服で包み、青い瞳からは鋭い眼光が放たれている。
その姿は、世界で最も『精霊』に近しいとされる『妖精族』のものだった。
1/12 【循環装置】を【サーキュレーター】に変更