幕 間 その6 とある副騎士団長の決断
-とある副騎士団長の決断-
私が彼女と初めて出会ったのは、もう五年以上前のことになる。
当時、聖騎士団の大隊長だった私は、新規団員の募集を目的にカルナックの冒険者ギルドを訪れた。まだ『魔神オルガスト』が出現する前のこと、そのギルドはそれほど大きな規模のものでもなかったが、私がそこを訪れたのには訳がある。
聖騎士団の入団資格は【アドヴァンスドスキル】“聖戦士”または【エクストラスキル】“聖騎士”のいずれかを所持していることだ。無論それだけではないが、前提条件がそれである以上、入団できるものは非常に限られており、団員探しは困難を極めた。
まったく、伝統だか何だか知らないが、厄介なものだ。
そんなところへ、最近になってカルナックのギルドに“閃光の聖騎士”を持つ者が出入りしているという噂が入った。“聖騎士”に【光属性上級適性スキル】“閃光の支配者”を併せ持つその【スキル】は極めて希少であり、これを逃す手はない。
しかし、冒険者ギルドの待合室で私を待っていた者は、意外すぎる相手だった。
「君が、エイミア・レイシャルか?」
私は、驚きを隠しきれない声でそう問いかける。
「ええ、そうだけど、貴方は?」
青い髪を短めに切りそろえた小柄な少女。俊敏そうに見えなくもないが、とても荒事に向いているとは言い難い華奢な体格である。しかし、話に聞く限り、彼女はこの若さで既に戦士系Aランク冒険者であり、Sランクにも手が届こうかという逸材だということなのだ。
日ごろから人外のモンスター相手に戦闘を繰り広げる戦士系冒険者は、人間相手に戦う軍の兵士などよりも圧倒的に単体での戦闘能力が高い。そのAランクともなれば、もはや化け物と言っても過言ではないだろう。
目の前の少女はとてもそうは見えなかったが、そういったことは見た目で推し測れるものではないのかもしれない。
「私はホーリーグレンド聖王国聖騎士団の大隊長サイアス・エンドリュッケンだ。君を聖騎士団にスカウトしたい」
迷いながらも私が口にしたその言葉に、少女は面白くもなさそうな顔をした。
一方、影が薄くて気が付かなかったが、その隣にいた少年の方が喜びの声をあげて、少女の方にしがみつく。少女と同じ青い髪に青い瞳。まだ幼さを顔に残した少年だ。
「やったじゃないか、姉さん! 聖騎士団からのスカウトなんて凄いことだよ!」
「いや、でも私は冒険者の方が性に合っているし、この仕事が好きなんだ」
「何を言ってるんだよ。その日暮らしの冒険者より、立派な職業じゃないか」
「でも、アベル。お前はどうするんだ? お前と正規パーティを組んでいるのは、わたしだけなのに……」
そういえば、私が事前に入手した情報によれば、エイミア・レイシャルは二人組で仕事を受けることが多いとのことであった。一方で相棒である少年についての情報はほとんどなく、大半が少女の華々しい戦果についてのものであったのだが、後にして思えば、いかに【エクストラスキル】とはいえ、“妖術師”系のスキルだというのなら、隠したがるのも無理はない話だったかもしれない。
「なんだ、そんな事か。いいんだよ。パーティを組む相手なんかどうにかなるって。それに、僕は姉さんが幸せであってくれれば、それでいいんだ」
優しげに微笑む少年の顔。
そんな特殊なスキルを持ちながら、唯一の理解者であるはずの少女とパーティが組めなくなるのだ。それが何を意味するのか分からないはずもないだろうに、彼の顔には一片の迷いも見られなかった。
「でも、アベル……。わたしは……」
少女の方はそれでもまだ、戸惑ったような顔をしていたが、少年に半ば強引に背中を押されるようにして、聖騎士団の入団試験を受けることとなった。
結果は、その場にいた誰もが舌を巻くような圧倒的な成績で合格。彼女は晴れて聖騎士となった。そして、そのことを誰よりも喜んだのは、その少年。彼女の弟、アベルだった。
それからわずかに一年。あの時の姉を想うその健気さに、心を打たれる思いがした彼がまさか、あんな形で死ぬことになるとは夢にも思わなかった。
『魔神オルガスト』との戦闘後、弟を失い、一時期は抜け殻のようになっていた彼女ではあったが、それでもなお、弟の望んだ道を歩むことを決めたように、周囲の勧めに従って聖騎士団長に就任する。
それからの四年。少なくとも当時を知る私から見て、彼女はずっと無理をし続けていた。
人々のための偶像として『魔神殺しの聖女』を演じ、聖騎士の鑑とも言うべき凛とした振る舞いを続け、『オルガストの湖底洞窟』に巣食うモンスター討伐に精を出す日々。
弟の望んだ『幸せ』を追求し続ける彼女の姿は、許しの得られない贖罪をいつまでも続けているようなものだった。
だから、もうそろそろいいのではないだろうか。
国は復興を果たし、モンスターの巣窟は開拓され、死んだと思っていた弟も『魔神』の呪縛から解放された。
ならば彼女がこれ以上、無理を続ける必要などない。私は私の敬愛する騎士団長エイミア・レイシャルの居所へ向かいながら、そんなことを考えていた。
今の時間なら、城の屋上で『捧げ矢』を行っている最中のはずだ。
そして案の定、屋上に着いた私が目にしたものは、青く輝く弓を上空に向けて引き絞り、【魔力】で構築された光の矢を射ち放つ彼女の姿だった。
一矢一矢に想いをこめるかのように放たれる光条は、明けきらぬ紫紺の空に消えていく。
四年間、一度も欠かすことなく続けられている彼女の儀式。
空に捧げられた矢は、今ではすでに数万本を超えているだろう。
「ああ、サイアスか。どうした?」
屋上に着いた私に目もくれず「捧げ矢」を続けていた彼女であったが、ようやくこちらに気付いたかのように声をかけてきた。
あのとき短かった青い髪は、今では長く伸ばされ、首の後ろで束ねられている。
「大事なお話があって参りました」
「大事な話?」
タオルで顔の汗をぬぐいながら、首を傾げる彼女。
「はい。このところの団長の様子を見るに、御身体の具合が悪いのではないかと推察されます。休養を取られてはいかがでしょうか?」
私の突然の言葉に、彼女は青い瞳を大きく見開く。
「……気を使ってもらえるのは有り難いが、大丈夫だよ、サイアス。確かに弟の件はショックだったが、もともと死んだと思っていたんだ。むしろ会えてよかったぐらいだ」
「いいえ、団長。私が申し上げたいのは、そういうことではございません。いざというときに御身体の具合の悪い団長では、まともな指揮が取れないのではないかと心配しているのです」
「? ますます意味がわからないぞ?」
私のきつい言葉に対し、怒るでもなく首を傾げるだけで済ませてくれているのは、私に対する信頼の表れなのだろう。
「ですから、休養をお勧めします。いえ、いっそのこと引退なさってはいかがでしょう? 貴女は十分、国のために尽くしました。『御身体の具合が悪い』のであれば、無理をして寿命を縮めるより、『引退して余生を送る』決断をしても、誰も文句は言いますまい」
私の言葉に、それまで怪訝そうな顔をしていた彼女の目が大きく見開かれる。
「……わたしは、そんなに無理をしている、かな?」
「ええ、傍から見ていて辛いほどに」
「辛いほどに、か…… なぜだろうな? わたしはずっと、幸せになろうと思ってきたはずなのに……」
彼女は手にしたタオルに視線を落としたまま、呟くような言葉を漏らした。
「それは、貴女が一番良くおわかりのはずです」
そう。今回の件における彼女の行動からも、それは明らかだ。
「……久しぶりに、彼らのような冒険者と話ができて楽しかったんだ。でも、わたしは聖騎士団長で、彼らは冒険者で……」
彼女の声は最後まで言葉にならずに消えていく。
それでも私には、彼女の感じていた「もどかしさ」が痛いほどよくわかっていた。
「無理は、しないでください。……貴女はもう、十分すぎるほど国のためにも、『彼』のためにも、尽くしてこられたではありませんか」
「……わたしは、幸せにならないといけないんだ。……ううん、違う。そうじゃない。わたしは、わたしの人生を、責任を持ってちゃんと生きなくちゃいけない。他の誰かのためだと言って、他の誰かのせいにしちゃいけないんだ。……だって、そう約束したんだから」
「はい」
彼女は、ここ最近では見せたことのないような、力の抜けた自然な笑みを浮かべて私を見た。これが彼女の本来の表情だろう。これが見られただけでも、私がこの決断をした甲斐があったというものだ。
「でも、サイアス。わたしがいなくなったら皆はどうする? 他の軍の連中からの風当たりも強くなるかもしれないぞ」
あの時と同じ、残されるものを案じて発される言葉。だが、今度こそ心配はいらない。
「心配は無用です。この件は皆で話し合って決めたことです。貴女の部下は、そんなにやわではありませんよ。それに、平和になったこの国では、貴女を疎む中央の動きもあるくらいですからね。むしろ引退は歓迎されるかもしれません」
「そっか。……うん。ありがとう。サイアス。じゃあ、後を頼む」
「これから、どうされるおつもりですか?冒険者に戻られるにしても、出来る限りの協力はさせていただきます。なんなりとおっしゃってください」
実際、冒険者であるシリルたち一行を城に迎えたいと言いだしたことからして、彼女の中に冒険者へのあこがれが強く根付いていることに間違いはないだろう。
「ああ、そうだな。とりあえず、シャルのところにでも押しかけていって、恩返しでもしてもらおうかな」
活き活きとした声。聞いているこちらの胸まで躍るような、楽しげな響き。
「なるほど、しかし所在がわからないのでは?」
「心配ない。きっと彼らなら、どこへ行っても目立った活躍をしているはずだ。ここからの出発時には、次はエルフォレスト精霊王国だと言っていたから、まずそこから足跡を追えばいい」
彼女はこれから始まる『冒険』に心を弾ませながら、少女、否、少年のように無邪気な笑顔でそう言ったのだった。